まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2011/05/31 12:47:02|研究・教育の思い出
前かがみ時の負担が分かる腰部モデルについて

 人間が前傾すると、腰部に大きな負担がかかるということはよく知られています。しかし、その負担を例えば筋力や脊柱にかかる力、圧力として直接測ることはできません。足や手にかかる力あるいは、各関節の屈曲角度を測り腰部負担を推測する以外の方法はないのです。前傾姿勢で腰部にかかる力を目でわかるような模型(モデル)を製作したことがあります。そのとき、NHKの「ためしてがってん」の腰痛特集にそのモデルを出演させる予定で、学生君たちと徹夜で製作したことがありました。それは人形の胴体部を前傾させると腰に大きな力がかかるということを目に見えるようにしたものです。しかし、出来上がった作品の映像を全国放送するには、少しばかり問題があるということでそのモデルの出演は没になりました。このとき、NHKのディレクターが、1週間も徹夜で頑張った学生さんたちに申し訳ないと当時流行っていたウォークマン(NHKの文字が印刷されていた)をお詫びの品としてプレゼントしてくれたことがありました。学生たちは、大喜びした懐かしい思い出が目に浮かびます。

 退職して6年が経ちましたが、看護大学、看護専門学校で人間工学を教えています。当然、腰部負担軽減の話が出てきます。この話しには看護学生が苦手とする力学や数学が関係してきます。テコの原理や力のモーメントの話しをしないと腰部負担軽減が理解できません。そこで、前述の腰部モデルを思い出し、この5月の連休に東急ハンズに出向き、前傾したときの姿勢を模擬し、そのときの腰には大きな力が作用していることが体験できるモデルを作りました。それが写真の腰部モデルです。これは脚部と胴体部を想定し、2枚の木板を蝶番で結合した簡単なものです。蝶番の回転中心位置に木製の円盤を取り付け、この円盤に沿って筋肉を模擬したステンレスワイヤを這わせ、胴体部板の中間にそのワイヤ先端を固定しました。手でステンレスワイヤに力を加えると胴体部板が持ち上がります。このワイヤを学生に持ってもらい、力を入れたり緩めたりしてもらいます。こうすることによって、胴体部は下がったり上がったりします。このときの力を感覚的に覚えてもらいます。胴体部板の先端に患者に見立てた重りを載せワイヤに力を入れてもらいます。このときのワイヤの力は相当に重くなります。こうして、前傾した胴体部を持ち上げるためには大きな力(筋力)が働いているということを手にかかる力の大小でこのモデルによって理解してもらえます。

 大きい円盤は回転中心の半径が大きくなると、胴体部の重量が同じであるなら小さな力(筋力)で持ち上げられることを理解するために取り付けた円盤です。【2011.5.13】

写真1:胴体を下げた状態の腰部モデル
写真2:お辞儀して90°胴体を前傾させた状態
写真3:上方から見た腰部モデル
写真4:教室で腰部モデルを操作する学生

2011.5.31 記







2011/05/08 23:19:47|思い出
Uさんのコンサートと東京スカイツリー

 入間は池袋に近いため東京へ出る機会は多いが、都内を散策する機会は極めて少ないのです。4月3日(日)午後、小学校同期生Uさんのコンサートが新橋のとあるビルで開催されるのをきっかけに、東京スカイツリーを間近で見たく池袋から地下鉄に乗って午前、押上駅まで行きました。建設中の東京スカイツリーは、東武伊勢崎線の業平橋駅と京成押上線の押上駅のほぼ中間地点にあります。業平橋駅は押上駅から歩いて直ぐです。双方下り方面の次の駅名は曳舟駅といい同じ駅名です。業平橋駅と押上駅からの電車が曳舟駅へ向かう途中で200mほど接するようにして走る箇所があり、また、すぐに別れて、それぞれの曳舟駅に到着します。東武鉄道では、この業平橋駅を2012年開業に合わせ「とうきょうスカイツリー」駅と改名すると発表しています。

