まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2025/12/14 0:25:13|老々介護について
69.【美味しい「カレーライス」ができた!】
 先週のお便りレポートは【美味しい「肉じゃが」ができた!】というタイトルであった。今回は【美味しい「カレーライス」ができた!】を報告する。
 肉ジャガ同様に2人前カレーライスを何回か作ったが、2人前のジャガイモや人参の量が多かったり、味が辛かったり、塩気が強かったりして、真喜子から「美味しい」という合格点を貰えない。再挑戦しようと思うのだが、手元の食材が一部不足していたりしていたことで、最近は作っていない。
 今週、生協の食品通販でカレーライス用肉、細切れ牛肉、ジャガイモ、人参、カレールーが配達されたので、急に作りたくなり2人前作った。ところが、出来上がると2人で2回食べられる量を遥かに超えたカレーが出来上がり、分量のコントロールが上手くできていない。そこで、4回目の試作カレーライスを一昨日作った。ご飯の量をいつも(飯茶碗半人前)より倍以上の大盛りにし、カレーと共に大皿に入れ食べたところ「美味い」「美味い」を連発し、大盛り試作カレーライスをペロリと食べてしまった。この大盛り新カレーライスの出来具合は成功し、合格したようである。
 眞喜子は失明に近い状態で毎日の生活を過ごしている。目の手術後しばらく、デイサービスに参加することを拒否していた。幸いにも鑛一も要支援1の認定を受けていたので、リラクサイズ武蔵藤沢の半日デイサービスに夫婦揃って参加できることになり、眞喜子は渋々と2人で参加していたころがあった。
 それ以来、眞喜子はデイサービスが楽しいといい、参加利用者の皆さんと会話を交わすことができ、参加することの楽しさが実感出来るようになった。目が見えなくなり将来を失望していたのだが、デイサービスに参加できるようになり、参加拒否も徐々になくなった。目は見えないが喋る楽しみ、食べる楽しみに専念できるようになった。喋る楽しみは、デイサービス利用者、職員の皆さん、あるいは鑛一と出来る。食べる楽しみは、外食や宿泊旅行で、これまで何回も経験している。運転免許証返上後は、外食・旅行が不可能となり、食の楽しみは奪われた。そこで、外食で楽しんだ食べる喜びを自宅で可能にしようと鑛一が目下食事の工夫・研究?をしている最中である。
 食事の際は真喜子の食卓目の前に、周辺縁の高さ1cm、縦横長さ30cm x 40cmの矩形お盆を置く。そのお盆の中にご飯茶碗、お菜皿、味噌汁お椀、箸、スプーンなど真喜子専用の食器を置く。お盆の縁を指で触ると食器の位置関係がわかり、食事介護を受けずに自分の箸で食物を掴める。お盆上に配置した食器類を認識してもらい、その位置関係を覚えてもらうようにして食事をしている。食器の中にある食べ物の色、形、大きさなどは認識できないので、箸でランダムに掴んだ食物を口に入れている。口に食物を入れれば、それが人参であるか、大根であるかは食感と味で認識できる。その結果、「美味しい」という言葉を発しているようだ。箸を持つ手の触覚で食物の大小、形、硬さなどを認識している。しばしば、箸で掴んだ食物を落とすことがある。お盆や食器の中に落とすならば問題ないのだが、それをお盆外に落とすと、衣類や床の絨毯を汚してしまう。目が見えない眞喜子は、かつては家族5人の料理を作り、配膳、食後の後始末など一切が仕事領域であった。ところが今ではその仕事が一切できなくなり、鑛一が全面的にその仕事をカバーしている。
2024年6月19日(水)
 
 







