まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
新パックン登場!

 「胃ろうによる経管栄養剤の補給法の研究」を8月12日に投稿した。栄養剤の補給は、現状では写真1のように手で押しつぶすようにして行っている。その動作を楽に行えるようにするために補給補助装置の開発研究を紹介した。その後、装置を改良・試作し写真2の右に示すようなスマートな装置が出きた。この装置は、栄養剤の入った袋を板で押しつぶすようにしてカテーテル(チューブ)を介して胃に栄養剤を送ることできる。手で袋を押しつぶす代わりである。この時の押しつぶす力はネジによる力の増倍を活用した。10月14日に、二回目の実験をT大学、S大学の先生と○○ラボで行ったので、その成果の一端を紹介する。

 ネジを一回回すとどの程度の栄養剤が供給できるかとか、1回回すと粘度の高い液状の栄養剤の内部にはどの程度の圧力がかかるかを知ることが今回の研究の目的である。栄養剤袋内部の圧力は測れないので、栄養剤の出口(チューブ入口と出口)の圧力を測れるように工夫をし、圧力を測定した。また、同時に刻々と出てくる栄養剤の量を目方(重量)として測れるような装置も開発した。圧力と出てくる栄養剤の重量を同時に測定した結果が写真3と4である。

 30秒ごとに自然な回し方で1回回すと写真3のようなグラフになり、圧力の最大は約13[kpa]で、200gの栄養剤を約32分で補給できる。一方、一生懸命回すと写真4のように約1分(最大圧力:30[kpa])で補給できることが分かった。ネジをゆっくり回せば栄養剤を補給する時間はいくらでも伸ばせ、圧力も小さくなる。1分で200gを胃に入れることはまずないが、研究であるからこのような最速の場合も把握しておく必要があると考え行った。栄養剤の重量は直線的に増加しているが、それは時間に合わせて回したからで、もしも、休みやすみ回せば階段状に重量は増えて行く。

 今回は、1分で1回ネジを回す、1分で2回ネジを回すというように単位時間でネジを回す回数を変えて実験を行った。

 実用になるためには、臨床の場で受け入れられるような改良とともに現場の使用上の問題を洗い出す必要がある。まだ、改良の余地が残されているのでさらなる改良に取りかかるつもりである。

注:お腹から胃に通じる穴(ろう孔)を開け、カテーテル(チューブ)を取りつけ、その先に栄養剤をつないで必要な栄養を胃に直接送る方法を「胃ろうによる経管栄養」という。これは、口から食事がとれなくなった方に栄養を補給する方法である。

 最近は、旅も楽しんでいるがこうした研究のお手伝いも行っている。また、来週からは看護学校での授業も始まるのでそちらに出かけるので、また少しは忙しくなる。【2010.10.14】

写真1:手で袋を押して内部の栄養剤を出す手の姿勢の例
写真2:開発した栄養剤補給補助装置新旧「パックン」の写真(右が新)
写真3:30秒で1回ネジを回すとこのように1回ごとに圧力増加が見られる。
写真4:ぐいぐいと一生懸命回すとこのようなグラフとなる。元気がある最初は速く回わせるので圧力が高いが、疲れてくると回す速度が遅くなり、圧力も小さくなる。

2010.10.17 記







2010/10/16 19:30:55|思い出
川越祭りを楽しむ!

 入間市に住んで40年以上が経つ。川越は入間に近い。小江戸川越で有名な「川越祭り」にいつか行きたいと思っていたが、その機会を失っていた。幸い、半年に一度の定期検診で、東武東上線川越駅近くのM歯科医に定期検診に行ったところ、明日から川越祭りがあるということを知る。その祭りの準備で街はにぎわっているのを見て、祭りに行きたくなった。

 そこで、晴天に恵まれた今日の午後2時、川越祭りの山車が9台川越市役所に終結するというので市役所を目指し12時に自宅をでる。川越についたところ、川越氷川神社の神幸祭神興行列がスタートしていて、市役所へ行けないほど人だかり。神興行列を人の肩越しに眺めながら、山車の側まで来たがなかなか正面に回れない。後ろ姿の山車の写真を写し、引き返す。