 戦前亀戸で生まれましたが、昭和20年3月9日の夜の東京大空襲で家を焼かれ、水をかけた布団を頭にかぶり、両親と弟2人は命からがら言問橋まで逃れたということを聞かされました。そのとき私は、山形県小野川町に学童集団疎開していたため空襲で家が焼かれたことは知りませんでした。学童疎開から帰ってから小学校の後半と、中学校、高校、大学までは東向島に住んでいました。特に中学校と高等学校は、両国にある安田学園に通いました。中学校入学当時、両国にあった安田学園は戦後米駐留軍により接収されたため、業平の焼け残った小学校の校舎を借り接収が解除になるまでの何年間はこの学校で授業が行われました。そのため、毎日東向島に近い東武線曳舟駅から電車に乗り業平駅で下車し、通学していました。安田学園は、旧財閥の安田善次郎が建てた学校で、隣りに安田庭園が、また前に東京都復興記念館(震災記念堂)、後ろに同愛記念病院があるという立地のよい学校です。

 東京スカイツリーが中学時代に通った業平に建つということを聞き、いつかは行ってみたいと思っていましたが、これまで実現できませんでした。ところが、今回小学校同期生のUさんが(昔女の子、今おばあさん)コンサートを4月3日午後2時から新橋のとあるビル内で開催するという案内を受けたので、午前中は東京スカイツリー、午後は彼女の演奏会に家内と行くことを決めました。地下鉄押上駅で降り、東京スカイツリーを眼前で眺め業平駅まで歩き、東武電車で浅草まで行きました。ここから、浅草仲見世通りを横切り、途中で昼食のうなぎを食べ、地下鉄田原町駅まで歩きました。田原町駅は浅草駅の次の駅です。歩いてきた大通りは、昔都電(30番が向島−須田町間、24番が柳島−須田町間)が走っていた道路です。この都電路線は田原町駅直前でクランク状に曲がり家庭用品問屋街の菊屋橋駅を通り上野駅方面へ向かいます。田原町駅まで浅草から1駅分歩き、演奏会に間に合うように昔から走っていた地下鉄浅草線に乗り新橋駅まで直行した次第です。

 Uさんはシャンソン、カンツォーネがお得意の方で、プロ級の素晴らしい歌を聞かせてくれます。とても私と同年の○○歳とは思えない声量の持ち主で、毎年のコンサートを友人一同が楽しみにしています。彼女の歌声を聞きにくる人の多くは高校、大学の友人のようですが、私のように小学校の同級生も何人かいつも集まります。

 こうして、友人Uさんのコンサートをきっかけに池袋、押上、業平、浅草、田原町、新橋と回り、演奏会終了後はJR山の手線に乗り池袋へ戻ることができました。戦前亀戸で生まれ、向島で育ち、特に亀戸、向島、業平、両国界隈の焼け野原を見て育ちました。東京スカイツリーが業平に建設されるという今日までに復興した東京下町散策をUさんのコンサートのお陰できました。今日は、終日密度の濃い本当に楽しい一日を過ごせました。【2011.4.3】

写真1:間近で見る東京スカイツリー、見上げる眞喜子
写真2:いつも賑わう浅草仲見世通りとうなぎ
写真3:Uさんの熱唱と友人たち
写真4:同級生と夕食

2011.5.8 記







2011/04/30 20:10:16|研究・教育の思い出
戴帽式

 4月に入ると毎日どこかの看護大学・専門学校へ出かけて、腰痛予防を含む看護人間工学の話しをしています。そのため入学式、卒業式に招待されますが、その他戴帽式という厳粛な儀式にも招待を受けます。今年もK看護学校から戴帽式の招待状が届き、家内とともに2011年4月29日(昭和の日)に出席してきました。

 現在、病院の看護師さんたちが頭にナースキャップを載せている姿は、衛生的な理由からということで見られなくなりました。しかし、戴帽式は多くの看護学校では行われているようです。この儀式は看護師が1人前の看護師になるという自覚を持つ伝統の行事です。ナースキャップを頭に載せてもらい、今後病める人々の役にたつ決心をする瞬間でもあります。

 K看護専門学校では2年生になったときに戴帽式が行われます。1年生、3年生、父兄は当然として、一般の方々も戴帽式の会場へ入場が許されています。写真1はその戴帽式案内パンフレットです。今年の儀式は、今から1ヶ月前の3月11日に発生した東日本大津波震災犠牲者の霊に黙とうを行ってから始まりました。この看護専門学校の多くの先輩たちが働くK病院からも今回の震災支援活動に参加していて、その支援活動の一端を看護部長さんが報告してくれました。

