まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2016/11/26 16:47:00|小さな旅の思い出
枯露柿作りの専門家に出会う
 写真に示した自宅「軒下の干し柿」のような形で、Hさん宅には、すでに沢山の皮をむいた柿が干してあるのを目にした。自家用と贈り物用の枯露柿(ころ柿)を作っている専門家であるとのことで、干してある柿の量の多さに圧倒される。ここで、枯露柿というのは、「渋柿の皮をむき縄につるして天日で干したのち,むしろ上に転がして乾燥させ,白い粉を生じさせたもの」だそうだ。干し柿として完成した写真はホテルに戻ったときにメールで送っていただいた。完成した干し柿(枯露柿)はとても美味しそうだ。枯露柿作りの手順も我々が思っていた以上に手の込んだ作業であることを説明してくれた。柿を30日ほど干すと柔らかくなる。この干した柿を「柿すだれ」というそうだ。そういえば、干した柿は「すだれ」のように見える。30日間干した後、柿をもんで7日間ぐらい棚干しをするのだと説明してくれた。写真下中のように横に並べて干した柿がその棚干しの様子である。商品にするために写真下右のような形に整えるとのこと。我々の干し柿作りはここまでにいたる前にお腹のなかに納めてしまうのが常である。Hさん宅を去るときに、広い庭先に作っている里芋,サツマイモ,野菜、甘柿、それに大好物の熟れた柿など沢山のお土産を頂戴した。
 
 翌日(11月21日)はチェックアウトの日、ホテルを出発する9時半にホテルロビーで待っているようにとのメールがHさんから入る。それは、柚子が沢山とれたので、お土産に持って帰るようにとわざわざホテルまで持参してくれるとのこと。初対面なのに、なんと親切なご夫婦なのかと驚き、恐縮する。ご主人は元NTTの研究所で光ケーブル関係の技術員をしていた方で、リタイヤ後は奥さんとスイス・イタリアの山々のトレッキングに何回も出かけたという。この話しを聞くと,今では人間工学を専門とするが、私もかつては制御工学,ロボット工学,メカトロニクスなどを研究していたということで話しが噛み合い、話題が尽きない。さらに海外旅行の話しになるとHさんご夫婦はイタリア・スイスを主にヨーロッパ旅行が大好き,我々夫婦も今ではハワイロングスティに切り替えたが、かつてはイタリアのシチリア島からドイツのベルリンまで、あるいはスペインのマドリッドからイギリスのアバディーン(スコットランド)までの列車の旅を楽しんだなど、海外旅行の話しでも盛り上がった。このように初対面とは思えないほどに意気投合し、沢山のお土産を頂戴し、フルーツパーク富士屋ホテル玄関で写真(下左)を撮り、来年の再会を約束しホテルを出発。
 
 柿を干す日は晴れて乾燥し,風通しがよいのがよいと教わる。そこで、帰宅翌日の11月22日(火)は晴れたので、写真上左のように皮むき器で柿の皮をむき,軒下の物干し竿に30数個の柿を吊す。23日(水)はLSC(ロングステェイクラブ)のチェンマイ同好会があったので、新橋の港区生涯学習センターで終日過ごした。24日(木)は、朝暗いうちから大雪が降る。23日新橋にいたとき、今にも降りそうな雰囲気であったが、この日自宅に帰るまでなんとか降られずに済んだ。その雪が朝方から本降り、柿を干したベランダで約5センチ積もり(写真中右)、午後3時ごろには止んだ。干し柿は、天気の良い日に皮をむいて乾すとよいと聞いたので少々心配だ。今日降った雪は、今年の初雪であって11月に降ったのは54年ぶりだということを毎時のニュースでさかんに放送していた。今年の山梨柿の旅は、Hさんご夫婦に会え、例年になく楽しい旅ができた。Hさんに感謝する。【2016年11月21日】
 
平成28年11月26日(木) 自宅にて記す

 







2016/11/24 17:40:25|小さな旅の思い出
富士山と干し柿
 毎年11月になると山梨のフルーツパーク富士屋ホテルへ出かける。目的は干し柿用の百目柿を求めることと温泉で休養するためである。このホテルへは入間の自宅から高速道路・圏央道の入間インターチェンジに入り、八王子で中央自動車道に乗り換え、大月の次にある勝沼というインターチェンジで降りる。その後は、一般道路を30分ほど走ると高台にあるホテルに着く。天気が良いと富士山が写真のようによく見える。夜は夜景がきれいだ。
 