 いつもなら人の肩に触れずに歩ける大正浪漫夢通りは、今日は道路両側いっぱいに出店が出ている。そのため、肩や腕が他人に触れるような格好でゆっくりとしか歩けない。この雑沓に入ったとたん、子供のころ祭りが好きでよく出かけた東京向島の白髭神社を思い出す。この雑沓になれるに従い、疲れはじめどこかで休みたくなる。しかし、どの店も満席で直ぐには入れない。しょうがないので勝手が分かっている丸広百貨店の地下コーヒー店に入りコーヒーを飲み一休み。地下には食料品売り場があり、美味しそうなお弁当が沢山ある。今日の夜はお弁当と眞喜子は勝手に決め、お祭りでおめでたい日ということで赤飯弁当を買う。百貨店を出てから、西武新宿線本川越駅まで到達するのに、また人ごみで一苦労。

 山車は夜になると動くというが、疲れはて夜まで待てない。夕方16:30に自宅に戻る。楽しかったが、人浪にもまれ疲れた一日であった。それもそのはず、朝のノルディックウォーキングと昼のお祭り見学を合わせ、1万歩を越すほど歩いたからだ。【2010.10.16】

写真1:川越祭瓦版改め、季刊川越専科秋だより「川越祭り」表紙
写真2:信号機より高い山車、交差点に差し掛かると電線と信号機を上手に迂回する
写真3:山車を引くかわいい子供たち
写真4:獅子とツーショットでご機嫌の眞喜子

2010.10.16







2010/10/13 21:10:55|小さな旅の思い出
今年も初島にてノルディックウォーキング

 昨年は10月28日に初島でノルディックウォーキングを楽しんだことをブログに投稿した。今年も10月6日に初島を訪れ、島を一周してきた。今年は9月1日から23日までヨーロッパへ出かけ毎日1万歩ほど歩いていた。その疲れをとるために帰国したら温泉につかり旅の疲れをとりたいと思っていた。帰国して2週間たった10月6日に熱海の温泉に行った。いつも行くKKRホテル熱海は、海に近いところにあって初島が良く見えることもあって、熱海へ行くと初島へ行きたくなる。周囲を一周しても1時間ぐらいなので、つい、初島へ行くならルディックウォーキングをやりたい気持ちになる。ということで、一泊の予定でお天気なので組み立て式のポールを持って出かけ、熱海駅から熱海港へバスで直行し初島へ渡ることにした。

 初島には会員制のホテル初島クラブが初島港の反対側にあり、会員ではないので宿泊はできないが食事はできる。そこで、昼食は初島クラブでとる予定で、自宅をでた。丁度ラッシュアワーの時間帯で、かなり混んだ。この混んだ電車に若いころは、毎日乗っていたのだ。初島クラブへは午後1時ごろ着き、軽い昼食を初島クラブでとり島を一周し汗を流した。

 この島でノルディックウォーキングを行っている人とはまず会わないのだが、今日は男性2人ノルディックウォーキング、女性1人が一緒に歩いていた。軽い挨拶を交わす程度で別れ、島を一周し海泉浴島の湯に来たら、先ほど会った女性がそこにいて、ここの職員であることがわかった。話を聞くと、ノルディックウォーキングの男性2人は伊豆のノルディックウォーキングクラブの方々で、将来島を一周するノルディックウォーキング大会を計画しているというので、島をひと周り案内したとのことであった。

 我々は去年初めてこの島一周をノルディックウォーキングしたが、その時に車も人も少なく景色がよいので、ノルディックウォーキングにとってこの初島一周は適している場所だと話し合った。また、いつか来ようということで、今回2回目のノルディックウォーキングにやって来た。去年は島を左側から一回りしたが、今年は右側から一周した。昨年は晴天に恵まれ、気持ちの良いノルディックウォーキングができたが、今年も写真に示すように晴天に恵まれ、気持ちよく歩くことができた。

