まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2014/04/28 17:37:39|思い出
新緑の「彩の森入間公園」

 入間市に住みついて約半世紀が経つ。近くに入間航空自衛隊基地がある。ここで、毎年11月3日に航空ショーが行われ、ブルーインパルスの編隊がこの基地から飛び立つことで有名である。この地に住んだ理由は、引っ越したころ三鷹にある航空宇宙研究所に勤務し、飛行機やロケットの研究に携わっていたことによる。基地の側に住めば、間近で飛行機が見えるという単純な考えでこの地に住みはじめた。
 
 当時、YS-11の疲労試験や小型ロケットを打ち上げたときに発生する空力加熱による機体の温度上昇の解析などを行っていた。こうしたこともあって、飛行機に興味があり、特にブルーインパルスには大変興味を持っていた。その発進基地が入間市にあるというので、当時かなり田舎のようであった今住む土地と家を購入し、移り住んだ。あれから50年あまりが過ぎた。生まれて間もない幼い子供達は巣立っていった。
 
 比較的長い間、入間市に住んでいるが、自衛隊基地の一部を緑化し、公園にしたという彩の森入間公園の存在は最近知った。公園が開園されたのは、1998年(平成10年)というから、まだそんなに古くはない。この公園の側はよく車で通過していたが、入ったことはなかった。昨年、ひょっとしたことから、Makikoと園内に入ったところ、とても素晴らしい公園であることがわかった。写真1〜写真3に示すように外国の公園にまけないほど素晴らしい。園内には写真4のような、トイレとは思えないほど素敵なトイレが数カ所、公園内にはある。園内の道路は競歩用と散歩用を区別するためなのか路面が色分けされているので歩きやすい。きれいなチューリップが1万本植えてあるような案内表示を見た。園内は広いのであまり目立ないが、沢山のチューリップが植えてある。池もあり、桜の木も沢山ある。今の時期、緑がとても美しい。歩いて彩の森入間公園まで行くのは無理な距離なので、たまにしか行けないのが残念だ。
 
 最近、入間ノルディック・ウォーキングクラブがあることを知り、その会員になった。第1と第2土曜日にこの公園内をウォーキングするので、他に予定が入っていないときは、参加し彩の森入間公園内を3周する。そうすると約4q歩いたことになるそうだ。【2014.4.19】
 
写真1:チューリップと噴水が見える風景
写真2:池と展望台が見える風景
写真3:ヨーロッパを思わせるような風景
写真4:トイレらしくないトイレの建物が見える風景
 
2014.4.28 自宅にて記す







2014/04/24 20:01:00|研究・教育の思い出
立派に育った新人ナース

  今年も看護専門学校4校から講義依頼を受け、その授業が4月10日から始まった。今年度初めての講義は、兵庫県の姫路医療センター付属看護学校、その様子は4月16日に投稿した。その後、1校が創立記念日ということで15日(火)は休校。翌日の16日は成田市の二葉看護学院、17日は千葉県旭市にある旭中央病院付属看護専門学校へ移動した。旭中央病院は写真1に示すように900床を超えるベッド数を有する大きな病院である。それに対して、JRの旭駅は小さく、駅周辺にはお土産屋もコンビニもなく病院の立派さに比べかなり寂しい駅である。駅構内に売店はあるが、開店時間は朝6:30〜11:30、土日祭日は休業と掲示がでていた。駅員に聞いたところ、駅舎に宿泊する当直職員も近所に買い物する店がなく困っているという。夜の食事が出来ないので夕食の弁当持参で勤務しているともいう。
 
  旭中央病院付属看護専門学校は、病院が大きいだけに1学年の学生数も他校に比べ60人(普通30〜40人)と多い。高校時代に物理を履修していない学生がほとんどである。「人間工学」という科目には工学という二文字がついている。そのため物理のようだとかロボットや機械のような教科ではないかと心配する学生が多い。その科目を学習するというので、講義前は“難しそうだ”、“ついていけるかどうか心配だ”などと敬遠されそうなうわさがなされている。ところが、第1回の講義が終わると、“看護に役立つ科目だ”とか“看護には絶対必要な科目である”などと授業評価票に好感度の意見が書かれてある。
 
