まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
太平洋航空博物館パールハーバー

  戦艦ミズーリ見学の次は、アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)へ。この記念館は戦艦アリゾナが日本帝国海軍の真珠湾攻撃によって多くの犠牲者をだし、戦艦が沈没したその慰霊施設である。慰霊施設へは船でしか渡れない。この施設へはシャトルボートでしか行けない。
 
 シャトルボートで慰霊施設へ移動する前に、陸地にあるアリゾナ記念館内で戦争の悲劇を写した記録映画を観る。記念館には真珠湾攻撃の資料が展示されている。そこを見学した後、シャトルボートに乗ってアリゾナ記念館の慰霊施設へ渡る。この施設は、1941年12月7日(日本では8日)日本帝国海軍の真珠湾攻撃で、1102名の乗組員戦死者と撃沈された戦艦アリゾナを追悼する慰霊施設である。慰霊施設の真下海中には戦艦アリゾナが沈んでいる。この場所は海上にある大きな共同墓地で、上述の死亡した1102名の氏名が明記されている。アリゾナ記念館が建設されたのは1962年で、毎年100万人の人々が訪れているという。
 
 慰霊施設内は何もない空間でただ、戦艦アリゾナで亡くなって乗組員の氏名を記した慰霊碑があるだけである。しかし、この慰霊施設の真下には日本帝国海軍によって撃沈させた大きな戦艦アリゾナが沈んでいるかと思うと複雑な気持ちでこの場所に立つ。訪れた人達は、慰霊施設から周辺の海上を眺め直ぐに陸へ戻ることになる。シャトルボートは2隻で往復しているので、到着したボートの客が下船すると入れ替わるようにしてボートに乗って帰る。慰霊施設から帰るシャトルボートからは慰霊施設全容とその周辺に停泊している各国の軍艦がよく見える。航空母艦も停泊中で、このような近い距離で大きな航空母艦を見たのは初めてである。
 
 陸に上がるとこんどは、太平洋航空博物館パールハーバー見学である。アリゾナ記念博物館からこの太平洋航空博物館まではツアーバスで移動する。太平洋航空博物館は格納庫展示と博物館展示があり、両者に第二次世界大戦当時の航空機が保管されている。博物館には、最近観たばかりの映画「永遠の0」に出てくるゼロ戦他が展示されている。この飛行機は、きれいに保存されていて今でも飛べるということを聞いた。
 
 このようにして、ホテルを6時50分に出発し真珠湾ツアーを行い、12時半ツアー終了しホテルに戻った。4時間という短いツアーであったが、小学生低学年であった子供の頃の戦争の状況をほんのわずかだが思い出す。悲惨な戦争の一時期を子供ながらに体験した者にとって今回のツアーは有益であり、戦争は決して起こしてはいけないことを理解できるツアーであった。【2014.7.2】
 
写真1(a) 戦艦アリゾナが沈んでいる慰霊施設へはこの船で往復する
写真1(b) 前方の白い建物が慰霊施設
写真2(a) 戦艦アリゾナが沈んでいる真上に立てられた慰霊施設
写真2(b) 慰霊施設の内部。前方の幕ないに死亡した1102名の氏名が記されてある
写真3(a) ARIZONAと明記された真下に日本帝国海軍により撃沈されたアリゾナが沈んでいる
写真3(b) アリゾナ慰霊施設周辺には多くの軍艦が係留されている
写真4(a) 航空母艦
写真4(b) ゼロ式戦闘機
 
2014.7.10 自宅にて記す







2014/07/09 18:55:41|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
戦艦ミズーリで見たもの

  戦艦ミズーリの長さは270m、幅は33m、排水量は満載で58,000トンとかなり大きく、乗員も士官、兵員合わせて1851名が乗船していたという。
 
 戦艦ミズーリは昭和19年1月に進水式を迎え、その後、第二次世界大戦では主に太平洋を中心に活動。昭和19年12月にパールハーバーに寄港、昭和20年2月には硫黄島上陸作戦を支援、3月には沖縄での攻撃作戦、4月には沖縄上陸作戦で海上から砲撃を行う。4月11日、初めて1機の特攻隊戦闘機の攻撃を受け、その戦闘機はミズーリ右舷甲板後部に衝突し機体は炎上しパイロットは死亡した。そのとき受けたという右舷甲板後部の破損痕跡が保存されている。この時死亡した特攻隊戦闘機のパイロットの葬儀が戦艦ミズーリ上で行われ、手厚く葬られた様子を示す写真を艦上で見ることができる。
 
