まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2019/08/04 9:41:25|その他思いつくままに
ラジオ体操

 和ヶ原公園ラジオ体操は、お正月も含め、雨の日は除くが365日休まず毎日行っている。夏に入った今年の7月は雨の日が11日もあり、体操を行える日は少なかった。7月20日の夏休みが始まり、子供たちがラジオ体操に参加するようになって2週間が過ぎた。参加する子供たちの数は20人前後と多い。大人たちは平均50人〜65人毎朝汗を流している。夏休みが始まってからは20人前後の子供たちが加わったので総勢で多いときで90名にもなり、大人に混じって子供も元気よく体操で汗を流している。

 夏休みに入ると、和ケ原公園の体操会は写真に見るように先生が子供たちの前に立ち、正しい体操のやり方を指導している。その後ろのほうに大人たちが集まり元気よく体を動かしている。見えないが写真右の方にもう沢山の参加者がいる。

 写真二枚目のように、体操が終わると子供たちはある一定のところに集まり自分で今日参加した印である判子を押す。この判子を押し、その数が増える様子を楽しんだ大昔のことを思い出す。大人たちはラジオ体操に引き続いてストレッチに行う。このストレッチが終わると帰る人も少々いるが、さらに居残って太極拳を行う人たちも多い。こうして朝6時半から7時ごろまでラジオ体操、ストレッチ、太極拳と3つの運動が続いて行われる。そのため毎日参加する習慣をつけると心身ともに健康に良いと思っている。しかし、その習慣を身につけることは、なかなか難しいとも感じ、休み休み通っているのが現状である。

 和ヶ原公園体操会の1月〜7月までの簡単統計を示すと以下の通りである。このデータを見て分かることは、寒暖で参加者人数は上下するが、激寒の1月でも30人〜40人、暖かくなるとその倍近くの参加者があることがわかる。身体を毎日動かし、健康を維持するこの和ヶ原公園のラジオ体操会は、10年以上続いている。

1月:30〜40人 雨の日0日(平均気温:3.8℃、参加者平均:33.8人)

3月:40〜50人 雨の日4日(平均気温:8.8℃、参加者平均:43.6人)

6月:50〜60人 雨の日4日(平均気温:20.9、参加者平均:47.2人)

7月:50〜65人 雨の日11日(小雨を入れ)(平均気温:23.1℃、平均参加者:40.3人、子供を入れた平均参加者数:45.7人)→この月は雨の日が多く、大人の平均参加者数は減少している。だが、下旬から子どもたちが参加してので、その数は若干増えている。








伊藤左千夫の墓と逆さ東京スカイツリー
  亀戸天神社内の終わりかけた藤蔓を見ながら太鼓橋を渡り、天神社に向かう。ここは学問の神様であるから、6月2日(日)に受検を控えた英検2級試験の合格祈願をし、その後、映画「野菊のごとき君なりき」の伊藤左千夫が眠る普門院へ向かう。
 このお寺の前で酒屋の長男として昭和10年に生まれ、小学校2年までこの土地で育った。自宅前が普門院というお寺であったため、よく院内に入り込みお墓の回りを駆け抜けて遊んだ記憶がある。この寺に伊藤左千夫の墓があるということを知ったのは、映画「野菊のごとき君なりき」を見た高校生のときである。その存在を知らずに、子供の頃は、院内で遊んでいたのである。

 普門院の入り口には写真左の碑が案内用に立ててあり、院内に入と右写真のような本物の伊藤左千夫の墓がある。墓の存在を確認し手を合わせた後は、香取神社へ向かう。この神社は「スポーツ振興の神」として、全国に知られている。この神社境内の参道上では和服姿でダンスをしていると思われる2人がいる。近づき良く見ると、ひとり芝居で女性の人形を男性が優雅な日本舞踊を演じさせていた。参道を進むと香取神社本殿がある。参拝後、神社裏手にでると、そこには十間川がある。その川にかかる橋の上に立つと、見事な東京スカイツリーが見える。この橋からでは、見えないがもう一つ東京スカイツリーに近い橋「十間橋」まで行くと逆さ東京スカイツリーが見えるというので十間橋に移動する。この十間橋は、多くの人が逆さスカイツリーを撮影するので有名になった撮影スポットのようである。ここから、さらに最終地の京成電鉄押し上げ駅まで歩く。ここまで来ると、東京スカイツリーは見上げないとその全貌は見えない。時計を見ると午後5時、希望者で反省会をタワー近くで行うというが、自宅が遠方なので、参加を辞退し帰路につく。
 
