まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2014/09/16 5:10:06|研究・教育の思い出
まだ、半分現役!

 1度目の定年退職後、そのまま同じ職場にとどまり減額給料で10年を過ごした。その後、早いもので10年の年月が早くも過ぎた。しかし、有り難いことにその間も非常勤講師の依頼があり、いまだに教壇に立っている。その一方で、現役時代から一緒に研究していた仲間の研究をお手伝いする形でいまでもその研究は続いている。さらに、たまに頼まれる雑誌や本の原稿依頼もあるので、のんびり過ごす暇はないのが現状である。
 
  看護専門学校の非常勤で講義している科目は「人間工学」である。この人間工学は、安全で使い易い商品デザイン・製造、あるいは安全で乗り心地の良い乗り物のデザイン、製造の分野で発達してきた。看護では物は作らない。しかし、なぜ看護の分野で人間工学が必要かというと、重い患者を移動・移乗するので腰痛を発症することが多いので、その予防対策に人間工学的考えが必要とされる。そのため看護業務で起こす腰痛発症の原因を調べ、その予防対策について長い間研究を行ってきた。その関係で看護大学と看護専門学校とのつながりができた。看護大学では非常勤講師にも定年があるので、70歳半ばで講義は終えた。しかし、看護専門学校では、元気であって自力で学校まで行け、それに大声でしゃべれれば講義は出きるので、今のところ4つの学校から毎年非常勤講師の依頼があり出かけている。
 
  本務があったころは、思うような講義の補助教材を作成出来なかったが、いまでは、それなりの暇もできてきたので、看護師の腰痛発症の原因にもなっている前屈で重量物を持ち上げるときに腰にかかる大きな力を目で見えるようにした腰痛モデルを作成した。また、人間は重心移動で転倒するので、人型の紙人形を作り起立時や前屈時の重心位置を求めるモデルも作り演示している。水の落差で勢いが変わる点滴モデルも作ったりもしている。こうした試作モデルと人間工学、看護動作とを結びつけるような話しを講義の中でしている。高校で物理を履修していな学生がほとんどなので、こうしたモデルを見て触ってもらうと大変感動し、喜んでくれる。
 
  今年は、講義人間工学の中にKJ法によるアイディアのグルーピング法を試みに講義にとり入れてみた。その結果、学生は楽しいといい、得られた結果は手短にアイディアの収集ができるのでとても便利だともいう。他の授業で「がん告知」という難しい課題で行き詰まり、KJ法を思い出し解決した、という嬉しい連絡をKJ法の講義終えて間もない頃に受けた。人間工学という講義の中の3コマを使ってKJ法の解説と実践を行っただけなのに、早速活用し成果を挙げた例である。

  そこで、授業で展開したKJ法によるアイディアのグルーピングの手法と教育効果、それに実践方法について「講義“人間工学”にKJ法を取り入れた教育効果について」と題し、第22回看護人間工学部会研究発表会(常翔学園 大阪センター)で発表した。もう一件、共同研究者のK先生が「採血の穿刺における針先にかかる力の測定」を行った。また、デモンストレーション・体験コーナーを設けて頂き前述した腰痛モデルをはじめ何点かの物理・力学実験装置のデモンストレーションも行い、腰部に大きな負担がかかることを理解していて頂いた。【2014.9.5】
 
写真1:「講義“人間工学”にKJ法を取り入れた教育効果について」の発表の様子
写真2: K先生の「採血の穿刺における注射器針先にかかる力の測定」発表風景
写真3:前屈すると腰部に体重の数倍の力がかかることのデモンストレーション
写真4:研究会終了後の全国から集まった看護学の先生方と楽しい懇談会風景
 
2014.9.15 自宅にて記す







2014/09/11 18:27:05|思い出
デズニーシーってどんなとこ!

 夏休みで九州から出てきた孫達の最後の願いは「デズニーシー」見学だ。彼らの両親とじじばば達も初めて訪れるデズニーシー。孫が行きたいと言わなければ一生出かけないかもしれないデズニーシー。彼らが九州から出てきて埼玉に3日泊まり、昨日の富士山見学に引き続き、行きたい最後の訪問地デズニーシーを訪れた。
 
 今日のデズニーシー行きは、泊まりがけ。まずは、あらかじめ予約をしておいたアパホテル潮見へ行き、荷物を預ける。このホテルがある潮見駅からデズニーシーがある舞浜駅へは、駅3つ目であることをあらかじめ調べ予約しておいた。何しろ、デズニーランドとデズニーシーがある舞浜駅付近のホテルは高い。親子3代、6人が泊まるとなるホテル代も馬鹿にならない。そこで、潮見駅前にビジネスホテル「アパホテル」があることを知り3部屋の予約をした。
 