 昭和20年8月に第二次世界大戦降伏文書調印式のため戦艦ミズーリは東京湾に入った。翌9月、艦上で連合軍側と重光葵(まもる)全権率いる日本政府代表との間で降伏文書調印式が行われた。降伏文書調印が行われる直前までマッカーサー元帥がいたという司令室、調印が始まるというので階段を下りたというその階段が今でもそのままになっていて戦艦ミズーリ見学者が自由に上り下りできる。また、調印が行われた甲板にも調印した場所を示す円形の印がつけられている。
 
 戦艦ミズーリ記念館に入ると、戦艦ミズーリのTour Mapが配布される。それには、上述の戦艦ミズーリの歴史、艦内のみどころとして艦首、主砲、セカンドデッキ、神風特攻機衝突跡、航海艦橋/装甲艦橋(司令塔)、降伏文書調印会場などの詳しい解説が載っている。
 
 ここに示す写真は戦艦ミズーリを見学すると、実際に入室できる航海司令塔、間近に見える巨砲、マッカーサー元帥が下りてきた階段の昇降、降伏文書調印式の場所、それに調印式の様子を示す様々な写真を見ることができるので撮影したものである。【2014.7.2】
 
写真1(a) 戦艦ミズーリ上で調印するマッカーサー元帥
写真1(b) 降伏文書調印が行われた場所
写真2(a) 調印が始まる直前にマッカーサー元帥が下りてきた階段を下りるMakiko
写真2(b) マッカーサー元帥が下りた階段と知りそこを下りると緊張を覚える
写真3(a) 司令塔内の海図を見るMakiko
写真3(b) 司令塔内の各種司令用計器
写真4(a) 戦艦ミズーリ上の日本政府代表団
写真4(b) 降伏文書調印式を見守る大勢の戦艦ミズーリ乗組員
 
2014.7.9 自宅にて記す







2014/07/07 19:37:05|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
戦艦ミズーリ見学

  ホテルにチェックすると各種ツアーがあることの説明がある。その中に「Peal Harbor Historical Tour($104):真珠湾歴史ツアー」」と「Atlantis Submarines Premium($129):観光用潜水艦による水中散歩」が目についた。今回のツアーは航空機とホテル、それに空港からホテルまでの送迎だけのツアーである。滞在中の観光は自身でプランを立てる必要がある。
 
  着いた日は寝不足と時差ぼけでツアー参加は難しい。日中使える日は、わずか2日間である。この2日間を効率よく楽しむためにはツアーを使うのが得策と判断し、上記ツアーを申し込んだ。
 
  ワイキキを起点にすると真珠湾(Peal Harbor)は、ホノルル国際空港の先にあって、ワイキキから約20q離れたところにある。参加した真珠湾歴史ツアーは、早朝(6:50AM)まずホテルまで迎えがあり、パールハーバーへ向かう。ここにあるボーフィン・パークで人間魚雷や大戦中に使われた各種の兵器を自由見学。そして、戦艦ミズーリ、アリゾナ記念館、太平洋航空博物館パールハーバーを見学する予定だ。
 
  終戦は小学4年生のとき迎えた。そのため、話しで真珠湾攻撃を昭和16年12月8日に行ったことは詳細不明だが聞いている。それに、昭和20年3月9日の夜のB-29爆撃機による東京大空襲で亀戸の実家を焼かれ、両親は2人の弟をつれ濡らした布団を頭にかぶり火の粉をくぐって言問橋下まで逃げたということも聞いている。私はといえば集団学童疎開で山形県小野川温泉(高砂屋旅館)にいたので東京大空襲で家が焼かれ逃げ惑った体験はしていない。当時小学校3年生であったので、疎開児童の中では最小学年であった。親元を離れ集団学童疎開で寂しい思いをしたことは克明に覚えている。終戦を迎えるまでの1年間山形に疎開し、東京に戻ったら自宅は消失していた。
 