 儀式は開式の辞に引き続き、写真2のような戴帽の儀が43名の2年生に対して行われました。学校長式辞、来賓の祝辞、戴帽生誓いの言葉と続きます。そして、戴帽の儀の最高潮である厳かなキャンドルサービス(写真3)が行われ、ナイチンゲール誓詞が戴帽生全員で読み上げられます。

 看護学校では戴帽式が行われるとよく聞きますが、この儀式に出席できる機会はめったにありません。感動のひと時です。写真4は、会場入り口で出会った新1年生達です。彼女らも来年のいまごろは戴帽式を行います。今は、入学して間もないので、看護の内容は白紙に近い状態でしょう。しかし、今日の儀式に参加したことによって、少しずつ看護師になるという自覚を持つようになるのではないでしょうか。【2011.4.29】

写真1:戴帽式の案内パンフレット(誰でも入場できます)
写真2:戴帽の儀の様子
写真3:厳かなキャンドルサービス
写真4:来年の戴帽式はわが身の新1年生たち

2011.4.30 記







2011/04/26 21:53:42|研究・教育の思い出
明るい話題!

 卒業研究論文、修士論文作成で指導した10年前の学生たちは、今30歳前後です。当時、D大学のO研究室は機械系学部の一研究室ですが、人間工学に関わる研究を行っていました。特に、看護師の腰痛発症が多いということが分かったため、その原因調査から始め腰痛を冒しやすい動作に注目し、その力学的な問題解決に関わる研究を行っていました。機械系ですので機械、エンジン、材料などに興味をもつ学生が多い中、人間工学的に看護や介護の研究を行っているO研究室に応募し席を置いた学部生は、毎年10数人、大学院生5名前後いて、論文作成に精をだし結構繁盛した研究室でした。
 就職となると、医療機器メーカーを希望して就職した人も何人かいましたが、多くは求人数の多い生産企業へ就職しています。10年前に大学院を修了し、自動車部品メーカーに就職したW君の結婚式が宇都宮で4月23日(土)に行われました。この席に夫婦で招待され出席してきました。

 新郎は、学部卒業研究で1年間、大学院修士の研究で2年間O研究室に所属し私と共に研究を行ったおとなしい研究熱心で好人物な青年です。新婦はK市のケーブルテレビに勤務している美人人気キャスターです。

 新郎W君は、学部で「ベッドの背上げ背下げ時の圧力とずれに関する研究」、修士の研究で「臥床者、看護者の負担を軽減するギャッチベッドのあり方」という題名の研究に取り組みました。研究成果は、毎年2回ほど都内あるいは地方で開催される日本人間工学会、バイオメカニズム学会で発表してきました。看護動作は理系大学では分からないことだらけということもあって、J大学、S大学、T大学の看護学部の先生および学生さんたちと共同で研究を行ってきました。

 当時、新郎W君の仲間たちの研究論文名を見てみると、以下のようです。
・介護用具に関する研究
・やさしい看護の手に関する研究
・ベッド移送に関する実験的研究
・移乗介助装置使用時における介助者の発揮力測定
・臀部挙上時に発揮する支持面力に関する研究
・リフターを利用した臀部挙上に関する研究
・仰臥位から長座位への自力体位変換における力の測定
・沐浴時に新生児モデルを支える手にかかる圧力測定
・手すりに加わる3次元の力測定器の開発とその効果に関する研究
・ベッドの背上げ背下げ時の圧力とずれに関する研究
・看護師の体位変換時の手に加わる力について
・両下肢モデルの開発とその挙上動作に関する研究
・会陰保護時の手に加わる圧力測定に関する研究

 上記の研究題名を見ると分かるように、看護師の動作(患者介助)、看護師と物(リフター、ベッド、手すり、ストレッチャー、介助装置・用具)との関わりに関する研究を実施してきたことがわかります。このような研究を行ってきた学生たちが成長し、社会人となり結婚する時期を迎えました。忘れられたころに、結婚式に思わぬ招待を受け喜んで参加してきた次第です。参加すると上記卒業研究に携わったO研究室同期生も招待されてきていますので、一気に10年前の昔の研究の思い出に華が咲き、幸せなひと時を過ごすことができました。【2011.4.23】

写真1:新郎、新婦幸せのケーキ投入
写真2:新郎Wを祝うO研究室メンバー
写真3:紅白のけん玉をプレゼントし新婦と共演
写真4:不意に呼び出されて胴上げされ新郎びっくり

