まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2025/08/19 17:27:00|老々介護について
1. ブログ「まず動く」再開
 2019年12月のクリスマスの時期に軽い脳梗塞を患い、そのころ新型コロナウイルスが出現し、約5年近くブログ投稿を休んだ。軽い脳梗塞であったが、医者にかかるのが遅れたため、回復の見込みを失った。この病は手当てする時期が早ければ手術するとある程度元の体に戻ると言われている。だが、私の場合は手遅れで、軽いけれども脳梗塞と言うことになり今に至っている。
 回復は難しい脳梗塞だが、栄養を正しくとり、運動を行うことによって良くはならないが、努力すれば悪くもならないと言われている。そのため、毎日ではないが、散歩を心がけ、ステッパーという運動器具を求め、悪くならないための努力は行っている。また、日常会話ができる程度の簡単な中学英語フレーズのビデオ通話勉強会を6人で行なっている。さらに、趣味のテレビ映画のコレクション(民放映画のコマーシャルを取り除く)も行なっている。そのためか、歩くことに不安定さを覚えるが散歩はできる。しゃべれて(呂律障害と医師にいわれた)、食べることにも問題なく、日常生活にも不便さをあまり感じていない。そこで、ブログ再開は脳トレになり、老化を防止のためにもなると考え再開することにした。
 これまでは旅行が好きであったため、国内外の旅の様子に力を入れたブログを多く投稿した。脳梗塞を患い旅に出ることが困難になったため、今後のブログは身近な事柄、介護の大変さ、老人が老人介護を行う老々介護(実際に妻の介護を2年間行なった。90歳の私では妻の介護は無理だとわかり、今年3月に老人ホームに入所してもらった。今は私一人で食事、家事、買い物など全てを行っている。老々介護(90歳の私が87歳の妻の介護を2年間行なった)を経験したので、なにが大変なのかを考えてみたいと思っている。
 私の介護度は「要介護1」で、妻のそれは「介護度3」で、彼女は緑内障で両目が見えなくなり、車椅子生活を老人ホームで行っている。ホームに入所前まで、デイサービスには一緒に参加していた。ブログには、彼女の元気なころの話題も書いてある。参加したデイサービス施設は、「リラクサイズ武蔵藤沢」といい、運動型デイサービスを行なっている施設で、自宅、施設間の往復送迎はある。この施設からの要望で「お便りノート」を提出することになっている。利用者(お年寄)は、約18人で、毎週「お便りノート」を提出している。この「お便りノート」に書く内容は、デイサービスのこと、自宅で過ごす間の自身の体調、身近に起こったこと、意見、質問などなんでも良いとのこと。私は気がついたことや参加して思ったことなどをまとめ、毎週必ず提出した。このデイサービスに参加して2年以上が経過し。足腰が痛く外出できないので、ブログに投稿する内容は「お便りノート」が主になっている。何か興味ある話題がでてきたらその関連記事も投稿したいと思っている。
 「お便りノート」は溜まっている。そこで、デイサービス施設「リラクサイズ武蔵藤沢」の記事掲載許可を得たので、しばらく、その「お便りノート」記事に修正・追加を加え掲載する。これからは多くの老人が「介護される」、「介護する」、私が経験したような大変な「老々介護」が増える可能性はある。投稿記事の一端が、少しでも参考になれば幸いかと思い、ブログを再開することにした。
 2025年8月18日







