まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2014/01/11 7:00:00|思い出
​廃品利用

 傷ついた、あるいは録音に失敗したCDやDVDの記録メディアを基板として、その上に空のペットボトルの半分を接着剤でCD基板に固定し筆立てを作った。その様子は12月11日のブログで紹介した。
 
 その後、CD、DVD記録メディアの上に複数個のペットボトルを固定したり、切り取った飲み口を底にして固定したりして新しい筆立てや物入れを作った(写真1〜写真3)。さらに、処分しようとしていたコーヒーゼリーの容器も接着してみた(写真1)。写真に示すように、小物入れ、テレビ・DVDレコーダのリモコン入れ、カッターナイフ、よく使うドライバーやニッパ、繁華街で配っているティッシュなどを入れてみた。その結果、よく使う筆記道具や消しゴムなどの小物の見通しが良くなり、役立にたっている。さらに、寝かせて重なっていた物を立てたわけであるから、見通しがきくようになり、使いたい筆記道具、ナイフ、ハサミ、ドライバーの類が直ぐに見つかるようになり、仕事の能率・効率がよくなった。
 
 使い飽きたら、写真1に示したようにヨーグルトやプリンなどのプラスチック容器をCD・DVD記録メディアに取り付けて(貼り付けて)気分転換してもよい。材料は処分予定のペットボトル、デザートなどの容器で無料、使い終えた化粧品などの容器も捨てるわけであるから筆立て材料として都合がいいかもしれない。道具は、オルフェのカッターナイフとハサミだけ、それに、接着剤は“セメダイン スーパーX Hyper ワイド”使って作った。接着剤は500円である。空のペットボトルはカッターナイフで容易に切断できる。基板にペットボトルを接着するのであるが、その接着剤が乾燥するまで1日放置しておいたほうがよい。【2014.1.5】
 
写真1:ペットボトルの飲み口を底にしてガチャガチャで得た包みの球とコーヒーゼリー容器の物入れ
写真2:リモコン入れと小物工具入れ
写真3:小型レンズ・ルーペとカッターナイフ・接着剤入れ
写真4:サインペン・鉛筆立てとティッシュ入れ
 
2014.1.8 自宅にて記す







2014/01/10 8:34:52|思い出
​年の瀬のイルミネーション

 正月が押し迫った12月30日、佐賀から息子夫婦と孫2人が早朝羽田空港に着く。毎回のことだが、孫達に早く会いたいとの思いがあり夫婦で羽田空港まで出迎える習慣になっている。到着は8時15分、間に合うように出かけるためには自宅を出るのが朝5時と早い過ぎる。そこで、羽田空港に近い大鳥居駅前の東横イン羽田空港に彼らの到着前日に泊まることにした。
 
 東京駅前で夜になると光の祭典?「東京ミチテラス 2013」が開催され、光のレールウエイが見られるということを知った。この行事は29日が最終日ということもあって、東横イン羽田空港へ行く途中にある東京駅で下車し、「東京ミチテラス 2013」を見学する。東京駅前の新丸ビル裏通り(“丸の内仲通”という)に沢山の電球を取り付けた街路樹があり、毎年暮になるとその電灯が灯され美しい光の通りに変身する。幸いなことに、この時期に丸の内を訪れると、美しい夜の光の通りも散策出来る。この道は丸ビルから有楽町のビックカメラ横まで通じている道で、東京駅付近から有楽町へかけて、光の通りになる。
 
 29日はMakikoと孫を出迎えるために途中下車したお陰で、上述した“丸の内仲通”の「光の通り」と「東京ミチテラス 2013」を同時に見ることが出来た。29日は「東京ミチテラス 2013」開催最後の日である。二つの光の祭典を見ることができる東京駅周辺は大勢の見物客が集まり、道路規制がひかれ思うように歩けない。その様子は写真1で最後尾という表示板の文字が見えることからわかる。ゆっくり移動し、光の通り“丸の内仲通”を進んで、東京駅へ向かう。案内係の指示に従い、右に曲がると「東京ミチテラス 2013」の広場に入ることができる。広場といってもここは普通なら東京駅前の広い大通りである。ここに写真2のような鉄道線路、車輪がセットされ、それらをイルミネーションで飾ってある。こうして、「光の通り」と「光のレールウエイ」を同時に見学することが出来た。
 
 光の祭典「東京ミチテラス 2013」を見終わって、東京駅構内のレストラン街へ行く。夕食時であったので博多ラーメンを食べ、ホテルがある京急空港線大鳥居駅へ向かうため山手線に乗り品川へ向かう。丁度、新橋駅に到着すると車窓から駅前に置いてある本物の蒸気機関車が写真3のように美しい光のイルミネーションで浮かび上がっている姿が見えた。思わずシャッターを押し撮った写真である。山の手線電車の中から窓越しに撮影したにもかかわらず、結構よく写っていたので嬉しい。
 
