まず動く2

ブログ「まず動く」の写真容量が不足したため、ここに改めて「まず動く2」を立ち上げました。以前のブログ同様に、写真付き日記のつもりで投稿します。ご覧いただければ嬉しい限りです。
 
2017/02/20 21:24:00|タイ・チェンマイの旅
タイ王国チェンマイでセミロングスティ
 30年ほど前に、ネパール政府から依頼のあった技術援助(自然力ボート開発と設置)のためにバンコクからネパールのカトマンズへ5回ほど行ったことがある。このネパール技術援助の時は乗り継ぎのため、バンコク国際空港に降りただけで、直ぐにネパールの首都カトマンズへ飛んだ。その後のタイ旅行は、妻Makikoとバンコク市内、世界遺産アユタヤ、映画「戦場にかける橋」の舞台カンチャナブリへツアーで行った。今回のチェンマイ・セミロングスティは、冬の寒さを逃れること、2月初旬に開催されるチェンマイ花祭りを見物するために出かけた。羽田空港より全日空(ANA)を利用しバンコクへ、そこで国内線バンコクエア(Bangkok Air)に乗り換えチェンマイへ飛んだ。
 出発日、運賃、出発・乗り換え時間は以下の通り。
往路(平成29年1月29日(日)
・羽田空港出発:00:30  バンコク到着:05:35
・バンコク出発:07:50  チェンマイ到着:09:10
帰路(平成29年2月8日(水)
・チェンマイ出発:06:55  バンコク到着:08:15
・バンコク出発:10:25  羽田空港到着:17:55
・航空運賃 二人往復 122,560円
 
 なぜチェンマイへ行くかというと、多くのロングステェイクラブの仲間が冬でも真夏のように暖かいチェンマイでロングステェイを行っているので仲間と友好を深めること、2月初旬に大規模な花祭りが開催されることを聞いたので、それを見学するためである。それに物価が安いことも耳にしたのでどれくらい安いのかということも知りたく思い出かけた。
 未知の国でロングステェイするために単身で出かけるには、相当の苦労を覚悟しなければならない。特に問題になるのは言葉である。幸い、多くの友人がチェンマイに滞在中なので、タイ語を話せなくても、いろいろと教えを受けられる。日本からタイのチェンマイ空港までは上記した飛行機に乗れば行ける。空港からホテルまではタクシーを使えば行ける。そのタクシー代はあらかじめ、140バーツ(420円)ぐらいと聞いていた。空港からホテル(Kantary Hills Chiangmai Hotel)まで出迎えてくれる送迎車があると聞いていたので予約しておいた。送迎車の運賃は片道170バーツ(510円)ということをチェンマイの旅行会社(Mint Travel)から連絡を受けている。チェンマイ空港出口を出るとホテル運転手が名前を書いた紙を掲げて待っていてくれるという。その通り、迎えの運転手が直ぐわかり、チェンマイ空港からホテルまで送迎車で行き、無事チェックインできた。運賃はKantary Hills Chiangmai Hotelチェックアウト時に他の支払いと一括でよいというので助かる。
 今住んでいる埼玉県入間市の自宅から最寄り駅までのタクシー代はワンメータで730円である。ハワイ・ホノルル空港から毎年行くイリカイ・ホテルまでのタクシーは35ドル(3,000〜4,000円)とタイのタクシーに比較して相当に高い運賃である。タイでは基本的にはチップの習慣がないというが車に荷物を乗せてもらうので20バーツ(60円)ほどのチップを支払った。
 
 すでにチェンマイに滞在中のロングステイクラブ会員からチェンマイ旅行業者のジョンさん(日本人)を紹介して頂いた。紹介されたジョンさんを通じ、ホテル宿泊、送迎車の予約をインターネットで済ませておいた。ホテル1泊料金は朝食込みで2,850バーツ(8,550円、1バーツ→3円)、一方ハワイのそれはコンドミニアムであることの相違はあるが1泊当たり122.5ドル(14,700円、1ドル→120円)であるからタイのほうが50%ほど安い。
 