2025/12/18 18:19:16|老々介護について
73.【眞喜子はショートに出かける】
 前回72.で述べたように眞喜子の生活態度・挙動がおかしくなり、楽しみにしているデイサービスも出がけに「今日は行きたくない」と急に言い出す。しかし、行きたくないデイサービスも帰ってくると楽しかったが疲れたといい、帰宅後に直ぐ食事を済ませるとベッドに横たえ、ラジオを聴き始めある。目が不自由なため、趣味のパッチワークを行う、テレビを観る、本・新聞などを読むなど……が出来ないので生活上の視野が極度に狭まり鬱(うつ)状態になっていると思わる。
 いずれ鑛一がダウンすれば介護施設にお世話になるが、鑛一が動ける間は、同じ屋根の下で今の生活を続けたいと思っている。鑛一がダウンしないようにするためには、真喜子が老人ホームのショートステイにお世話にならざるを得ない。その間、鑛一に休息してもらうという提案が真喜子・鑛一のケアマネジャーから出された。独立したわが家の子供達もそうしたらどうかと賛同し、7月18日に所沢西センター「そよ風」の管理者と契約を結び、2024年7月20日(日)〜月23日(火)まで3泊4日で眞喜子はショートステイに出かけることになった。ショートステイをする施設「そよ風」は2階建てで個室は思ったより広いが、トイレが部屋にない。そのため慣れない眞喜子は、トイレへ行くまでに苦労するのではないかと心配している。ここ施設は、運動型デイサービスではないので疲れることはない。他の利用者と知り合いになり、楽しい話題を見つけ、お喋りなどして気分転換をしてもらえるとありがたいと思っている。子供が泊まりがけの遠足に出かけた場合、今ごろ何をしているかなとその子供の親は心配る。鑛一の今(7月20日(日)の夜10時)の心境は、その子供の親が思う気持ちと同様な気持ちである。
 彼女は23日(火)の午前には自宅に戻る。3泊4日のショートステイは、「楽しく疲れなかった」という感想が聞けると嬉しい限りである。
2024年7月24日(水)
 







2025/12/18 8:54:51|老々介護について
72.【妻眞喜子の近況】
 眞喜子は両目が失明状態で車椅子生活になり、認知症の症状もすすみ心配している。最近の彼女の様子(動作、姿勢)をみるにつけ、悲しくなる。この急な老いの現象は、緑内障を患ったことが原因です。視力を失ったことはどうすることもできいが、その原因を考えると趣味のパッチワークを一生懸命やりすぎたことが考えられる。夢中で作業していたお陰で、針穴に糸を通す技は見事である。夢中になりすぎ夜中の2時、3時ごろまでパッチワークを行うことが度々あった。室内灯の照明が暗いだろうと手元を照らす照明器具を準備しても、それを使わずパッチワークを続けていた。針穴に糸を容易に通せたことで趣味の作業に没頭出来たことも緑内障を悪化させた原因かと思っている。針穴に糸を簡単に通せたため、鑛一は、彼女の目は健在だと思い続け、あまり注意はしなかった。いずれにしてもあまりにも熱心に趣味のパッチワークをやり続け、目を酷使したことが緑内障の悪化原因かと思っている。
 普段の生活では十分に睡眠をとり、バランスの良い食事、適度な運動を意識し、規則正しい生活を送ることが健康維持する最良の方法ではないかと思っている。現在、一緒に生活していて細かいことだが、下記のようないくつかのおかしな行動や言行をすることに気づいた。
●朝起きると「ここはどこ」と鑛一に聞く(自分の居場所が分からない)
●食後、立ち上がるとトイレはどこと聞く(自身が行くべき方向がわからない)
●携帯電話は勿論のこと、電話機、テレビのリモコン、ラジオのダイヤルや音量調節、玄関・窓ガラスなど戸締り、家電や機器の操作もできなくなってきた。
●箸は使えるが、掴んだ食材を口に入れるまでにそれを落とす、落としても目が見えないので平気な顔をしている(我が家の子供達が小さい頃、毎回の食後に食卓の下を眞喜子が掃除していた。今では眞喜子がその子供になり鑛一が掃除を担当している)
●テレビを観ることが唯一の娯楽であったが目が見えなくなると、ラジオを聴くことが多くなった。そのラジオの操作ができない。そこで、NHK第一放送だけ聞けるように音量調整、放送局選択ダイヤル、AM-FM切り替えスイッチ、ボリュームなど全ての調整可能な箇所をガムテープで固定し、電源スイッチを入れるとNHK第一放送のみ聞けるようにした。
●ラジオの電源スイッチを枕元に設置し、手を伸ばすと寝ながらラジオの電源をオフできるようにした。しかし、それも眞喜子はできなくなり終日電源はオン状態になっていることが多い。
 認知症の症状が早く良くなることを願い、毎日前向きな話をするように心がけている。
2024年7月17日(水)
 







