まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2011/07/18 7:54:13|小さな旅の思い出
真夏の連休

 7月16日(土)、17日(日)、18日(月)海の日と三連休。1人娘の旦那がゴルフで不在というので4歳の孫を連れ2泊3日の里帰り。17日(日)、猛暑の中、孫がキティちゃんに会いたいというので、自宅から遠くない西武遊園地へ連れて行く。9時開演とばかりに朝8時半に家を飛び出すが、行ってみたら9時は西武園内のプールで西武園は午後から開園だという。車で10分ほどであるから一度家へ戻る。

 午後、再び西武遊園地へ。暑い。孫は元気。駐車場1200円、入場料、大人入園+アトラクション乗り放題券で2000円、同子供1250円、高齢者入園料2人で1000円(入園のみ)ということで、合計4250円で4人無事園内に入場。娘親子はアトラクション乗り放題なので、キティちゃんマークがついている乗り物に順次乗る。我々“じじ・ばば”は重いペットボトルの水を抱えて水補給役とカメラマンで若い親子のサポート。女の子が欲しくて3人子供を産み、その最後が女の子。そのひとり娘の子供も女の子。孫が生まれたときの体重は2400gぐらいで未熟児として保育器に入って育った。その子が今4歳、15.6[kg]で元気に走り回る子に成長し、年少組の幼稚園に今年入園。「孫に会いたし、会えば早く帰ってほしい」のきみまろの面白い話しが理解できる。

 猛暑のため何本ものペットボトルの水を飲み干し、2時間ほど園内で過ごして帰宅。帰宅する車のなかで孫は爆睡、自宅に帰っても写真4の通りに寝てしまう。こうして、孫のために終日過ごし、明日、月曜日は女子サッカー国際試合優勝戦があることも念頭に早々と床に入る。

 平成23年7月17日(日)朝3時起床。ブログ記事書きながら、たまにテレビを除く。6時20分、ピーケー戦の末「なでしこ死闘制し世界一 日本サッカー史上初の快挙」という報道がドイツ、フランクフルトからテレビ放送。その一瞬をテレビで観戦。2階で寝ている娘と孫は、昨日の西武遊園地へ行った疲れのためか、まだ起きてこない。【2011.7.17】

写真1:キティちゃんの絵が描かれた乗り物にまず乗る
写真2:爺さん首に濡れ手ぬぐいを巻き、あまり揺れない乗り物に孫とつき合う
写真3:“じじ・ばば”はかき氷を食べながら孫の様子を見守る
写真4:帰りの車のなかで寝た孫だが、家に入ってもこの通り

2011.7.18 記







2011/07/15 21:57:28|小さな旅の思い出
「キャッツ」を観る!

 以前投稿した劇団四季のマンマ・ミーア!を観たときに、「キャッツ」が横浜キャノン・キャッツ・シァターで開演中であることを知った。マンマ・ミーア!が楽しかったので、横浜まで出かけて観ることにした。

 午前11時に横浜駅に到着。そごうデパートの並びに劇場はあると地図で確かめて出かけたのだがデパート内で迷う。デパートのコンシュアージュのおじさんにキャノン・キャッツ・シアターの所在を聞く。親切にもデパートの外まで一緒に誘導してくれ、行くべき方向を教えてくれる(写真1の階段が見えるところまで案内してくれた)。その親切さに感謝。ついでに神奈川県指定の「喜月堂(明治33年創業)」の最中がそごうデパートで売っているかと聞く。コンシュアージュのおじさんは、こちらも親切に調べてくれ、横浜駅反対側にある高島屋の全国名産品売り場にそれが置いてあることを教えてくれた。コンシュアージュ(総合案内係)はホテルにあるものと思ったが、そごうデパートにも高島屋にもあったので、最近は百貨店にもあまり馴染みのない名称コンシュアージュを設けるようになったのであろうか。それとも、中元の時期だからであろうか。

