まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2010/04/03 5:22:30|国内旅行
お花見を兼ねたノルディックウォーキングを皇居で!

都内で1泊し、ノルディックウォーキングで皇居を一周することを以前から考えていた。その日を2010年4月1日、2日と決め、東横イン浜町に予約を入れた。4月1日に行くことにしたのは、このころが桜の見どころと予想したからである。皇居一周の出発点をどこにするかを地下鉄路線図で調べたところ、入間市東藤沢で西武池袋線新木場行きに乗ると乗り換えなしで桜田門に行けることがわかったので、桜田門を出発点と決めた。

  朝8時半に自宅を出発し11時半に桜田門に着いた。駅から地上に出るとそこは江戸城の桜田門前で、警視庁の建物も目前に見えた。門前でノルディックウォーキングの準備をしたあと、桜田門をくぐると1本の大きな桜の木が満開で、早速その前で記念撮影(写真1)。そこにはオーストラリアから来たという親子3人づれがいて、その男親にカメラのシャッターを押してもらい、相手のカメラのシャッターも押しやった。

桜田門をくぐると皇居前広場や日比谷公園が近い。我々は門を引き返し、皇居の周りを時計まわりに九段下を目指して歩きだした。というのは、反時計まわりはマラソンをしている人が多いと聞いたからで、彼らの走りを安全のため前方から見られるようにするためである。皇居堀沿いに歩いて行くとゆるい坂道(バス停「三宅坂(最高裁判所前、国立劇場前)」)があり、ここを通るころになると徐々に千鳥ヶ淵方面の桜が遠方に見え隠れし始める。多く人たちは桜見物のため友人らしき人たちとぶらぶらと歩いている。100人もいるかと思われる大きな集団の行列、組み立て自転車に乗って周遊するカップルなど様々な人に行きかう。我々のようにノルディックウォーキングをする人はいない。

やがて国立劇場前を通り、170本の桜が植えられてあるという千鳥ヶ淵公園に入ると丁度昼どきとあって近所で働くサラリーマンと思われるグループが桜の下でお弁当を食べている姿が目立つ。普通のお花見にはスーツ・ネクタイ姿で来ないと思われるので彼らはサラリーマンであろう。この近所には各国の大使館がいくつかあるようなので外国人の姿も結構見受ける。お花見シーズンになると公園でよく見るブルーのシートを敷き桜の木の下で宴会をする集団は、ここでは見られない。それは、この公園での宴会は禁止されているからである。屋台の焼きそば屋をみつけたので、我々もお腹がへったので1人前(500円)と水1本(200円)を高いと思ったが買う。公園内ベンチは全てふさがっていたため、縁石に座りこみ1人分の焼きそばを2人で食べた。

千鳥ヶ淵公園を抜け、しばらく歩くと今度は千鳥ヶ淵緑道という桜並木に入る。ここには桜が330本植えてあるそうで、それらは今が満開、開いた花弁のために周囲は明るくまばゆいばかりである。こうして満開の桜の下をゆっくり歩くのは初めてで心地よい。ここは都内でも有数のお花見の名所である。ここから見える皇居お堀の池や芝の緑がまぶしい。ここには池に浮かぶボートの有料乗り場がある。そのボートを背景にした桜と皇居の眺めはすばらしい(写真2)。眺めがよい所には人は集まる(写真3)。第二次世界大戦で外国で亡くなった兵士の遺骨を埋葬してある千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも立ち寄り手を合わせてきた。

今日の天気は曇りとの予報であったが、幸運にも太陽が出てくれすがすがしいお花見日よりとなった。午後2時には浜町のホテルに入るが、チェックインにはまだ早い。荷物を預け、地下鉄で乗り換えなしで行ける新宿3丁目へ出かける。ここへ来た目的は、夕食のお弁当を買うためである。我々がよくやる手は、安いビジネスホテルに泊まり、デパートの地下でお弁当を買い、インスタントみそ汁をコンビニで求めてホテルで夕食とる。こうすると経費と時間の節減ができる。特に1万歩以上も歩いて疲れた日は、夜8時〜9時に寝る者にとって、遅くなる夜の食事がつらいのである。

  4月2日、一夜明けた朝8時ごろ、約400本の桜が植えてあるという靖国神社の桜を見に出かけた。前日はよく晴れていたが、この日は雨模様でノルディックウォーキングができそうにもない。雨にあわないうちに神社内の桜を見て帰るつもりで出かけた。朝の神社入り口は写真4のように屋台のシートで見苦しい。これもお花見のシーズンのみと思われるが、もうすこしなんとかならないものかと思う。