 往きは熱海駅からバスで熱海港へ行ったが、帰りは少々疲れたこともあってタクシーでKKRホテル熱海まで行った。タクシーに乗る前にホテルまで基本料金で行くかと尋ねたら、800円ぐらいという。ホテルに着いたら1010円と10円をオーバーしていた。乗るときに800円ぐらいと運転手は言った都合上、“1000円でいいや”と10円おまけしてくれた。タクシーはチップを出しメータ料金より余計に支払うのが当然と2週間前まで習慣づいていた。わずかな金額とはいえおまけしてもらえたことに対し、申し訳ない気がしている。乗るときに運賃を訪ねたのは、バスで帰る予定であって1000円超えるなら乗らないつもりでいた。運転手側も1000円以上というと乗らない客かと思い、800円ぐらいと言ったような気もしている。なにしろ、去年はホテルと熱海港の往復を歩いているので、ある程度の距離感は持っているので、歩く自信はまだある。【2010.10.6】

写真1:熱海港と初島港を往復するイルドバカンス3世号(往復2340円、片道は売らない)
写真2:熱海から25分で初島に着く。初島が見えてきた。
写真3:船内で早々とノルディックウォーキングの準備完了
写真4:このような海岸線を歩けるので、また来たくなる

2010.10.13 記







2010/08/22 14:42:55|研究・教育の思い出
モンゴル君の結婚式

ニックネーム(あだ名)のつけ方は面白い。子供のころ近所の友達のあだ名を今でも覚えている。背が高いので「たけうま」、背が高くて細身なので「ひょろはち」、目が大きいので「でめきん」、色が白いので「およめさん」、岩崎君だから「がんちゃん」などと顔の形・姿や名前からその名が生まれる。

 7年ほど前に、教え子が「ギャッチベッドに関する」卒業研究を行った。彼は無口で、その彼が発する声が小さく「ギャッチベッド」と言っているのが「チベット」と聞こえるということで、友人が「モンゴル」というニックネームをつけた。それ以来、彼の名前はモンゴル君となった。

そのモンゴル君が今日(2010.8.21)写真1のシャロンゴスペルチャーチ高崎で結婚式を挙げるというので夫婦で招待され出席した。相変わらず猛暑が続く中、午前11時会式というので、涼しいうちに着くようにと午前7時に入間の自宅を出た。高速道路の土日割引があるせいか、ところどころに渋滞があり11時までに間に合うかどうか心配した。しかし、9時半ごろに着き到着一番かと思っていたら、名古屋、岐阜、三重に住む研究室が一緒であったモンゴル君の同期生ら4人が午前3時に名古屋を出発し、すでに式場に到着していた。またまた、今回の結婚式にも先月のN君の結婚式の場合と同様に、同期生が10人ほど出席(写真3)し、モンゴル君にとっても私にとってもうれしい結婚披露宴になった。

研究室の最終ゼミは泊まりがけで、年1回3月に行っていた。この年1回のゼミには家内も参加し、準備の手伝いをしていた関係上、モンゴル君の性格をよく知っていた。彼は無口でおとなしい学生であったが、行動は結構活発で動きは速かった。50ccのバイクを乗り回し、大学から遠いゼミ会場(埼玉県の嵐山にある国立婦人教育会館)までもそのバイクでやってきた。驚いたことに、結婚式である今日も写真4のバイクに乗って会場に現れたと聞き、私がまたがってみた。結婚披露宴が終わったら、あのバイクで2人は帰れるのだろうかと余計な心配をしている。

今思い出すと、彼の卒業論文最後の謝辞には、私をはじめお世話になった他大学の看護の先生方や研究室で一緒に手伝ってくれた同期生全員に対して、長々と丁寧な謝辞が述べられてあった。普通、卒研の最後の謝辞は1〜2行程度であまりにも簡単に述べてある学生がほとんどである。かつて、謝辞が立派に述べられれば、下手な論文を書くよりいいなど冗談を言ったことがあるので、それを覚えていて、書いたのではないかと思う。お礼や謝辞をきちんと言えない、電車の中でお年寄りや身障者に席や道を譲れないような若い人が増えたように思える。このような人に対する気遣いはとても大事ではないかと日頃感じている。【2010.8.21】