  講義は口頭での話しに加え、映像、実験、実体験などを組み込んである。映像は5回にわたり「集中治療室で働く新人看護師」他をみせる。これは、10年ぐらい前に「白衣の天使」と題し放送された2時間ほどの取材番組である。その番組をMakikoが録画してくれたお蔭で、映像の中のコマーシャルを削除し、各回用に十数分の放映時間に編集した。この映像で医師や看護師が扱う医療器具・機器を数多く見ることができる。また、患者を支援する看護動作、言葉のやりとりで心理的支援を行う場面など、看護の中で使われている人間工学的“モノ”や看護動作を数多く見ることができる。これを見ることによって、入学したばかりの看護初学者はやる気を起こす者、逆に将来看護師としてやっていけるかどうか不安を抱く者が出てくる。しかし、尊い患者の命を助けるために活躍している看護師の光景を見ることができるので、やる気を起こす学生がほとんどである。
 
  次に物理実験である。これは患者という重い人を抱き上げたり、各種の体位変換を行ったりするときに発揮する力を想定して作成した実験モデルを見せ同時に触ってもらう。例えば、前屈して患者を持ち上げる場合、腰には大きな力がかかるので腰痛を起こす可能性が高い。その様子が実感できる木製の腰部モデルを作成した。これは、金属ワイヤを引く(緩める)と上体が前屈したり起立したりするモデルである。また、厚紙を利用して直立時、前屈時の人形モデルも作成した。その人形の重心を求める方法と重心・重心線についての実験と解説を行う。その他、点滴と水位の落差(注射器・チューブに落差をつけた水流の勢い(圧力))、患者移動とイージースライド(摩擦)、体位変換と釘抜き(テコの原理)、膝立てした患者の体位変換とジャムの蓋開け器具(力のモーメント)、布の上にペットボトルを乗せその布を引く実験(慣性)、重りをつけた糸や長い棒の固定位置を変えた振動(固有振動と地震)、アルミフォイルと携帯ラジオ(電波障害)など看護に関係づけた物理実験を行う。
 
  さらに、身体を使う実験では、足位置を変えた座位からの立位(重心と支持基底面)、爪先立ち状態で机に手をそえる姿勢(姿勢の安定化)、臀部と踵を壁に付けた状態でのお辞儀(姿勢の安定と支持基底面)、上体と片足を壁面に付け反対側の足を持ち上げる(姿勢の不安定と支持基底面)などを体験させる。この体験の中には自分自身でできる動作、できない動作があるので、こうした動作体験と看護動作との関係を説明する。
 
 講義は教科書「イラストで学ぶ看護人間工学」を使うと同時に、その教科書に連動するように作成したカラーフルな写真と図・表のパワーポイントを用いている(写真2)。こうして映像、物理実験、身体体験動作、パワーポイント、教科書を使い立体的に講義を展開している。そのため、よく理解してもらえているものと信じている。
 
  ここ旭中央病院付属看護専門学校へくるのに4時間近くかかる。そのため、講義前日に旭入りし病院内のゲストルームに1泊する。4階にあるゲストルームと看護学校とはエレベーターと長い曲りくねった廊下でつながっているので外に出ないで行き来できる。また、1階には職員食堂、コンビニ、コーヒー店などもあるので不自由はしない。当直の医師や看護婦がどこかにいるので、ここで倒れても安心である。
 
