まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2025/09/28 11:27:47|老々介護について
39.【孫娘たちは優れ者!】
 今月は、九州佐賀に住む孫娘に会える月である。不自由な足の鑛一、不自由な目の真喜子がなぜ九州まで行くのかと言うと、過去7年間ハワイ・ロングステイをした時に溜まったANAマイルが約6万マイルもあり、そのマイルを無駄にしたくないからである。また、九州佐賀には大学受験を控えた孫娘と中学入学した孫2人いるため、来年の正月は私の次男が孫娘をつれ実家埼玉に帰省することはできないことが分かり、こちらから会いに行くことにした。忙しい次男の仕事の都合もあるので、日程調整ができるか心配であった。我々夫婦が佐賀の家に行く日を日曜日にすれば孫たち及び息子夫婦に会えると思い、日曜日を含む3泊4日で九州の旅をする計画をたてた。
 11月12日(日)に出発して、15日(水)に帰る予定で出掛けた。またまた、15日(水)はデイサービスの日であったが、その日は休んだ。
 上の孫娘は今年高校3年で来春受験、下の孫娘は入学したばかりの中学1年である。上の孫はパパが福岡にある西南学院大学商学部の学部長をやっていることもあり、パパの大学を志望している。将来は、英語を使う職業に就きたいというので、私がなにかサジェスチョンを与え、励ましてこようと考えている。パパの大学は、クリスチャン系で九州の慶應大学とも言われ入学が難しく、英語に力を入れている大学である。入試に合格することを祈っている。
 下の孫娘は、中1であるが1学期の成績はオール5だという。2学期も1学期同様オール5の成績、私の中学成績とは真逆の人間で驚くばかりの勉強家である。そこで、今回会ったとき、3学期ともオール5を取れたら何か欲しいものをプレゼントすることを約束した。3学期ともオール5を取れるようなら素晴らしいことだ!!!。このように出来の良い孫たちに佐賀で会えるのは、今回の旅が最後かと思うので、彼女らを激励してくる。
2023年11月1日(水)
 
 







2025/09/27 13:32:19|老々介護について
38.【都内のホテルに泊まり旅気分を味わう!】
 新型コロナウイルス蔓延は2020年から始まった。同じ頃、私は軽い脳梗塞を発症し、旅に出ることはほとんどなくなった。特に最近は妻真喜子の片目がほぼ失明状態になり歩行が 難しくなった。それに加え私も歩くことが難しくなった。そのため、旅という旅はほとんど出来なくなった。そこで考えついたのは、以下に述べる仮想旅である。この仮想旅というのは、窓から見える美しい外の風景と夜景が楽しめるホテルに宿泊し、旅に出た気分になり、美味しいホテルの食事を食べることである。
 仮想旅は隅田川が眼下に見落とせる高層階ホテルに宿泊し、ホテルの食事と窓からの風景を楽しむことができ場所である。旅に出かける条件は、窓からの眺めが素晴らしく高層階で駅から近くにあるホテルである。私はアパホテル会員なので、ホテルから宣伝メールが送られてくる。その広告で両国駅から至近距離にある「アパホテル&リゾート 両国」という31階建てのタワー型アパホテルが目にとまった。広告によると部屋から隅田川が眼下に見え、都会の景色も楽しめ、大浴場もあるとのこと。
 2023年10月23日(月)一泊し、24日に自宅に帰るという一泊2日の仮想旅を計画し出掛けた。このホテルの30階に宿泊し、部屋から眼下に見える隅田川の風景や高層ビル街の写真を撮った。窓からは手前に蔵前橋、遠方に厩橋(うまやばし)が見える。部屋はアパ仕様で快適だが狭く、ベッドと机の距離は短く、座ると窮屈であった。
 高層階からの眺めは、山の頂上でのんびりするような気分になるので、ホテル高階で夜景をのんびりと眺めるのもよいと思い駅に近いこのアパホテルに泊まり、旅の気分を味わった。
 窓から見える夜景は、とても素晴らしく夫婦で大満足であった。しかし、トイレは前傾すると壁に頭がつくほどに狭く、手すりがないので立ち上がりに不便であった。その他、500mlペットボトル2本のサービス、テレビのサイズは狭い部屋の割には、大きいサイズで見やすかった。ただし部屋が狭いので近くで見ることになり、目には良くないと思った。移動は入間市狭山ヶ丘駅から西武池袋線で池袋駅、山手線に乗り換え新宿駅、もう一度総武線に乗り換え両国駅に行った。ホテルは駅前にある。
 最近は自宅を離れ、旅に出ることは全く無くなったので、今回の仮想旅でも十分満足できた。
2023年10月25日(水)







