まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2020/03/21 13:51:09|思い出
狭山湖、咲いた・咲いた桜が咲いた〜かな〜〜〜
 前回投稿は昨年の8月24日かと思う。それから半月ほど過ぎた。投稿する記事は沢山あったが、多用で今日に至った。興味深い記事があったら投稿予定ですので、どうぞ今後ともご一読いただければ幸いです。

 今日(2020年3月21日)は久しぶりに晴天に恵まれたので、習慣になっている近くの公園で行う朝6時半のラジオ体操を終えてから、帰り道にある食卓のパン屋「ロコパン」で美味しいパンを3個買って帰った。午前7時半、自宅で待機していたMakikoと共に狭山湖畔の駐車場へ向かう。約20分のドライブで狭山湖畔に着く。ここの駐車場は一時間100円、普通散歩して帰るだけなら、1時間以内で帰ることができる。今日は狭山湖公園内で朝食をとるつもりで来ているので2時間を予定して駐車場に入れた。
 3連休真ん中の日なので混むかと思ったが、時間は8時前であったせいか、駐車場はガラガラで人の姿はない。駐車場から5分ほどで誰もいない堰堤(えんてい)に着く。この堰堤の両端に管理者がいない休憩所がある。この場所は、簡易屋根の下にベンチとテーブルが並べられ自由に利用できる。堰堤を歩き終えたところの休憩所に陣取り朝食のパン、珈琲、ジャム瓶をテーブルに並べる。土曜日は早朝しか開いていない上述したロコパンのパンで朝食をとる。晴天で澄み切ったおいしい空気を吸いながら、しかも誰もいない湖畔の休憩所でとる朝食は格別だ。自宅と異なり、ピクニックに来たような気分だ。
 ここは、我が家から車を使うと20分ほどで着くので、春・秋の季候の良いときによく出かけている。前回訪れたのは令和2年元旦の朝、やはり8時ごろ出かけ、雪に覆われた美しい富士山を湖畔からじっくりと堪能してきた。今日は、その富士山が見えるかと期待して来たのだが、晴天だがやや靄(もや)がかかり、富士山は薄い影のようになっていて見え、残念であった。
いつもだと富士山と小鳥たちの撮影のためにやってくる素人写真家がいるのだが見あたらず、今日は、我々夫婦2人だけで珍しく誰もいない。新型コロナウイルスの影響かそれとも朝早いからなのだろうか。
 桜は少々早いようで、一分咲きというところだろうか。来週になると、もう少し見事に花が開花することが期待されるので、来週も土曜日に来きたい。土曜日にこだわるのは、ロコパン屋は火曜日〜金曜日は朝8時開店、土曜日の朝は6時半に開くからである。ラジオ体操が終わると7時、ロコパン屋でパンを買って帰り、家に戻りMakikoを誘い狭山湖畔へ着くと、太陽が昇り丁度気持ちの良い太陽の光を浴びることができる時間帯に狭山湖に着く。今日は、写真のパン3個560円で求め、自家製の珈琲、それにジャムを持ってきているので、それなりに戸外で美味しい朝食を食べることができた。
 来週土曜の朝も桜見物に狭山湖は出向く予定でいる。次回のタイトルは「咲いた・咲いた桜が咲いた!」となることを期待している。【2020年3月21日】
2020年3月21日 自宅にて記す







落語も楽しめるLSC(ロングステェイクラブ)
 半世紀以上前の子供の頃、父親に連れられエノケン、ロッパ、金語楼という当時の3大喜劇俳優・落語家が出演している映画を浅草で見た記憶がある。父親は、ラジオを前にして浪曲、落語、漫才を熱心に聴いていることが多かった。聞くともなく聞いているうちに、古今亭志ん生、柳家小さん、古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽、三遊亭圓歌、橘家円蔵、桂文治、桂歌丸など落語家の名前をいつの間にか覚え、話術の面白さが子供ながら少しずつ分かってきた。