 孫達からは東京スカイツリーが見たいという注文があった。そのため、31日大晦日に「はとバス」に乗って団体客として東京スカイツリーに上ることにしてある。このツアーは昼間なので、夜の東京スカイツリーは見られない。そこで夜の東京スカイツリーも見せたいとじじばばの思いで、浅草東横イン蔵前雷門に宿をとった。ホテルの部屋からも東京スカイツリーは見えるが、一部ビルの影になって全体の美しい姿は見えない。そこで、東京スカイツリーの夜の姿を見ることと、食事をするために蔵前から浅草方面へ歩きだした。ホテル前の大通りは「江戸通り」というが、この道を浅草方面へ向かう。駒形橋と吾妻橋のたもとを通るので、これらの橋のたもとから美しい夜の東京スカイツリーが見えるはずだ。案の定、駒形橋からも吾妻橋からも東京スカイツリーは見えた。写真4は吾妻橋から撮った夜の東京スカイツリーである。我々もそうであるが孫、息子夫婦もこの姿を見ることができ感激。
 
 こうして、孫達がきたお陰で、東京駅、横浜周辺、浅草周辺、東京スカイツリーなど各所のイルミネーションを見ることができた。【2013.12.29〜30】
 
写真1:丸の内ビル裏通り丸の内仲通イルミネーション
写真2:東京ミチテラスのイルミネーション
写真3:新橋駅前の蒸気機関車のイルミネーション
写真4:東京スカイツリーのイルミネーション
 
2014.1.10 自宅にて記す







2014/01/06 20:00:00|思い出
全員集合

 早いもので正月も6日目に入った。暮の30日から正月3日まで4泊5日で佐賀の次男夫婦と子供2人がやってきた。暮の様子は前回のブログに投稿した。元旦は自宅にて佐賀の4人と我々2人の6人で、近くの入間アウトレットへ出かけたが、あまりにも混んでいるので、早々に引き上げ自宅でのんびりしていた。といっても、孫達がいるので思うほどのんびりは出来なかった。
 
 翌2日は、さらに長男、および孫1人をつれて娘一家3人が訪れ、新年の挨拶を交わした。我が家では男2人女1人の計3人の子供を育てた(写真1)。長男はまだ独身、次男と長女は結婚し、次男は2人の女の子、長女は1人の女の子をもうけた。したがって、孫は3人である。我々2人を含め大人7人、孫3人の計10人が狭い家に集まった。長男は名古屋、次男は九州の佐賀、長女はさいたま市から遠いところをわざわざきてくれた。感謝である。全員そろったので食事をはじめるが、写真2のようにしらぬうちに大中小と並び、小さな手で大きな握り寿司をつかむ姿がかわいい(写真2)。
 
 大人達は、仕事のこと、住まいや生活のことで話しが盛り上がる。年寄りは孫のお相手。4歳、6歳、8歳の大中小の女の子が集まったのだから、なにをはじめるのか興味深い。退屈させいないようにと、あらかじめ沢山のペットボトルと不要のCD板を、それに接着剤などを集め、工作でもして遊ばせようと考えていた。しかし、遊ぶほうが夢中でその暇はない。さいたま市の中孫が、カルタを持ってきたので、早速それでカルタ取りが始まる(写真3)。場所は2階のベランダ。ベランダで工作をさせようとあらかじめ準備しておいた大きな段ボールが陣地でそれに座る。小孫はカルタの図柄から拾えるようだが、字が読める大中孫にはかなわない。カルタがとれないので文句をいう小孫だが、大中孫は出来た子達で、一度は取ったカルタだが、そのカルタを小孫にプレゼントしている。読み上げたカルタを見つけ、それ取るためにいきよいよく手を出すことが面白いようだ。
 
 カルタが終わると、「あまちゃん」ごっこをやろうと、我々のベッドルームに侵入。ベッドの上が岸壁、床が海だという。ベッドに上り、輪ゴムと紙切れを使いおでこに水中メガネだという紙切れを巻き付け、岸壁(ベッド)の上で踊りまくる。そのうち、海は平らではないといいだし、新聞紙を要求。なにをするかと見ていると、新聞紙を一枚一枚ぐしゃぐしゃにし、それを床一面にまき散らし、波立つ海面を作り出す(写真4)。こんどは、海で採れた牡蠣がないというので、部屋中を物色。ボールや小さな箱類を見つけ、それを牡蠣だか、さざえだかに例え、それらを持ってベッドの上で暴れ回る。
 
