まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2010/06/29 7:48:53|著書・解説・その他
著書紹介(2010年):「看護・介護を助ける姿勢と動作」(イラストで学ぶボディメカニクス)
 看護大学、看護専門学校、福祉専門学校で「看護人間工学」という科目を教えています。この教科では、人間が使う道具、機械類から始まり人間を対象とする看護や介護分野における諸問題を解決する糸口になることを講義します。とくに看護や介護作業で起こす可能性が高い腰痛発症を軽減するため、ボディメカニクスという力学にかかわる話しに重点をおいています。看護・介護に関わる皆さんは限りなく文系の方たちですので、物理や力学をいかに違和感なく理解していただくかということに毎年苦労しています。物理や力学の話しをしたり、あるいは黒板に数式を書いたりすると嫌われがちです。そこで考え、本書の最初は自分の身体を使って自ら動作実験をしてもらうことを書いています。その動作がなぜできないかの理屈を順次読み進んでいくうちに分かるような章だてにしました。自分自身が倒れるとか、物を持ったり動かしたりしたときに危ないとか苦しい思いをするのはなぜかという理屈がわかれば、それが腰痛発症の予防になり、看護や介護の労力軽減に役立つと考えています。

 腰痛予防や看護・介護の負担を軽減する『ボディメカニクス』の活用を!

看護師・介護士の腰痛発症率は70%とも80%とも言われています。腰痛の予防方法として,動作を行うときにボディメカニクスを活用することが推奨されています。このボディメカニクスとは,物理や力学の原理を活用して看護・介護者の腰痛などを予防し,利用者が安全かつ安楽に介護を受けられるようにする技術です。ここで,力学や物理と聞くと,ちょっと苦手だなぁと思う方も多いでしょう。本書では,これらを身近な事例や簡単な実験を用いて解説します。

第 1章 やってみようボディメカニクス!
 つま先立ちの実験 ●壁にお尻と踵をつけてお辞儀する実験 ●片手,上体,片足を壁につけて壁と反対側の足を持ち上げる実験 ●座位姿勢で足位置を変えて立ち上がる実験 ●座位姿勢で上体を傾けないで立つ実験 ●立位の人があなたのおでこに指先を当てた状態で立つ実験 ●立位の人があなたに手を差し伸べた状態で立つ実験 ●座ったあなたが前傾しながら立つ実験
●慣性の効果を確かめる糸切り実験 ●10円玉が居残る実験で慣性の効果を知る実験

第 2章 身近なボディメカニクスを考える人間の姿勢・動作と力学について(ボディメカニクス) ●日常生活に見るボディメカニクス ●仕事に見るボディメカニクス ●看護・介護に見るボディメカニクス ●スポーツに見るボディメカニクス

第 3章 ボディメカニクスを理解するためのやさしい力学
人間の機能,特徴,能力の限界 ●力と圧力の違いは何か(力の単位,圧力の単位,質量,ベクトル) ●滑らかな動きと速度・加速度について ●動き出したら止まらない慣性について ●重力があるから腰痛が起こる ●重心を支持基底面内に収めて転倒を防止する ●テコの原理を知って仕事を楽にする ●力のモーメントで負担の大きさがわかる ●姿勢の安定・不安定について ●実験課題の解答

第 4章 看護・介護の姿勢・動作とボディメカニクス看護・介護に役立つ基礎ボディメカニクス ●腰痛を起こす要因と予防 ●自力で動く姿勢・動作を考える ●看護師の日常業務を考える ●負担が大きい看護・介護動作を考える ●用具を使用した看護・介護作業を考える ●看護・介護動作のエビデンスを考える ●看護介護動作のボディメカニクスとキネステティクについて ●ボディメカニクスを振り返る
 看護・介護に役立つ基礎ボディメカニクス ●腰痛を起こす要因と予防 ●自力で動く姿勢・動作を考える ●看護師の日常業務を考える ●負担が大きい看護・介護動作を考える ●用具を使用した看護・介護作業を考える ●看護・介護動作のエビデンスを考える ●看護介護動作のボディメカニクスとキネステティクについて ●ボディメカニクスを振り返る








2010/06/23 13:07:52|思い出
また、狭心症になりました
3年前の2007年7月に狭心症のため、手首からカテーテルを挿入し、ステントを入れる手術を行った。このときは、真夜(午前1時ごろ)で、急に胸の痛みが15分ほど続いたので家内が救急車を呼び所沢ハートクリニックに搬送された。救急車が到着したころには痛みは和らいだので、どうしようかと思ったが、また、痛みが再度現れるのを恐れ担架に乗り救急車で病院へ行った。
翌日、精密検査の結果、2か所に狭窄(きょうさく)が見つかり、その2か所にステントを入れる手術をした。それ以来、走っても階段をかけ足で登っても心臓が痛むようなことはなくなった。

