まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2025/08/19 17:18:41|老々介護について
3. 楽しめるデイサービス
 2019年12月クリスマスに軽い脳梗塞を患い3年が過ぎた。その間、脚部、腰部、肩のマッサージ、歩行のリハビリを何箇所かの整体院、病院で受けた。いずれも患った部位の回復を目指すためで、3ヶ月間単位の処置だが、回復の傾向は見られなかった。
入間市東藤沢地域包括センターより、リラクサイズ武蔵藤沢を紹介され3回目の運動型 通所介護サービスに参加し、以下のことに気づいた。
 それは、人の健康は、健全な肉体を保持し、心にゆとりを持ち、脳が速やかに事柄を判断・認識できるということである。図に示すように肉体、心、頭脳がお互い連動し、健全であって初めて健康な身体を維持できることを実感した。
ここリラクサイズ武蔵藤沢で実施している運動型ディサービスは、身体部位の運動、普段使わない部位を動かす、身体部位のマッサージ、冷えた足を温め、全身体部位を動かし、刺激するので非常に良い介護サービスであると思っている。それに加え、間違い探し、簡単な算数、数字合わせ、間違い漢字の訂正など身体刺激・運動に加え、頭の体操(脳トレ)、簡単な物作りもあり、健康維持と認知症予防にもなっている。運動や脳トレで疲れた身体と脳を休めるため、水、コーヒー、ジュースなどを飲みながらのお喋り時間もあり、心身を癒してもらっている。職員の皆さんと利用者とが水分補給しながら会話が出来る隙間時間は、心にエネルギーを注ぎ込む貴重なチャンスでもある。


2023年02月08日
 







2025/08/19 17:13:56|老々介護について
4. 散歩途中で見つけた喫茶店
 2回目(1/25)の運動型 通所介護サービス(デイサービス)を受け、運動の必要性を改めて痛感した。自宅でスクワットや段差乗り降りの小規模なリハビリを試みたが長続きはしない。最小限近所の散歩を心がけていたが、思うように続かない。リラクサイズ武蔵藤沢にて運動型ディサービスを受け2回目であるが、このサービス以外に自主的に歩く方法を発見?した。それは、コーヒーショップ(ピノキオ)で、モーニングサービスの朝食がとれる店を見つけたからである。400円(7枚綴りのチケット、2,800円)のコーヒーを注文すると「納豆、豆腐、味噌汁、おしんこ、のり、ゴボウと人参の煮物などが量は少ないがおかずがついた和食」または「4種から選べるトースト」のどちらかを注文できる。
この店はヤオコーから武蔵藤沢駅方向に歩いて3分ほどにあり、自宅から歩いて4,000歩ほどです。2,000〜3,000歩あるくと疲れるので散歩に丁度良いところにあるコーヒー店を見つけた。まだ、今日は2回目なので、何回この店に行くか不明だが頑張りたいと思っている。週1回の運動型ディサービスと近所の散歩を隔日ぐらい継続的に行えるよう頑張りたいと思っている。
2023/01/29
 







2025/08/19 15:49:29|老々介護について
5. 妻眞喜子認知症になったかも!
 まだ気持ちだけは青年だと思っているが、身体の動きがだいぶ衰えてきたことを実感している。それなりの振る舞いをしなければいけない年齢になったことを意識するようになった今日この頃です。私より3歳若い妻眞喜子は認知症にかかったかと思える挙動が多くなり心を痛めている。忘れることが多くなったのはお互いだが、最近、マイナンバーカードとキャッシュカード入りの財布を紛失したというので家中探しまくった。見つからないので両カードとも紛失届をだし、無効手続きをした。ところがその財布が箪笥の中から出てきたので、急遽その旨を入間市役所知らせ、両カードを回復させた。カード差し止め手続きは電話で簡単、一方の回復手続きは市役所へ出向き再発行、銀行カードは1週間かかり元通りのカードに復帰できた。また、毎日開け閉めしている窓が開かないという。ロック解除方法を忘れたようだ。さらに昨日はワイヤレス電話がかけられないと私のところにテレビのリモコンを持ってきた。テレビのリモコンでは電話はかからないと説明する。このような振る舞いが多くなった妻の姿を見かけることが多くなった。いずれ自分もそうなるのかと思うと、気持ちが落ち込む。上記した妻のようにならないため、運動型デイサービスが受けられる「リラクサイズ武蔵藤沢」に通えることは、非常に有り難く思っている。来週15日(水)に、妻は体験運動型デイサービスを受ける予定になっている。今の彼女は、要支援1(2025年8月19日現在は要介護3で老人ホームに入所している)を認定中なので、それが認定されると上記「リラクサイズ武蔵藤沢」でデイサービスを一緒に受けられるので楽しみである。
 