2025/09/26 0:20:41|老々介護について
37.【ロコモって何?!】
10月13日(金)演題「まだ間に合う!ロコモを知って寝たきり予防」という講演を東町地区センターで聴講した。講師は原田病院整形外科医師 中村正先生である。ロコモということを聞いたことはあるが、内容は全く不明であったので今回聴講して、ロコモは健康寿命を延ばす手法であることがわかった。
 ロコモとは、ロコモティブ・シンドロームの略称で、運動器障害のため移動機能の低下をきたした状態のことである。足や手の骨、筋肉、関節、神経など運動器に障害が起こり、歩行や階段昇降などの日常生活に支障をきたしてしまう状態である。講演は、ロコモの要因となるものとして「肥満、痩せすぎ、どちらも注意」「痛みを放置していませんか」「骨が弱くなっているかもしれません」などの話から始まった。日常生活の場面で思い当たる「ロコモの危険性に気づくための7つの自己チェック」、それにロコモかどうかを判定するロコモ度テスト「ロコモになる可能性を判断するテスト」の説明もあった。
 上記のロコモ度テストには、下肢筋力判定方法(立ち上がりテスト)、歩幅判定方法(ツウ・ステップテスト)、身体状態・生活状況判定方法(ロコモ25の質問に答える)があり、その判定方法についての解説もあった。
 私が特に興味を持ったのは、ドコモ25テストである。例えば「階段の昇り降りはどの程度困難ですか」「急ぎ足で歩くのはどの程度困難ですか」など25の設問に対し、5段階評価(困難でない〜ひどく困難の5段階)で答える。判定方法は、困難度の点数(0,1,2,3,4)とその点数の数でロコモ度1、2、3が決まる。私の場合、一番良くないロコモ度3で、「移動機能の低下が進行し、社会参加に支障をきたしている状態」であるという判定であった。
 今回の講演を聴き、自身のロコモ度が悪いことが判明したので、体力をつけ転倒予防に気をつけなければならないことがよく理解できた。運動型デイサービスを受けるリラクサイズ武蔵藤沢に参加し運動メニューを真面目にこなし、ロコモ度を良い方に下げる努力をする必要がある。
     2023年10月18日(水)







2025/09/25 23:19:06|老々介護について
36.【読書内容の夫婦共有はうまくいっている!】
 今、和田秀樹著「どうせ死ぬんだから、好きなことだけをやって、寿命を使い切る」の内容を眞喜子と共有するため、読み聞かせしながら一緒に読んでいる。70頁ほど読み進んだところである。その中に「もしも急に死んでも恥ずかしいことが何もないような生き方をしていたら、ピンピンコロリンで元気なうちに急死するのも悪くないかもしれない」という一文がある。「突然死を避けたい理由は、多少は死の準備をしておかないとまずいことがいくつかあるため」とのことである。本書のこの先にはまだ死を考えるために参考となる文が沢山でてきそうなので、二人だけの音読読書会を定期的に実施し、上記した本を読み終えたいと思っている。
 鑛一は親が小売酒店の長男、真喜子は親が教員の長女として戦前に産まれ、戦争のことや戦災を若干経験している。家庭に恵まれ、家族が健康で、これまで苦労はしたもののそれなりの学問を身につけてもらった。鑛一は、2年後に88歳(米寿)を迎え、真喜子も3年後に米寿を迎える年齢になる。今日まで苦しい時期もあったが、両者ともおおむね健康に恵まれ、楽しい人生を歩むことができた。両親より長生きもできたし、思いもしなかった卒寿(1935年生れ、90歳)が1年8ヶ月先に迫る年齢まで生き延びた。二人とも年齢90歳の壁を突破できそうだと眞喜子(1938年11月生れ)とよく話し合っている。ひょっとしたら100歳まで生きていられるかもしれないという細やかな希望をもち続け、この先の人生を楽しもうとよく話し合っている。「やることなすこと」を真面目に一生懸命に行っていれば、「ピンピンコロリ」は達成できるものと信じ、毎日の生活を楽しんでいこうと思っている。
2023年10月11日(水)







2025/09/22 6:27:40|老々介護について
35.【読書内容の夫婦共有はうまくいきそう!】
  先週のお知らせレポートで、字が読めなくなった妻真喜子に本を読んであげ、その内容を共有することを彼女に提案した。その本の題名は「どうせ死ぬんだから、好きなことだけをやって、寿命を使い切る」である。彼女は右目が失明同様、左目は裸眼視力0.2と悪い状態になったため、家事全般に手抜きが目立つようになった。転倒の恐れを抱くようになってから歩行速度が極度に遅くなった。また、テーブルに置いてあるものを掴む場合、盲人の方が手探りで物を掴むような行動を取らないと、そのものを上手に掴めない振る舞いをするようにもなった。
 子供が生まれる前までは、彼女は幼稚園の教諭で働きながら子育てをした(子供達は鑛一の母が眞喜子不在中は面倒をみた)。しかし、その子供(長男)が小学生になったら仕事を止めるという話し合いはしてあった。実際、長男が小学校入学と同時に教諭は止めた。その後、長男、次男、そして長女の3人の子供たちを育てあげ、長男は大学院修士号、次男は大学院博士号、そして長女は学士号を取得した。現在、長女は主婦業に専念、次男、長男は社会で活躍している。このように3人の子供たちを無事に育て上げ、安心して学校へ行かせ高学歴を身につけられたのは、妻眞喜子が病気をせず健康であり同時に子育てに専念できたお陰だと感謝している。3人の教育費はどうしたかというと、もっぱら鑛一が昼は大学教員、夜は専門学校非常勤、それに家庭教師を行なった。それでも不足したので勤務先から借入れし、子供達の教育はなんとか終えることができた。
 妻眞喜子は右目が緑内障、左目が白内障を患い不自由な身になり、両目とも手術をした。しかし、痛みや後遺症はないが、視力は良くなっていない。一緒に生活していて、これが元気であったころの真喜子と同じ人なのかと思うと可哀想でならない。
 この先短い人生をおくるにあたり、共通する話題である和田秀樹著「 好きなことだけやって寿命を使いきる、どうせ死ぬんだから」を私が音読すると彼女もその音声で本の内容が理解できる。そのため、私ども二人の生活に張りがでることと考え音読の実行を開始したところである。
 現在247頁中の46頁まで約1/5ほど読み終えている。「どうせ死ぬんだから。好きなことをやり尽くそう」「今日生きていることがすごくラッキー」「死にたくないと思うほど“人生の幸福度”は下がる」「死ぬ瞬間は痛くも苦しくもない」「ピンピンコロリンがいいか、がんで死ぬのがいいか」……などがこれまでに読んだ内容である。今月(10月中)中には、本書の音読を終える予定にしている。
2023年10月4日(水)