 あれから3年経った今年3月に心臓の精密検査を行った。ここに示す写真は、心臓を取り巻く血管の様子である(2010年3月撮影)。3年前に入れてもらった2か所のステントが冠状動脈にきちんと収まっている様子がよく分かる。今回の精密検査の結果、写真でわかるような箇所に、また1か所別のところに狭窄が見つかった。今年3月の時点で、手術をするなら3カ月先の定期検診(6月)のときにその日程を決めることになっていた。その手術日を決める日が昨日6月22日(火)であった。医師との相談の結果、7月6日に手術をすることになった。
 痛くて手術するというなら直ぐに手術の覚悟ができるが、痛くないのに手術ということで複雑な気持である。しかし、写真のように明らかな狭窄が見つかった今、手術しておかないと楽しみにしている旅行に行けなくなると思い、2週間先に3本目のステントを入れることにした。
 2010.6.23







2010/06/13 22:49:33|小さな旅の思い出
マルタ島から知人がやってきた!
2005年8月にポーランドのクラクフという町のホテルロビーでちょっとした会話のきっかけでマルタ人の夫婦と知り合いになり、2007年1月マルタ島、2009年12月シンガポール、2010年6月日本と4回にわたり異なる国で彼らと再会した。出会いの物語はいずれ紹介するとして、今回は6月6日に彼らを東京案内した様子を記す。夫婦の名前は、リタさん(奥さん)とフランスさん(ご主人)といいリタさんはフランスさんより年上である。
1か月前に日本へ行くが会えるかとメール連絡が入った。夫婦は現在マルタからシンガポールへ長期出張で来ている。マルタから日本へは十数時間の飛行であるが、シンガポールからだと6時間ぐらいで済む。シンガポールに2年滞在しているが、日本へ来るのは初めてであるという。日本滞在予定を聞くと京都、奈良、大阪へまず行き最後に東京だというので、最初は出張で日本へ来るのかと思ったが、会ってみたら、我々が以前プレゼントした日本紹介の本に京都、奈良の美しい写真があったので、まずは関西へ行き、それから東京に来て我々に会いたいということがわかった。
東京へは2010年6月4日(日)〜7日まで滞在し、この間に1泊旅行で箱根へ行き温泉と富士山を見てくるという。帰国日は7日だが、6日に会えないだろうかということで、この日の午後から夜まで東京を案内することにした。

マルタは英語でRepublic of Maltaといい、日本語の正式表記はマルタ共和国である。国の面積は淡路島の半分程度で人口は約41万人、首都はバレッタ、2004年5月1日に欧州連合(EU)に加盟した。マルタの公用語はマルタ語と英語である。

身軽な格好で新宿へ向かい、ヒルトンホテル東京(新宿)まで歩く。午後2時、ロビーにてフランスさんとリタさんに出迎えを受ける。お土産の交換。我々からは、サイン入り「イラストで学ぶ看護人間工学」(日本語は分からないが記念として)、和菓子(ふたり静)、日本的ポーチ、鬼の絵の絵葉書をプレゼント。リタさんから、レースの丸いテーブルクロス2枚、マルタ紹介の写真集をいただく。
小国マルタから来たが、隣国のイタリヤやヨーロッパ諸国を旅しているので、意外と東京の混雑さと人の多さには驚いていない。ただし、大阪滞在中にラッシュアワーに出会い、その混雑ぶりにはびっくりしたらしい。前日にすでにバスによる東京観光は済ませていたらしく、都内の大まかな様子は知っていた。見学した神社で2組の結婚式に出会うことができ、神前結婚式後に新郎・新婦が移動するときの写真を沢山見せてくれた。
箱根温泉、富士山ドライブでは、温泉に4回も入り温泉が大変気に入ったとのこと。また、富士山は若干雲に覆われていたが、素晴らしいを連発していた。なにしろ、マルタには温泉はなく、高い山もないので日本の景色が大変気に入ったようだ。日本人は大変親切で笑顔が絶えないといい、街はきれいだとほめていた。

