まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2011/08/07 6:00:18|小さな旅の思い出
6年目の再会

 昨日(8月1日)の実験・演示用小物を入れたトランクをホテルから宅配便で埼玉の自宅宛に送り身軽になった。明日午前中には着くというので、大きな荷物を抱えて移動しなくて済むので楽だ。

 2005年、オーストリアのウィーン、チェコのプラハ、ポーランドのワスシャワ、クラクフ、アウシュビッツ、ハンガリーのブタペスト、オーストリアのザルツブルグ、イギリスのロンドンの3カ国を列車と航空機(ウイーン−ロンドン)を使い3週間夫婦で旅した。この時の旅でブタペストからザルツブルクまでの列車内で奈良に住むNさんご夫婦と同席し知り合いになり、それ以来年賀状のやりとりが続いている。8月1日に大阪へ行く用事があるのということで、その帰路にお会いする約束をした。

 ご夫婦は奈良にお住まいのため、これまでお会いする機会がないまま今日に至っている。したがって、6年ぶりに会うことになる。千里阪急ホテルを9時に出て、地下鉄御堂筋線で梅田駅(JR大阪)へ向かう。予定より30分早く梅田駅に着く。梅田駅で思い出したが、関東人にとって梅田というところは大阪とは異なるところだと思っている。以前、梅田に着いて「大阪駅はどこですか」と土地の人に聞いたところ、大阪はここだという返事が返ってきて戸惑った思いがある。私は梅田駅に降りたので大阪駅は別のところにあるのかと思っていたが、JRは“大阪駅”、阪神鉄道や地下鉄は“梅田駅”という。今回も地下鉄御堂筋線で千里中央駅から大阪駅へは乗り換えなしで行けるというので、千里中央駅で切符を買う時に大阪駅がないので戸惑った。梅田駅で下りれば、そこは大阪駅なのだ。

 約束した駅構内5階にある金の時計台へは間違いなく到達できた。ここで、もう一つ戸惑ったことがある。大阪駅校内は改修され、5階までエスカレータで行ける。そのエスカレータで乗って止まって立っている人は右側(関東では左側)で、歩いて登っていく人は左側である。東京のビルエスカレータに慣れているので、左側に立っていたら邪魔だといわんばかりに、歩いて登る人たちが追い抜くではないか。そのことを知らずいつものように左側に立ち止まっていたので他の利用者に迷惑をかけたようだ。

 5階には金と銀の時計台が50mほど離れて立っている。まさか金・銀ふたつの時計台があるとは知らず、確か金時計と電話で言われたのでそこで待つ。早く着いたので、時計台前のレストランでジュ−スを飲みつつ、一度、携帯電話で着いたことを知らせた。先方も大阪駅に着き金の時計台に向かっているという返事。6年ぶりに会うので子供のようにちょっとどきどきする。自宅を出るときに6年前に列車内で撮った写真(写真1、2)を見てNさんご夫妻の顔を覚え直していたので、間違いなく会えるだろうと確信。約束の10時丁度に6年ぶりに再会できた(写真3)。6年ぐらいの年月の隔たりでは、あまり変わらない。少々、お互い老けた感じはしたが、容貌や会話でのやりとりは全く変わらず安心した。

 駅構内のエスカレータをさらに上ると屋上で、そこからは大阪市内を一望できる。そこで、もう一つ驚いたことがある。それは、写真4のように前方に見えるビル側面になにか大きな壁画が描かれている。よく見ると、それは影絵であって、右側で建設中のビル工事用クレーンが影絵のように写っていることが分かった。太陽の位置で、見えたり見えなかったりし、工事が終わりクレーンがなくなれば今度は新築ビルの姿が映し出されるのであろう。