 雨がぽつぽつと降ってきたので、早々に地下鉄の九段下駅にもぐり、帰路に着く。途中、池袋のデパートに立ち寄りスポーツウエアを求めて帰宅する。帰宅午後2時。
【2010.4.1〜2】
写真1:ノルディックウォーキングの出発地点桜田門前の桜
写真2:千鳥ヶ淵緑道からの眺め
写真3:都鳥ヶ淵公園の賑わい
写真4:靖国神社入り口の見苦しい朝の眺め
2010.4.3







2010/01/25 19:01:34|思い出
春の日ような暖かい日で気持ちのよい1日でした

ほぼ毎日ノルディックウォーキング30分、ラジオ体操10分、ストレッチ10分、太極拳10分と合計1時間あまり朝身体を動かしている。
 今日は晴天、寒いが風もない朝である。6時10分家を出て、20分のノルディックウォーキングで6時半に近所の公園に着く。公園に着くとラジオ体操会幹事の方がベンチにラジオをセットして待っていただいている。それに加え毎朝、ラジオ体操をするために集まる人たちの広場をどなたかが箒で掃き清めてくれている。定刻どおり毎日気持ちよく体操、ストレッチ、太極拳を行うことができる。太極拳は指導者、上級者がいて毎日ではないが指導してくれる。太極拳以外は、集まった皆なさんと一緒に手足を動かしている。
 こうした運動を3年以上続けているので、健康を維持できている。集まるいろいろな人たちと言葉を交わすが、それ以上深入りしない。運動を目的にこの公園に集まるので、開始して1時間ほど経つと一連の運動は終わり、7時10分ごろには皆さん静かに帰路につく。今日は寒いのでやりたくない、気分がすぐれないと思えば来なくてもよい。会費は不要だ。ただ、毎週木曜日は体操、ストレッチが終わる7時50分ごろから10分ほど公園内に散らかっている落ち葉、煙草の吸殻、紙屑など日中子どもや大人の忘れもの?を拾うという約束がある。これも、強制ではないので、参加者に用事があれば、ストレッチ終了後に帰ってもよい。だからこの体操会は長続きする。冬場の本当に寒いときで約20人、夏休みで子どもも集まるシーズンになると100人もの参加者がある。今では、参加することが習慣なた。

 ノルディックウォーキングと体操を終え自宅に帰ると歩数は約3500歩である。今朝は、前述のように無風で寒いが、暖かい太陽がふり注いでいたので午前11時、家内と徒歩40分ほどのところにあるコーヒー館という喫茶店まで食事を目的にノルディックウォーキングを行った。我が家をでると茶畑やのどかな田舎の風景が見られるところを歩く。さらに進むと以前日本一汚れている川とブラックリストに載ったこともある川幅3m〜4mの不老川にでる。1年以上、このコースを歩かなかったら、沿道や川の周辺に家が建ったり道幅が広がったりとその周辺の姿が変わった。川にはカモも見られるようになった。都会ではなかなか見られない田園風景が、ここ入間市にもまだ残っている。今日の歩数はなんと11139歩と旅に出たときのような歩きぶりであった。ところで、喫茶店での昼食は、コーヒー付きのカレーライス定食でした。

 今日は、やることをあまりしないで、終日天気が良かったので近所を散歩し、気持ちよく1日を過ごした。今日のブログのように、毎日「今日の出来事」をその日のうちに書き続けられるとよいのだが、つい、昔の思い出が先になってしまう。【2010.1.25】
2010.1.25







2009/12/15 23:05:40|思い出
親友が逝った!
 12月13日(日)夜、親友T君の奥さんから「おどろかないでね」ではじまる電話が入った。T君の死の知らせであった。「ウソ−」との返事もむなしく、その知らせは事実であった。昨夜遅くに咳こむと同時に息が絶えたという。
 T君とは理系大学時代(学科:電気通信工学科)からの親友である。学生時代はまだトランジスタが実用になっていない真空管の時代である。3年生のとき洋書で輪講をやろうということで海賊版のTurman:「Vacuum Tube Theory 」を手に入れ、T君を含む数人の仲間で教室、大学近くの喫茶店などで毎週担当者を決め、専門書を読み始めたことを思い出す。4年のときには、彼の実家が北海道旭川であったので、T君、彼の彼女(当時独身、今奥さん)と私の3人で実家を訪れ、その足で北海道を列車で一回りした懐かしい思い出がある。
 卒業後は、彼は製紙会社の研究所へ、さらに会社から派遣されT大大学院で修士課程を修了した。その後、彼も私も結婚し、それぞれ3人ずつの子供に恵まれ、両家お互い家族ぐるみの付き合いが始まった。子供たちが小学生ごろまで、かなり頻繁に行き来していたが、それ以降双方の親の仕事が忙しくなり、会う機会も減った。子供たちは成長、結婚し彼は6人の孫に恵まれた。