 こうして、JR錦糸町駅から京成電鉄押し上げ駅まで歩き、LSC東京ウオーキングを終える。亀戸天神の藤と太鼓橋、伊藤左千夫の墓、香取神社、十間橋からの東京スカイツリーと逆さスカイツリーを見ることができ、満たされたウオーキングの一日を楽しむことができた。【2019年5月4日】
 
平成31年5月25日(土) 自宅にて記す

 
 







亀戸天神社は藤祭りで大賑わいだ!
 5月4日LSC「東京歩こう会」で最初に訪れたのは、亀戸天神である。ここは、JR錦糸町駅北口から、徒歩10分ほどのところにある。錦糸公園の中を斜めに通り抜けると蔵前通りにいたる。直ぐに横十間川に架かる天神橋に至るのでこの橋を渡ると“くず餅”で有名な舩橋屋本店が見えてくる。この前を通ると直ぐ左側に天神様の鳥居が見え、この鳥居をくぐると亀戸天神社境内に入れる。今年の5月は始めての大型十連休である。その最中に藤が咲いている時期であるということで訪れたため、大勢の人で賑わっている。神社のお祭りの時のように沢山の出店が並び、歩くのに困難なほどの人出であった。

  亀戸天神社のホームページを見ると、「亀戸天神社は、通称亀戸天神、亀戸天満宮といわれ、菅原道真を祀り、学問の神として親しまれている。4月下旬から5月上旬にかけ、境内の藤が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。太鼓橋の上から一面の藤棚を上から見下ろすことができる。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれ藤の名所であり、学業祈願の祈願者も多く訪れる。ここの藤は東京の花の名所として名高く、江戸時代から「亀戸の五尺藤」「亀戸の藤浪」として広く親しまれている」とある。訪れた時は、藤の満開時期が過ぎていたようで、見事な藤の開花は見られなかった。しかし、ここの藤は見事であることは想像がついた。境内から遠方にそびえ建つ東京スカイツリーが良く見える。東京スカイツリーの近くに地下鉄押し上げ駅がある。そこが、今回の「東京歩こう会」の最終地点である。

 学問の神様、藤で有名な亀戸天神の直ぐ側で生まれ、小学校2年生ぐらいまで、亀戸天神の直ぐ近くに住んでいた。当時の記憶はほとんど覚えていないが、亀戸天神境内の太鼓橋と池に沢山のカメがいたことは、鮮明に覚えている。この神社の直ぐそばには、「野菊のごとき君なりき」で有名な伊藤左千夫の墓がある普門院がある。戦前の我が家は、この普門院の真ん前で酒屋を営んでいた。次に訪れるのは普門院である。【2019年5月4日】
 