 翌朝早くに起きると甲府盆地一面に霧がこもり、その霧の上に近くの山々が、さらにその後方には雪を頂いた美しい富士山の雄姿が見える。毎年1回訪れるのだが、今回のような美しい雄姿を目にしたのは初めてだ。部屋の窓から外を眺めると、真下に結婚式用の教会をモデルにしたような美しい建物が見える。その下の方にフルーツパークが広がっている。ホテルの後方には、朝日を拝めながら温泉に入れる「ほったらかし温泉」がある。夜はそこから甲府盆地の美しい夜景が眺められることで有名である。宿泊した翌日の朝は、写真右のように霧が一面に広がり、甲府盆地の街並みが見え隠れした。
 
 写真の縦真ん中は、干し柿を販売している待望のJAフルーツ山梨である。秋の柿シーズンになると出かけてくるが、10年ぐらい前であろうか初めて訪れたときには、あまりにも大きな柿(百目柿というそうだ)なので目を丸くした記憶がある。店頭に陳列してある柿の横に大きく「渋柿」と書かれた文字が目立つように貼ってある。渋いことを知らないと美味しそうだと思い百目柿を買っていく人がいるからこうした注意書きをしてあるのであろう。この柿を干し柿にするというのだが、その作り方が不明であった。店の人に作り方を尋ねると、図面入りで作り方を書いたA4用紙を求めた柿の箱に入れてくれた。晴れた日に皮をむいた柿を風通しのよいところに干すとよいとの助言をもらった。
 
 軒下の物干し竿に、30個前後を吊るして干し10〜15日ほど経つと、固かった柿が徐々に人肌のように柔らくなってくる。その柔らくなった柿をかじると、生の時に渋かった柿がとても甘くなっている。作り方を全くしらないで柿を干し、かじって甘くて美味しいと感じるともぎ取り食べる。例年、正月前後にはMakikoとベランダに来るたびにもぎり取り、口に入れる。干し柿を作ったという実感がわかない。ベランダにくると目につき気になる干し柿なので、もぎ取り食べるのでいつのまにか無くなる。
 
 JAフルーツ山梨では熟れた百目柿もわずかだが売っていることがあり買うこともある。こちらは東北出身のMakikoが、その味を子供の時に知ったようで、ぶよぶよの冷たい柿をしゃもじですくうようにして口に入れると美味しいと教えてくれた。確かにとても美味しいことを知り、店頭に並べてあると迷わず求めてしまう。
 
 我々の分として百目柿30〜40個を求め、その他に佐賀にいる2人の孫娘、さいたま市にいる孫娘にそれぞれ送ってやる。柿の木の枝からとれた渋い百目柿の皮をむき、干して甘い干し柿にするプロセスを学ぶことは、良い思い出になるのではと思い、じじ・ばばの勝手な思いで送っている。去年は雨が多く湿っていたとかで、干し柿作りに失敗したと連絡があった。今年も作ってみるかと問い合わせたところ、作ると返事があったので送ってあげた。入間市、さいたま市、佐賀の3箇所で干し柿作りを始めたので、その成果を聞くのが楽しみだ。【2016年11月20日】
 
平成28年11月24日(木) 自宅にて記す
 







昨日も観ました音楽ムービー“オケ老人”
 最近観た映画は、いずれも音楽が関係した映画である。9/24「歌声にのった少年」、10/12「クハナ!」、10/29「戦場のメロディ」を観て、昨日11/13は「オケ老人」を観てきた。劇場はTOHOシネマズ新宿である。日曜なので混むのを覚悟で出かけた。30分前に劇場に着いたが8割がた席が埋まり、2人並んで座れる席は,最前列Aにしかないので、やむを得ず最前列に2人で座った。総座席数117席でほとんどの席が埋まっていたので、8割程度の入りである。ということは映画の内容を期待して良さそうであることが予想できる。最前列の席は見上げるように大きなスクリーンなので、左右の映像をよく観ようとする場合には首を少し振らなければならない。最前列で良いと思われる点はスクリーンに近いので遠視メガネが入らないことだ。
 