  疎開先ではよく「いざこいニミッツ・マッカーサー、でてくりゃじごくにつきおとす・・・・・・」とだれに教わるということもなく、口ずさんでいたことを記憶している。そのニミッツとは、第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官および連合軍の中部太平洋方面の陸海空3軍の最高司令官として日本軍と戦った人物だということがここ真珠湾ツアーに来てわかった。一方のマッカーサーは、陸軍元帥で第二次世界大戦後に日本を占領した連合国軍の最高司令官である。昭和20年9月2日、戦争終結のための調印式が戦艦ミズーリで行われた際の連合国代表をつとめる。その戦艦ミズーリの甲板に私とMakikoは今ここにいる。
 
  映画「永遠の0」を2回も観た。そのゼロ式戦闘機がこの戦艦ミズーリに始めて特攻戦闘機として攻撃をし、左舷甲板部に破損させた箇所が残されている。戦闘機乗員はその場で戦死したが、ミズーリ乗員に手厚く葬られたという感動的な説明があった。その時の葬儀の様子を示す写真もここには展示されてある。【2014.7.2】
 
写真1:(a)博物館戦艦ミズーリへ向かう人々 (b) ボーフィン・パークに係留中の潜水艦
写真2:(a)人間魚雷 (b)対空砲
写真3:(a)ニミッツ太平洋艦隊司令官の銅像 (b)水兵さん達に囲まれてご機嫌のMakiko
写真4:(a)戦艦ミズーリの巨砲 (b)真珠湾に各国の軍艦が集まっていた
 
2014.7.6 自宅にて記す







2014/07/01 21:09:53|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
3泊5日ハワイホノルルツアー

 2014年6月30日(月):9時ホノルル到着。HISツアーディスクの出迎えあり。出迎えの車にてヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパへ。ホテル内の事務所(LeaLea)へ案内され、ビレッジ内の説明を受ける。チェックインが午後3時なので、それまで自由時間。荷物は部屋へ運んでくれるとこと。今回の旅は、3泊5日の短期ツアーだから、終日フルに楽しめるのは2日間しかない。6月30日も有効に使えそうだが、この日は移動でくたくた、それにチェックインの手続きが必要なのでほとんど使えない。7月3日朝7時半にはホノルルを去るので、有効に終日使える日は7月1日と7月2日しかない。
 
 徒歩でアラモアナ・センターへ、そしてHonolulu Satellite City Hall へ出向く。ここで7月分のバス・パスを$5で買う。これで7月中のTheBusは乗り放題だ。例えば、どこかへ1往復すればそれで$5はかかるので、市内を何回でも乗れるバス・パスは割安である。アラモアナ・センターにてHawaiian Quilt CorrectionsのHirokoさんを表敬訪問する。9ヶ月ぶりに会え、Makiko大喜び。今回は短期滞在なのでハワイアンキルトのお勉強はできないが、ただ、お会いしただけでうれしい。
 
 フードコートで日本蕎麦を食べる($8.5)。ここの日本蕎麦は結構おいしい。蕎麦を食べ終わり、フードコートでコーヒーを飲んでいたら、隣に2人の若い女性が座る。写真を撮るのでシャッターを押してやったことから会話が始まる。札幌の看護大学を卒業した仲良しのようで、看護師さんと助産師さん。長い間看護学校で学生さんたちと接触している関係で何となく看護師さんの雰囲気が読み取れるので聞いたら大当たり。30分ほど会話を楽しみ、彼女らは明日帰国だというのでここで分かれる。
 
 我々はまだチェックインまで2時間もあるので、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパへ戻り、このホテル内にあるHISツアーディスクで、滞在中のツアーの予約をする。7月1日は真珠湾ツアー、2日は潜水艦に乗って海中散歩の予約を。そうこうしている間に3時となったので、チェックインカウンタへ出向く。ツアーであるからあらかじめの予約ができている。パスポートとクレジットカードを提示し、ダイヤモンド・ヘッド・タワーという建物の887号室のキーカードを受け取る。このとき受け取った封筒には、WiFi用のIDが書かれてある。このIDがあるとホテル内どこでもインターネットがつながる。
 
 夕食はここヒルトン・ハワイアン・ビレッジとイリカイ・コンドミニアムの中間に位置する日本食レストラン誠心で海鮮丼($25)。非常においしい。この店の女将から痩せるためのレシピを教わり、Makikoそのレシピをメモし帰国したら実行してみると張り切っている。
 