4人でヒルトンホテルからシャトルバスにて新宿駅へ向かい、まだ午後3時なので夜の観光バスには早すぎたので、秋葉原を散策。フランスさんとリタさんがアキバ少女と一緒に写真撮りたいと言い出したが、彼女らに近づくと断られる。秋葉原の電気・電子パーツを売るガード下の小道、電気屋街を歩きまわり、ヨドバシカメラ8階のレストランにて休憩しコーヒーを飲む。彼らの話しによると日本のピザやスパゲッティなどパスタは美味しいといっていた。ただし、刺身や寿司などの生ものには絶対手をつけないという。
浜松町の世界貿易センタービル内にあるはとバス乗り場に行くが、一時間早い。フランスさんが煙草を吸いたいというが喫煙場所がない。この世界貿易センタービルの中庭にでると吸えるというので、そこで、5時40分の出発まで、中庭の椅子に座り小1時間フランスさんは喫煙、我々とリタさん3人はマルタやポーランドで会ったときの楽しかったときの思い出話を語り合った。

5時半に参加者のチェックイン開始。夜のはとバス東京観光(英語版)正式名は「Tokyo Nightlife/定期」というが、その乗客はマルタ人2人、アメリカ人5名で、日本人3人の計10名で、この観光は夕食つきで1人6500円である。ガイドさんはよく東京のことを知っている年配の男性である。もちろん英語は堪能だが、日本人的英語発音であるから我々日本人にとって分かりやすい。参加者に日本人が3人いるので、たまに日本語解説が入るが基本的にはすべて英語の解説である。
夕食は有明のあるホテル23階において「てんぷら、すきやき、さしみ、ベジタリアン」の日本食4コースから1コースを選ぶ。3人がすき焼き、真喜子1人がベジタリアンを選ぶ。この食事は、浜松町のバスセンターでバスに乗る前にアンケートをとり、あらかじめ選んでおく。有明のホテルに着くころには料理は手配されているので、席につくと直ぐ夕食がとれるようになっている。西日が眩しい窓際だが、丁度太陽が沈む時間で日没の瞬間が見えるよい場所である。
 有明で夕食後、夜の観光はお台場散策が30分、レインボーブリッジ、銀座、国会議事堂、日比谷公園をバスで通過し、ロッポンギヒルズ52階から約40分間東京の夜景を楽しむ。東京タワーがグリーンのイルミネーションで間近に見え美しい。ここから新宿も見えるがやや遠い。この夜景を最後にはとバスは終了。アメリカ人2人が六本木ヒルズに居残り、4人が浜松町で降りた。このグループは1人が日本人で3人がアメリカ人、これから栃木に4人で帰るというので浜松町駅で下車した。その後、我々4人のために観光バスでヒルトンホテル東京(新宿)まで送ってくれた。

  ヒルトンホテルにつき、フランスさんからお茶しないかとの提案があり、ホテルでコーヒーを飲み午後10時になったので、また、いつ会えるか不明だが、いつかどこかで会おうと誓い別れる。真喜子とタクシーにて新宿駅に行き山手線にて池袋、ここから4分ほどの東横イン池袋に午後10時に到着。今日は日曜日なので30%オフ、8200円の部屋代が5700円で泊まれた。
池袋のホテルに泊まった理由は、翌日の6月7日(月)は宇都宮の独協医科大学で講義があるためである。7日朝、ホテルで眞喜子と朝食を済ませ池袋駅で別れた。真喜子はデパートで出来合いのカレーを買って帰るというので、今日の夕食はカレーライスだとわかる。【2010.6.6】
写真1:秋葉原電気屋街を見学する4人
写真2:アキバ少女に接近するリタさんと眞喜子
写真3: アキバ少女を撮影中のフランスさん
写真4:すき焼きを前に思案顔(一通り食べました)
2010.6.13記







2010/05/01 10:09:29|国内旅行
2010年 春の和ヶ原公園体操会バスハイク

 4月10日(土)、やや曇りがちな朝6時半から10分間、ラジオ体操をすませ体調が整ったところに丁度バスが到着した。バスの窓からは体操に続きストレッチを行っている体操会の皆さんが見える。体操しながら皆さんが手を振る姿に見送られ、参加者が乗車しバスは一路上田城へ向かった。当日は土曜日いうことで高速道路1000円サービス期間中である。渋滞が見込まれ予定通りに上田に着けるかどうか心配したが意外とスムースに走ることができた。車中で参加者はネームカードを胸に付け出欠をとったお陰で、普段見慣れた顔だが名前が不明であった人の特定ができた。