  夜7時、夕食のため食堂へ行ったところ数名の看護師に声をかけられた。3年前に人間工学を履修した教え子たちだ。1週間前に病院に就職したばかりだという新人ナースたちである。いずれもオペ室に配属されたそうで、新人歓迎会の折に先輩になにかを披露するので、夕食を兼ねてその相談をここでするという。食事を一緒にとり、催しの相談が始まるころに席をたった。まだ、新人なのでわからないことが多く、働くことの大変さを語ってくれた。また、手術中6時間も立ち続けることがあるので人間工学的に解決できないかとの相談を受けた。その答えとして可能なら約2時間ごとに休憩をとることを勧めた。しかし、人の命を預かる手術中であるなら、それは困難なのかもしれない。【2014.4.16】
 
  前記から一週間後の今日(4月24日)、講義を終え挨拶するため教員室に出向くと廊下で先生と生徒がなにやら話し込んでいる。看護大学では見られない光景である。看護学校では先生と生徒の距離が近く、きめ細かな指導がなされている様子がうかがえる。こうした中を割り込んで写真を撮らせてもらい(写真4)、タクシーで元来た寂しい旭駅に向かう。午後1時12分の千葉行きに乗り、千葉で横須賀行きの快速電車に乗り換え東京駅へ、そして山の手線で池袋駅へ向かう。さらに西武池袋線に乗り換え狭山ヶ丘駅5時20分に到着、そこから自転車で自宅に着いたのは午後5時半である。以上のようで日帰り講義は難しいので病院に1泊させてもらっている。そのお陰で教え子に再会出来、また新しい元気をもらった。【2014.4.24】
 
写真1:旭中央病院付属看護専門学校は大きな病院内にある
写真2:「人間工学」の実験と講義の様子
写真3:今年卒業し就職1週間目の教え子新人ナース
写真4:講義を終え帰る間際に出会った先生と学生
 
2014.4.23 旭中央病院ゲストルームにて記す







2014/04/19 17:58:00|思い出
森政弘先生米寿を祝う会

  森政弘先生は、ロボット博士と言われ日本のロボット工学の先駆的な先生でNHKのロボコンを立ち上げた先生でもある。その森政弘先生が米寿を迎えられ、4月13日(月)、“森政弘先生の米寿を祝う会”が「銀座アスター ベルシーヌ竹芝店」で開催された。
 
 私は昭和49年〜昭和62年まで、東京工業大学(東工大)工学部制御工学科の教授であった森政弘先生の助手として研究室の研究補助や教授と学生とを結ぶパイプ役を務めていた。私の在職中に学部生、大学院生(修士、博士)合わせて73名にもおよぶ皆さんが森政弘先生の研究室(以下“森研“と呼ぶ)でロボットに関わる研究を行って学部を卒業、あるいは大学院を修了して行った。
 
 森先生は昭和33年〜昭和44まで東京大学、昭和44年〜昭和62年まで東京工業大学教授であったので、私がお世話になる以前の東京大学時代と東京工業大学時代の卒業生もいるので100名上回る学生の研究・教育指導を行ったことになる。
 
 思い起こすと東工大の森研に所属する学生は、森先生をあこがれ東工大を受験し研究室に配属になった学生がほとんどである。しかし、入学ができ制御工学科に入れても、森研究室(森研)に所属できるかどうかの保証はない。それほどに人気のある研究室であるから希望者が多く、毎年研究室配属の時期になるとじゃんけんやくじ引きを行って研究室配属を決めていた。学部生で森研に入れなかった者が大学院で森研を希望し研究を行うという学生もいた。他大学の学部を卒業し、大学院は東工大森研でロボット研究したいという学生も大勢いた。
 
 私がお世話になった初期の頃は、記憶が定かでないが学部4年生配属者定員が4〜5名、大学院修士が1,2年生合わせて6〜8名で、博士が3名所属していた。研究室には合わせて、十数名が毎年森研に所属し、ロボットに関わる研究を行っていたと記憶する。
 