 前記したように、羽田出発が00:30である。この時刻の飛行機に乗ったことはない。29日の00:30発というのは、29日に入ってからわずか30分過ぎである。そのため、この日を旅行準備の日として日程に組み込んでおくと飛行機は出発してしまう。28日に大急ぎで旅行荷物を整理し、夜の東所沢発の最終リムジンに乗って、28日の夜中近くに羽田空港入りし29日朝一番の出発を待った。このように朝の超一番に出発する便に乗る客が私同様に勘違いし、飛行機に乗り遅れた人がいるという話しを後日聞いた。その間違いは理解できる。バンコク到着は05:35であるからまだ暗い。07:50、チェンマイ行き飛行機出発時間がせまるころ、写真のようにバンコクの日の出を空港でみることが出来た。タイの国内線バンコクエアの機体表面に写真のような斑点が見えたので奇妙な感じがした。搭乗タラップに足を乗せ直ぐ近くで見た斑点は、各種異なる旅行鞄の写真がぎっしり貼りつめてある機体であった。
 羽田−バンコク所要時間は7時間30分、バンコク−チェンマイ間の所要時間は1時間10分である。バンコクで入国手続きと乗り換えの待ち時間に約3時間を要するので、それらを考慮すると、日本からチェンマイまでの所要時間は約11時間という長い時間がかかることになる。最終目的地チェンマイに着いたのは午前9時10分過ぎ。すでにタイへの入国手続きはバンコクで済ませてあるので、ここチェンマイでは国内線扱いなので、スーツケースが出てくれば直ぐに空港外へでられる。出口を出ると、横文字の名前を書いた紙を持ったタイ人のホテル運転手の出迎えがあったので、すんなりとホテルまで行け、チェックインが出来た。


 ホテルチェックインは出来たが、ホテル代の支払いが出来ていない。ホテル宿泊代はバーツでジョンさんに支払うことになっていたので、旅行業者(Mint Travel)のジョンさんをフロントで待った。ジョンという名前なので現地の人かと思っていたが生粋の日本人で、とても気さくで親切な人である。タイ紙幣のバーツを持っていないので、一緒に近くの両替所EXCHANGEへ案内してもらい、15万円をタイバーツ(50,000万バーツ)に交換した。このうちの28,500バーツをホテル代としてジョンさんに支払い、残りを10日間の日常生活費、ツアー代、チェックアウト時にホテル部屋付けの費用とし、タイ・チェンマイ生活が始まった。歩数:10,782【2017年1月29日】
 
平成29年2月20日(月) 自宅にて記す
 







ロングスティ総括(ハワイ大学がんセンタとえひめ丸慰霊碑)
 ハワイ大学医学部ガンセンターは、カカアコ・ウォターフロント・パークと隣り合わせにある。ここはALOHAタワーに近く、また、イオラニ宮殿、チャイナタウンにも近い。ガンセンターで研究者として働いている女性医学博士のJさんと数年前にある会合で知り合った。それ以来、毎年ハワイを訪れるときにお目にかかっている。いつか研究室を見学したいとお願いしてあったが、なかなか実現できず今回のロングスティで実現できた。見学日は土曜日とあって、研究している現場へ入れないが、パソコンを前に論文を作成する部屋に入ることができ、行っている研究の説明を受けた。部屋はオープンスペースで、明るくて仕事がやりやすい雰囲気だ。壁面には研究成果の一部が展示されてある。泥臭い工学の分野と異なり、理解し難い内容が多い。
 
 研究室見学の後、近くの公園カカアコ・ウォターフロント・パークに行く。公園の名前と場所は知らなかったが2001年2月に発生した「えひめ丸と米原子力潜水艦衝突事故」は知っている。この事故で尊い9人の命が失われた。その「えひめ丸」慰霊碑がこのカカアコ・ウォターフロント・パーク内の小高い丘の上に建立されていることはホノルル市の地図を見て知った。Jさんに案内をお願いして頂き慰霊碑を見に行った。大学から歩いて直ぐのところに公園はあって、その中の海に面した眺めのよいところに慰霊碑がある。この碑から21 kmのところで衝突事故現場があると慰霊碑にその距離と方向が記されてある。
 