 隣接するビル内10階のコーヒー店に入り、コーヒーを飲みながら、2005年当時に旅行したときの写真を持参したパソコンで写し出し、当時の懐かしい思い出を語り合う。我々も被害にあいそうになったが、スリにあい実際に被害を受けたとか、ムービーカメラを置き忘れたとか、旅に伴う災難や美しい街並や景色などのことを語り合った。奈良の秋は素晴らしいということで、また、いつか今度は夫婦でお会いすることを約束して、帰路についた。【2011.8.2】

写真1:異国の列車内での出会い(奥方)
写真2:異国の列車内での出会い(殿方)
写真3:大阪駅金の時計台で6年ぶりに再会
写真4:大阪駅屋上から見えたビルの影絵

2011.8.7 記







2011/08/05 8:20:47|研究・教育の思い出
O大学での特別講義

 8月1日の朝が早いので前日の夕方アパホテル池袋へ移動。チェックイン時に7月20日に行ったばかりの妙高高原アパホテル1000円優待券を再びもらう。10月まで使用可能。このホテルのポイントが溜まり、5000円キャッシュバックされ、ホテル代を払い200円おつりがくる。したがって、無料で200円のお釣りをいただいたことになる。ありがたい。そのお釣りにプラスαして、隣の八百屋で大好きな桃1個480円で求めホテルで食べる。

8月1日
 朝食ぬきで6時にホテル出発。早朝の池袋では、眠そうな顔をした若者が家路につく姿が目立つ。池袋みどりの窓口で新大阪までののぞみ指定席を求める。指定席券は自由席に比べ1000円ほど高いようだ。11時新大阪着。千里中央駅まで地下鉄で行く。モノレールに乗り換え阪大病院前まで行く。途中、モノレールから大阪万博記念公園内に41年前から建つ“太陽の塔”がよく見える。30代の若いときに、この大阪万博に来て見た“太陽の塔”が昔のままでそびえ立つ姿を見て感動。阪大病院前で下車すると、そこはもう大学キャンパス。ここからキャンパス内を徒歩15分ほど歩き、A教授研究室に到着。午後1時から特別講義。A先生の部屋でI先生と高級なお弁当をいただく。昼食後、少々時間があったので大学院生と研究の相談。この時、院生たちからキャンパスグッツ(ペンセット、ハンカチ、しおりなど)を頂戴する。嬉しい限りだ。

 講義室は水道もある実習室を準備していただいたので水圧による圧力の解説もできる。先生、大学院生(男子学生2名)を入れ15人の前で熱演。講義は腰部負担、看護姿勢・動作負担、摩擦と看護、点滴や注射器の圧力などの話しを、パワーポイントと持参した小物・学生の身体を使って実験。看護分野の皆さんがよく分からないという力のモーメント、慣性力、摩擦、力と圧力、力と質量などの解説をする。午後1時から4時まで3時間。その後、5時に夕食のため大学院生Nさんの車で風流なおもむきのする一軒家へ案内される。建物の陰に隠れた小さな日本料理専門レストラン。1日2件の予約しか受け付けないとう店で、今日は我々6人だけの予約で貸し切り状態。この店はたけのこ料理が得意のお店のようで、たけのこが採れるシーズンになると予約でいっぱいとのこと。美味しい料理がつぎからつぎに出て、A先生、I先生、3人の大学院生、それに遅れて Tさんが京都から参加され和やかな懇親会となった。A先生のもとで学位をとったTさんは、今では大学の先生。学生のころから、よく学会で会い研究の話しを交わした研究仲間だ。

 A先生はじめ大学院生たちとは、人間工学会の研究発表会でよくご一緒した。A先生が部会長のときに、部会の名誉会員に推薦していただいた。こうして、毎年、開催される人間工学会で院生のメンバーは少しずつ変わるが、A研究室の皆さんと長い間交流が続いている。A先生、研究室の大学院の皆さん、この度は大変お世話になりました。また、美味しい夕食とお土産有り難うございました。【2011.8.1】