 車中で幹事のSさんより挨拶、旅の諸注意や行く先々の詳細な情報の説明があった。特に、出発した今現在は曇りだが上田に向かうほど徐々に晴れ間が広がり、上田城に到着するころは晴天になるでしょうと予言した。それが見事に当たり桜咲く上田城に無事到着したときには暑いくらいのお天気に恵まれた。途中、車窓からは白い“こぶし”(“はくれん”の花を小さくしたような花)が沢山咲く高速道路、美しい桜が満開な道路を快走、高速道路の横川SA(サービスエリア)で釜めしを積み込み、いつのまにか上田に着いた。

 上田城バス停から満開の桜の下をゆっくり散策しながら城内広場へ向かった。この広場には桜を背景にした観光客の姿をカメラに収めてくれるシャッターマンと称する上田市職員やボランティアの方々がいる。鎧兜を身に着けた観光用宣伝マンもいて、その人たちと一緒に記念撮影を撮ることもできる。周囲は桜まつりを盛り上げるため、舞台が設けられ和服姿の人たちが踊りを披露していた。お土産屋、飲み物・食べ物を販売する出店と沢山の人で埋め尽くされ、桜祭りにふさわしい光景が見られた。お堀のある城内をのんびりと一周し、バスの待つ停留所へ戻った。

 別所温泉「あいぞめの湯」で横川の釜めしの昼食をとり、そして温泉につかり一休みしたところで、三重塔(重要文化財)がある前山寺へ移動した。三重塔までは小高い丘のような山道を登るので一部の人は途中で断念、一行の戻りを待つという場面もあったが無事に歴史ある三重塔を見ることができた。つぎに、戦没画学生慰霊美術館「無言館」へ移動し、館内の絵画を見た。昭和20年3月10日の東京大空襲で我が家を失った私にとって、先輩である画学生さんたちが残した絵を見ると瞬時に当時の辛かった思い出がよみがえる。バスツアは、ここを最後に横川SAで釜めしの重い空き容器を返却し、所沢和ヶ原公園に一気に向かい、帰りも順調に走り無事予定通り午後6時に帰着することができた。

 往きのバス内では、まだお互いがよくわからない状況のままで自己紹介があった。ところが、お互いが家族のようによく知り合になれた帰りのバス内では、今回のバスツア感想をとマイクを回したところ、いろいろな感想やら歌まで出始めた。感想では、多くの人は桜が綺麗であったこと、無言館の絵画、学徒動員あるいは出征で戦地に出向いた画学生が親、兄弟姉妹を描いた絵、家族、恋人、妻へ送った手紙に涙したことなどを語ってくれた。
さらに、「おーい中村君」という歌がどこからともなく響き渡ると、それに続いて戦中・戦後間もない古い歌謡曲「青い山脈」「君の名は」「人生劇場」「白樺の歌」「有楽町で逢いましょう」「東京だよ!おっかさん」などの歌が出始め大合唱となった。無言館を見学したこともあり、また戦争、戦後の歌がでたこともあって私が小学校3年生で昭和19年から20年にかけて親元を離れて山形県へ集団疎開し、帰ったら東京亀戸の自宅が3月10日の大空襲で焼失した話しを伝えた。つぎに大先輩のSさんが中学3年生であった戦前、厚木の弾薬庫で弾薬作りに奉仕した貴重な体験談をお話された。話によると大人の兵隊は一人ぐらいで、他は子どもたちが弾薬を作るということを行うようでは、日本は負けると確信していたなど当時の苦しかった思い出話しが聴けた。

 今回のバスハイクも、いつもの笑いありに加え涙ありで大変楽しいバスハイクであった。いつもながら、お世話頂いた幹事の皆様に感謝している。また、次回も参加したいと思っている。【2010.4.10】
写真1:毎日の日課、朝6:30のラジオ体操
写真2:上田城の見事な桜
写真3:桜と老木?
写真4:前山寺の三重塔(重要文化財)

2010.5.1







2010/05/01 9:35:22|研究・教育の思い出
世界遺産(姫路城)が見える看護学校!

