まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2010/12/31 15:22:58|小さな旅の思い出
年賀状書きと甲府鳥もつ煮!

 今年も元旦に配達される年賀状の締切日が近づいた。ここ何年か前から、12月に入ると宿が比較的空いている時期を狙って、温泉宿で年賀状を書いている。去年は熱海にあるKKR熱海に宿泊して書き、熱海郵便局から投函した。このとき、元旦に着くような年賀状の投函受付は12月15日からとはつい知らず、それ以前に書き上げ持っていった。当然、受け取ってくれない。理由を話して預かって頂いた記憶がある。

 年賀状は12月15日受付開始で25日締め切りということを頭にいれ、今年は、23日から25日まで2泊3日で山梨県のフルーツパーク富士屋ホテルに滞在し書きあげた。書くといっても、あらかじめ自宅で相手住所と裏面の基本挨拶、写真は印刷してある。そのため、相手の顔を頭に浮かべて、ちょっとしたコメントを記入する程度の作業である。しかし、300枚を超すような数になるとひとりひとり相手の顔を浮かべながら書くのには結構時間がかかる。

 24日午前に書きあげた年賀状は、JR山梨駅前の郵便局(山梨加納岩郵便局)で投函した。親切な郵便局員と会話を交わしているうちに、甲府に来たらB−1グランプリでゴールドグランプリを獲得した「鳥もつ煮」を食べて行くとよいと教えられた。甲府鳥もつ煮で有名になった店は「奥藤」という手打ち蕎麦屋で、ここ(山梨駅前)から20分ぐらいで行けると親切にも所在地と電話番号(055-232-5365)まで調べてくれた。早速、電話番号を使いカーナビで見つけた「川田奥藤第二分店」へ向かう。
午前11時少し過ぎに到着したので、まだ、行列はできていない。昨日の夕食が重かったために朝食を抜いたので、早く食べたい。二人で「天ざるそば」と「鳥もつ煮」をそれぞれ各1人前注文。鳥もつ煮の値段をみたら672円と比較的安い。量が少ないと思い各自注文したのが失敗。非常に美味しいが、思ったより量が多く二人とも食べきれず残す。

 この蕎麦屋は創業が大正2年(1913年)というから97年の歴史を持つ。「川田奥藤第二分店」という名称は、甲府市の川田町にある奥藤蕎麦屋、第二分(第2支店)ということのようだ。ネット(http://www.okutou.com/norenkai.html)で調べたら第十分(支店)まであることがわかった。各店、週末になると行列ができるという人気の店だ。

 お蕎麦と鳥もつ煮でお腹一杯、少し動いてお腹を減らす必要がある。この時期のフルーツパーク入場者はほとんどいない。閉館の恐れがあったが、出かけてみると入館できた。人がいない。ガランとした館内を一回りしたが、時季外れのためか見るものがない。パネルとビデオで果物に関する情報を公開しているパビリオンで、時間を過ごす。パンジーが沢山植えられ、きれいに整備された庭を散策し、ホテルに戻る。ここフルーツパークと富士屋ホテルは隣接しているので、便利だ。隣接といえば、「ほったらかしの湯」も極めて近い。ホテルは素泊まりなので、初日はほったらかしの湯のレストランでほうとうを食べ、クリスマスイブの2日目はホテルで夕食をとる。

 ホテルの近所には、果樹園が多い。もう果物の時期は終わっている。帰りがけに一軒の果樹園で干し柿と渋柿の姿が目に入った。店じまいの準備をしていたおじさんが一人いて、果物はもうおしまいだという。干し柿を買っていきなという。熟しすぎた柿をごちそうしてくれた。それが非常にうまい。干し柿、渋柿、キュウイをこの果樹園で買う。渋柿は30個ほどあろうか、1000円でいいという。家に帰ってそれらの皮をむき、今、軒下に吊るしてある。干し柿になるのが待ち遠しい。【2010.12.23〜25】

写真1:ホテルから見える富士山
写真2:書き終えた年賀はがきを持って郵便局へ
写真3:親切な山梨加納岩郵便局員と郵便局
写真4:美味しかった甲府鳥もつ煮を食べた奥藤分店の前で
2010.12.31







2010/12/30 19:10:23|思い出
ロングステイクラブ 築地ウオーキングツアー

 ロングステイクラブ、略して「LSCクラブ」というクラブがある。このクラブの目的は、現役を引退したそこから始まる自由な時間を、有意義に過ごすための一つの方法として、海外での長期滞在や個人旅行の方法を探り、さらにその国々の人たちと交流することにある。旅行やイベントは海外に限定することなく、国内旅行、スポーツ(ゴルフ、テニス、卓球、バトミントンなど)などで同好会もある。