2025/12/15 17:36:00|老々介護について
71.【揖保乃糸(いぼのいと)素麺と鰻重】
 過日、知人から揖保乃糸(いぼのいと)とう銘柄の素麺を送っていただいた。その品は、いかにも高級品だとわかる立派な桐の箱に入っていた。7月2日(火)昼食時、この贈られた素麺を茹でて早速いただいた。食後の感想は鑛一、真喜子とも「美味しかった」の連発である。なかなか口に入らない高価な鰻重も立派なお重に入れて提供される。たまに食べるこの鰻重も食後の感想はいつも「うまい」「うまい」の連発である。鑛一も眞喜子も食事で一番美味しいのは「うなぎ」、次は「そうめん」だねと言い、食後の感想は一致する。このようにたまの食事である素麺、鰻重の食べ終わりに、二人が発する言葉はいつも「美味しかった」の連発である。食後の雑談で、それほど美味しかった素麺だから、次回の食事は、素麺を主食にして鰻の蒲焼をお菜(おかず)にしようと意見は一致。そうすれば、「美味しかった」という素麺の主食、鰻の蒲焼がお菜(おかず)だから、これまでの食生活で食べたことのない最高の「美味しい食事」が食べられるねと大笑いしたことがある。このように二人の会話ができる食事がいつまで続くかを考えると少し寂しい気がします。
 食べることと喋ることに問題ない眞喜子は、自宅内で迷子になる気配を最近示すようになり心配している。というのは、食後にトイレに行くと言って立ち上がり、トイレ方向に向かわず寝室方向に進む。移動を始めてから、どっちに行けばトイレかわからなくなったと言う。我が家のトイレと寝室は、食卓がある居間を中心に反対方向にある。これまで間違えることはまずなかったのだが、自分のいる位置が不確かになり、上記のような行動を起こすようになった。また、目が見えなくなってからは寝ることが非常に多くなり、そのため足腰は弱くなったようである。週2回のデイサービスは、以前のように嫌がらずに出席するようになった。ただし、帰ってくると疲れた、寝たいとよく言い食後直ちに横になる。デイサービスで疲れたお陰だろうか、デイサービスに参加した日の夜は熟睡する。
2024年7月10日(水)提出







2025/12/15 16:59:27|老々介護について
70.【掃除ロボットを身近で見学】
 鑛一は、大学教員現役の頃、ロボット工学の講義を担当していた。専門は「制御工学」だが、この制御工学の知識がないとロボットは動かない。リラクサイズ武蔵藤沢の床面積は大きいので掃除ロボットを導入することは必然の成り行きかだと思う。鑛一がロボット工学を講義していた1998年(26年前)頃は、ロボット研究は盛んであったが掃除ロボット(2001年発売)はまだ実用になっていなかったと思う。それが今では実用になり、毎日の床掃除に使われていることを知り、技術の発達の素晴らしさを実感している。掃除ロボットが動く様子や障害物に当たった時、ロボットはどのような挙動を示すか、その動きの状況を目前で見学できた26日(水)のデイサービスは、とても有益な日となった。
 鑛一は上記大学以前に国立大学の制御工学科で13年間助手をしていた。上司はロボット工学普及に力を注いだ森政弘先生で、NHKのロボコンを開催したロボコン博士である。東工大時代にロボットを人間に役立てるためには、ロボットの動きは人の動きと同じようにしないと、ロボットを扱う人間は違和感を感じ、ロボットは普及しないと森先生は主張していた。そのため鑛一は、水を入れたコップや物体を右左へ移動させた時の物体の動きの研究を行った。この動きに関する研究成果は、5編の原著論文とし学会誌に発表した。
人の動きに関する研究が一段落したころ、KJ法で有名な、元東工大教授の川喜田二郎先生よりネパールで使う自然力ボート(川の流れを使い川を渡るボート)の研究・開発依頼が森政弘教授にあった。開発した自然力ボートはネパールに設置するとのことであった。そこで、助手であった鑛一がネパール技術援助の実験隊長に指名され、東工大で自然力ボートの研究・開発し、ヤマハ発動機がボート製作を担当することで開発を進めた。ネパール政府への開発したボートの説明と実験のため4回にわたりネパールに出かけた。研究は7年間続き、ネパールの川の流れを利用し、川幅100m程度なら渡河できる自然力ボートを完成させた。その成果をネパール政府に報告し、自然力ボートは10年ほどネパールの川で実用に供された。研究成果は博士論文にまとめ、鑛一は、この自然力ボートの研究で東京工業大学から工学博士の学位が授与された。そのお陰で放送大学助教授、東京電機大学教授という地位を経て、70歳定年まで東京電機大学、それ以降、コロナ禍が始まった2020年6月85歳まで非常勤講師として放送大学、看護大学、看護専門学校で看護人間工学の講義を行った。コロナ禍と2回の脳梗塞を患い、残念だが介護される身になり今日に至っている。
2024年7月3日(水)







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