平成31年5月12日(日) 自宅にて記す
 







亀戸天神から東京スカイツリーまでウオーキング!
  昨日、5月4日はみどりの日で休日。この日、LSC東京サロン会の企画「亀戸天神、伊藤左千夫の墓がある普門院、香取神社、最後は「東京スカイツリー」をウオーキングで周る“東京歩こう会”に参加した。
 亀戸天神といえば、この神社の直ぐそばで戦前に生まれたこともあって、亀戸の思い出が頭の中にかすかに残っている。80年も前のことなので、ほとんどのことは忘れている。記憶をたどると、親は酒屋でKoichiは酒屋の長男、店には赤く塗られた酒樽が沢山置かれてあったのを覚えている。夕方から夜にかけおじさん達が店を訪れ、父親が皿に乗せた升に酒をなみなみと注ぐと味噌・塩をなめながら、注がれた酒を美味しそうに飲んでいる、おじさん達の姿を子供ながらに思い出す。升からあふれ、皿に残った酒を美味しそうに飲んでいる姿が印象に残る。店の前は道路でその反対側は、映画「野菊のごとき君なりき」で有名になった伊藤左千夫の墓がある普門院というお寺の塀がある。塀に沿って、幅1.5mほどのどぶ川が流れている。このどぶ川に酔った人が落ち、亡くなり大騒ぎしたこともかすかに覚えている。
 自転車を覚え始め、うれしくて香取小学校方面へ単独走行し、途中で転倒しハンドル・ブレーキ先端が足に刺さり大けがをしたこともある。自宅前にある普門院の墓石の中を飛び回って遊んだことはよく覚えている。普門院の直ぐ近くに藤で有名で学問の神様を祭る亀戸天神がある。その境内には池がありカメや鯉が沢山いたことの記憶が残っている。また、この池に架かる赤く塗られた太鼓橋も強く印象に残っている。亀戸天神は菅原道真が祭られ、学問の神様が祭られていると小さい頃から聴かされているが、お参りした記憶はない。この亀戸天神の直ぐ側にくず餅で有名な舩橋屋があるので、ウオーキングの途中で買い忘れないようにと思い草々に求めておいた。
 
 香取神社の前にあった東京市香取国民学校に入学(昭和17年)。この時の住所は「城東区亀戸町1丁目59番地」と記憶している。戦争が激しくなり、酒屋であった我が家前の道路を戦車が通れるように拡張するというので立ち退きを迫られた。江東区大島町に強制移動させられ、大島第3小学校へ転校した。戦争が激しくなった3年生のとき、空襲による戦火から逃れるため、多くの人が郊外に疎開した。小学生も3年生以上で縁故疎開(親戚や知人を頼ってする疎開)ができない子供は集団疎開をするというので、山形県米沢市小野川の温泉街に最小年次の3年生のときに集団疎開した。この疎開地は温泉旅館高砂屋旅館で、3年生から4年生になるまでの1年少々お世話になった。4年生になった昭和20年(1945年)8月15日の終戦日(第二次世界大戦終結)は、大事な放送があるというので全員集れられ、昭和天皇が朗読する玉音放送を聴いた。それから数ヶ月後、蒸気機関車に乗って東京上野駅に集団疎開から戻り、両親の出迎えを受け、向島の自宅に無事戻ることができた。亀戸から大島へ移り住んだ自宅は焼夷弾で焼かれた。この時、両親は弟2人の手を引き、水で濡らした布団を頭に乗せ戦火を逃れ、隅田川に架かる言問橋下まで焼死体を避けながら逃げたという話しをよく聴かされた。集団疎開から帰ったときは、4年生である。両親は向島に家を借り移り住んでいたので、今度は向島にある第一寺島小学校に転校した。短い期間であったが3つの小学校を渡り歩き、最後はこの学校を無事卒業した。

 亀戸天神、普門院、香取神社と聴くと記憶は薄れているが、上述したような光景が浮かぶ。今回のウオーキングで仲間17人と一緒であったが、3/4世紀以上前に過ごした場所を訪れることができた。戦前の自宅付近はすっかり変わりはててはいたが、家の前の普門院は昔のままで、そこを遊び場として過ごした小学低学年時代の思い出が昨日のようによみがえった。
 地図に示したように、JR錦糸町駅北口に午後2時集合し、亀戸天神、普門院、香取神社、東京スカイツリーと歩き、午後4時半に東京スカイツリーがある押し上げ駅に着いた。今日は、12,089歩という最近にない歩数を計数し、疲れたがとてもよい運動になった。

 今回、LSCの「東京歩こう会」に参加でき本当によかったと思う。下調べをして頂いた幹事さんに厚く感謝する。【2019年5月4日】
 
平成31年5月5日(日) 自宅にて記す
 







2018/11/17 17:48:15|その他
ハワイロングスティの記事 まず動く2 に投稿中
ハワイロングスティの記事を「まず動く2」で掲載中です。
2018年12月15日までホノルルに滞在しますので、この間の記事をハワイから投稿しています。

記事の左側(縦に細長い帯状のところです)下方に「リンク」があります。その中の「まず動く2」をクリックすると、「ハワイロングスティ中の記事」が現れます。
 ご覧いただければ幸いです。







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