 定年退職したら海外でのんびり過ごしたいと願い、退職以前からこのクラブの会員になっている。本来なら会員の皆さんと一緒に海外長期滞在を楽しむ予定で入会したのだが、有難いことに退職後も仕事に恵まれ、春休みと夏休み以外には海外での長期滞在が出来ない状態にある。会員であるから皆さんからの情報は、季刊誌“LONG STAY LIFE(CLUB REPORT)”および電子メールを通して得ている。

 メール配信された数々の情報の中で「築地ウオーキングツアー12月22日開催(雨天決行)」のニュースが目に止まり、このウオーキングツアーに参加した。亀戸で生まれ、向島で育った関係で、子供のころよく都電30番(向島−須田町)須田町行きに乗り吾妻橋?で降り、そして23番(柳島−月島)月島行きに乗り換え月島まででかけハゼ釣りをやった記憶がある。こうした思い出があるので、上記の案内を受け取るや迷わず、まず手帳を見て予定がないことを確認し、メールで参加申込をした。

 当日、都営大江戸線の築地市場駅改札口に11時集合。前回のウォーキングでは12名参加があったようだが、今回はその約倍の21人が参加し幹事さん戸惑ったようだ。駅から近い築地市場を目指し歩きはじめ、市場のなかの寿司屋で21人そろって美味しい寿司昼食を済ませ、市場見学のために自由行動に移る。まだお正月まで1週間以上残されているというのに、市場の混雑ぶりは上野アメ横のようである。次の目的地“月島もんじゃ街”へ行くため、一度築地本願寺境内に全員が集まる。皆さんそろったところで歩きだす。勝鬨橋から隅田川の景観を楽しみながら橋を渡り終えると、いつの間にか月島もんじゃ街を歩いているのに気がつく。勝鬨橋は、昔その下を大型船舶が通過する度に橋は開くようになっていた。橋が上がると路上の埃が煙のように滑り落ち、橋の機能を失うその一瞬を何度か見たことがある。

 もんじゃ街の一画にある高層ビル28階に会員の友人が住まわれているということで、ご厚意により28階ベランダから隅田川を見下ろすスカイ見学をさせて頂けた。終戦直後に向島に住み、下町の焼け野原をこの目で見たものに取って、28階から見た下町の変貌ぶりには驚嘆するばかりである。

 高いところからの下町見学終了後、ここから近い住吉神社を参拝し、佃の渡しで有名であった佃島へと向かう。ここ佃島に何軒か残ったうちの老舗佃煮屋「天安」に立ちより昔懐かしい佃煮を買う。その後、“つくだこばし(佃小橋)”を渡り地下鉄有楽町線の月島駅にてウオーキングツアーは解散。午後4時。前日は大雨であったが、当日は好天に恵まれ、築地市場での美味しい寿司、勝鬨橋からの隅田川の眺め、月島高層住宅28階からの下町スカイヴィユー、下町情緒が残された佃島界隈の散策、佃煮のお土産購入など短時間のウオーキングツアーであったが楽しい一日を過ごすことができた。幹事の皆さん有り難うございました。【2010.12.22】

写真1:集合駅「築地市場駅」
写真2:築地市場内のお買い得商品(左写真)、築地本願寺(右写真)
写真3:勝鬨橋から眺めた隅田川(上写真)、高層ビル28階からの下町風景(下写真)
写真4:つくだこばしに立つ
2010.12.30







2010/12/28 8:53:17|思い出
蓄熱暖房器ってどんなもの?

 12月21日、我が家に蓄熱式暖房器(温風式(マイコン内蔵))が入った。蓄熱暖房器の正式名は、「電気蓄熱暖房器ユニデール(型番:VUEi50J)」といい、潟fィンプレックス・ジャパンが英国?から輸入した製品である。取扱元はパナソニック電工ホームエンジニアリング鰍ナ、設置工事は東京セキスイファミエス鰍ェ担当している。設置場所は10畳の居間である。

 深夜電力を使って夜中に温水にし、日中にその湯を使うという温水器が普及している。蓄熱暖房器も温水器と同様に、深夜の安い電力を使用する。200Vの深夜電力を利用するためにその工事が必要となる。この蓄熱暖房器は夜11時から朝7時までの8時間の間に電気エネルギーを熱エネルギー変換して特殊レンガにその熱を蓄熱する。日中、蓄熱した熱を放出するというものである。