 この碑に立ってALOHAタワー方面に目をやると横に大きな建物が見え気にる。それは建物ではなく、Pride of Americaという名の大型客船である。なぜ、気になるかというと、3年前のロングスティの時にその船に乗りハワイ4島のクルージングを行ったからだ。この船は土曜日にホノルルを出発し、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島を1週間かけて一回りし元のホノルルに土曜日に帰港するというクルーズ船だ。この船が「えひめ丸慰霊碑」から見える位置に停泊しているので、懐かしくなり注視した。あれから早3年が過ぎ、再び見ることが出来るとは思わなかった。
 
 このクルージングを行った時は、まず、1ヶ月のロングスティをイリカイ・ホテルで行い、荷物をイリカイの使われていない部屋に預けて船に乗り、クルーズ1週間後に帰り、それからイリカイに2泊したことを覚えている。この時は、ヨットハーバー側の部屋を予約した。ヨットハーバー側の部屋からは毎日サンセットが見える。反対のラグーン(潟)側だとサンセットは見えない代わりに、お隣のヒルトン・ハワイアン・ビレッジが毎週金曜日夜7時半に打ち上げる花火が真正面によく見える。ヨットハーバー側に泊まったのはクルーズしたこの時だけで、それ以外は花火が見えるラグーン側でロングスティを行っている。
 
 大学見学、えひめ丸慰霊碑、Pride of Americaを見た後、食通の人に有名なハーバーピア38にあるレストランに出向く。ディナーには少し早い時間であったが、新鮮な海鮮料理が食べられるというのでまだ客のほとんどいないHARBORレストランに入り、食事と団らんで楽しいひと時を過ごした。
 
平成29年1月26日(木) 自宅にて記す
 







ハワイ・ロングスティ写真で総括(ポリネシアン文化センター)
 昨年(2016年)11月末より一ヶ月間、ハワイホノルルでロングスティを行った。これで5回目のロングスティになる。これまでになく、よく動き回り、現地に住む日本人の方、ローカルの方と交流が持て、楽しい1月を過ごすことができた。すでにブログに投稿したことがほとんどだが、思い出にのこる印象的な訪問地の写真をまとめた総括を試みたので、その写真を投稿する。
 
 ポリネシアン文化センターへは、以前行ったことがあるが、もう一度改めて行ってみようと思いMakikoと出かけた。今回は、オアフ島北部にあるポリネシアン文化センターへ行くまでの途中観光があるツアーを選んだ。このツアーはホテルからポリネシアン文化センターまでの女性ガイド、ポリネシアン文化センター内では男性ガイド、ポリネシアン文化センターからホテルまでの女性ドライバーの3人にお世話になった。
 
 センターへ行くまでの午前中に「潮吹き岩」、「この木何の木・・・・・・」の木などのツアーをしながら、ポリネシアン文化センターへ向かった。途中、トイレ休憩という名のもとにお土産物屋に立ち寄り欲しくもないアクセサリーの強引な説明がありうんざり。ポリネシアン文化センターに着き、センター内で昼食を済ますと、センター内のガイドが丁寧にポリネシアン諸国の説明やトンガ、サモア、フィジーなどの人たちの家屋をまわり、その国の風俗習慣などを説明してくれた。一回りする間に、運河のような水上を移動するボートに乗った各国のダンサー達の踊りを見ることがでる。
 
 夕食はセンター内の大食堂でビュッフェスタイルだ。夜のショーが始まるまでの間、ショーの出演者が出番を待つ間に稽古をしている裏舞台を見せてくれた。ショーは写真撮影禁止だ。こうして、ショーが終わるのは夜の9時、それから1時間半ばかりバスにゆられてホテルに帰り着く。帰りのバスの女性運転手はなんの説明も話しもしない。ただ、黙々とくらい夜道を怖いくらい飛ばしてホノルル中心街へ向かって走る。
 
