森政弘先生は、ロボット博士と言われ日本のロボット工学の先駆的な先生でNHKのロボコンを立ち上げた先生でもある。その森政弘先生が米寿を迎えられ、4月13日(月)、“森政弘先生の米寿を祝う会”が「銀座アスター ベルシーヌ竹芝店」で開催された。
私は昭和49年〜昭和62年まで、東京工業大学(東工大)工学部制御工学科の教授であった森政弘先生の助手として研究室の研究補助や教授と学生とを結ぶパイプ役を務めていた。私の在職中に学部生、大学院生(修士、博士)合わせて73名にもおよぶ皆さんが森政弘先生の研究室(以下“森研“と呼ぶ)でロボットに関わる研究を行って学部を卒業、あるいは大学院を修了して行った。
森先生は昭和33年〜昭和44まで東京大学、昭和44年〜昭和62年まで東京工業大学教授であったので、私がお世話になる以前の東京大学時代と東京工業大学時代の卒業生もいるので100名上回る学生の研究・教育指導を行ったことになる。
思い起こすと東工大の森研に所属する学生は、森先生をあこがれ東工大を受験し研究室に配属になった学生がほとんどである。しかし、入学ができ制御工学科に入れても、森研究室(森研)に所属できるかどうかの保証はない。それほどに人気のある研究室であるから希望者が多く、毎年研究室配属の時期になるとじゃんけんやくじ引きを行って研究室配属を決めていた。学部生で森研に入れなかった者が大学院で森研を希望し研究を行うという学生もいた。他大学の学部を卒業し、大学院は東工大森研でロボット研究したいという学生も大勢いた。
私がお世話になった初期の頃は、記憶が定かでないが学部4年生配属者定員が4〜5名、大学院修士が1,2年生合わせて6〜8名で、博士が3名所属していた。研究室には合わせて、十数名が毎年森研に所属し、ロボットに関わる研究を行っていたと記憶する。
なにしろ、森先生の研究テーマは面白くユニークなので多くの学生はあこがれる。「人が他で行っていない研究をする」「論文には参考文献を書くが、自身が書いた論文には参考になる文献がないような研究をする」「社会的にアピールする研究をする」というような研究指導がある。そのため、他では行っていないロボット研究テーマばかりであるから非常に難しい。思い出すままに当時の研究テーマを述べると以下である。
- 「群れ作りロボット」:ばらばらに動いていたロボットが接触すると他のロボット達が集まり群れを造る。
- 「無中枢ロボット」:ランダムに動き回るロボットだが、なにか事が生じると集まってきて協力し合うロボット。この研究では、ヒトデの動きにヒントを得るべくヒトデを飼ってその動きを観測していた。
- 「2足歩行ロボット」:当時は2足で歩くロボットはないので歩けば博士論文。研究の当初、鳩を飼って鳩の歩行を観測していた。
- 「4足歩行ロボット」:犬や馬などの動物を真似たロボット。
- 「6足ロボット」:6足昆虫を模擬したロボットで不整地を歩ける。
- 「カメレオンロボット」:接触すると背中の色が変わるロボット。
- 「渦巻きロボット」:ねじ状のロボットで塩ビの太い円筒に巻き付きねじのように回転しながら前進するロボット。2体が正面から向き合うとねじのようにお互いがくぐり抜けることができる。
- 「サイバネティックモーション」:人や動物のなめらかな動きを抽出し、その動きをロボットに応用する。
- 自然力ボートの研究1:川の流れエネルギーを活用し、エンジンもオールもなしでボートを渡河させるボートの開発研究。ネパールでこのボートを実用化させる。
- 自然力ボートの研究2:川の流れのエネルギーで川を遡るボートの開発研究
私も研究テーマをいただき、上記のサイバネティックモーションの研究を行い何編かの原著論文を書いた。もう少し頑張り、このテーマで博士論文まで持って行けたらと願っていた折りに、KJ法の川喜田二郎先生から森先生のところに上述した「自然力ボートの研究」依頼が入った。この研究は、ネパールの技術援助であって、ネパールの河川で川のエネルギーを使って、川を渡ったり遡るボートの研究である。