2025/12/13 23:34:00|老々介護について
68.【美味しい「肉じゃが」ができた!】
 眞喜子から炊事一切を引き受け以来一年近く経った。眞喜子に教えてもらいながら、三度の食事を作っている。炊事は、食材の買い出しから始めるが、食事する人数、何時の食事、食事内容の好みなどで食材の選定、量、値段などの配慮が異なります。食材が揃うと大小の鍋や釜などの炊事用具とそれらのサイズが気になる。ガスかIHかでも使用する煮炊き用具は異なる。
 ガスに火をつけ湯を沸かし、お茶、コーヒーを準備するぐらいのことしか、この歳になるまでやったことがない。台所に立ち炊事することは、一大決心であった。眞喜子は若い頃、料理教室へ通い、料理を習った。その眞喜子の手ほどきを受け「カレーライス」、「大根・人参の煮物」、「肉じゃが」をなんとか作れるようになった。眞喜子の目が衰えてから、鑛一が一切の炊事をするようになり約一年近くになる。この間、上記した「カレーライス」、「大根・人参の煮物」「肉じゃが」作りにいく度か挑戦しました。「カレーライス」、「大根・人参の煮物」は、なんとか眞喜子が気に入る味に出来上がったが、「肉じゃが」については煮崩れなどがあり思うようにできなかった。ある日、眞喜子が芋類は弱火で時間をかけるとか、みりんを少々加えると良いと一言ったので、それに従ったら、上手に「肉じゃが」が出来上がり「美味しい」の一言が彼女の口から漏れ伝わってきた。
 まだ、二人分の料理に使う食材の量がどのくらい必要かはつかめていない。ですので、つい同じ煮物を1回の食事で食べきれないほど沢山作る傾向がある。これまで、何回か同じ料理を繰り返し作ってきたので、少しずつ料理の腕は上がり、作るコツを覚えてきたような気がする。
2024年6月19日(水)







2025/12/13 23:19:15|老々介護について
67.【新兵器3種:輪投げ、ゴルフ、ボール投げ】
  『輪投げ』、『ミニゴルフ』、『目標の穴に入れるボール投げ』のリハビリ補助具の新兵器3種が披露され、わずかな時間だが3種のゲームを楽しむことができた。小学生のころ神社の縁日や祭りの際、親にもらったお小遣いを使い、輪投げや金魚すくいで遊んだことを覚えている。当時の 輪投げは2mほど離れた位置に敷いたご座の上に景品群を並べ、欲しい景品目がけて輪を投げ、景品に輪が収まると、その景品をいただけるというものであった。子供ころを思い出しながら3種の用具を使い楽しくリハビリを行うことができまた。ゴルフは全くやったことがないが、お年寄りが公園でよく行っているゲートボ−ルは見たことはある。今回行ったゴルフは、ゲートボールに近いゲームかと思う。最後のボール投げは、遠くに置かれた1〜10の番号が書いてある穴開きボードの穴を目掛けてボールを投げ入れる。このゲームは、手で投球する方法が基本かと思うが、テニスラケットを使いボールを打ち、打ち返したボールを目標の穴に入れる、あるいは至難の技かと思うが、野球のバットを使い投球したボールをバットで打ち返し、そのボールを目標の穴に入れるという方法もある。
 新し物好きな鑛一にとって新規に導入された新兵器3種は気に入った。その理由は、 何をやっても、そのやったことから何らかの学びが得られる。ですので、今回の新兵器3種についてもリハビリはもとより、脳トレになる事も実感した。それは、3機種とも頭を使い、上腕・前腕、手指をどのように動かすか、また用具(輪投げの、ゴルフのクラブ、ボール投げ用ボール)をどのように掴むのか握るのかをよく考え、なおかつ用具を把持する力も加減している。把持力を考慮し用具の操り方を頭で考え、投げる輪なりボールあるいは握っているクラブの振り方をコントロール(制御)しているはずである。そのため、新兵器を操ることは、楽しいことばかりでなく無意識のうちに脳トレ(身体のコントロール)、軽い筋肉運動、脳・上腕・前腕・手指のリハビリテーションになっていることが理解できた。
2024年6月12日(水)