2023年2月15日 提出
 
 







2023/08/18 21:33:00|思い出 2
学童集団疎開の思い出
 78年前の今日、山形県米沢市小野川温泉で玉音放送を聞いたこと思い出した。遠い昔のことで確かなことは思い出せないが、断片的に思い出す記憶のままに当時の様子を以下に記す。
 戦前に東京亀戸の天神様近くの酒屋の長男として、昭和10年5月に生まれ、空襲が激しくなり戦車を通すためという理由で強制疎開させられ、東京大島に引っ越した。その時、城東区第三大島國民學校の小学3年生(昭和19年)であった。戦争が激しくなり、東京は危険だということで地方に身寄りのない児童は、学童集団疎開で強制的に地方に移された。第三大島國民學校の児童283名は、空襲で危険な東京を離れるため山形県米沢市小野川温泉の高砂屋旅館(宿舎)に25名、ほか7軒の旅館に22名〜50名が分散し、終戦を迎えた翌月9月まで学童集団疎開で1年間お世話になった。3年生は最小学年であったため、宿舎(高砂屋旅館)のじっちゃん、ばっちゃんに大層可愛がられ、空襲のない山形の温泉地で食糧は乏しく苦しかったが、楽しい1年を過ごした。勉強した記憶はほとんどなく、野山を走り回った楽しい思い出ばかり印象に残っている。3度の食前に「箸とらば天地御代の御惠み 君と親との恩を味わえ!」いただきます!また、夜寝る前に東京の方を向いて「お父さん、お母さん、先生お休みなさい」と頭を下げ床に入った。午前は宿舎(旅館)で、午後は村の学校を借り授業があったがその記憶消えている。
 「守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の浮べる城ぞ頼みなる……」「エンジンの音轟々と隼は征く……」「いざ来いニミッツ マッカサー……」など軍歌や軍艦マーチの歌詞を78年経った今でも断片的に覚えていて、上記の歌が口から出る。絵を描くと米軍の爆撃機B29墜落や敵艦撃沈のシーンを上手に描いた。昭和20年3月9日夜の東京大空襲で東京の我が家は焼失し、両親と二人の弟は、水をかけた布団を頭にかぶり隅田川の言問橋下まで逃げ助かったことを親から後日教えてもらう。
 昭和20年8月15日、温泉街の広場に先生、生徒全員が軍人とともに集結し、ラジオから流れる玉音放送「耐え難きを耐え……忍び難き忍び……」を聞き、戦争が終わったことを知る。戦後間もない昭和20年の秋に小野川を去り東京に戻った。山形県小野川に来た時もそうであったが、終戦を迎え東京に帰るときも小野川から米沢駅まで約10qある道を歩いた。
 上野駅に着くと母親が出迎えてくれた。両親と弟2人が空襲で逃げ助かった言問橋からほど近い向島寺島町に4人が移り住んでいる我が家にたどりつき、家族全員の無事を祝った。
2023年8月15日







ILIKAI HOTEL(イリカイ・ホテル)
イリカイ・ホテル(ILIKAI HOTEL)は、5年前にハワイロングスティを実施して以来、毎年滞在しているホテル(コンドミニアム)である。5年前、ツアーでホノルルを訪れた時に、あらかじめロングスティの候補に挙げておいたホテルで、ホテルとコンドミニアムが混在している部屋数約1000部屋ある大きな建物である。歴史も古く、聞くところによると五十数年前に建てたビルで、古いが故に多くの現地の人に知られているホテルである。今では内部が改修され、その古さをあまり感じさせない。ホノルル空港に着き、空港からホテルへ行くときに乗るタクシー運転手に”ILIKAI HOTEL”と言えば直ぐに通じ、迷わずにホテルに着くことができる。

 建物の形も変わっていて、3方に突き出た星状の形をしていて他の建物と異なるので直ぐに分かる。地図などに記された図面を見てもあるいは帰路飛行機からワイキキを眺めてもその所在が直ぐ分かる。ホノルルで有名なヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパのお隣で、ラグーンという大きな海に近い池の直ぐ側である。【2016.12.4】