 「あまちゃん」て何なのか不明であったので、調べたらNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のことのようだ。第1回「おら、この海が好きだ!」で始まっていることが分かった。こうして、応接間の隣がベッドルームであったので、その部屋のベッドを使って岸壁だの海だのと言いだし大騒ぎしていた。彼女らの手を見たら、新聞の活字の黒色が手にうつり、真っ黒だ。その手で我々が寝る布団をつかみ、その上を寝そべったり踊ったりのどんちゃん騒ぎをしていた。少し寒くなった夕方、名古屋とさいたま市へ長男と長女が娘をつれて帰っていった。【2014.1.5】
 
写真1:大中が男、小が女の子であった我が家の子供は、今では写真のように成長した
写真2:男ばかりの3人兄弟で育ったが、いまでは女ばかりの孫3人に囲まれ幸せだ
写真3:ベランダでカルタ取りする3人の孫達
写真4:ベッド岸壁、新聞丸めて散らかした床を海に例えた「あまちゃん」ごっこの舞台裏(ゴミ屋敷ではありません)
 
2014.1.6 自宅にて記す







2014/01/05 11:45:00|思い出
​孫きたる

 昨年暮、佐賀在住の次男夫婦とその子供2人が埼玉にやってくるというので、12月30日羽田空港まで出迎えに行った。11月2日に佐賀バルーンフェスティバルが行われたので、そのとき一緒にバルーンを見た。今回は2ヶ月ぶりで孫達に会う。
 息子はなにを思ったが、青山にある先祖の墓をお参りしたいという。息子2人と娘1人いるが、墓参りをするというムードはこれまで一度もなかった。ここにきて言い出したのは、我々親たちの近未来を想像しているに違いない。一緒に住んでいるなら、何らかの情報が知らずのうちに彼らに伝わっているから、なにか急なことが起こっても、対処できる。ところが、遠い佐賀にいれば我々の今の生活ぶりはほとんど分からない。定年退職以来、ブログのタイトルではないが「まず動く」を実践している。そのため、どこでいつなにが起こるかしれないと思い墓の所在を確認すると言い出したのではないかと推測する。彼らに感謝しなくてはならない。
 
 そこで、孫一家が羽田空港に朝8時15分に着くなり、電車で墓が近い表参道へ向かう。2人の孫は女の子。上が小学校2年生、下が幼稚園年長組である。大人のように歩くには少々気の毒だったが、地下鉄日比谷線の表参道駅から青山墓地まで歩かせた。だれもいない墓地であったが、場所の特定をし、ひ孫の顔を見ずに眠る両親に手を合わせた。これで、我々の近い将来眠る予定の場所を次男に分かってもらえたかと思うと一安心だ。
 
 明日12月31日は孫達から東京スカイツリーを見学したいとあらかじめ要望があった。といっても、そう簡単にはスカイツリーは混んでいて上れない。思いついたのは東京スカイツリー見学コースが入っている“はとバス”である。予約申し込んだところ、出発が東京駅朝9時と早い。そこで、埼玉から東京駅まで朝早くやってくるには少々きついと判断し、東京スカイツリーが見える東横イン浅草蔵前雷門に宿泊することにした。東京スカイツリー見学は日中なので、夜のスカイツリーはみられない。それを見越して、夜の東京スカイツリーを見せるためにツリーが見える東横イン浅草蔵前雷門に宿をとった。
 
 墓参りを終え青山から横浜へ向かった。その理由は、次男は横浜の大学を卒業しているので、横浜の土地勘があることと、嫁さん、孫達に横浜中華街で美味しい料理をご馳走したいという魂胆もある。こうして夜の東京スカイツリーを眺めるまでの時間があるので横浜へいく。それにしても、親子4人の4泊5日の旅であるから荷物は多い。多少、埼玉の実家に送ってはあるが、旅行用スーツケースは大きく重い。横浜駅のコインロッカーに預ける予定だ。大晦日の各駅や商店街、デパートは大混雑、沢山あるコインロッカーはあるのだがどこも空きなし。仕方なく、重いスーツケースを引きながら横浜から山下公園まで水上バスを利用し移動する。山下公園、中華街を荷物を引きずりながら歩く。さらに昼を過ぎたころ山下公園に着いたので、幼い孫たちはお腹減って疲れたと言い出す。しかたなく、山下公園から一番近い北京飯店に入り、昼食をとり、元気を回復させる。その後、コスモワールド遊園地に移動し、大観覧車コスモクロック21、急流すべり「クリフ・ドロップ」に乗り、孫達と楽しい一時を過ごした。
 