 まずはキャノン・キャッツ・シァターへでかけ、入場券売り場窓口で予約しておいた入場券を受け取り、ついでに新高島駅(横浜駅の次の駅)の所在を教えてもらう。ここシアターへ行くというだけなら横浜駅より来るより近いことが分かった。
そごうデパート10階へ昼食のために一度戻り、洋食店にてエビグラタン、オムレツ、シーフ−ドサラダを注文。ところが出てきたサラダは注文したシーフード・サラダと異なるシーザー・サラダであった。これは食べ始めたので直ぐにわかり、異なることを伝えると、申し訳ないと謝られもう一皿注文したシーフード・サラダを持ってきた。クレームはつけるものだ。このミスの原因を考えると“店員の聞き違い”、“ハンディなオーダーマシンへの入力ミス”、“コックのオーダー伝票見間違い”などの間違いが考えられる。この種の間違いを防ぐために、注文を聞いた店員が我々に確認の復唱をしたはずだが間違えた。オーダーの確認を取ったにも関わらずこうゆう間違いが目の前で起こると人間の犯す過ちはいつまでもなくならないと感じた。そのために人間工学でもミス、誤りを防ぐ研究は相変わらず行われている。

 キャノン・キャッツ・シアターは円形劇場で、ミュージカル・キャッツのためにつくられたようだ。ゴミを想定したいわゆるジャンクの品々が周辺の壁一面に貼りめぐらされてある。そのゴミは、靴、各種ビン、スプレー、針刺し、乳母車、古本などなど。子供が喜びそうなものばかりだ。我々の席は1列93番と94番で回転する舞台の最前列の最右端。出演者が目前で歌い踊りまくる舞台からわずか1mのところで、恐らく多分な埃を吸うに違いない。最前列でしかも終了時に挨拶する出演者の雄ネコに握手してもらえるなんて、生まれて初めての経験だ。

 客席は団体の高校生でいっぱい。開演前の回転席は、一般客席に背を向けた格好だ。しかし、開演時で真っ暗な状況の下、四方八方からネコが現れ、客席に背を向けてあった回転舞台が回りだし、一般客席と同じ向きになる。回転はこのとき1度だけで、終演まで円形回転舞台はまわることはなかった。いずれにしても舞台に極めて近い席であったので出演者の姿を間近で見られ、後方で観るよりその楽しさは倍増された。

 年とった牝ネコが「メモリー」を歌うと感動し涙する。若いネコも同じ「メモリー」を歌うシーンがあったが、そのシーンでも感動する。この曲「メモリー」は劇中歌でミュージカル「CATS」の最も有名な曲である。キャッツはロンドンで観たが、そのストーリーはよくわからなかった。今回の劇団四季のミュージカルは、日本語によるミュージカルであったので少しは分かった。それに三十匹ほどのネコが歌い、踊り、タップダンスをするので観ていて楽しい。こうして楽しませてくれたミュージカルは午後1時半から4時まで約2時間半続き、大きな拍手と出演者の何回もにわたるお礼の挨拶が続いて終わった。

 午後4時終演後、地下鉄で新高島駅からホテルのある元町中華街駅へ移動。ホテルは出口1、2より直ぐそばであったので直ぐにみつかる。暑さに疲れベッドに横になったら寝てしまい、起きたら夜の8時だ。それから夕食しようと外に出るが、蒸し暑く食欲なし。中華街を一回りしてホテルへ戻りコーヒーと二人で1皿のサンドウィッチを夕食とする。今日も暑かった。【2011.7.13】

 下記のインターネット・アドレスでスーザン・ボイルの歌「メモリー」が聴けます。

http://www.youtube.com/watch?v=av4gBlYhHTw&feature=related

写真1:キャノン・キャッツ・シアターへ迷わず行けるように階段に描かれた案内
写真2:劇場に到着し喜ぶ眞喜子
写真3:終演とともに劇場からでてくる沢山の高校生
写真4:キャッツを観て満たされた彼と彼女