 この映画は、バイオリンを弾きたいため女性高校教師の小山千鶴先生(杏 双子))がある町のアマチュア交響楽団に入団することから始まる。この町には2つのアマチュア交響楽団があって、伝統ある梅ヶ岡交響楽団(通称「梅響」)の若い団員達がもう一方の楽団に移ってしまい、「梅響」はお年寄りばかり残ったアマチュア・オーケストラとなる。小山先生は年寄りばかりのこの梅響に間違って入団してしまったことに気がつく。小山先生はしばらくお年寄りと一緒に練習を重ねるが,お年寄りばかりの梅響の演奏は、聴くに堪えない音楽なので退団届けを出す。練習の最中に急死する団員、倒れるもの、中には酸素吸入器を身につけ体を震わせながら練習に励む老人がいて先が思いやられるオーケストラなのである。これまで指揮していたのはラジオショップのお爺さん(笹野高史)であったが、このお爺さんが突然倒れたため小山先生にバトンが渡される。指揮に熱心な小山先生のお陰で、少しずつましな演奏が出来るようになる。主たる練習曲は「エドワード・エルガー作曲の行進曲“威風堂々”」であるが、途中までしか練習は続かない。練習を重ねるうちにその演奏時間は徐々に伸び、ついには曲の終わりまで演奏出来るようになるという感動シーンがある。
 
 梅が岡交響楽団には若い人も徐々に入団しはじめ、第1回公開演奏会ができるまでに上達する。その演奏会当日の会場は超満員。長い間苦労して練習してきた曲「威風堂々」が立派に演奏され、大喝采をあびる。その他の演奏曲目は、ドボルザークの第九番交響曲「新世界」、ダイコン協奏曲、梅響ブギなどがある。映画の中では、ビバルディの「四季」、チャイコフスキー交響曲六番「悲愴」、ベートーベン交響曲六番「田園」なども流れてくる。

 老人たちが必死に助け合い、趣味の音楽に夢中になって練習にはげみ、ついには超満員の公開演奏会を開くまでに演奏が上達するというストーリーである。やれば出来るということを教えてくれたとても素晴らしい映画であった。

 映画終了後に映し出される出演者の配役、協力者の名前、撮影場所などの字幕が流れる間中、威風堂々の音楽が流れる。この音楽に聴き惚れ、いつもなら映画が終わり最後に出演者と映画制作関係者の字幕が流れる途中で退場する。しかし、今回は字幕が流れるのが終わり、劇場内の照明がつくまで座席にとどまっていた。

 TOHOシネマズ新宿は、新しい劇場なので入場券は自動券売機で主に求めるようになっている。ただし、我々みたいに機械操作に慣れない客のために係員がいて、操作方法を教えてくれる。現金はもちろんであるが,VISAやAMEXのようなカードも使える。大人,子供、シニアの選択,観たい映画の題名や日時も指定出来る。思ったより簡単なので、次回から機械で購入するつもりである。【2016年11月13日】
 
平成28年11月14日(月) 自宅に記す
 







感動の「戦場のメロディ」!
 Makikoがコーラスを趣味としているので、歌や音楽がからむ映画はよく観に行く。映画「戦場のメロディ」は、韓国版“サウンド・オブ・ミュージック”と称される感動の物語だとの新聞広告が目にとまったので観てきた。場所は新宿伊勢丹前にある座席数330席のシネマート新宿である。今日29日がロードショーであり、初日プレゼント(限定版)「初日来場者の方にイム・シワンのスチール写真プレゼント(右下写真)」とも書かれてあったので混むのを覚悟で出かけた。しかし、思っていたより入場者数は少なく,定員の半分ぐらいであった。
 映画は、1952年朝鮮まっただ中、家族、戦友を失ったハン・サンヨル少尉(上記したスチル写真のイム・シワン)と両親を亡くした多くの戦争孤児の音楽を通してのヒューマンドラマである。その音楽とは可愛い子供たちの合唱団結成物語と美しい歌声でもある。約30人の子役がオーディションで選ばれ、4カ月間にわたる特訓で身につけたという美しいコーラスを披露してくれる。
 
 第二次世界大戦終戦前後に両親こそ失わなかったが、戦前に集団疎開で山形へそして終戦後に疎開先から東京へ帰ると亀戸の家は東京大空襲で焼かれ、両親と2人の弟たちは向島に移り住んでいた。疎開で東京にいなかった私を除く家族は、水で濡らした布団を頭にのせ命からがら隅田川に架かる言問橋まで逃げのびたという話しをよく聞かされた。疎開から帰り向島に住み始めたが食糧難で食べるものがなく、よく千葉県の船橋,幕張,津田沼までサツマイモの買い出しに行ったことを覚えている。燃料がなく、焼け落ちた木の電信柱を倒しそれを薪にし、ドラム缶を風呂桶としてお風呂に入ったことも記憶している。映画にでてくる子供たちと同じような生活体験を東京でしたこともあるので、映画にみる戦争混乱期に生きる子供たちの姿を観ると涙が出てくる。その上、合唱団の子供たちをみると丁度同じような年頃の3人の孫娘たちの顔が重なり、なんともいえない感動を覚える。
 