 お互いに定年退職後、時間的余裕がでてきたので、また、会う回数が増えた。昨年(2008年)より、T君夫婦と私たち夫婦4人で温泉へ11月に行くようになった。11月というのは、T君の奥さんと私の家内が11月生まれであるから、誕生祝いを兼ねて11月に出かけ、紅葉と温泉を楽しむようになった。昨年は河口湖の富士ビューホテルへ、今年は箱根富士屋ホテルへ11月10日に出かけた。車で行き箱根のホテルで合流し、豪華な夕食を楽しんだ。それからわずか30日経って訃報(12月12日)が入った。

 彼はエコに熱中し、雨水の有効利用を考えていたようだ。11月29日には、下記のメールが送られて来た。
 この夏ころより、ECO生活の1つとして、雨水の活用の準備を進めてきましたが、ようやく一区切りつきましたので、簡単にご紹介します。 
(1)雨水貯溜槽の増設として、ニッカウイスキー木樽(180g天水桶)をインターネットにて購入し、これをno.2雨水槽としました。
(2)新たに、平屋からの雨水をno.2取水器経由にてno.2雨水槽に溜めるようにしました。また、風呂の残り湯も、「家庭用バスポンプ」利用で、このパイプにて槽に送れるようにしました。
(3)no.1、no.2の貯留水をno.3槽に集めるようにし、先週より、試験的に昼間のみトイレ洗浄水に利用開始しました。
  これらの様子を示す写真1枚を添付します。「スロー アンド スティデイ」にて進めています。
先ずは、お礼方々近況のお知らせまで
2009.11.29 19:10
 
 さらに、死の4日前に下記のメールが届いた。
 「白菜の塩漬け」は、自家菜園の無農薬白菜6個(10Kg)です。下漬けを終えて明日本漬けの予定ですので、あと1週間ほどで食べごろになるかと思います。果たして旨く仕上がるかどうかの自信は??ですが、効能書き通りの調合に心がけていますので、多分大丈夫でしょう。十分過ぎる量ができる予定ですので、是非ご賞味の上お持ち帰り願いたく思います。出来具合確認の上、またご連絡いたします。
 先ずはご返事まで
2009.12.08 19:10

 私はといえば、4歳の子供のころ交通事故、小学校3年のとき集団疎開で山形へ、17歳大学受験のときに乾性肋膜炎で2ヶ月入院、60歳代で胆嚢除去手術、70歳代で狭心症と白内障手術といろいろと病院のお世話になり生き延びてきた。一方、T君はというと極めて健康で、病気の話しをまず聞いたことはない。健康を害する可能性としては酒を飲み煙草を吸うということだった。今では医療技術が進歩し、たいがいの病は治してくれるので「死にたくても死ねないね」と冗談を交わした矢先に彼が逝った。来年11月奥方の誕生日のお祝い旅行の場所も決めたのに逝ってしまった。死は100%誰に対してもやってくるのは事実であるが少々早い。40年以上も家族ぐるみで親しくしていたT君が、楽しみにしていた「白菜の塩漬け」を賞味させてもらえずに逝った。
 心からご冥福を祈ります。【2009.12.13】
2009.12.15







2009/11/26 18:12:39|国内旅行
蒸気機関車の思い出と遊覧船(諏訪温泉の旅 2)
諏訪温泉の旅(第2日目):宿から諏訪湖へは近いので、朝食後、直ちにお天気が良いこともあって散歩にでかける。すると湖畔に1台の実物蒸気機関車D51が展示してあるのに気がつく。蒸気機関車を見ると、すぐさま昭和27年かと思うが高校の修学旅行で京都へ行ったときのことを思い出す。そのころの長距離列車は蒸気機関車で客車をけん引することが多い。修学旅行の客車も蒸気機関車でけん引されていたので、運転手さんに「機関室へ乗せて」とおねだりしたら許可され、運転席に乗せてもらった。駅名は忘れたが、何駅か過ぎたころ友人たちに気がつかれ、我も我もと運転手さんが生徒にせがまれたので、私に降りなさいといい仕方なくある駅で降りたという懐かしい思いでの出来ごとがあった。3人いる子供たちが小さいころ、東京須田町にあった鉄道博物館(今は大宮に移転)や青梅の鉄道公園に行き、子供たちに科学の目を育てようとの試みをした覚えがある。