2011.7.15 記







2011/07/15 0:10:26|小さな旅の思い出
キャッツ観に横浜へそして1泊
 今日(7月13日)、横浜キャノン・キャッツ・シアターへ行くために、午前9時に入間の自宅を出た。丁度、狭山ヶ丘駅ホームに入ってきた渋谷行きに乗り、渋谷から東急東横線で横浜へ向かった。西武池袋線狭山ヶ丘から横浜へは以下のように3つの経路がある。
【安く行ける経路は?】
・経路1:狭山ヶ丘→小竹向原(西武池袋線):360円、小竹向原→渋谷(地下鉄):230円、渋谷→横浜(東急東横線):260円で合計850円(乗り換え1回もしくは2回)。
・経路2:狭山ヶ丘→池袋(西武池袋線):360円、池袋→渋谷(JR):160円、渋谷→横浜(東急東横線):260円で合計780円(乗り換え2回)。
・経路3:狭山ヶ丘→池袋(西武池袋線):360円、池袋→横浜(JR):620円で合計980円(乗り換え1回)。

 経路と運賃は以上のようで、経路2が一番安く780円、経路3に比べて200円も得をする。私鉄とJR両者が共存する目的駅へ行くのであるなら、ちょっと乗り換えに工夫することで得をする。この検討は、横浜で1泊したので、ホテルでインターネットを使い調べた結果である。今回は往きに経路1を使い、帰りに経路2を使った。二人で行動しているので、今回は400円安く行けた。しかし、1回乗り換えで便利だと思って経路3で横浜まで行けば、二人で800円高い運賃となる。

【格安ホテル】
 インターネットでキャッツの入場券を手配したついでに横浜のホテルを調べたら、1泊32000円のところを素泊まり7000円で泊まれるという期間限定の格安ホテル案内が目についた。丁度、キャッツを観る13日はその期間に入っているので、だまされたと思いRホテルを予約した。キャッツを観て、入間の自宅に戻らず、横浜で1泊し、暑い日をホテルでのんびり過ごすことにした。ホテル7000円(ツイン)という値段は、確かに安く普通のビジネスホテルには比べられないほどよかった。といって32000円もする立派な部屋ではないとも思った。国内で立派なホテルに泊まったことはないが、外国で平均15000円のホテル(外国のホテル代は2人分である)を泊まり歩いた経験からある程度の比較はできる。

 過去、一番高いホテルに泊まったのはシンガポールのラッフルズホテルで確か1泊72000円であった。次に高かったのは、スペインのアルファンブラ宮殿ホテルで45000円、次はニューヨークで32000円、印象に残る比較的高かったホテルは、イタリアのアマルフィで泊まったホテルで23000円である。ラッフルズホテルは、何度がシンガポールを訪れ、一生に一度は泊まってみたかったホテルで、その念願がかなえられた。旅行は好きでかなりいろいろなホテルを利用したことがあるが、外国では平均15000円のホテルを利用している。いずれも二人である。日本で普通に泊まるホテルは1人4000円〜20000円、安い場合は朝食だけであるが、普通2食付であることが多いので外国と比較しにくい。今月末には、朝食付きで一人2000のホテルが志賀高原にあることを見つけたので、そのホテルに行った様子を月末には述べてみたいと思っている。

 横浜のホテル宿泊は、パソコン持参であるから前述した鉄道運賃を調べることができ、少々の仕事もホテルでできた。このようなわけで、1泊がかりでキャッツを観に出かけた。こうした余裕のある行動がとれるのは退職し、健康で、時間の余裕ができたお陰である。目的のキャッツ観劇の様子は次回述べる。【2011.7.14】

写真1:横浜中華街の東門に到着
写真2:ホテルはこの門から1分とかからないほど近くで、中華街は直ぐそばである

2011.7.14 記







2011/07/12 15:21:01|小さな旅の思い出
“深大寺から武蔵野・野川公園”まで猛暑の中を歩く!