 放映開始直前,私がトイレに行ったわずかな時間にMakikoは主演男優のハン・サンヨルが劇場に来ていて見たという。まさかと思ったが映画が始まるので劇場に入るとき前述したイム・シワンのスチール写真がプレゼントされた。想像するところによると、一般公開開始が11時45分、その10分前に劇場入り口ドア付近にいたが、内部からは映画の音声が流れていた。我々が観る一般公開前の特別時間帯にこの映画「戦場のメロディ」が特別公開され、その場に主演したハン・サンヨルが来て挨拶でもしたのではないかと思う。そうであるなら、Makikoが劇場廊下で出会った人物がイム・シワンであるのは間違いない。普段なら劇場外の廊下で少々の立ち話しをしているくらいではとがめられないのに,今日に限って、数人の客がお喋りしていて静かにして欲しいと劇場係りから注意を二回ほど受けていた。このことからも、イム・シワンが来ていた可能性は高い。
 
 先月「歌声にのった少年」を観た。この映画も戦争に関係した少年の歌声の物語で、感動した映画であった。今日観た「戦場のメロディ」はさらに感動した映画であった。ロングランになる可能性が高いと思っている。映画が終わり劇場を出たとき、出口調査だいうという女性に映画の感想を求められた。思わず夫婦ともに100点と自然に応えた。それほど良い映画であった。【2016年10月29日】
 
平成28年10月29日(土) 自宅にて記す
 







2016/10/26 0:00:32|研究・教育の思い出
作文で佳作をゲット

 今年の5月、日本教育公務員弘済会埼玉支部生涯学習実践作文係が読売新聞紙上に載せた作文公募の記事が目にとまった。テーマは「私の生き方〜ともに学び合う実践〜」であって、自身が日々の暮らしの中、学校や職場やサークルなどでの「ともに学び合う実践」について、具体的に述べて頂きたいとあった。原稿締切は831日、応募資格は埼玉県に住んでいる人、応募形式は400字詰4枚〜6枚である。入賞は期待していなかったが、応募した結果がなんと佳作という嬉しい報告を昨日受け取った。そこには5,000円のデパート商品券も同封されていたので、天に昇る思いである。国語嫌いで理系に進み、こうした作文は生まれて初め書いた。その応募作文で佳作を得たのでこの上なく嬉しい。

 今、ロングステェイクラブに所属しその仲間10人に声がけし、有志が隔週にあつまり英語のお喋りの会をはじめ間もない。この会に関連した記事は、テーマ「ともに学び合う実践」にぴったりなのでどうかと思い応募した。学びはじめて間もないといっても、もう21回目の集まりになる。月に2回開催しているので、おおよそ10ヶ月が過ぎた。この間、仲間(平均年齢70歳)半数がアメリカ大陸を列車と車で横断するという大冒険をし、その旅の話を帰国後に英語でお喋りの会で披露してもらった。言葉の障害があったようで海外旅行での英会話の必要性をあつく語ってくれた。この仲間が留守中には、わずか3人で会を開き片言英語で盛り上がったこともあった。今回、佳作を得た作文は以下の通りである。

“ロングスティ目指し英語でお喋り”
 自分の収入に応じて、自分の力で、自分なりの生き甲斐を求めて、海外生活体験情報を交換し、仲間作りをするためのロングスティクラブ(設立
1990年、以下LSCという)がある。会員は定年退職した高齢者夫婦が多い。200065歳のときにこのLSCに入会し16年が経つ。その当時から海外情報を集め、定年退職後は海外でロングスティを楽しみたいと願っていた。ところが、70歳の定年後も非常勤の仕事が入り、思うような海外ロングスティはできないでいた。76歳のときにハワイオアフ島へツアーで行ったおり、海が見えるコンドミニアムの存在を知る。それ以来、毎年12月にオアフ島で約1ヶ月のロングスティを始め今年で5年目に入る。12月には、ホノルルマラソンと同じ日に「レース・デー・ウォーク(10 km)」、熱帯のクリスマス、ワイキキのカウントダウン花火打ち上げがある。こうした催しと、寒い冬を逃れ1ヶ月でも暖かい所で過ごせると春の訪れが早く感じられる。そのため冬のロングステェイを行っている。

