まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2017/11/27 11:17:01|研究・教育の思い出
敦賀へ特別講義と研究発表の旅
 敦賀市立看護大学から依頼を受け特別講義を、その翌日同大学内において開催された看護人間工学部会総会・研究発表会に参加した。
 敦賀市を訪れたのは初めてである。宿泊する東横イン敦賀駅前は、敦賀駅から歩いて3分ほどのところにある。その途中に滑稽な「佐渡酒造」モニュメントがある。このようなモニュメントが、市内のところどころに設置されている。ホテルの受付で聞くところによると、ここ敦賀は映画にもなったリトアニア領事代理・杉原千畝が日本通過の「命のビザ」を発給し、そのビザを持ったポーランド系のユダヤ人6,000人もが敦賀港に上陸し救われたことで有名な場所だという。その当時の記録を残し展示してある「人道の港 敦賀ムゼウム」が敦賀港にあると教えてくれた。そこで、講義は午後2時からなので、午前中に港近くにある敦賀ムゼウムを目指して歩いた。
 歩いたお陰で、いくつかの珍しいモニュメントを見ることができ、気比神社にも訪れることが出来た。気比神社の正面に構える大鳥居は、日本三大木造大鳥居の一つで国の重要文化財に指定されていて、芭蕉も訪れているそうだ。この神社前の交差点に「お砂持ち神事の像」モニュメントがある。その横に“名月や北国日和定なき(めいげつや ほっこびより さだめなき)”という芭蕉の句が書かれてあった。この句は、「今夜は中秋の名月を期待していたのに、あいにく雨になってしまった。本当に北国の天気は変わりやすいものなのだな」という意味である。この句から分かるように、ここ北陸地方では「弁当忘れても、傘忘れるな」と言うほど、冬は朝晴れていても、突然雨が降り出したり雪が降り出したりと天候が変わりやすいところだそうである。
 気比神社を通り過ぎ、さらに15分ほど歩くと入場無料の敦賀鉄道資料館がある。ここは旧敦賀港駅舎だったところで、敦賀の鉄道に関する資料や列車模型を展示し、その歴史を紹介している。この資料館よりさらに2分ほど歩くと目的とする「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。ここは入場無料だが、寄付としてパンフレット受け取り100円を箱に入れるようになっている。内部には、杉原千畝が発給した「命のビザ」の複製をはじめ、当時日本を通過したユダヤ人たちの写真、ウラジオストックから日本海を渡り敦賀に上陸し、日本人からもてなしを受けたことなど心温まるストーリーの説明がある。また、ビデオでも紹介されているので、訪れたら観るとよい。
 
 午後の特別講義は卒業研究中の4年生を対象にした講義で、午後2時から午後5時まである。人間工学を中心にした講義で、ボディメカニクス、質的データの処理に有効なKJ法とその使い方を説明。前回のブログで紹介した看護・介護介助木製モデルをはじめいくつか看護・介護動作が理解しやすい模型を持参してきたので、看護師が脊柱障害や腰痛を起こしやすい理由やその予防方法などを講義した。特に試作した看護師が患者を椅子から立ち上げる介助動作が分かる試作木製モデルは、とても良くわかると好評であった。
 
 翌日は研究発表会である。「KJ法的図解化講義のノート作り演習の効果」と「ボディメカニクス理解のための看護介助モデルについて」の2演題について報告した。試作木製モデルの出來がよかったのか、作って欲しいと何人かの看護大学の先生から言われた。
 
 夜は解禁になったばかりのカニ料理を頂きながらの懇親会だ。といっても会費5,000円会費なので、大きなカニは期待できない。カニは小さいが他の料理は、東京では食べきれないほどの海鮮料理がでて満足な懇親会であった。
 