 なにしろ、森先生の研究テーマは面白くユニークなので多くの学生はあこがれる。「人が他で行っていない研究をする」「論文には参考文献を書くが、自身が書いた論文には参考になる文献がないような研究をする」「社会的にアピールする研究をする」というような研究指導がある。そのため、他では行っていないロボット研究テーマばかりであるから非常に難しい。思い出すままに当時の研究テーマを述べると以下である。
  • 「群れ作りロボット」:ばらばらに動いていたロボットが接触すると他のロボット達が集まり群れを造る。
  • 「無中枢ロボット」:ランダムに動き回るロボットだが、なにか事が生じると集まってきて協力し合うロボット。この研究では、ヒトデの動きにヒントを得るべくヒトデを飼ってその動きを観測していた。
  • 「2足歩行ロボット」:当時は2足で歩くロボットはないので歩けば博士論文。研究の当初、鳩を飼って鳩の歩行を観測していた。
  • 「4足歩行ロボット」:犬や馬などの動物を真似たロボット。
  • 「6足ロボット」:6足昆虫を模擬したロボットで不整地を歩ける。
  • 「カメレオンロボット」:接触すると背中の色が変わるロボット。
  • 「渦巻きロボット」:ねじ状のロボットで塩ビの太い円筒に巻き付きねじのように回転しながら前進するロボット。2体が正面から向き合うとねじのようにお互いがくぐり抜けることができる。
  • 「サイバネティックモーション」:人や動物のなめらかな動きを抽出し、その動きをロボットに応用する。
  • 自然力ボートの研究1:川の流れエネルギーを活用し、エンジンもオールもなしでボートを渡河させるボートの開発研究。ネパールでこのボートを実用化させる。
  • 自然力ボートの研究2:川の流れのエネルギーで川を遡るボートの開発研究
 
 私も研究テーマをいただき、上記のサイバネティックモーションの研究を行い何編かの原著論文を書いた。もう少し頑張り、このテーマで博士論文まで持って行けたらと願っていた折りに、KJ法の川喜田二郎先生から森先生のところに上述した「自然力ボートの研究」依頼が入った。この研究は、ネパールの技術援助であって、ネパールの河川で川のエネルギーを使って、川を渡ったり遡るボートの研究である。
 
 我が家の前に不老川という小さな川がある。その川でたこ糸を板きれに結び、流れにおいたところ、1mぐらいの川幅を渡ることができた。それ以来、浮く物なんでも渡せないかと小さなモデルボートは自宅前で、少し大きいものは入間川や名栗川で、渡河の可能性が確実になってからは、森研の主森政弘先生はじめ自然力ボートを研究テーマに選んだ学部生や修士の学生と一緒に利根川、天竜川などへ出向いて実験を繰り返し、ネパールでの実用化を目指し研究を行った。名栗川あるいは天竜川で行った実験には森先生、川喜田先生も参加されたことがある。
 
 ネパールの川はものすごいぞと南極越冬隊長の西堀先生や川喜田先生からのコメントを頂いたので、台風が近づき川の流れが激しくなったころを見計らって、利根川と天竜川へ出向いて実験したこともある。利根川で夏テントを張って泊まりがけで実験を行った折には、突然の大雨にあい試作ボートが流され呆然としたこともあった。
 
 人を乗せた初期のころの自然力ボートは、魚のひれを模擬した板を船底に取り付けたゴムボートであった。そのゴムボートをネパールへ運び、現地河川の様子を知ることとゴムボートでどの程度の成果が得られるかの予備実験を行ったこともある。その後、ヤマハ発動機の支援を得て、プラスチックボートの製作技術を日本で習得した。プラスチックやガラス繊維など原材料をネパールへ空輸し、1ヶ月かけて現地の川原で自然力ボートを製作した。そのボートは、流れを利用し100mぐらいの川幅を渡河出来た。ネパールの川の名前はスンコシ川、設置場所はカトマンズとポカラの中間にあるガトベシというところである。現地で製作したボートがうまく機能したため、現地住民にそのニュースが伝わった。そのため、夕方暗くなるまで乗せて欲しいと住民の行列ができるほどの賑わいであった。この様子は、現地の新聞やテレビでも報道された。この自然力ボートの研究テーマで2名の卒業論文、2名の修士論文、1名の博士論文を仕上げることができた。
 