平成29年1月26日(木) 自宅にて記す
 







 ハワイのクリスマスと教会のクリスマス礼拝
 クリスマスというと雪の降る中をトナカイが引くソリに乗ったサンタクロースが子供達の待つ家々を訪れる姿が思い浮かぶ。他にもクリスマスパーティ、クリスマスツリー、クリスマスケーキ、クリスマスプレゼント、クリスマスソング・・・・・・といろいろなクリスマス関連行事、グッズ、催し物の様子が浮かぶ。若い頃、雪が積もるペンシルベニア州ベスレヘム市のリーハイ大学に2年間留学したことがある。そのとき、お世話になった教授が真っ赤な服を着たサンタクロース役になり、ソリに乗り近所の家々を回って子供達にプレゼントを配った思い出がある。その時のソリを引くのはトナカイではなく、我々学生達がトナカイ役を演じたことを想い出す。このような光景は雪が降る地方でのクリスマス風景で、半袖姿で過ごせるハワイでは雪降るクリスマスの光景は想像もつかない。
 
 ハワイ・ホノルルでは雪は全く降らない。そのため上述した雪の光景はまず考えられない。毎年12月に入ると、ホノルル市庁舎前には高さ15mもある大きなクリスマスツリーが飾られる。何年か前に見たのだが、マグロ、タコ、鯨など海の魚ばかりのオブジェクトが飾られた大きなツリーに驚いたことがある。市庁舎内にもホノルル市と関連ある公共団体が作った高さ2mぐらいのクリスマスツリーの力作が沢山展示されてある。関係者がそれらの出来映えを評価し、よく出来たツリーに順位をつけ賞を与えている。ホノルル市庁舎近くのイオラニ宮殿内の芝生で我々の大好きなロイヤル・ハワイアン・バンドが毎週金曜に演奏会を開く。このロイヤル・ハワイアン・バンド団員が作ったツリーも展示され、そのツリーが第3位の賞を獲得したアナウンスがあった。
 
 クリスマスシーズンになると、各ホテルあるいはショッピングセンターにはクリスマスツリーを始めとし、中庭にはトナカイ、サンタクロースなどが飾られる。夜になると電飾が輝きとても奇麗な光景が見られる。昨年のクリスマスイブはハワイ最古の教会と言われるカワイアハオ・チャーチ (Kawaiahao Church)のクリスマス礼拝に参加した。クリスマス礼拝そのものは見応えがあったが、牧師の説教は英語なので言葉がわからなく往生した。
 今年のクリスマスイブ24日には、日本人牧師のいるホノルル・キリスト教会で午後6時半より「クリスマスキャンドルライトサービス」があるのでどうかというお誘いを教会員のOさんから受けた。この教会は静かなマノア(マノアの滝近く)のハワイ大学近くにある。教会の歴史は古く90年前の1926年には伝道を始めている。日本人牧師が日本語で礼拝、説教を行うというので初めて参加した。普段の日曜礼拝は、日語部と英語部による日本語と英語の礼拝が行われているそうである。往きは教会員のOさんの車で送ってもらった。初めての参加であったので、受付でレイを掛けてもらい教会内に入った。開始時間になるとクリスマスソングを教会の合唱団と参加者が歌う。その後は、クリスマス特別礼拝の中でイエス誕生の寸劇が行われた。写真に見るようにハワイの土地柄ともいえる緩やかなフラダンスを交えたイエスの誕生物語であった。
 
 イエスが最後の晩餐でパンと葡萄(ぶどう)酒をとり「これはわたしの身体わたしの血である」と言い,新しい契約として弟子たちに分け与えたことに基づく儀式である聖餐式(せいさんしき)も行われた。最後に関牧師による説教が話され、クリスマス礼拝(キャンドルサービス)は終了した。終了後に教会員が丹精込めて作った軽食をいただき、教会をあとにした。【2016年12月24日】
 