 夏の夜のデズニーシー・パレードも見たいというが、朝から夜のパレードまでの見学は身が持たない。そこで、デズニーシーに午後入場し、夜までそこで楽しむという予定で出かけた。舞浜駅から歩いて10分ほどのところにデズニーシーがあるが、駅前からデズニーシー入り口までデズニーリゾートラインという名のモノレールが走っているのでそれに乗る。このモノレールは駅が4つしかない。その駅名は「リゾートゲートウェイ・ステーション(舞浜駅前)」、「東京デズニーシー・ステーション」、「ベイサイド・ステーション」、「東京デズニーランド・ステーション」という長い駅名ばかりの4つである。1周5 kmの環状線で、いずれの駅間の運転所要時間も2分〜4分と短い。乗車運賃は大人250円、子供130円。
 
 JRの電車内から見えたデズニーランドの駐車場にはほとんど車はない。今日は空いているのではと思っていたが、夏休みの日曜日とあって、電車で訪れた若い人達でいっぱいだ。催し物が見られる人気パビリオンはどこも長蛇の列。特に人気あるパビリオンは2〜3時間待ち。園内を歩くだけで楽しい雰囲気はわかる。たまに出会う人気キャラクターには人だかりし、記念写真を撮る人達が群っている。
 
 子供2人と年寄り2人が一緒なので、あまり待ち時間が長いパビリオンへの入場は控えた。デズニーシーというだけあって人工の川や湖のようなところが目立つ。湖ではおしゃれした何艘もの船が行き来するパレードがあって見ていて楽しい。人工の川を一回りする遊覧船に乗った。この船に乗る人の行列は他の催し物の行列に比べ少なかったので乗船できた。20分ぐらいの船旅である。
 
 少々待ち時間は長かったが、入れたパビリオンがある。そこでは、宇宙船のような乗り物の座席に座ると、真っ暗闇の部屋前方に大画面の映像が映し出される。その映像は、宇宙船が宇宙の中を飛ぶような錯覚におちいる映像だ。椅子は左右に振れるし、上限振動も伴う。おまけに、予想外のシーンで水滴まで飛んでくるありさまなので、宇宙船に乗ったことがないから不明だが、宇宙をさまようような雰囲気が味わえる。年寄りには不向きだ。妻のMakikoは動きはじめてから、停止するまで怖いといい私の腕にかじりつきぱっなし。こんなことって、ここ何十年もない経験なので、私にとってはなかなか良い乗り物であった。若い夫婦と孫達は面白かったという。夕方、早めの夕食を園内で済ませる。
 
 午後5時ごろになると我々夫婦が少々疲れを感じている様子を息子が察し、先にホテルに帰ったらどうかといってくれた。遠慮なく電車で3つ目の潮見駅前のホテルに戻る。夜のパレードを孫達と一緒に見学したかったが、それよりホテルで横になった方が良いと判断し先に戻った。翌朝、食堂で合流した際に聞いたところ、孫達は夜のパレードを十分楽しみ、夜10時ごろホテルに戻ったという。以上の経験と富士山を昨日間近でみたことで夏休みの宿題は十分に書けるようだ。

 いつもなら帰る日も羽田空港まで見送るのだが、今回はいつもと異なりハードなスケジュールであったので、東京駅で別れた。夕方、無事に佐賀空港に着いたとの電話が入り、今年、孫達と過ごした夏休みを無事終えた。
 
 以上のように、4泊5日の孫達の夏休みのお付き合いを終え、彼らから若さと元気をもらった。その反面、相当のエネルギーを費やした。消耗したエネルギーを徐々に回復させている最中である。【2014.8.25】
 
写真1:ヨーロッパの国の建物を思わせる風景が見られるデズニーシー入り口
写真2:園内を歩くと所々でこのようなキャラクターに出会える
写真3:人工の湖では派手なパフォーマンスが見学できる
写真4:高い人工の山から音を出しながら火が吹き出す光景も見られる
 
平成26年9月11日(木) 自宅にて記す







2014/09/08 10:50:02|思い出
富士山観たい!