 蓄熱暖房器内には熱を蓄熱させるための重い特殊レンガが30個収まっている。このレンガ1個当たりの重さは6[kg]であるから、30個で180[kg]の重さである。それに鉄板の筐体(ケース)を入れると全重量で215[kg]と重い(写真1〜3)。また、外形寸法も、1076x672x250mmと比較的大きい(写真4)。

 蓄熱用には200V(定格消費電力:5,000W)の電気を使うが、送風するためのファンやマイコン用の電気は100Vである。そのため、100Vと200Vの電気を使うので、200Vの電気工事が必要になる。

 蓄熱暖房器の温度効果は目下測定しているので、後日まとめて紹介したいと思っている。設置してから1週間が経過したが、これまでのところ順調で、設置した居間だけなら問題なく温かい。これまで使用していた音のうるさい冷暖房装置の暖房を入れなくても済むので静かで自然な温かさである。現在、居間に続いて出入り可能な書斎と寝室ドアを開けっぱなしにして温度を測っている。各部屋には本や家具類が沢山あるので、それらも暖めることになるので、居間、書斎、寝室の温度がどれほど上がるかの効果は長い目でみないとわからない。24時間熱を放熱し続けているので、隣り合わせた3つの部屋が暖かくなることを期待している。

 この蓄熱暖房器の欠点は、冬の間だけ使用することになるから夏場は邪魔になることである。その反面、深夜電力を使うので、電気代が安くなることを期待している。【2010.12.21】

写真1:レンガが入っていない蓄熱暖房器の内部(ヒーターとレンガ)
写真2:レンガを半分積み上げたところ
写真3:縦に6個、横に5個積み上げた内部
写真4:蓄熱暖房器の外形(1076x672x250mm)
2010.12.28







2010/12/26 19:12:03|思い出
第九を聞く会に参加して

 第九を聞く会という会があって、その名を「第九」観賞会という。この会は30年ぐらい前と聞くが、当時、労働安全衛生総合研究所に勤務されていたS先生(現M大学教授)が主になって若い人に文化をということで、毎年12月(今年は19日(日))にベートーヴェンの「第九交響曲」<合唱>を若い人と一緒に聴こうということで発足した。この研究所では安全に関する卒業研究を行うためにやってくる若い学生さんたちの指導も行っている。その学生さんや若い職員の方々にクラッシック音楽を推奨し、その音楽を一緒に聴く会が「第九」観賞会である。観賞会の後には、必ず会食会がついている。これが、また、楽しい会で、「第九」を聴かなくても、この会にのみ参加する人も多い。毎年、30人〜40人集まるので、入場券の手配と会食会の手配をする幹事さんは大変である。

 S先生とはロボット開発やロボットが暴走しては困るのでノイズ(雑音)の研究や研究会でご一緒した関係で、「第九」観賞会に誘われ参加するようになった。定年退職後は、S先生はじめ会に参加する研究所職員の方々や大学の先生方にお会いする機会が少なくなった。年1回の「第九」観賞会であるから、この会を欠席すると何年もお会いできなくなる。出席すると懐かしい方々に会うことができる。会発足当時卒業研究を行っていた学生さん達は、就職・結婚しお子さんができたので、会食会の部だけお子さんをつれて参加する方も多い(演奏会には未就学のお子さんは入場できない)。

 演奏会会場は、カラヤンとベルリン・フィルの本拠地であったベルリン・フィルハーモニーをモデルにしているというサントリーホールである(写真1、2)。今年の指揮はピエタリ・インキネンで、演奏は日本フィルハーモニー交響楽団である。毎年のことであるが、演奏者と合唱団を合わせて200名超す第九交響曲の演奏を聴くわけであるからその演奏に感動し、新たなエネルギーが得られやる気を起こす。

 演奏会終了後の会食会は、近所のビル地下のイタリアン・レストランで開催された。写真3はレストラン前でS先生とIさんと一緒に撮った写真である。Iさんとは、15年前(1995年)にイギリス・シフィールドでお会いし、この街を一緒にドライブして頂いた懐かしい思い出がある。前述したS先生とは会食会では隣に座り、近況を話し合うことができた。それによると、先生は心臓を悪くし、助かる見込み30%という心臓の大手術をしたようで、元気になられ本当によかった。写真4のように近況を元気に話され、参加者一同一安心した。一通りの挨拶が終わると、会場ではビンゴ大会が行われその「ビンゴ」の順序に従い、各自持ちよった小さな交換品を受け取り和やかなうちに会は終了した。【2010.12.19】

写真1:開場前のサントリーホール正面玄関
写真2:第九交響曲演奏前の舞台
写真3:イタリアン・レストラン前にて懐かしい友人と記念撮影
写真4:元気な姿で挨拶するS先生
2010.12.26







2010/12/23 10:16:21|看護・介護研究について
「ベッド周り応援隊のらくらく人間工学」が本になる!!