我が家の前に不老川という小さな川がある。その川でたこ糸を板きれに結び、流れにおいたところ、1mぐらいの川幅を渡ることができた。それ以来、浮く物なんでも渡せないかと小さなモデルボートは自宅前で、少し大きいものは入間川や名栗川で、渡河の可能性が確実になってからは、森研の主森政弘先生はじめ自然力ボートを研究テーマに選んだ学部生や修士の学生と一緒に利根川、天竜川などへ出向いて実験を繰り返し、ネパールでの実用化を目指し研究を行った。名栗川あるいは天竜川で行った実験には森先生、川喜田先生も参加されたことがある。
ネパールの川はものすごいぞと南極越冬隊長の西堀先生や川喜田先生からのコメントを頂いたので、台風が近づき川の流れが激しくなったころを見計らって、利根川と天竜川へ出向いて実験したこともある。利根川で夏テントを張って泊まりがけで実験を行った折には、突然の大雨にあい試作ボートが流され呆然としたこともあった。
人を乗せた初期のころの自然力ボートは、魚のひれを模擬した板を船底に取り付けたゴムボートであった。そのゴムボートをネパールへ運び、現地河川の様子を知ることとゴムボートでどの程度の成果が得られるかの予備実験を行ったこともある。その後、ヤマハ発動機の支援を得て、プラスチックボートの製作技術を日本で習得した。プラスチックやガラス繊維など原材料をネパールへ空輸し、1ヶ月かけて現地の川原で自然力ボートを製作した。そのボートは、流れを利用し100mぐらいの川幅を渡河出来た。ネパールの川の名前はスンコシ川、設置場所はカトマンズとポカラの中間にあるガトベシというところである。現地で製作したボートがうまく機能したため、現地住民にそのニュースが伝わった。そのため、夕方暗くなるまで乗せて欲しいと住民の行列ができるほどの賑わいであった。この様子は、現地の新聞やテレビでも報道された。この自然力ボートの研究テーマで2名の卒業論文、2名の修士論文、1名の博士論文を仕上げることができた。
森政弘先生の米寿をお祝いする会では、祝賀会がはじまる前に「正反対の二種類の頭が必要」と題された先生の講演があった。その概要は以下のようである。
(1)陽の頭 現在養われている
知る(理解、知識)、言葉で伝わる、メモリ内容増加、作業エリア減、思考が衰える、哲学がない(秀才)
(2)陰の頭 今後の教育に絶対必要
気づく(ピントくる、知恵)、体験で味わう(情報化により減退)、直観力が出る、発明・発見・創造(天才)
“知ること”も大切だが、“気づくこと”も大切である、車を走らせるためにはアクセル,止めるにはブレーキが必要、このように陽の頭と陰の頭が必要で、とくに今後の教育には陰の頭の必要性を強調された。
森研はもう存在しない。森先生の教え子から何人もの教育者が誕生し、企業で大活躍している卒業生も多い。ホンダのアシモ製造には森研出身の一人が大活躍した。彼は博士論文を目下作成中であると聞く。大型コンピュータ、パソコンが世の中に出始めた初期のころに自動制御、ロボットに関わる研究を開始し、そのテーマが前述のように面白い。だが設計・製作するにはかなりの困難を極め、研究室は毎日不夜城となって研究を行っていた。私も当時しばしば終電で帰宅した覚えがある。研究室に在籍した学生達は、なんとか動くロボットを作り上げ、それなりの工学技術を身につけ全員が無事卒業あるいは修了していった。その卒業生達が今回一同に集まり、森政弘先生の米寿を祝った。
以上のようにユニークな研究室「森研」に13年間お世話になったおかげで、他人がやらないことをやる癖がついた。そのお陰で、今の私があると森政弘先生に大変感謝している。
森政弘先生米寿をお迎えおめでとうございます。これからも健康であられることを祈願いたします。【2014/04/13】
写真1:会場である「銀座アスター ベルシーヌ竹芝店」17階からの眺め
写真2:森政弘先生の講演風景
写真3:“森政弘先生の米寿を祝う会”の会場風景
写真4:参加者全員の記念写真
2014/04/17 旭中央病院ゲストルームにて記す