  佐賀から出てきた孫一家は4泊5日という短い期間の実家滞在である。墓参りしたい、家族全員集合し兄弟姉妹に会いたい、富士山を近くで見たい、デズニシーへ行きたいといういくつかを希望がある。その望みのひとつである「富士山を見たい」という希望をかなえるため2人の孫と次男の嫁それに息子をつれ富士山麓へ向かう。目的地は五合目の駐車場だ。しかし、夏休みでかつ日曜日とあって、富士山の近くまで来たが、交通規制がひかれ五合目へは自家用車ではいけない。山梨県立富士北麓駐車場に自家用車をいったん止め、ここからバスに乗り換え五合目へ行かなければならない。
 
 出かけた日は日曜日、あらかじめ河口湖まで行くまでに何カ所かで渋滞に出会うことを覚悟し家をでた。案の定、八王子インターで渋滞に出会った。ここを過ぎてからは目立った渋滞はない。河口湖近くになると富士山が見え出す。山頂に雪がない富士山は目立たず、孫達は目前に富士山があるのに気がつかない。
 
 五合目への道は規制が引かれ閉ざされ、山梨県立富士北麓駐車場へ行くようにと指示される。駐車場に車を止め、バスに乗り換え五合目へ。五合目のバス停は見事なほどバスばかりである。バスを降り、土産物屋がある広場へ行くと、こんどは人ばかり、土産物屋に入るとまたまた人で超満員だ。
 
 ここ5合目からの富士山の眺めは、曇りがちの天候なのでそれほど良くない。5合目周辺とお土産屋、それに5合目に来たことの記念にと早めの昼食。カレーライスを注文したら、ご飯が富士山を模した小山だ。その山頂から黄色いカレーがかけられているので、あまり見栄えはよくない。味は、地上で食べる普通のカレーライスと同じだ。値段は倍だ。
 
 こうして、孫達が観たかった富士山頂には雪はなく、5合目から観る富士より遠くから観る富士山の方がきれいなので失望しようだ。さらに富士山頂を目指すと木はなく、もっと失望するであろう。山頂までは、ここからさらに徒歩で6時間かかると聞いた。【20148.23】
 
写真1:河口湖辺から見える富士山
写真2:5合目の駐車場はバスばかり
写真3:5合目の広場は人ばかり
写真4:5合目から見える富士山はこんな感じ
 
平成26年9月8日(月) 自宅にて記す







2014/09/03 20:57:17|思い出
スイカ割りは砂浜でするのだが!

  夏休みということで8月下旬に3人の孫達が我が家を訪れ、その孫達が帰って早一週間以上が過ぎた。成長した彼女らに会えて嬉しかったが、その反面疲れる割合も年々大きくなったことを感じる。
 
 入間の実家に行ったらスイカ割りをするのだと張り切って集まった3人が、まずは2階のベランダを覗きここでやろうと決めた。埃まみれなベランダなので、まずは掃除。ホースから出る勢いのよい水を使い、大騒ぎ、掃除なのか水合戦なのか分からない。
 
 あらかじめスイカ割りをすると決めていたので、実家へ来る前に折り紙と輪ゴムで目隠しを数個作って訪れた。それを目に当て見えないことを確認し3回身体をまわし、スイカへ一目散に向かう。見ていた親たちが右だの左だのいうが思うようにスイカに棒はあたらない。3人が順番に棒を振るがスイカにあたらない。最小年の5歳のS子が目隠しなしで挑戦し、なんとかひびが入る。ひびが入れば、もう後は簡単に割れる。
 
 こうして、目隠した3人が代わりばんこに棒を持ち、スイカ割りに挑戦。30分ほどしてついにスイカは割れ、後は楽しいくスイカを食べる時間。佐賀の孫のママはスイカ嫌い。そのせいか、孫達はやけに美味しいと声をあげ食べる。それも、スイカを包丁で切らず、半分に割れたスイカの中に手をいれ、その手ですくい上げるようにして食べていた。さぞかし、美味しかったのであろう。
 
 スイカでお腹がふくれると、こんどは種飛ばしだと、口から種を飛ばしはじめた。こうして、楽しいベランダでのスイカ割りは終わった。【2014.8.23】
 
写真1:スイカ割りの場所作りだといいながら水遊び
写真2:小3の孫は小1の孫に優しくスイカ割りの説明をする
写真3:腰の入らないこんな格好でスイカは割れるかな
写真4:手づかみで食べるスイカは格別のようだ
 
2014.9.3 自宅にて記す







2014/08/30 16:30:03|思い出
いらっしゃい!さよなら!