 毎年、春学期は大学1校、看護専門学校3校、福祉専門学校1校で講義を行うので、土日しか暇がとれないほど忙しい。専任で勤めていたころと変わりなく、むしろ移動の分だけ忙しくなったかもしれない。しかし、教授会、学科会議、学生の研究指導、学会活動というような公の仕事がなくなったため、その分現在の教育活動に専念でき、講義準備が十分できるようになった。「人間工学」という言葉も聴いたことがないような学生が人間工学を意識し、身近な人間工学を探すほどにこの教科に興味を抱いてくれるようになるのはうれしい。そして、「看護人間工学」は看護に絶対必要だという感想も授業最終日には聞け、ますますうれしくなる。

  今学期(2010年)、4月12日(月)から講義が始まった。最初の講義は栃木県宇都宮郊外にあるD大学、次は兵庫県姫路市にあるH看護学校(集中講義)、続いて千葉県旭市のA看護専門学校、最後は成田市のH福祉専門学校である。こうして、4月の第1週は月曜から金曜まで4校で講義を終えた。次の19日からの週は、姫路のH看護学校が終わるが、それに代わり川口のK看護学校が入れ替わりで講義日程に入る。

4月13日と14日の集中講義を行ったH看護学校というのは、姫路医療センター付属看護学校である。この学校は、姫路城のまん前にある姫路医療センター(病院)の構内にあって、病院からは当然だが、看護学校からも世界資産のお城が見えるといううらやましい環境にある。

初日の講義は、午後1時からであるが、姫路城を見たく前日(12日)に姫路に移動した。午前10時と早めの学校に行く。講義時間の都合で姫路城内に入るつもりはなく、お城の周辺の桜見学とお城の美しい写真を撮りたかったからである。

2日目の講義は午前と午後に渡ったため、お昼休みにお城の周辺を散歩できた。散りかけた桜であったが、人影が少なく今年4度目(千鳥が淵、西武園、上田城)のお花見を満喫できた。

 数日前のニュースによると姫路城は、桜が満開ということと、修復工事のため周辺を覆い今年から5年先にならないと元の美しい姿を現さないということもあってものすごい数の観光客が訪れ、お城見学で入場するのに待つこと3時間とも4時間とも言われたニュ―スである。そのため、込むのではないかと懸念していたが、ウイークディということもあって、人はまばらであった。

13日はお城の工事が丁度はじまったころで、大きなクレーンが動いているのが見えた。昨夜の雨で桜はかなり散ったようだが、まだ、きれいな花びらを沢山つけていて美しい桜見物ができた。この日は曇りで桜を背景にしたお城はやや霞んで見えるが、それでも日本一のお城だけあって何回見ても飽きない。今回で3回ここ姫路を訪れたが、桜を背景にしたお城を見るのは初めてで、散りかけたとはいえ写真のように優雅なお城の姿を写すことができた。

 姫路医療センター付属看護学校は、今年新校舎を建てたばかりで、旧校舎から移ったところである。そのため、まだ、トイレに男女別のサインがないので入るのにまごつくというようなことがあった。
新入生は男子学生1名、女子41名で、今日よりこの学校で講義を受ける1年生は緊張している。全員が黒の制服を着ている。講義の初めと終わりの挨拶は週番さんが行うが、その週番も始めての講義でどうしていいのか迷っていた。「起立」「礼」をするようにと伝え講義に入る。人間工学は内容的に面白いし興味を持てる教科だと自負しているが、なにしろ「人間工学」とう「工学」の二文字があるため物理や数学の講義のように思われがちだ。人間工学は身近に応用が広く、考え方は実用的だし、身近にあるもの全てがこの人間工学に関係していることを話すと納得する。よく知れわたっている人間工学の応用例に「トイレ洗浄機」「SUICAやパスモの自動改札機」「トンネルの照明」「ボールペン、カッターナイフなどの文房具」、「パソコンのマウスやキーボード」「すわり心地の良い椅子」などがあることを解説する。そして、その考え方は看護や介護にも通じ、それらは看護・介護動作やME機器に応用されているし、応用すると良いことだらけであるという話をする。とくに看護師の腰痛は多いので、その原因を調べると低いベッド周りの前かがみ作業が多く、しかも重い患者を抱き起こしたり車椅子へ移乗させたりという介助を行うことが多いからであるということも話す。このような腰部障害を起こさないためにボディメカニクスの有効性とその理屈を話す。

 こうして、2日間にわたる集中講義を終え、次に講義する千葉県旭市にある旭中央病院付属看護専門学校へ移動した。この学校も自宅から遠いので、前日移動し病院のゲストルームに宿泊する。この日(4月14日)は姫路からの移動であったので、病院に着いたのは夜10時であった。こうして、学校間を飛びまわっている生活は5月まで続く。【2010.4.13−14】
写真1:学校から姫路城が見える
写真2:病院玄関から姫路城が見える
写真3:工事が始まった姫路城
写真4:桜と姫路城

2010.5.1