 便利になったもので、横浜から乗り換えなしで蔵前まで行ける。こうして、暗くなったが東横イン浅草蔵前雷門に無事チェックインし、夕食のため浅草にでる。蔵前駅から浅草までひと駅分歩く。途中におもちゃの“ばんだい“の本社があり、その前にアンパンマン他の子供に大人気の大型人形が道路に沿って明るい光を浴びせ立ててあり、それを見つけた孫達は大喜び。帰りにゆっくり見ようと横目で見ながら通過(帰りは明かりが消されてあり孫達がっかり)。駒形橋のたもとにさしかかると、電飾で美しい東京スカイツリーが見え始める。さらに浅草雷門近くの吾妻橋に来ると、夜の美しいタワーの姿がさらに近くに迫り良く見え全員感動!。孫達はとくに感動とおどろきの声をあげる!橋の上から夜空に浮かぶスカイツリーをしばし眺める。幼い孫たちにとても良い想い出が出来たことと思う。【2013.12.30】
 
写真1:羽田空港で孫達と2ヶ月ぶりのご対面
写真2:中華街で美味しい昼食にありつけご機嫌だ
写真3:山下公園に係留されている氷川丸とその係留綱ロープに鈴なりのカモメたち
写真4:大観覧車コスモクロック21から世界遺産の富士山が見えた
 
2014.1.5 自宅にて記す







2013/12/28 20:00:00|思い出
城北中央公園でノルディック・ウォーキング(N.W.)

 昨日はノルディック・ウォーキング(N.W.)入間に参加し彩の森入間公園を、今日は城北ノルディック・ウォーキング(N.W.)クラブに参加し城北中央公園を歩いた。N.W.のハシゴである。城北N.W.クラブは、月一度第4日曜に城北中央公園で開催される。こちらのN.W.はメタボリック症候群と糖尿病予防のためにお世話になっているササキクリニックの佐々木巌先生指導のもとで行われている。医師と看護師が一緒に歩いてくれるので心強く、安心してN.W.を楽しめる。
 
 城北N.W.に参加すると3つの楽しみが加わる。その1つは、東武東上線上板橋駅で降り、会場である城北中央公園へ向かう途中に石田屋という和菓子屋がある。ここのどら焼きが美味しいことで有名、通るたびに行列が出来ている。そのため、買いたいがN.W.集合時間の都合があり、いつも横目で見て素通りしている。ところが今日22日(日)に石田屋の前を通るとなんと行列はない。そこで、Makikoと飛び込むように中に入り、迷わずどら焼きを注文するが、今日はないという。その理由は、年末で他の和菓子製造に忙しく年内は作らないという。話しによると、幻のどら焼きは数が限定(1日300個)され、行列で待っていても30分で売れ切れるそうだ。まだ一度も食べていないので、いつか行列の仲間に入り買いたいと思っている。どら焼きがだめなら、栗饅頭がある。こちらもかなり美味しいと評判なので家に帰って楽しむために求める。この他にもクルミ饅頭、茶饅頭、バター饅頭、モナカがあったので、5種類各2個ずつ求める。これからN.W.というので荷物になるが、夫婦そろって好きなものであるからリュックサックに入れてN.W.中も持ち歩くことにした。帰りに買えばというが、帰りは昼食のためイタリアンレストランへ行くため別ルートをとる。そのため石田屋の前は通らない。
 
 その2は、本来の目的はノルディック・ウォーキングである。ここでのN.W.は、広い公園内に沢山の樹木が生い茂っている中を歩くので、天気が良いと非常に心地よい。それに樹木の間から東京スカイツリーが見えるので感動する。地図上でここ城北中央公園から東京スカイツリーまでおおよその距離を算出すると直線距離にして12qぐらいある。公園内を1人で歩くのと異なり、気のあった仲間とおしゃべりをしながら、約1時間半歩くので飽きないし楽しい。それに、ポールを使うのでほどよい手足の運動にもなっているので何とも心地がよい。
 
 その3は、歩き終えると昼時になる。皆でイタリアンレストランへ移動し食事する。これがまた、楽しい。食事は美味しいし、話しが弾むので、N.W.しながらおしゃべりをしたはずだが、その残された会話をここでまた再開する。2時間ぐらいの間、食事とおしゃべりを楽しみ、自由解散というのが月一度の城北ノルディック・ウォーキングクラブの活動である。このようなおしゃべりする場は第三の場といい、自宅と勤め先と上述のおしゃべりの場の3つの場のことをいう。このような第三の場を持てる我々は幸せである。
 以上のように、昨日は彩の森入間公園森で、今日は城北中央公園でN.W.を2日間連続で楽しんだ。【2013.12.22】
 
写真1:城北中央公園から約12q先の東京スカイツリーが見えた
写真2:冬景色に変わった公園内をN.W.
写真3:沢山の樹木に囲まれ野球、テニス、N.W.を公園内で行っている
写真4:N.W.も楽しいが食事も楽しい
 
2013.12.27 自宅にて記す