平成29年1月17日(火) 自宅にて記す
 







「あなたと認知症」滞在最後に聴いた木曜午餐会
 木曜午餐会には毎週参加し、講演を聴いた。12月22日(木)の木曜午餐会は、今回の滞在中に聴講できる最後のチャンスである。講師は西村ちえ先生(聖ルカクリニック)、先生はネバダ州立大学卒業、ハワイで修士終了し、カルフォル二アUCLAでナース・プラクティショナーの資格を取得した上級看護師で、専門は老年看護である。ナースプラクティショナー(Nurse Practitioner, NP)とはあまり聞き慣れない職種であるが、主にアメリカ合衆国における上級看護職である。一定レベルの診断や治療などを行うことが許されており、臨床医と看護師の中間職と位置づけられる。その西村先生は研究者、調査だいすきな元気な女性で、その先生から「あなたと認知症 第二弾」という演題のお話しを聴くことができた。講演内容は我々夫婦に密接に関係するようになったので、ボイスレコーダーを胸の中に隠し入れ、熱心に聴講した。木曜午餐会では、まず講師の首にレイを木曜午餐会会長から掛けてもらう。講師紹介の後、パワーポイントを使った講演に入る。
 
 講演内容はとても興味深かったので、少し長くなるが概要を以下に述べる。
 歳をとると人は誰でも体力が衰える。同時に誰でも物忘れが多くなる。認知症になると、捜し物で一日が終わることもある。認知症になるとどのようになるかというと、ひどい物忘れが始まる。野菜の買い物に行って、玉ねぎを買い忘れた。このことは単なる物忘れである。しかし、買い物に出かけたことを忘れてしまうとなると認知症に一歩近づいたことになる。昨日の食事内容を忘れたのは物忘れ、たった今食事したことを忘れてしまうようになるとそれは認知症である。
 勉強をしたとか料理をしたなどの体験情報は、それを記憶して理解し判断をすることができる。自動車を運転し信号機のある交差点に差しかかった時、運転手は信号が赤色か青色か黄色か、対向車あるいは横断歩道で待つ人の挙動などを見極めている。運転の対処方法は自然に覚えていて、瞬時に状況を判断し危険を避けて運転する。これが普通である。
 
 計算がうまく出来なくなるとか、野菜の買い物に行って玉ねぎは幾らで、つり銭はいくらかの計算が出来なくなる。あるいは、タクシーに乗ったときのチップの計算などが遅くなるようなら少々問題が起こりつつある。これは、簡単な計算が出来なくなったからである。時間や場所あるいは他人や自分自身などに対する状況を認識する能力は見当識という。今日は何年何月何日とか、季節、年齢などの認識は時間の見当識、今いる場所は家か病院かといったことの認識は場所の見当識、自分や周囲の人が誰であるかの認識は人の見当識という。最近、高齢者が自動車免許更新するとき、車や動物の絵を見せられ、その後、話題を変えた話しをする。そして、改めて先に観た絵は何であったかを言いなさいという検査を必ず行う。このような検査は認知症の検査の一部である。
 
 実行機能とは、段取りをつけて行動することで、これが出来なくなるとそれは実行機能障害があるという。例えば、料理をしている間に電話が入り、話しをして戻ると今何を料理していたかが分からなくなる。あるいは、洗濯中に宅配便が届いたのでそれに対応している間に洗濯はすっかり忘れてしまい、洗濯以外のことを行うなどがその例である。
 
 運動や動作をうまく行えない障害は、運動機能障害という。これは例えばお葬式に参列し、おならをしてしまい笑い出すというように情動がコントロール出来なくなる障害である。情動が切れやすくなったり、怒りやすくなったりすることもある。物事に興味が薄れる、面倒くさくなる、以前のようにスムースに何ごとも出来なくなる。他人に依存しがちになる。すれ違いの人が挨拶していないのに、挨拶したという幻覚があるとか、「へそくり」が無くなっている、あの人だと特定する、お嫁さんがご飯を食べさせてくれないなどの妄想もある。昼夜が逆転したり、徘徊したりするという睡眠障害もある。今のことは覚えていなくて、昔のことは覚えている。怒りやすくなる。手足を大きく動かすことは出来るが、指先などの細かい動きはうまく出来なくなる。病状が進むと、場所が分からなくなる。日常動作に支障が出てくる。排泄、食事が出来なくなる。転びやすくなる。人の認識が出来無くなる。娘を他人と思う。運動機能の歩くことが出来なくなる。このようなことに気がついて、初めて認知症になったと気がつく。
 