 森政弘先生の米寿をお祝いする会では、祝賀会がはじまる前に「正反対の二種類の頭が必要」と題された先生の講演があった。その概要は以下のようである。
 
(1)陽の頭  現在養われている
 知る(理解、知識)、言葉で伝わる、メモリ内容増加、作業エリア減、思考が衰える、哲学がない(秀才)
 
(2)陰の頭  今後の教育に絶対必要
 気づく(ピントくる、知恵)、体験で味わう(情報化により減退)、直観力が出る、発明・発見・創造(天才)
 
 “知ること”も大切だが、“気づくこと”も大切である、車を走らせるためにはアクセル,止めるにはブレーキが必要、このように陽の頭と陰の頭が必要で、とくに今後の教育には陰の頭の必要性を強調された。
 
 森研はもう存在しない。森先生の教え子から何人もの教育者が誕生し、企業で大活躍している卒業生も多い。ホンダのアシモ製造には森研出身の一人が大活躍した。彼は博士論文を目下作成中であると聞く。大型コンピュータ、パソコンが世の中に出始めた初期のころに自動制御、ロボットに関わる研究を開始し、そのテーマが前述のように面白い。だが設計・製作するにはかなりの困難を極め、研究室は毎日不夜城となって研究を行っていた。私も当時しばしば終電で帰宅した覚えがある。研究室に在籍した学生達は、なんとか動くロボットを作り上げ、それなりの工学技術を身につけ全員が無事卒業あるいは修了していった。その卒業生達が今回一同に集まり、森政弘先生の米寿を祝った。
 
 以上のようにユニークな研究室「森研」に13年間お世話になったおかげで、他人がやらないことをやる癖がついた。そのお陰で、今の私があると森政弘先生に大変感謝している。
 森政弘先生米寿をお迎えおめでとうございます。これからも健康であられることを祈願いたします。【2014/04/13】
 
写真1:会場である「銀座アスター ベルシーヌ竹芝店」17階からの眺め
写真2:森政弘先生の講演風景
写真3:“森政弘先生の米寿を祝う会”の会場風景
写真4:参加者全員の記念写真
 
2014/04/17 旭中央病院ゲストルームにて記す







2014/04/16 7:21:24|小さな旅の思い出
姫路城の改修工事

 10日、11日の2日間、集中講義のかたちで姫路医療センター付属看護学校の講義を終え無事、埼玉の自宅に戻った。今年入学したばかりの看護学生1年生38名、内男子学生4名を対象に「人間工学」の講義を行った。物理を履修した学生はほんの少ししかいない。その学生さんたちに人間と“モノ”の関係、人間と人間の関係の話しから始まり、腰部負担(腰痛を起こす看護師が多い)、患者の移動や持ちあげに安全な方法など人間と人間、人間と物に関わる講義を行った。患者を動かしたり、持ち上げたりする場合、看護師は大きな力を発揮しなければならない。その力を患者に加え移乗・移動させる、持ち上げるにはそれなりの手順や方法がある。大きな力をかけ早く作業を終えようとするなら、腰痛を起こす可能性は高くなる。こうした腰痛発症の危険を避けるためにはどうすればよいかというような話しをする。
 
 釘ぬきを使うと板に打った釘が容易に抜けるかとか、ペットボトルの栓の周辺がぎざぎざになっているがなぜかなど身近にある道具・器具・用品に隠されたいろいろな仕掛けがなされているが多くの学生は、それに気がつかない。そのことに気づくような話が人間工学の中にたくさん含まれているので、人間工学は面白いと言ってくれる。この人間工学という講義を2日間毎日3時間行った。
 