 「ベッド回り研究会」とは変な名前の研究会名である。10年以上前であろうか、看護師の腰痛が多い聞き、なぜ看護師に腰痛が多いのかを調べ始めた。日本の看護師さんにアンケートを、さらにイギリスに渡りイギリスの看護師さんにもアンケート調査を行った。その結果、イギリスでは1人で患者さんを持ち上げてはならない、持ち上げる必要がある場合は同僚に援助を願い複数人で持ち上げよ。同僚がいない場合はリフターのような持ち上げ機器を使用せよ。患者介助の講習会に出席する義務、ハンドリングスリング、モンキーポール、イージースライドなど介助補助用具を使用せよ。介助のための規制を行ったり、用具の使用を奨励したりしていることが分かった。そのために日本に比べてイギリスでは腰痛の発症率は低い。イギリスでの調査は、1995年6月〜11月までの半年間、眞喜子とスコットランドのアバディーン市にあるロバート・ゴールドン大学に滞在して行った。あれから15年が過ぎた。今年9月に、用もないのに列車に乗ってアバディーンまで行った(10月5日投稿記事参照)。大学もアパートも昔のまま。懐かしかった〜。
「http://ictv.easymyweb.jp/member/ogawa1935/default.asp?c_id=23523&kpage=24」)。

 こうした調査研究に平行して、看護動作の研究を学生君たちと行いはじめた。しかし、看護の動作といってもどのような動作を看護師さん達が行っているのか不明である。J大学までお邪魔し基礎看護の話しを聞いたり、S、T大学の看護学の先生方と共同研究を始めたりしはじめた。さらに、先生方との共同研究もさることながら看護と理工と異なる専門分野学生4年生同士の卒業研究指導も始めた。看護系学生が看護動作の問題点を提案し、理工系学生はその提案された問題を解決するという実験の準備することにした。看護系学生と理工系学生の卒業研究発表は、毎年度7月と卒業式直前の2月の2回にわたり埼玉県の国立婦人教育会館で開催した。学生君らが各自所属する大学では正式の卒業研究発表会は当然行う。前もってのこの卒研発表会は本番の予習にもなっているため、正式発表会では立派な発表ができたと喜ばれた。学生君たちにとって、この発表会は懐かしい思いでとなったようである。

 こうして、退職するまでの15年ほど、看護学の先生方と共同研究を行ってきた。この間、研究の打ち合せ会を各大学持ち回りで行ってきたが、集まりの連絡通知をだすためにも研究会の名前が欲しいということになった。看護全体の研究というのは不可能だが、ベッド周辺の限られた範囲内での問題に焦点を当てた研究をしようということで、とりあえず「ベッド回り研究会」という名称を仮につけた。その後、名称変更の提案もないまま、“とりあえず”のまま今日に至った。

 このベッド回り研究会は月に1度開催することにして発足したが、年々忙しくなり2ヵ月に1度、3カ月に1度と間が空くようになった。しかし、研究成果を学会に発表することは怠らずに行ってきた。縁あって、臨牀看護という月刊誌に分かりやすく我々が行った研究の一部を掲載させていただく機会も得た。掲載名は「ベッド周り応援隊のらくらく人間工学」という。その雑誌掲載記事を本にする案が出て、その編集会議が12月28日に池袋の喫茶店ルノワールで開催された。年末で忙しい時期のため、6人の研究会メンバーの内3人欠席、編集者を入れ4人の会となった。打ち合わせの結果、研究成果は「ベッド周り応援隊のらくらく人間工学」とう本になって来年には世にでる見通しがついた。【2010.12.18】

写真1:池袋のタワー?
写真2:編集会議を行った池袋西口の喫茶店ルノワール
写真3:クリスマス、忘年会を兼ねた編集会議終了後のベトナム料理店での昼食
写真4:老年看護学のK先生とツーショット
2010.12.23