 加入しているロングステイクラブには、「東京を歩こう会」という歩くことを楽しむ会がある。これまでに我々夫婦が参加した「東京を歩こう会」は、“築地・月島を歩こう“、“皇居内を歩こう”であって、今回この“深大寺・野川公園の歩こう”会で3回目である。7月11日(月)、梅雨明けが報じられて2日目の暑い朝10時に自宅を出る。玄関先につるしてあるアルコール式温度計によるこのときの気温は35℃とすでに猛暑。

 午後12時半に集合する京王線つつじヶ丘駅へは40分早く到着、駅前ドトールにてお茶を飲みながら時間調整。北口改札口に集合したのは18人、予定通り12:30に出発。この会の良いところは、「東京を歩こう会」の通知を幹事さんがメールで流し、参加希望を募る。当日予定の時間に来なければその人を待つことなく出発。目的に着くとそこで解散。解散後、都合のつく人たちで疲れを癒しにとあるお店へ向かうことを常としている。

 つつじヶ丘駅前でバスに乗り深大寺へ向かう。深大寺周辺には20件ほど深大寺そば屋がある。今日は月曜だからかシャッターを下ろしている店が目立つ。そば屋の一軒、青木屋にて全員でお蕎麦の昼食をとる。この店は亀島弁財池に面していて周囲に木が多く、池が間近で鯉やカモをみながら昼食ができ一見涼しそうだ。しかし、今日は気温が高く木陰でも暑い。食事の後、自由行動をとり午後2時に山門前に集合と連絡あり。勝手がわからないので、深大寺をよく知るリーダーの後について山門を通り深大寺本堂、釈迦堂、満霊塔を見学・お参りをする。満霊塔は犬猫その他ペットとして飼っていた動物のお墓であって、集団墓地、無縁仏になっている。したがって、可愛い名前のついた動物たちの骨壺が沢山みられた。ペットであったのであろうかウサギの骨壺もある。確認できなかったが南極大陸で活躍した太郎・次郎もここに埋葬されているとのことである。

 午後2時、通達されていた山門前集合のことを全員がすっかり忘れ、野川公園方面へ向けて野川沿いを歩きだす。30分ほど歩いたところで、小休止。ここで、Aさん一人足らないことに気が付く。二人が後戻りするが、みつからず、熱中症で倒れたかも?と心配する。携帯電話で本人および自宅へも電話するがつながらない。休憩を終え出発しようとしたところに幹事の携帯に連絡が入り、すでに次の目的地である近藤勇の生家跡にいるとの報告があった。全員がひと安心する。この近くに大沢の里・水車経営農家があって、そこには大きな水車がありいまでも動いている。ここでAさんと合流し、めでたく18人の無事がわかった。200年前の水車経営農家内を見学(入場料100円)。ここで、昔の農機具や当時の生活様式の一端を垣間見ることができる。また、直径約5mもの大きな水車を水力と電気動力を併用して回している様子、かつて使用されていたという木製歯車などを間近でみることができる。

 水車経営農家から5分ぐらいのところに、新撰組局長として京都で活躍した近藤勇の生家跡(昭和18年とりこわされる)がある。この裏側に大きな野川公園があるので、園内に入り木陰で休憩する。この近くに調布飛行場があるようで、双発プロペラ機が低空飛行するので、上空間近でそれが見える。ここで、何人かのグループに分かれ雑談、親交を深めた後、近藤勇の墓を見学するグループと公園前からバスで三鷹駅へ向かうグループに分かれ、事実上の解散となる。

 今日は、猛烈暑い。自宅から歩いた歩数は、何と1万歩を超す13589歩を記録した。我々にとってこの1万歩を超す記録は久しぶりであるし、35℃を超す猛暑のなかをよく歩いたものだと感心する。【2011.7.12】

写真1:かわいいワンちゃん・ネコちゃんが眠る満霊塔
写真2:野川川岸辺で小休止する東京を歩こう会のメンバー
写真3:水車経営農家の内部にあるうす、きね、かまど・・・・・
写真4:近藤勇の生家跡(井戸のみが残されている)

2011.7.12 記







2011/07/09 9:44:24|小さな旅の思い出
63年前の友達と楽しい温泉旅行!