   ラジオからテレビの時代に移り、落語家や漫才師の語りと演技が目で見られるようになると落語・漫才がますます好きになった。といって特定芸人を好きになり落語・漫才の演目、内容に詳しいということではない。ラジオで落語・漫才を聞き、テレビで面白くて可笑しい芸を鑑賞するのは楽しく大好きである。その落語・演芸の本物が見られるのが演芸場である。都内には国立演芸場、浅草演芸ホール、鈴本演芸場、新宿末広亭、池袋演芸場などいくつか演芸場がある。我々LSC(ロングステェイクラブ)会員が演芸を楽しむ場所は、主に国立演芸場である。

   なぜ国立演芸場かというと、この演芸場は東京地下鉄永田駅近くにあり、交通の便が良いからである。さらに、他の演芸場に比べて通常2,200円(出演者・演目により若干異なります)と安い。その上、有りがたいことに65歳以上のシニアには割引があって、大人1人2,200円のところを1,400円で入場出来るのである。ただし、チケット購入時に本人の年齢が証明できる運転免許証、マイナンバー、パスポートなどによる厳しい身分証明が必要である。この安い値段で3時間もの長い間、思いっきり笑ってくつろげる楽しい場が国立演芸場の寄席である。
LSCの会員は、旅行好きな人がほとんどかと思う。その旅行以外でもいろんな経験を持ち、各種の趣味を持つ会員が大勢いる。たとえば、映画、演劇、落語・漫才に興味を持っている方もいる。本来なら海外でロングステェイを楽しむためのクラブであるが、一年中ロングステェイで暮らすわけにもいかない。その合間で「お値打ちランチを食べる会」、「麻雀同好会」、「ダーツ同好会」、「観劇同好会【落語鑑賞】」などいろいろ同好会があるので、好きな同好会に参加し人生をエンジョイしている。

   ここでは、観劇同好会【落語鑑賞】について述べる。我々夫婦は、令和元年5月、6月、7月、8月の観劇同好会【落語鑑賞】に参加し、中席の落語・演芸を楽しんだ。国立演芸場のチケットは、世話役がまとめて確保して頂けるが、個人で日程を合わせて電話で直接予約してもよい。電話予約は、予約番号を知らせてもらえるので、その番号を当日国立演芸場へ行った時に、予約番号を伝え身分証明書を提示すると1,400円のシニア割引チケットをその場で発行してくれる。このとき空席があれば、演芸場受付にあるコンピュータ画面に表示される座席一覧から好きな席を確保できる。
  最近落語を鑑賞した月は5月(真打ち:三遊亭圓歌)、6月(真打ち:古今亭寿輔)、7月(真打ち:柳亭市馬)、8月(真打ち:三遊亭円楽)である。「落語家・三遊亭円楽(69)の脳に腫瘍が見つかったため、8月上旬まで療養すると19日、所属事務所が発表した」というニュースが流れた。そのため、8月18日の落語鑑賞で円楽の落語を聴くのはひょっとすると無理かと思われた。しかし、18日直前に高座にのぼっていたので、8月の真打ち三遊亭円楽の落語を聞くことができた。TVの笑点で観る円楽と国立演芸場の高座にのぼった円楽の違いをみることができた。
 
 昔の寄席の高座には、照明用に蝋燭が立っていて、寄席が終わると最後の出演者が蝋燭の芯を打つ(切って消すこと)ことをしたために「芯打ち」といわれたそうだ。縁起を担いで、字を「芯」から「真」に換え、「真打ち」となったといわれている。真打ち、つまり5月〜8月までの最後の出演者の落語を聴いた。いずれも、面白く、お腹を抱えて笑える話しを楽しんだ。真打ちの話は、本当に面白い。
 