2011.4.26







2011/04/16 22:12:48|研究・教育の思い出
姫路城の桜が満開の時期に講義

 平成23年4月14日午前10時半からの講義を行うため、ダイヤ乱れで遅刻しないようにと前日の13日の午後自宅を出て、夕方姫路入りしました。翌14日(木)、15日(金)と講義。対象看護学生は1年生43名、内男性5名、大卒4名。
 昨年は丁度インフルエンザが流行っていた時期に姫路入りし、学生全員がマスクをしていて、どのような学生が聴講していたか全く不明で異様な雰囲気の中で話をしました。ところが今年は、それもなく、丁度桜の開花時期が遅れたようで、道路を隔てた学校前の姫路城内の桜は満開でした。天気は晴天、気温は夏日のように暖かい。講義は午前90分、午後90分で1日4時間分の「看護人間工学」の集中講義です。午後2時半に終わるので、姫路城の桜見物に行く予定をたてて講義に臨む。講義をしにきたのか、桜を見に来たのか?

 午後2時半、講義を終えタクシーに乗りホテルまでいったん戻る。3時前なので部屋には入れず、荷物を預け姫路駅前から再び学校近くの姫路城近くの大手門前までバスで戻る。バスは駅前から2駅と近く乗車賃も100円と安い。歩いてもいける距離。帰路は歩く。姫路城大手門前で下車し、先ほどまで講義をしていた姫路医療センター附属看護学校方面へと歩く。姫路市立動物園前を通り、病院前の道路を隔てたところにある市立美術館道路前左に曲がり、姫路城入場門方面へ向かう。この辺はどこを見ても桜は満開、本来なら上を見上げると美しい姫路城が眼前に見えるはずだが、今は天守閣保存修理工事(2009年〜2014年)の真っ最中で天守閣は大きな被いで覆われみることはできない。

 姫路城の入場券売り場前まで来ると、天守閣へは入れないが城内へは入場可能で、その午後4時入場終了のアナウンをしていました。入場券売り場の直ぐ横にあるお茶と茶菓が350円で頂ける茶店が目に止まった。ここも4時閉店のようで誰も客がいないので店じまいしかけているお店のおばさんにお願いし、お茶とお菓子(姫路名物のお団子)を注文しました。おばさんに姫路城を背景にカメラのシャッターを押してもらいました(写真4)。ウイークデェイの夕方ということもあってか、人影は少ない。夕方から夜にかけてお花見をするグループが場所取りで大きなブルーシートを敷いているのを見たのは1ヶ所だけでした。あとはのんびりと散歩をする数少ない観光客とお年寄りの散歩が見られた程度でここを訪れる人は今日のところ少ない。贅沢な花見散歩が出来ました。

 お城の前にある三の丸広場を回って、再び大手門前バス停まで戻る。帰路は駅まで2駅ということもあって、お城から駅まで続く長い商店街を散歩しながら歩く。1万歩以上歩いたかと思い、ふと万歩計を見ると電池切れで歩数が出ない。電池を求める都合もあって商店街で電気屋さんを探しながら歩きだすが、電気屋はない。店はシャッターが閉まったところが多く駅周辺に近づくに従い、開いている店が多くなり人数も多くなっていました。それにしても、さみしい。時計屋で聞くと、うちは時計用の電池はあるが万歩計用はないという。量販店へいけば安くて手に入るよと親切に教えてくれるが、その量販店がどこか不明なので買うのをあきらめました。電池切れで不明だが、1万歩以上は確実に歩いたと思います。最近、体重が増え気味なので夕食は駅ビルでお蕎麦にする。ホテルに戻ると午後6時、今日は3時間講義し、午後3時ごろから夕方6時までさらに3時間桜を見ながら散歩をしたので、6時間は立っていたことになります。よく、頑張りました。

 ホテルに戻ってからも、過日、我が家をリフォームし、Oラボと称する実験室にし、そこで看護学の先生方とある実験したデータが気になっていたので、そのデータ整理し寝たのは夜11時ごろです。翌15日も朝4時に起れましたので、早起きは確実に習慣になりました。【2011.4.14】

写真1:大手門近くから見える天守閣(このように大きなカバーで覆われています)
写真2:この辺から見る天守閣は素晴らしいはずですが
写真3:横に回るとこのような工事用のやぐらが気になります
写真4:茶店のおばさんにシャッターを押してもらった一コマ

2011.4.16