2025/12/13 23:01:52|老々介護について
66.【鑛一、眞喜子の近況報告】
 鑛一:2019年12月に患った脳梗塞の後遺症で右足は踏ん張りが効かなくなり、右手で文字を書く細かい動作もできなくなった。そのため、歩行時に転倒の不安を常に抱え、いろいろな手作業も思うように出来なくなった。手足の動きは衰えたが、食欲と頭脳は、普通人同様と自負して今日まで生活してきたが、それも近頃怪しくなりつつある。パソコンが操れるお陰で、買い物に出かけなくてもAmazonネット販売、コープデリ宅配サービス(ネット注文)が利用できるので、日用雑貨品、食料品の購入には不便していない。
 二度の脳梗塞で右足、右手の痺れ、それに呂律・嚥下障害を起こしてから鑛一の体調は、病の影響があるものの生活はあまり変わらない。ただ、階段の昇り降りが以前より辛くなり、また徒歩で遠くへ行けなくなった。最近は電灯の消忘れ、人の名前が思い出せないというような物忘れが多くなった。
 眞喜子:一方、59年間生活を共にした眞喜子は、認知症になった。目が見えていた頃からだが、金銭感覚はなくなり、スーパーの買い物で暗唱番号を忘れレジ清算ができなくなり、千円札を渡し釣り銭を受け取るようにもなった。その釣り銭を受け取った鑛一は、貯金箱に入れていたので小銭が溜まっている。釣り銭を鑛一に渡し始めたころから眞喜子の認知症が始まったように思われまる。防衛医大での目の手術以来、テレビのリモコンや電話ダイヤルが扱えない、窓や玄関扉の鍵がかけられない、電灯のスイッチ位置がわからない、トイレの後始末(水流し、電灯消し忘れ、尿漏れパッと置き忘れ)など「できなくなった」ことが非常に多くなった。目が見えないのでラジオをよく聞いている。そのラジオの操作ができないのでNHK第一放送だけが聴けるようにスイッチや方局選択ダイヤルをガムテープで固定し、ラジオの音声を聴いている。テレビ画像は観えないので自宅のテレビは、ラジオ代わりに音声を聴き映像内容を推定してみている。
 現状の眞喜子の姿を見ていると、1年前の眞喜子とすっかり変わり果て、悲しくなり、可哀相で不憫でならない。3人の子供たちを立派に育て、彼らは社会で活躍している。私たち夫婦は、人一倍に幸せな素晴らしい人生を送れたので、なにが起こっても悔は残らない。人一倍に幸せな素晴らしい人生を送れたことに感謝している。眞喜子には、鑛一を五感の杖替わりに使ってもらい、残された人生を二人で楽しく過ごしたいと願っている。そのため、リラクサイズ武蔵藤沢を始め、介護支援の皆さんや介護施設に今後もお世話になることと思う。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2024年6月5日(水)







2025/12/12 23:40:34|老々介護について
65.【SAMさんダンスが足腰のリハビリに役立つ!】
 2012年から2018年まで正月前後に毎年7年間ハワイホノルルのホテルにコンドミニアムが併設されているイリカイ・ホテルでロングステイを行った。年度によって異なるが、30日〜45日間のロングステイであった。滞在中、ハワイ在住の日本人から朝7時から1時間あまり毎日「気功」(中国古来の健康法の一つで、深呼吸と体操とによって体内の気と血のめぐりをよくし,病気の予防と治療とをはかる)運動が行われていることを教えてもらった。この気功を行う会場には、1日も欠かさず通った。激しい運動ではないが、終えるとなんとも言えない心地よさを味わえる。この気功を行う場所は、アラワイ運河沿いの公園である。マスターと呼ばれる中国人が、朝7時に現れ、無言で運河の水面を眺めながら気功運動を始める。このマスターが気功を始めると、マスターの後ろに現地住民、異なる国籍の観光客約20人、多い時は30人が集まり、マスターの動作を真似るように参加者は手足を動かす。マスターは小声で「エイホー」「エイホー」と自身で気合いを入れるようにして、首、上腕、前腕、指、下肢など動かせる全身体部位を満遍なく1時間あまり動かす。終わると振り向き両手を合わせ軽くお辞儀して、テクテクと自宅に帰っていく。雨の日は、運河沿いにあるコンベンション・センター軒先を会場として行う。この気功に参加して、改めて身体を動かすことの重要性を再認識しました。
 ある時、SAMさんダンスという番組をテレビで観た。このダンスは、SAMさんが開発したダンスのようで、高齢者から子供まで運動が安全にでき、医師も協力し介護分野への普及も行っていることをこの番組を観て知った。SAMさんダンスは激しいようだが、ステップを踏むだけで足腰や関節が強くなることを強調していた。上述の気功運動と異なり、音楽に合わせ楽しく行う運動が主流だが、老人子供誰でもが楽しく、安全に出来ることを宣伝していた。ということで、ハワイの気功、SAMさんダンスなどで身体を動かすことの必要性を実感している。SAMさんダンスの介護バージョンを歩くことが困難な老人ホーム利用者のリハビリに取り入れると効果があると思う。以下のURL(Uniform Resource Locator)を開くとSAMさんダンスが理解できる。
2024年5月29日(水)