   最近は、鑑賞し終えた日の帰りがけに、翌月の落語鑑賞をLSC会員の参加者同士が話し合いその場で日程を決め、チケットを購入して帰るようになった。それは、当日鑑賞した寄席が面白く、また、聴きにきたくなる気持ちになるので、良い席を早めに確保して帰ろうという機運が高まったからである。9月の寄席が楽しみだ。【2019年8月18日】

写真上左:国立演芸場正面入り口
写真上右:国立演芸場内の緞帳
写真中左:歴代の落語名人の写真
写真中右:ものまねの江戸家子猫
写真下左:さだまさしからの回復祝いの花
写真下右:病気回復し高座に出演した三遊亭円楽

平成31年8月24日(土) 自宅にて記す
 







2019/08/04 9:41:25|思い出
ラジオ体操

 和ヶ原公園ラジオ体操は、お正月も含め、雨の日は除くが365日休まず毎日行っている。夏に入った今年の7月は雨の日が11日もあり、体操を行える日は少なかった。7月20日の夏休みが始まり、子供たちがラジオ体操に参加するようになって2週間が過ぎた。参加する子供たちの数は20人前後と多い。大人たちは平均50人〜65人毎朝汗を流している。夏休みが始まってからは20人前後の子供たちが加わったので総勢で多いときで90名にもなり、大人に混じって子供も元気よく体操で汗を流している。

 夏休みに入ると、和ケ原公園の体操会は写真に見るように先生が子供たちの前に立ち、正しい体操のやり方を指導している。その後ろのほうに大人たちが集まり元気よく体を動かしている。見えないが写真右の方にもう沢山の参加者がいる。

 写真二枚目のように、体操が終わると子供たちはある一定のところに集まり自分で今日参加した印である判子を押す。この判子を押し、その数が増える様子を楽しんだ大昔のことを思い出す。大人たちはラジオ体操に引き続いてストレッチに行う。このストレッチが終わると帰る人も少々いるが、さらに居残って太極拳を行う人たちも多い。こうして朝6時半から7時ごろまでラジオ体操、ストレッチ、太極拳と3つの運動が続いて行われる。そのため毎日参加する習慣をつけると心身ともに健康に良いと思っている。しかし、その習慣を身につけることは、なかなか難しいとも感じ、休み休み通っているのが現状である。

 和ヶ原公園体操会の1月〜7月までの簡単統計を示すと以下の通りである。このデータを見て分かることは、寒暖で参加者人数は上下するが、激寒の1月でも30人〜40人、暖かくなるとその倍近くの参加者があることがわかる。身体を毎日動かし、健康を維持するこの和ヶ原公園のラジオ体操会は、10年以上続いている。

1月:30〜40人 雨の日0日(平均気温:3.8℃、参加者平均:33.8人)

3月:40〜50人 雨の日4日(平均気温:8.8℃、参加者平均:43.6人)

6月:50〜60人 雨の日4日(平均気温:20.9、参加者平均:47.2人)

7月:50〜65人 雨の日11日(小雨を入れ)(平均気温:23.1℃、平均参加者:40.3人、子供を入れた平均参加者数:45.7人)→この月は雨の日が多く、大人の平均参加者数は減少している。だが、下旬から子どもたちが参加してので、その数は若干増えている。








伊藤左千夫の墓と逆さ東京スカイツリー
  亀戸天神社内の終わりかけた藤蔓を見ながら太鼓橋を渡り、天神社に向かう。ここは学問の神様であるから、6月2日(日)に受検を控えた英検2級試験の合格祈願をし、その後、映画「野菊のごとき君なりき」の伊藤左千夫が眠る普門院へ向かう。
 このお寺の前で酒屋の長男として昭和10年に生まれ、小学校2年までこの土地で育った。自宅前が普門院というお寺であったため、よく院内に入り込みお墓の回りを駆け抜けて遊んだ記憶がある。この寺に伊藤左千夫の墓があるということを知ったのは、映画「野菊のごとき君なりき」を見た高校生のときである。その存在を知らずに、子供の頃は、院内で遊んでいたのである。