今から63年前に卒業(昭和23年(1948))した小学校同期の者が集まり、毎年7月に1泊の温泉旅行を楽しんでいる。この会の名は一寺同期会(一寺とは東京都墨田区向島にある第一寺島小学校のこと)といい、今年で第23回目の温泉旅行である。

 小学校卒業は第二次世界大戦終了のわずか3年後で、当時の児童の多くは戦争の被害を受けた人たちである。空襲で自宅を焼かれた人、親元を離れ集団疎開から帰って来た人などが多くいた。私もその1人、亀戸で生まれ育ったが、昭和20年3月9日の夜の東京大空襲で家を焼かれた。両親は戦火を逃れ向島に移り住んでいた。小学校3年の時に山形県米沢市小野川町へ集団疎開し1年間そこで過ごし、戦争が終わり山形から帰ってきたら両親は向島に移っていた。そのため小学校は上記の第一寺島小学校に変わった。この学校を卒業したのが昭和23年で、連絡がつく同期生が集まり、旅行するようになり一寺同期会をつくった。この会の温泉旅行は23回続いているが私の参加は、仕事の都合で10年ほど前からと記憶している。

 多くの同期生は向島を離れてしまったため、向島に元から住んでいる同期数名が核になり人づてに連絡がつくものに声掛けをした。今では二十数人の住所がわかり、その人たちが毎年旅行に参加している。声掛けしこの人数の住所がわかるまでには大変苦労したようだ。男女の比率もうまい具合にほぼ半分。今年の参加者は男性13人、女性11人で合計24人あった。このうち、向島に住んでいる者はわずか5人、あとは千葉県、埼玉県、神奈川県からやってきた連中である。

 今年は7月7日群馬県みなかみ町にある法師温泉の長寿館に1泊した。ここ法師温泉は、関越自動車道月夜野ICより約40分のところにある。この長寿館は、与謝野鉄幹、与謝野晶子、若山牧水、川端康成をはじめとして多くの文人が訪れたことがあるという由緒ある温泉宿である。また、ここの混浴大浴場は、国鉄のフルムーンのポスター(上原謙と高峰三枝子が入浴している写真)に使われたことで有名で宿の館内に現在もそのポスターは飾られている。

 移動は毎年サロンバス、温泉宿への移動中から酒盛りが始まるのが常である。出発は金町駅、そこから一寺小学校前に立ちより東京駅八重洲口で全員を乗せ終える。その後、関越自動車道で月夜野IC、国道17号を走り道の駅「たくみの里」に寄り、蕎麦打ち体験し、ここで打った自らの蕎麦をゆでてもらい昼食をとる。その後、法師温泉へ向かう。

 法師温泉 長寿館に到着しひと風呂浴び、付近を散策。写真にみるようにここ法師温泉には温泉街はなく長寿館一軒のみで部屋数も35と多くはない。しかし、敷地は広く裏庭にはお花畑や滝がある。この裏庭を抜けて4.5km進むと三国峠に至り、その先は新潟県である。

 夕食を終えると、楽しい2次会が待ち受けている。男女が別々に泊まる部屋がいくつかあるが、そのうちのひと部屋に全員が集まる。60年以上の歳月を経て会う仲間であるから、子供のころの懐かしい思い出話し、向島の変わり具合、孫の話し、他界した友人の思い出など話題に事欠かない。こうして楽しく語り合った末、床につく。翌日は、道の駅に立ちよりお土産を買い、帰路につく。

 この会はなぜか楽しく面白い。連絡をもらい何十年振りかで初めて出席した者全員が、1度参加するとまた次の年も参加するようになるという不思議な牽引力がこの会にはある。60年以上が経った今、新しい仲間を見つけ出すのは避難の技であるが、今年は1人見つかり参加した。名前は呼び捨て、お互いを呼び合うのにあだ名や実家の屋号(例えば、八百や、納豆や、畳や、自転車や、鞄や、靴やなど)、この歳になると男も女もない。男女混浴の温泉宿であったので男女が一緒に温泉に入るかと思ったがそれはなかった。やはりまだ性の区別意識はあるようだ。
来年は、一寺同期会の連中全てが77歳で喜寿を迎える。幹事はなにか奇抜な催しをたくらんでいるようで楽しみだ。【2011.7.7〜8】

2011.7.8 記