写真1:モノレールから見える大阪のシンボル「太陽の塔」
写真2:摩擦の実演風景
写真3:支持基底面の実演と解説風景
写真4:A先生とその門下生と記念撮影

2011.8.5 記







2011/07/25 12:48:11|小さな旅の思い出
1000円優待券で志賀高原の旅 その2

7月21日(木)
 朝6時に風呂に入る。だれもいない。この時期、客は少ないようだ。8時〜9時、ノルディックウオーキングでホテルの裏庭?の展望台に登る。ここには「恋人の聖地」という文字が書かれたゲートあり、鍵をホテル売店で求めこの「恋人の聖地」にある鍵結びに取り付けると恋は永遠というこのようだ。ここからは妙高山(2,454m)がよく見える。展望台よりさらに奥へ行くと小さな池あり。晴天なのでそよ風吹く草原を歩くのは非常に気持ちがよい。

 ホテル周辺はゴルフ場、テニスコート、プールなどがある。貸自転車もあるのでサイクリングも可能。運動を目的にしない者にとっては近所を散歩するほかない。近くにある3つの「道の駅」を訪ねることとし10時にホテルを出発。
A 道の駅「しなの」、ここは長野県側にあるので新潟県妙高市にあるホテルから東京方面へ少し戻る。もも、とまと、なすを求める。

A道の駅「しなの」で11時になったので、ここから40kmほど先にある新潟県の日本海に面する道の駅「うみてらす名立」へ行き奮発して特性海鮮丼2,480円の昼食をとる。この「道の駅」で真喜子は、買い物してお金を支払う。ところがその直後、“私の財布ない”と言いだし大騒ぎ。2人の店員さんと周辺を探すが見当たらない。支払い直後だからないことはないと確信し、さらに周辺を探すがない。真喜子の体に目をやると真喜子は財布を腋の下にしっかりと抱えているではないか。2人の店員、我々2人の4人がその場で大笑い。「メガネをかけた人がメガネを探すがない」といい大騒ぎするのと同じだ。店員さんと記念写真を撮る。道の駅の裏側には大きな風車が1機設置されていて、強風で順調にうなりを立て回転している。それを見ながら日本海海岸線の遊歩道を歩き、道の駅を一周する。

B道の駅「あらい」高速道路の新井を出たら直ぐそばにある道の駅「あらい」に立ち寄る。周辺に食堂などが比較多くあり、「道の駅」の存在が薄まっている。こうして、道の駅「あらい」を最後に一般道利用で妙高高原APAホテルに戻る。午後3時。
 
7月22日(金)
 9時チェクアウト。ホテル支払い25,400円也。2人で2泊であったから、1人1泊2食付きで6,350円ということになる。
APAホテル9時出発し、中野市●道の駅「北信州やまのうち」、草津町●道の駅「草津運動茶屋公園」、高崎市、藤岡市●道の駅「ふじおか」を通って午後5時、260kmドライブの末、無事に帰宅した。

 こうして、6月に1枚の特別優待券を頂戴したのをきっかけに二人で二泊三日の旅を楽しむことができた。【2011.7.22】

写真1:新潟県の道の駅「うみてらす名立」
写真2:真喜子の財布探しに協力していただいた店員さん(お騒がせいたしました。また、お邪魔します!)
写真3:道の駅裏庭の巨大風車
写真4:山間地では急ピッチで山崩れ防止工事を進めている

2011.7.25 記







2011/07/25 12:33:08|小さな旅の思い出
1,000円優待券で志賀高原の旅 その1

 各地看護学校を泊まりがけで講義をしている。その宿泊によくAPAホテルを利用する。6月のある日、泊まった成田駅前のAPAホテルで一枚の「夏休み特別ご優待券」を手渡された。それには、「妙高パインバレー1,000円宿泊券、ご利用期間:2011年6月1日(水)〜10月31日(月)、APA HOTEL&RESORT<妙高高原>ツインルームまたはダブルルーム(食事なし)」、“創業40周年特別価格、1室2〜4名様利用お1人様1,000円(入湯税別)”と書いてある。