 普門院の入り口には写真左の碑が案内用に立ててあり、院内に入と右写真のような本物の伊藤左千夫の墓がある。墓の存在を確認し手を合わせた後は、香取神社へ向かう。この神社は「スポーツ振興の神」として、全国に知られている。この神社境内の参道上では和服姿でダンスをしていると思われる2人がいる。近づき良く見ると、ひとり芝居で女性の人形を男性が優雅な日本舞踊を演じさせていた。参道を進むと香取神社本殿がある。参拝後、神社裏手にでると、そこには十間川がある。その川にかかる橋の上に立つと、見事な東京スカイツリーが見える。この橋からでは、見えないがもう一つ東京スカイツリーに近い橋「十間橋」まで行くと逆さ東京スカイツリーが見えるというので十間橋に移動する。この十間橋は、多くの人が逆さスカイツリーを撮影するので有名になった撮影スポットのようである。ここから、さらに最終地の京成電鉄押し上げ駅まで歩く。ここまで来ると、東京スカイツリーは見上げないとその全貌は見えない。時計を見ると午後5時、希望者で反省会をタワー近くで行うというが、自宅が遠方なので、参加を辞退し帰路につく。
 
 こうして、JR錦糸町駅から京成電鉄押し上げ駅まで歩き、LSC東京ウオーキングを終える。亀戸天神の藤と太鼓橋、伊藤左千夫の墓、香取神社、十間橋からの東京スカイツリーと逆さスカイツリーを見ることができ、満たされたウオーキングの一日を楽しむことができた。【2019年5月4日】
 
平成31年5月25日(土) 自宅にて記す

 
 







亀戸天神社は藤祭りで大賑わいだ!
 5月4日LSC「東京歩こう会」で最初に訪れたのは、亀戸天神である。ここは、JR錦糸町駅北口から、徒歩10分ほどのところにある。錦糸公園の中を斜めに通り抜けると蔵前通りにいたる。直ぐに横十間川に架かる天神橋に至るのでこの橋を渡ると“くず餅”で有名な舩橋屋本店が見えてくる。この前を通ると直ぐ左側に天神様の鳥居が見え、この鳥居をくぐると亀戸天神社境内に入れる。今年の5月は始めての大型十連休である。その最中に藤が咲いている時期であるということで訪れたため、大勢の人で賑わっている。神社のお祭りの時のように沢山の出店が並び、歩くのに困難なほどの人出であった。

  亀戸天神社のホームページを見ると、「亀戸天神社は、通称亀戸天神、亀戸天満宮といわれ、菅原道真を祀り、学問の神として親しまれている。4月下旬から5月上旬にかけ、境内の藤が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。太鼓橋の上から一面の藤棚を上から見下ろすことができる。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれ藤の名所であり、学業祈願の祈願者も多く訪れる。ここの藤は東京の花の名所として名高く、江戸時代から「亀戸の五尺藤」「亀戸の藤浪」として広く親しまれている」とある。訪れた時は、藤の満開時期が過ぎていたようで、見事な藤の開花は見られなかった。しかし、ここの藤は見事であることは想像がついた。境内から遠方にそびえ建つ東京スカイツリーが良く見える。東京スカイツリーの近くに地下鉄押し上げ駅がある。そこが、今回の「東京歩こう会」の最終地点である。

 学問の神様、藤で有名な亀戸天神の直ぐ側で生まれ、小学校2年生ぐらいまで、亀戸天神の直ぐ近くに住んでいた。当時の記憶はほとんど覚えていないが、亀戸天神境内の太鼓橋と池に沢山のカメがいたことは、鮮明に覚えている。この神社の直ぐそばには、「野菊のごとき君なりき」で有名な伊藤左千夫の墓がある普門院がある。戦前の我が家は、この普門院の真ん前で酒屋を営んでいた。次に訪れるのは普門院である。【2019年5月4日】
 
平成31年5月12日(日) 自宅にて記す