 まず始めに医療者は、どうしたか、物忘れがひどくなったか、どのようなことが周辺で起きているかなどの問診をする。次に検査に入る。その結果、認知機能が落ちたと分かると治療に入る。しかし認知症の治療に効く薬は今のところ無い。進行を抑える薬を出し、運動を推奨する。物忘れにも種類がある。認知症の物忘れは、問診によりたずねる。ボケ、認知症、アルツハイマーだと断定してはいけない。なぜ、どうしてかをよく聞いてやる。忘れ物の原因は加齢なのか認知症なのかを確認する必要がある。認知症の薬だといって飲んでいる薬の確認をする。薬は効くまで時間がかかるので注意が必要である。
 
 きれいな着物を着て来診する患者の普段の生活レベルは分からないので、自宅訪問をする。するとゴミ屋敷のようで足の踏み処もないようなところに住んでいることが分かる。このことから、その患者は日常生活機能、洗濯、掃除、料理が出来ていないことが分かる。クリニックスを訪れるだけでは、患者の生活機能は分からないので、家族からの意見はとても重要である。同じことを何度も言う。物忘れがある。あれ、それ、これで思いだせばよい方だ。夕方なのに朝だという。いつの間に朝になったのかねえ、などというので家族が相談にくることもある。
 
 薬が溜まっている、薬はないというが薬は沢山残っているというような薬の管理が出来なくなる。物事に興味がなくなり、薬はどこにおいてあるのか分からず鬱症状になる。朝起きて食べる、排泄、着替える、風呂、顔を洗う、歯を磨くなどの生活機能を強化する必要がある。脳卒中は、頭の中に血が溜まるので起こる病気である。トイレが近くなるので水を飲まないで脱水を起こす人が多い。脳障害系の予防には、水をよく飲むとよい。お茶とコーヒーを飲んでいるからといって水は飲まないというのは間違いである。体に水分がなくなったら血液は流れなくなる。血液は酸素を運ぶので血液循環はとても大切であることを知るべし。水分補強は大切で、一日に1.8リットル〜2リットルの水を飲むとよい。お茶・コーヒーはカフェインがはいっているので利尿作用があるので要注意である。
 
 栄養失調を起こさないために動物性タンパク質は必要である。ビタミン類、鉄分、ビタミンBが不足すると認知症状になりやすい。薬は病気を治してくれるが副作用があるのだという薬の作用を知るべきである。認知症の薬は、アレルギーの副作用を起こすことがあるので要注意だ。
 
 鬱病は気の持ちよう、心の持ちようでは治らない。血を採って分かることは、脱水、電解質、塩水などのバランス状態である。認知症機能症状に関係するのは、尿検査、薬物検査である。脳卒中は頭の中の血管が切れるために起こる認知症である。アルコールによって起こることもある。認知症の検査は、「ここは何階ですか」、「計算を行う」、「物の絵を見せ、あとでその絵は何かを聞く」、「時計を描く」などの検査である。認知症と診断されると、薬を使うが、進行をおくらせるだけで認知症を直すことは出来ない。筋トレ、脳のリハビリで認知症はおくらせることはできる。自分の家で生活するための認知症のサポートがある。
 時間が少々オーバーしたので、今日はこれで終了し、この続きは先生との交渉にもよるが、半年先にでもお願いしたいと木曜午餐会会長から講演のお礼とお願いがあった。次回は12月29日(木)の今年最終の木曜午餐会は、講師 上原進助牧師「木曜午餐会100年の歩み」であるとの連絡があった。これから分かるように木曜午餐会は、「一生青春、一生勉強」を信念とし、来年9月に100周年を迎える(1918年創立)。【2016年12月22日】
 
平成29年1月12日(木) 自宅にて記す