湖畔にある蒸気機関車の直ぐそばには、遊覧船の乗り場がある。まだ、朝9時なので運航はしていない。準備をしている遊覧船関係の職員の人に出発時間や乗車料金を訪ねたところ、不定期だが客がいれば最初の便は9:20に出発するという。30分遊覧で値段は1人800円。乗る人がいれば2人でも遊覧させるという。そこで乗船を申し出て、たった2人だけで「はくちょう号」という100数十人は乗れるかと思われる遊覧船に乗った。外国でもスイスの湖(インターラーケンやチューリッヒなど)、あるいはアマルフィの海で何度か船にのったが、こんなに大きな船に我々2人だけで諏訪湖を30分間遊覧できたということはまるで夢のようであった。下船後に船長さんが我々2人のために記念写真のシャッターも押してくれるとサービスもしていただいた。感動の30分間の諏訪湖遊覧であった。
遊覧船をおりたら10時になっていたので、宿にもどり帰路のドライブについた。今日は、非常によい天気であった。そのため帰りのドライブ中に八ヶ岳(全体がよく見えた)や富士山(雲がかかっていたが山頂付近がよく見えた)たので、途中「八ヶ岳」、「双葉」、「だんご子坂」SAに立ち寄り、景色を楽しみ午後2時に自宅に戻った。【2009.11.26】
2009.11.26







2009/11/26 18:08:06|国内旅行
千人風呂と松茸ご飯(諏訪温泉の旅 1)
諏訪温泉の旅(第1日目):1泊2日で上諏訪温泉へ行ってきました。宿は長野県上諏訪にあるKKR諏訪湖荘というところで、松茸ご飯が食べられるとの宣伝につられ家内と出かけることにしました。また、この宿の直ぐそばに「片倉館」いう“ロマン漂う洋風建築 千人風呂”がある温泉があるというのももう一つの理由です。美味しいご飯と千人風呂につられて、出かけることにした次第です。
資料によると、「片倉館は、大正から昭和の初期に日本における輸出総額の約1割が絹製品であった当時、シルクエンペラーと称された片倉財閥により地域住民に厚生と社交の場を供するため昭和3年(今から80年前)に竣工され、それを運営する(財)片倉館が昭和4年に設立されました。館内には千人風呂と呼ばれる大きな浴槽の温泉があります。昔養蚕が盛んな頃、岡谷から多くの女工さんが諏訪湖を舟で渡ってきて楽しんでいったそうです。ロマン溢れる温泉で、歴史を想像しながら浸かる温泉もまた格別だと思います。天然温泉を豊富にたたえる大理石造りの浴槽は100人が一度に入浴できるほどの広さです。深さ1.1mの底には玉砂利敷き詰め、立つと心地よい刺激が感じられます。また、ステンドグラスや周囲の彫刻、装飾もお楽しみいただけます(片倉館資料)」
入間から圏央道と中央自動車道を使い、途中、道の駅2か所に立ち寄り約4時間かけてKKR諏訪湖荘に到着。立ち寄った道の駅は、南アルプス地域にある「とよとみ道の駅」(山梨県)と「しらね道の駅」(山梨県)です。なぜ道の駅に立ち寄るかといいますと、運転が好きなこともあってどこかへのドライブへ行く途中に道の駅に寄りスタンプを押すことを楽しみとしていることと、家内が訪れる地域の物産や野菜に興味を持ち、道の駅でその地の物産品を見たり求めたりすることを楽しみにしているからです。これまでにも、何回か関東、中部、東北、北海道、九州などの各県内に点在する道の駅を訪れてはスタンプを押し、道の駅内の食堂で食事をして新しい発見を得ています。
第1日目は、移動を兼ねて道の駅に立ち寄り、宿にチェックインする前にまずは片倉館にて千人風呂で汗を流すこと計画していました。6時からの松茸ご飯の食事が待っていますので、4時半に片倉館に着いて直ちに入浴し、ここから近いKKR諏訪湖荘に移動しチェックインしました。

千人風呂は、上述したように深さ1.1mの底には玉砂利敷き詰められていますので、他の温泉では味わえない良い気分でした。トルコに行ったときに入ったことがあるトルコ風呂(水着で入る)のようで深さといい広さといい建物といい、雰囲気が似ている風呂でした。この風呂は有料で大人1人500円です。
宿での夕食は待望の松茸ご飯、目の前で小さなお釜に1膳分松茸の入ったご飯炊き、松茸の天ぷら、松茸の入った牛鍋の夕食をいただきました。大きな声では言えないのですが、このような正式な松茸ご飯の夕食をいただいたのは初めてです。【2009.11.25】
2009.11.26