  佐賀県佐賀市にKa子とS子の孫2人が、埼玉県さいたま市にKo子という孫1人がいる。Ka子は9歳、S子は5歳、Ko子は7歳である。3人が集まると5、7,9歳と2歳おきの姉妹のようだ。
 
 佐賀の孫2人が両親と共に飛行機で羽田にやってくるというので、羽田まで出迎えに行く。朝8時と早い時刻に羽田到着というので、1番電車に近い5時台の電車で武蔵藤沢駅を出発する。我々じじ・ばばは朝食抜きで家を出たので、羽田空港の客の少ないコーヒー店でパンとコーヒーの簡単な朝食を済ませる。こんなに早くに電車に乗ることは、近頃まずない。まだ、寝ぼけていたのか、店内で運ばれた手付けずのコーヒーカップを誤って倒し、コーヒーでテーブル全面汚してしまう。若い男子店員さんは悪い顔をせず、親切にも無料でお変わりを運んで来てくれた。感謝である。
 
 まもなく親子4人が元気な姿で到着ゲートから現れた。1年に1度か2度しか会えないので、会うたびに身長、体重、言葉使いが変化しているのには驚く。着いたその足で、青山の墓参りをしたいと息子がいうので、1週間前に墓参を済ませたばかりの我々であるが、羽田から表参道へ、そして徒歩で青山墓地へ向かい墓参りを済ませる。暑い日であったが孫娘2人はよく頑張って歩いてくれた。自宅に帰り万歩計をみたら1万歩を越えている。このような長い距離をよくも孫達は歩けるように、いつの間にか育ったのかと感無量である。
 
 佐賀の孫達一行は、4泊し8月26日に帰るという。その間の1日は、2人の息子と1人の娘の家族全員が入間の実家に集合する。佐賀の親子は、天気がよければ富士山を見たいという希望があるので富士山五合目へ、さらにもう1日はデズニーシーへ行きたいというので、その希望をかなえてあげることにしてある。
 
 佐賀家族が到着した翌日は、土曜日なので全員が入間に集合。全員集合の日は、急に大家族になり、狭い我が家は大賑わい。全員が集まると10名になるので、食事を自宅でするには妻Makikoの手に負えない。近所のレストランに数日前に予約を入れるが土日は受け入れてくれない。よくでかける日本蕎麦屋に畳の部屋があるのを思い出し、電話すると快く予約を受け付けてくれる。こうして、1年ぶりに家族全員が集まり、私の子供達3人が今の孫ぐらいの時の話しを、当時の想い出写真を見ながら語りあう。さいたま市の娘(長女)が2歳の誕生日の日にケーキを切ろうとしている30年以上昔の写真が出した。娘の隣なりに当時5歳の佐賀の息子(次男)が座っている。このとき娘がなにやらいじわるしたのか、兄である次男が長女と一緒に泣いている写真である。その当時5歳であった息子が9歳と5歳の子供2人をつれて佐賀からやってきたので、完全に世代交代の時期に入ったことになる。
 
 こうして、実家である我が家で午前中家族団らん、そば屋へ移動し昼食、午後は孫達3人がベランダでスイカ割り。このスイカ割りは、あらかじめ孫達に入間に来たら何をしたいかと聞いたら、スイカ割りをしたいというのでスイカを準備しておいた。ということで、午後はスイカ割りをすることとなった。スイカは求めておいたが、スイカを割る棒がない。昔みたいに竹が簡単に手に入らないので、百円ヒョップへ出かけ、植木の補強に使う棒を求めてきた(スイカ割りの様子は次回投稿予定)。一方の目隠しは、さいたま市の孫が折り紙の両端に輪ゴムをセロテープで固定したものを持参した。あらかじめ準備をしてくれていたようだが、スイカを割る棒まで気がつかない。このような準備をしてまでも、スイカ割りをしたいという希望があったようだ。
 
 こうして、スイカ割りを無事終え、3人の孫達はしばらくぶりに会ったにもかかわらず姉妹のような親密な関係にすぐなった。数日前にMakikoがカブトムシの死骸を見つけ、それを玄関に置いてあったのを孫達は見つけ珍しいので手にとって大喜び。こうして朝からの忙しい一日が過ぎ去り、お別れの時が来た。さいたま市の孫は、一人娘なので別れがつらかったのであろうか、大粒の涙を流し帰りたくないという。しかし、そうは行かないので、別れする際には写真4のように3人が抱き合い、別れを惜しんでいた。その様子を眺めている親や我々もウルルンとくる。【2014.8.23】
 
写真1:羽田到着ゲートから元気にでてきた佐賀の孫一行
写真2:暑いさなか青山墓地へ向かう
写真3:孫3人は姉妹のように仲良くなり、動かないカブトムシを手にする
写真4:別れを惜しみ抱き合う3人の孫娘たち
 
平成26年8月30日(土) 自宅にて記す