 こうして、2日間にわたる特別講義と研究発表を無事終え、翌日午前に敦賀をあとにした。【2017年11月10日〜11日】
 
平成29年11月27日(月) 自宅に記す
 







2017/11/26 20:29:04|その他
看護・介護支援介助動作が良くわかる木製モデルの試作
 40年前の1977年に森政弘編者「機構学(共立出版社)」という本を共著で書いた。この本は、リンク機構、カム機構、歯車機構など機械の元となる要素について書かれ、その中のリンク機構について主に担当した。このリンク機構は、例えば、蒸気機関車の動輪の駆動機構あるいは電車のパンダグラフに応用されている。ところが人間の骨格を良く見ると各骨の部位は筋肉が付いていて、筋肉の動きで膝、肘、腰などの部位が動くようになっているので、機械工学のリンク機構の原理でその動きを説明することができる。
 図の右側は機械の元であるリンク機構の考え方を人間の構造に応用したモデルである。このリンク機構は、座位の患者を看護師が立位に支援するという介助をモデル化したものである。金属リンクの左側が看護師リンク、右側が患者リンクのつもりで作った。上段は患者が座位で、看護師が前傾姿勢をとり患者の脇を抱えている様子を示す。お互いの膝部は接触させていて、この部分を基点(テコの支点)にして両者が左回りに回転、つまり看護師リンクが左回りに腰を下げるようにして動くと患者リンクは立ち上がるような恰好になる(中段)。そして、下段に示すように患者リンクが立ち上がるとそれに合わせて、看護師リンクも立ち上がる。こうして、座位の患者を立位へ支援するという一連の動作がこのリンク機構モデルから推察出来る。筋肉に相当する動力(モータやアクチュエータ)が付加されていないので、自動的には動かない。もっぱら手動でゆっくり動かし、立位介助の動作を説明することができる。
 物理や力学を履修していない多くの看護大学や看護専門学校生に人間の動きを説明することは難しい。そこで、看護動作の負担軽減に関わる力学を看護学生に説明するため、40年前の仕事であったリンク機構を思い出し、手動であるが動く人間木製モデルを試作した。その木製モデルが左側の写真である。写真右側の金属は、看護師、患者の動きが少々わかりづらい。ところが写真左側の木製モデルは、頭、腕、胴体、脚などが人間の姿に似ているので見ていて介助支援動作をイメージしやすい。各関節部にはネジとナットを使っているので、動かす時は緩め、注目すべき姿勢になったときはネジを絞め、その姿勢が崩れないように姿勢を維持した状態で看護動作の解説を行う。
 このモデルをよく観察すると、人間が行う動作には物理・力学、機械工学などの学問分野では基本中の基本であるテコの原理、力のモーメント、トルクというような分野が関わっていることが分かる。これまで、単体の人間モデルを試作し、講義の理解を深める努力をしてきた。今回は看護師と患者が一体となって動く木製モデルを試作したのでさらによく理解できると思っている。来春の講義にはこの試作木製モデルを使い、看護師の腰痛予防や看護負担軽減に役立つような講義を展開する予定である。【2017年11月3日】
 
平成29年11月26日(日) 自宅にて記す
 







「矢切の渡し」と柴又「寅さん記念館」
 先月末、台風21号、22号が関東地方を襲った。その台風が通過後の10月31日、ロングステイクラブの仲間と荒川を渡る矢切の渡し船に乗り、映画寅さんで有名な柴又帝釈天をお参りするというツアーに参加した。集合場所は、北総線の矢切駅改札口午後1時である。ところが、歩きはじめて矢切の渡し場まで来ると、台風により桟橋は流され、運航停止であった。荒川を渡れないので、やむを得ず歩いて近くの国道六号線に架かる新葛西橋を渡り寅さん記念館がある対岸へ移動する。橋を渡り江戸川土手沿いを歩くと金町浄水場の裏側に出る。しばらく歩くと「山本亭」、その前に「葛飾柴又寅さん記念館」と「山田洋二ミュージアム」がある。ここで、山本亭というのは、地元ゆかりのカメラ部品を製造していた山本工場の創立者である山本栄之助翁の自宅跡地である。和洋折衷の建物と純和風の庭園があってとても美しい。今では葛飾区が取得し一般に公開し、建屋内部で有料の抹茶、善哉などが味わえる。ここで、矢切の渡しから休まずに歩き続けてきたので疲れ、小休止。その後、寅さん記念館に入り寅さんに面会しその後、寅さん映画の制作者山田洋二監督ミュージアムに入る。渥美清演じる寅さんシリーズ映画はなんと48本もあるというから驚く。それを作った山田洋二監督は、「華族はつらいよ」「小さいおうち」「東京家族」「幸福の黄色いハンカチ」「釣りバカ日記」「武士の一分」など100本以上制作したというからさらに驚く。
 
 山本亭、寅さん記念館、山田洋二ミュージアムを見学の後、それほど遠くない柴又帝釈天へ向けて歩く。帝釈天の参道に並ぶ土産物屋、食事処などは寅さん映画の舞台になったところである。帝釈天を背にして参道を抜けると、直ぐに京成金町線の柴又駅に至る。この駅前には寅さんの立派な銅像がある。ここに着いた時は、すでに夕闇が迫り暗くなりはじめ、寅さん銅像をツーショット写真を撮るには光量が足りない。時計を見ると午後五時だ。こうして今日は午後1時に北総線の矢切駅を出発し、午後5時まで4時間ほど歩き、京成線柴又駅に至った。万歩計の数字は、約16,000歩と近頃にない歩数を示す。今日歩いたようにまだ長時間歩ける。元気な証拠だと今回のウオーキングで自信を持つことが出来た。【2017年10月31日】
 