 ハワイに行く度に現地の人たちとの交流の輪が広がり、英語で話す機会も増える。その度に楽しく話せる英会話の必要性を痛感する。英会話は前述したLSCに入会以来、CDによる英語を意識的に聴き勉強している。聞く耳は間違いなくよくなっているが、会話能力は伸び悩んでいる。海外出張、海外旅行の経験があるLSCの仲間たちの英会話は上手と思われない。かつては、LSCにイタリア同好会、ドイツ同好会などあった。会員の高齢化に伴い今では、国内で楽しめる卓球、ダンス、ダーツ、歩く会、ランチ会、観劇、ウクレレ同好会が生まれ活発な活動がなされている。

 LSCの仲間は海外でロングステェイを楽しみたい人が多く「英語でお喋りする会」の発足が望まれている。市町村、学校、企業が主催する会員制有料の「英語でお喋りする会」はある。LSCの仲間10人で、無料の「英語でお喋り」同好会を試験的に立ち上げた。開催場所は、住宅街にある静かなレストランである。ランチをとることを条件とし2時間ほど「英語でお喋り」する許可を得た。12時からのランチタイムでは一般客も来るの、開始時間を遅らせ午後2時とし、2時間ほど場所を使わせてもらうことにした。レストランの名をとり「クリオの会」と称し、20回目の勉強会を終えたところである。

 「クリオの会」は無料だが、コーヒーつき1,000円のランチが会費に相当する。集まる顔ぶれは65歳〜81歳の男女高齢者である。多くの会員は海外の経験はあるが、英語で喋る機会をあまり持てない人たちばかりである。やる気はあって英語で自己紹介は出来るが、お喋りすることは難しいようだ。

 「英語でお喋りする会」を10ヶ月前に立ち上げたものの、英会話が上手なリーダーがいない。それに、まとめ役、会話レベル、英語を喋るルールなどの問題が山積している。そこで、この会でわずかな時間でも英語で喋る場を設けると同時に、中学レベルの基礎英語も勉強することとし、ともかく隔週に集まることにした。いずれは、LSC会員のために公にするのだが、今は試験的に英語でお喋りをするために集まっている。
 この「クリオの会」を始めた頃は、英語でお喋りを試みたものの発言に苦しむ人がいる。英語で意思の交換をすることは結構難しいことがわかる。そこで話題をあらかじめ決め、
110分間喋るルールを作った。喋った後、その話について質疑応答することとして、ともかく継続することを心がけ7ヶ月が過ぎた。
 お喋りのきっかけとなる話題は、「子供のころ
1番印象に残ったこと」、「311日午後246分に発生した東日本大震災の瞬間はどこで何をしていたか」、「海外旅行で印象に残ったこと」、「海外旅行で事故や盗難にあった経験」などである。提示された話題以外でも英語でうまく言えそうなことなら何でもよく、カンニングペーパを準備してもよろしいということにした。

 その後、中学生レベルの英語を改めて勉強することは英会話にとても役立つことに気がついた。多くのLSC会員は大学卒と見うけ、英文はある程度理解できるようだが、喋れないという。語学は読む、書く、喋るが大切であるということは皆が知っている。そこで、「中1英語をひとつひとつわかりやすく(学研教育出版発行)」というテキストを全員が求め、中1の英語基礎も「クリオの会」のプログラムに組み込んだ。といってテキストの最初から始めると時間が足りなくなるので、各単元末にある復習テストを全員で20分ほど費やし解くことにした。テキスト巻末に問題解答を録音したCDが付録にある。その音声解答部分をICレコーダーに録音し、書き終えた英文解答の音声をスピーカーで流し、各自が答合わせをする。この方法で学習すると昔習った英文法を思い出し、英文を書く練習にもなる。同時に英文ヒアリングの勉強にもなる。

 「クリオの会」は英会話の勉強が目的で集まるが、仲間と英語でお喋りをし、日本語による雑談に花が咲き時間が経つのを忘れる。この会の努力目標は「中学レベルの英語で英会話が自由にできるようになること」「日本語字幕の洋画は字幕なし、ミュージカルを観て会話の意味を理解し観客と一緒に笑えるようになること」「2020年の東京オリンピックには訪れた外国人の道案内ができること」などである。今は、試験的に10人が集まり英会話の実践を試みている最中だが、近い将来、LSC会員はだれもが英語を喋れ、海外ロングステェイを安心して楽しめ、行動できるようになりたいと願っている。【20161020日】

平成281025() 自宅にて記す