写真1:シャロンゴスペルチャーチ高崎前の家内
写真2:披露宴会場入り口の2人の似顔絵(よく描けている)
写真3:O研究室所に属した同期生(一人顔が隠れているのが残念)
写真4:今日もバイクで現れたというモンゴル君のバイクにまたがった私
2010.8.22記







2010/08/18 8:50:51|著書・解説・その他
世界でたった1冊しかない本ができた!
昨年(2009年10月)に恐る恐るブログをはじめてから10ヵ月が経過した。私の授業で講義科目に関連するする外国の話しを学生さんにすることがある。彼らから詳しいことをブログに投稿してほしいと要望があった。しかし、ブログには当時全く関心がなかったためブログを開設しそこに記事を投稿する方法については全くわからない。ある学生さんが今は携帯電話でもブログを見ることが出来ると、ブログの実情をその場で開いて見せてくれ、概要を教えてくれた。デジタル機器に関しては若い人はよく知っているので、そのやり方のあらましを教えてもらうと同時に自分でもブログについての書籍を買い、約1年の準備期間をおいて昨年10月にやっと開設した。

投稿したかった内容は、外国旅行の記事、特に昨年8月から9月にかけ約40日間イタリア、スイス、ドイツの三ヵ国を列車で旅した様子である。投稿してあれば、旅行の話しをしてほしいと学生さんからおねだりされた場合、ブログを見るようにといえる。こうして、ブログ開設以来、小まめに記録しておいた旅行記を毎回の文字数を約1000字と決め、写真4枚を必ずつけて投稿し続けた。それが、いつの間にか100回近い投稿数となり、今年の5月にやっと無事終えることができた。

 こうしてヨーロッパ旅行の投稿を終え、他にも興味ある出来事や気がついたことなどを投稿し続けていたところ、「あなたのブログを一冊の本にしよう!」という広告が目についた。「Easy my webで書いた日記が簡単に本になる!?」という内容である。そこで、この件に関する箇所の“Click Here”ボタンを押し、製本屋に入った。始めてのことなので、書かれた指示に従いクリックを押し続け、ある期間内に投稿した記事を拾い上げ、夢中で製本業務の先に進んだ。製本になる直前はPDFである。この段階では内容の編集はできず、いったん、ブログの編集箇所へ戻らないと修正や訂正はできない。初めての試みでいろいろ面倒であったので、修正・訂正なしで先に進めた。さらに進むと、本の題名、著者名、まえがきなどを書くように要求される。さらに「B6とかA4などという本のサイズ」から始まって、「表紙のデザイン」、「頁数」、「白黒・カラー」、「値段」などの確認事項がある。最終的に、本のサイズB6(128mm×182mm)、頁数454、値段10,725円(予想の倍)で納得し、製本最終段階の依頼確認ボタンを押した。

依頼決定後、1週間ぐらいで写真1のような世界で一冊しかない本が送られてきた。表紙のデザインは足跡を選び、本の題名は「眞喜子の古希を祝うヨーロッパ鉄道の旅!」とした。本到着後1週間ほどして、コンビニ支払いの請求書10,725円が届き、近所のコンビニで支払った。少々高い本になったが、思い出多き40日間のイタリア、スイス、ドイツの鉄道の旅のカラー写真入りの本ができ上がり満足している。写真は世界に1冊しかない本の表紙と内容である。【2010.7.23】

写真1:世界に1冊しかない本「眞喜子の古希を祝うヨーロッパ鉄道の旅!」
写真2:コンピューター上のブログ「マッターホルンが見える!」
写真3:本の内容「ベルリナ特急車窓からのながめ」
写真4:本の内容「イタリアの子供」
2010.8.18