 こうして、6月30日成田を午後9時に出発し、約8時間の飛行でホノルルに同日の朝8時に着いた。機内ではよく眠れなかったので眠い。夕食を食べ、シャワーも浴びずに寝る。夜中の12時に眼が覚め本文を書いている。今、ホノルル時間で午前2時10分過ぎ。【2014.6.30】
 
写真1:懐かしいヒルトン・ハワイアン・ビレッジのラグーン
写真2:ビレッジから観た景色
写真3:ホテルからダイヤモンド・ヘッドが見えた
写真4:フードコートで日本蕎麦を食べる
 
2014.7.1 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパにて記す
 







2014/06/29 23:59:59|小さな旅の思い出
みなとみらい会

  「みなとみらい会」というのは、LSC(ロングステイクラブ)の支部の一つで神奈川県、特に横浜をベースに活躍しているLSCである。6月14日(土)10:30〜12:30より、横浜文化体育館の一角にある平沼記念レストハウスで、Eさんが外国で病気になられた時の貴重な体験談が聴ける講演があるというので、出席した。演題は「旅行先での突然の病気・怪我に備える」というもので、大変貴重な話しが聴けた。
 
  以下は、講演時に配布された資料に記された貴重なコメントである。海外旅行をするものにとって本講演はとても参考になった。
◎かかりつけの医師(ホームドクター)(氏名、住所、電話番号、メールアドレス、専門分野など)の情報
◎海外旅行保険の契約書・保険証、その他の任意保険の契約状況を証明する資料
◎クレジットカード(VISA、Diners、AMEXなどのゴールドカード)の携帯
◎持病および治療中の病気に関する資料(病名、治療機関、治療内容、服薬状況など具体的な情報)
◎現在の旅行、滞在に関する資料(旅行スケジュール、航空券、宿泊先の住所・名称・部屋番号、同行者名など)
◎病院は外国ではビジネスだということを認識すること
◎病院側は食い逃げされないよう事前チェックが厳しい(支払い条件、支払い能力など)
◎病院、主治医の判断に従うべき旨の誓約書にサインする
◎病室、治療方法についてドクターと交渉ができる(英会話能力、医療知識、専門用語に精通していない限り、主治医、病院側の言いなりになるしかない)
◎支払い能力がない場合、医療費が低額または無料のWhite Hospitalに行く。患者でごった返していて現実にはいつ治療が受けられるかわからない。
◎病気・事故は基本的には自己責任によるものだということを肝に銘ずるべき
◎カード保険でカバーできるもの:タクシー代、ガソリン代(上限40$)、入院などによる飛行機の変更料、駐車場料金、医療業務のための通訳料
◎その他保険でカバーできるもの:上記以外のものもあるが事前に保険会社の了解が必要。立て替えて後日還付を受けることができる(書類手続きが非常に面倒)
 
   講演終了後、平沼記念レストハウス内の講演会場で参加者と一緒に各自持参のお弁当を食べる。食べながらの会話で話しが弾む。その後、山手西洋館めぐりを開始。外交官の家→ブラフ18番館、外人墓地周辺を見学した。皆さんは横浜市イギリス館へ行ったが、我々夫婦は自宅まで遠路であることと、疲れたので、イギリス館手前で皆さんと別れ地下鉄みなとみらい線「元町中華街駅」に向かった。丁度よいことに、この駅より西武池袋線小手指まで行く特急がやってきた。乗り換え1回で自宅最寄り駅の狭山ヶ丘駅に帰ることができた。
 
  昨日は東急ハンズ新宿での紐の買い物と叙々苑の焼き肉、今日は、貴重な講演と横浜山手西洋館巡りを行った。1泊2日で美味しい食事と楽しい会話、有意義な講演と山手西洋館巡りと2日間にわたり有意義な日々を過ごすことができた。健康で元気で過ごせることは有り難い。【2014.6.14】
 
写真1:平沼記念レストハウス内での講演会場
写真2:山手西洋館巡りに出発
写真3:素晴らしい眺めの外交官の家
写真4:外交官の庭とそこから見える横浜のビル街
 
2014.6.29 自宅にて記す