平成28年11月22日  自宅にて記す
 







LSC東北の旅 その3 猊鼻渓(げいびけい)舟下り
 昨日の宿はひがしやま観光ホテルだ。ホテル前に砂鉄川が流れている。8時朝食。朝食の準備はなぜか男性1人で行い大変そうだ。食事はあまりよくない。ホテル前の砂鉄川岸では、景観がよいので外国のテレビクルー5人が絶壁の岩肌を背景にテレビ撮影を行っている。景観の良い渓谷を遡上し下る遊覧船(舟)が運航されている。LSC会員2人が松島へ行くというので帰る。残る15人が9時半発の猊鼻渓遊覧船希望。遊覧船(1,600円)の発着場所は、ホテルから徒歩1分と極めて近い所にある。ここになぜか102歳の“きんさん”・“ぎんさん”姉妹の手形の石碑(平成6年建立)がある。恐らくこの姉妹もここ猊鼻渓を訪れ遊覧船に乗ったのでその記念に建立されたのではないかと推測する。砂鉄川の両岸は100mを越える絶壁が続いていて猊鼻渓(げいびけい)と呼ばれる日本百景に選ばれている渓谷である。ここは一ノ関駅から約30分で行けるJR舟渡線「猊鼻渓駅」で下車し、5分ほどのところである。
 
 我々が乗った舟の船頭は後期高齢者の鈴木さん。定員60人と書いてあるが、客は30人だ。水の流れが遅いので船頭は、長い竿を操り流れに逆らって川の瀞(とろ)を上手に上流へと舟を移動していく。両岸は高い絶壁の岩、水中に沢山の大きな鯉が泳いでいるのが見える。そして水面には沢山の水鴨が餌をくれるのを知ってか、舟についてくる。遡上して引き返して下るという行程で、往復約1時間半だ。景観を楽しめる上流の折り返し点(中州)で下船し、渓谷の美を楽しみながら30分ほど自由行動で散策。この地点の紅葉は始まったばかりで、部分的に赤、黄色に色づいた樹々が見られ綺麗だ。舟には多くの台湾からの観光客が乗っている。舟から下りた自由時間に渓谷の中州を散策中、台湾からの観光客にシャッターを押してもらい、とてもよい集合写真が撮れた。
 
 1時間半の猊鼻渓遊覧を楽しんだ後、ホテル送迎車で酒造の歴史を誇る「世嬉の一(せきのいち)酒造」へ立ち寄った。この酒造は、広い敷地の中に蔵、酒の民族文化博物館(有料300円)、蔵元レストラン「せきのいち」、石蔵クラストン(イベントホール)、Cafe徳蔵、酒の直売書せきの市、いわて蔵ビール、蔵(現在閉館)など7つの建物があるので、結構楽しめる。ここの蔵元レストランで昼食。沢山の小盛り蕎麦を食べるわんこ蕎麦は盛岡で有名だ。しかし、ここのレストランでは、蕎麦ではなく小さな“あんこ餅”、“ずんだ餅”、“エビ餅”、“ごま餅”がセットになった食事である。それぞれのお餅が小さな椀に入った郷土料理、それにうす味のお雑煮と冷たい甘酒がワンセットになっていて一人前1270円だ。食後、上述の博物館や土産物店、喫茶店でお茶して、午後、一ノ関駅までひがしやま観光ホテルの送迎バスが送ってくれた。ここで、今回大変お世話になった盛岡在住のLSC会員Oさんに別れを告げ、15:50発の新幹線に乗った。我々夫婦は午後3時に着いた仙台駅で下車し、他の会員達は東京駅に向かった。こうして、2泊3日のLSC東北旅行を無事終えた。仙台で下車したのは、92歳になるMakikoの叔母が仙台市内で元気に住んでいるのでご機嫌伺いに行くためだ。午後5時にデイサービスから帰ってくるというので、その時間帯に会わせて仙台駅からタクシーで自宅まで行く。足が少し悪いというが、92歳とは思われないほど顔や肌が若々しく奇麗だ。夕食弁当をご馳走なり2時間ほど、懐かしい昔の話しをして東横イン仙台西口に戻る。ここに1泊し、翌日26日、10時24分仙台始発に乗り大宮へ向かう。大宮駅11時50分着。池袋駅構内の美味しいカレー屋で昼食を済ませ、特急レッドアロー号に乗り所沢駅、そして各駅電車に乗り換え武蔵藤沢駅、自宅に着いたのは午後2時であった。仙台から4時間半で自宅まで帰れた。【2017年10月26日】
 