 講義を終え、教職員の皆さんに校舎前で見送られホテルへ向かう(写真1)。当日帰ってもよいがまだ姫路城の桜が見られるかと思い、もう1泊し翌朝に姫路城公園へ行くことにした。朝6時、結構寒い。シャツだけでホテルを飛び出したので寒い。駆け足で姫路城公園まで行く。公園に入ると桜はまだ残ってはいるが、多くは散りかけていて、3日前に来たときの様子とすっかり変わっていた(写真2)。講義最初の日、学校に向かうときタクシーの運転手から改築工事中姫路城の屋根は、真っ白だという。それが、年月を経ると真っ黒くなるという話を聞いた。屋根といい壁といい真っ白なので、工事用の足場がなくなるととても美しい姿になるとほこらしげに話していたことが印象に残る。このことが耳に入っていたので、今日は桜もさることながらお城の屋根も気になり、ここ姫路城に再度訪れた。運転手がいう通り、写真3のように工事中のお城の屋根は真っ白だ(写真3)。こうしたこともあり姫路城の別名が白鷺城と言われるのであろう。白い屋根が見える工事現場に近づくと45年前の「昭和の大修理」という工事中の写真が眼に入った(写真4)。この写真と現在工事中の写真を見比べると工事技術の変化がうかがえる。45年前の工事では資材を高所に運ぶのは人の力を使ったと写真から推測される。ところが、現在の方法では、写真3に見るように大型クレーンそして内部にはエレベーターも設置されている。工事期間が45年前と比べたら相当短縮されたと思われる。それにしても、今回の改修工事は6年もかかるというので、いかに大工事であるかがうかがえる。この工事は来年3月に終了し、4月から姫路城内見学が可能になるとのこと。来年の講義で姫路を訪れるのが楽しみだ。【2014.4.12】
 
写真1:見送りしていただいた教職員の皆さん
写真2:早朝の姫路城公園の桜並木
写真3:現在進行中の姫路城の改修工事(気になる白い屋根)
写真4:45年前の「昭和の大修理」風景
 
2014/04/16
 
成田アパホテルにて記す
 
 







2014/04/09 20:14:24|小さな旅の思い出
​姫路城のさくら

  毎年、4月初旬に姫路医療センター付属看護学校で集中講義を行っている。その時期が来たので、1日早い4月9日(水)午前10時、埼玉の自宅を出て姫路へ向かう。午後4時姫路入り、ホテル・チェックイン後、直ちに、姫路城へ向かう。毎年、満開の桜が見られるわけでなく、花びらが散ったあとに来ることもある。今年は、写真に見るように満開の時期が若干過ぎたのかなあと思うが、まだ、満開といっていい美しい桜の開花が見られた。
 
 満開の桜の下には今晩行う宴会の場所取り青ビニールシートが敷かれてあるところが目立つ。また、すでに小規模な宴会?を始めているグループも見られる。桜咲く世界遺産の姫路城とあって、ウイークデイの午後5時にもかかわらず、観光客で賑わっている。
 
 姫路城の改築工事は平成21年に開始し、来年(平成27年)3月まで続くようだ。昨年の姫路城は厚い工事用壁で覆われていたのに比べ、今年はお城を覆っているその壁が網状に変わり、うっすらとお城の姿が見られるようになった。今年中には、その網状の覆いもはずれ、来年には美しい姫路城の雄姿が見られるものと思われる。そして、3月になると姫路城の改築工事が終わり、お城に登ることができるであろう。そのため、来年も講義依頼があれば、美しい姫路城の姿をこの目で見てお城の内部に入ることができるので楽しみだ。
 
 明日は桜咲く姫路城の直ぐそばにある姫路医療センター付属看護学校で講義だ。看護学生に役立ち、よく理解でき、分かってもらえ、その上楽しい講義を行うつもりでいる。【2014.4.9】
 
写真1:姫路駅からの見た改築工事中の姫路城
写真2:姫路城公園入り口から見た改築工事中の姫路城
写真3:近づくとまだ改築工事中のお城の様子がよくわかる
写真4:まだ午後4時半というのに、夜桜の宴会が始まりかけている
 
2014年4月9日 アパホテル姫路北にて記す