 1000円で1泊とはあまりにも安いのでだまされた気持ちで、早速、インターネットで7月20日から2泊予約した。予約にはID番号が必要で、そのID番号はこの優待券に書いてあるので、誰でも申し込みできるとは限らない。このホテルの一般料金を調べたら、1人朝食付きで4500円とある。仮に朝食を1300円とすると特別優待券を使うと2300円であるから、50%割引で泊まれることになる。


7月20日(水)
台風6号は四国直撃、関東地方でも強い風雨があるが新潟地方は異常なさそうな予報なので、午後4時〜5時に志賀高原に着く予定で午後1時自宅を出発。入間から圏央道、関越自動車道、上信越自動車道を使い「妙高高原」ICでおりる。そこから18kmのところにAPA HOTEL&RESORT<妙高高原>は位置する。予定通り午後5時到着。高原の中にゴルフコースがあって、その側に大きなマンション風の建物が2棟あり、その1つの1107号室がお世話になる部屋だ。チェックイン時に前述した優待券とアパ会員証提出を求められる。優待券は忘れたので後日郵送ということで鍵をもらった。窓からは直前に妙高山(2,454m)が良く見える。悪くない。

 夕食は付いていないので、その予約を午後6時にお願いする。夕食は、和食・洋食とも3800円均一。今日和食、明日21日洋食とする。着いて間もないが、予約したので6時に和食の食事。アルコールは飲めないのでジュースとウーロン茶(450円)で無事着いたことを祝う。食事後、早速温泉へ。大きな室内浴槽と露天風呂であるが、他に客はいない。贅沢にも1人でのんびりと温泉を堪能する。

 部屋にてインターネットに挑戦するがつながらず寝る。夜中1時にトイレのために起きたついでに、再度繋がらなかったインターネット接続に挑戦。LANケーブルのPCとの接触が不良であったことが判明。娘から先日の入間訪問のお礼のメールが届く。孫の写真が幼稚園のブログに掲載されたらから見ろという。こうして1時間ほどメールの確認と返事をし、午前2時に寝る。【2011.7.20】

写真1:すれ違うのが困難な山道を走る
写真2:ホテル部屋から妙高山が額縁に入れたかのように見える
写真3:ノルディックウオーキングで展望台へ向かうときのホテル前にて
写真4:展望台途中の景色

2011.7.25 記









2011/07/20 9:01:32|小さな旅の思い出
1年がかりパッチワーク完成!

 妻眞喜子はパッチワーク愛好家。制作した作品は、人に喜ばれるためにプレゼントすることを趣味に生きているようだ。ここに紹介する作品も1年以上かけて作り、佐賀に住む孫へプレゼントする予定。

 佐賀の孫Kちゃんが人に理解されるような絵を描き始めてから、その絵をデジカメで撮影し送ってもらい溜め始めた(写真1,2)。送られた絵は、私がコンピューターでトリミング、拡大・縮小し、真喜子に渡す。それを布地に写し、写真3のように小まめに眞喜子はパッチワークを始める。その作業を行っている姿勢をみると、目を細め背中は曲げ、よくまあ毎日やっていられるなと感心する。よく、旅行をすることがあるが旅館やホテルまでも持ちこむこともあった。我々は早寝早起きの良い子の生活をしているので、朝、3時ごろから作業を開始するとか、昼寝したらからといって朝1時、2時に起きてパッチワークをすることもよくあった。

 こうしてでき上がった作品が写真4である。今朝も出来上がったからと写真5のように玄関の壁につりさげ、写真を撮るように依頼され撮影した。

 今日は、完成を祝ってではないが、志賀高原へ2泊3日で出かける予定で、その前にブログに投稿しようと頑張っている。しかし、大型の台風6号が四国高知県に上陸したというニュースが伝わり、天候が思わしくないので出発を見合わせている。【2011.7.20】

写真1:孫5歳の絵
写真2:孫6歳の絵
写真3:制作中の眞喜子
写真4:パッチワークになった孫の絵
写真5:完成したパッチワーク

2011.7.20 記