【幹事のOさん、Yさんへのお礼】
O様
Y様
 この度の東北の旅では大変お世話になりました。出発した日(23日)の午前6時、台風21号が運悪く埼玉を通過中でどうなるかと心配していました。幸いにして、台風を追うように新幹線が進み、一ノ関で追いついたようなかたちになったようでした。台風は相変わらず移動し続け、先の方に遠ざかりましたので、雨・風は収まり23日の厳美渓では傘をささずに見学が出来ました。その後の行程は、晴天に恵まれ、秋の素晴らしい紅葉をバスの窓から見ることができました。あのような見事な紅葉の景色はこれまで見たことがありませんでしたから、感激しております。初日に宿泊した須川温泉は、とてもよい温泉で気に入り、またいつか訪れたいと思っています。
 翌日の世界遺産の毛越寺、中尊寺、金色堂などの見学もとてもよかったです。さらに猊鼻渓の遊覧は、美しい渓谷の間を船頭さんの歌声を聴きながらゆっくりと移動し、沢山の鴨や鯉にも出会い、またとない舟下りでした。
 以上のようで、この度の旅は私ども夫婦にとって、思い出に残る素晴らしい旅となりました。これも、O様、Y様の周到な準備のお陰と旅行中の心温まる気遣いのお陰かと感謝いたしております。本当に有り難うございました。心よりお礼申し上げます。【2017年10月26日】
 
平成29年11月18日(土) 自宅にて記す
 







LSC東北の旅 その2 平泉中尊寺
 須川高原温泉朝9時発のバスで一旦一関駅へ行く。この駅で手荷物をロッカーに預ける。一ノ関の駅前から循環バス「るんるん(150円)」に乗り、世界遺産の平泉中尊寺へ向かうが、途中にある毛越寺に立ち寄る。バス停前の食堂で昼食の蕎麦を注文するが美味しくない。毛越寺(もうつうじ)の入場料500円。大きな池と池周辺の木々がすでに紅葉し始め、その姿が池に映っている景色はまるで絵のようでとても綺麗だ。この池および毛越寺見学には案内がついたので、当地の歴史を詳しく解説してもらえた。
 
 毛越寺見学後、バス“るんるん”にて中尊寺へ移動。中尊寺へ繋がる道端に菊で奇麗に周囲を飾りつけた模型の金色堂が設置されている。バスを下りてから中尊寺まで長くて緩い坂道を歩き少々へたばる。中尊寺を拝礼し、金色堂に移動。金色堂の拝観券800円。経年変化から金色堂を守るため、金色堂は立派な建物の中に収められている。金色堂内は写真撮影禁止だ。金色堂の保護建物の隣には、今の保護建物が建築される以前まで使っていたという昔の木像保護建物が保存されてある。金色堂を見学した後、讃衡蔵(さんこうぞう)という博物館に入る。ここには金色堂にまつわる数々の物品が展示されてある。また、金色堂に関わるビデオも常時放映されてある。中尊寺と金色堂を案内したガイドさんは女性、分かりやすくとてもよい説明をしてくれた。ガイド料は、客が何人いても2,000円だそうだ。名所旧跡をただ漠然として見学するより、ガイドさんに案内してもらうと、見学する対象の説明はもとより、建物や展示物品の時代背景やそのいわれなどの説明も聞けてとてもよい。
 
 中尊寺見学後、再びバス“るんるん”にて平泉駅へ戻る。ここでコインロッカーに預けた荷物を取り出し、猊鼻渓(げいびけい)近くにある東山観光ホテルに向かう。今晩はそこに泊まる。夕方5時到着。ここは温泉ではないので、同時に数人しか入れない小さな湯船につかる。6時宴会開始。畳の上に折りたたみ椅子を並べ、和洋折衷の宴会場が出来上がっている。舞台があるのでコーラス部の合唱があり、珍しくMakikoが舞台にあがりコーラスに参加。初めてLSCの仲間と歌を歌う。この席でコーラス同好会入会に誘われ、月2回火曜日に行われるレッスンに出かけることを承諾したようだ。しかし、11月27日にハワイへ出発し、1月10日に帰国し、2月にチェンマイへ行くことになっているので忙しい。そのため、来年3月から参加することにしたという。宴会場の舞台ではカラオケが始まる。やがて、宿の女将が侍の衣装を身につけ登場、カラオケの曲に合わせて踊るという特別サービスがある。宴会は午後9時終了。皆さん部屋に戻り、部屋で再び飲んだようだ。我々は9時に床に入り早寝。【2017年10月24日】