孫が3年前に上京したときの第一希望は東京タワーに行きたいというので出かけたことがある。その時の帰りがけで地下鉄駅向かうとき、歩いている路面に東京タワーの長い陰が写っていた。その影を見た孫が東京タワーはいつまでもついてくると言ったことが印象的だ。その孫は4月から小学校1年生になる。今回は東京ディズニーランドへ行きたいというので、2月25日に行ってきた。1日おいた27日には、佐賀へ帰るので羽田へ見送りに行った。その前に、まだ登ることの出来ない東京スカイツリーを見に連れて行った。
地下鉄押上駅の出口A3から出ると、目の前に見上げるようにそびえ立つ東京スカイツリーが眼前に見える(写真1)。丁度お昼時なので、業平橋駅前を通りスカイツリーを一回りし、途中どこかで昼食をする予定で歩き出した。半周したところ寿司屋があったのでそこに入る。この店の道路を隔てた向かい側に、王貞治選手の実家だった所があるよと寿司屋のおじさんが教えてくれた。また、店の中には高見盛(写真2)、稀勢の里、把瑠都3人のお相撲さんの色紙が壁に掛けられてあった。これらお相撲さんの稽古場所がこの寿司屋の近くにあるようで、よく訪れるのでサインをもらったとのこと。
ランチ定食を食べ、押上駅へ向かう途中にお土産屋がいくつかある。その1軒で背の高い東京スカイツリーの貯金箱を売っていた。店員がいうには、500円玉でいっぱいにすると、55万円入るという。この貯金箱をいっぱいにし、孫たちに豪華な東京見物をさせようと、迷わずそれを買った。買ったのはいいが、これから羽田へ孫たちを見送りに行くので持って歩くには少々長い。組み立てるようになっているので購入した品物は現物より短い。それでもあまりにも長いので近所のコンビニから自宅まで送ってもらうことにした。目方は重くはないが、ケースに入った品物が長いので宅配料金が予想以上に高くついた。東京スカイツリー貯金箱(写真3)はあまりにも背が高い貯金箱なので驚いて求めたが値段のほうも高いものについた。
押上から品川経由で羽田に向かった。昔に比べれば今は大変便利になり、押上から乗り換えなしで羽田に行ける。押上駅は京成線、東京スカイツリー駅(旧業平橋駅)は東武線の駅でお互い近くにある。ついこの間まで東京スカイツリー駅の駅名は業平橋駅であった。昭和24年ごろ安田学園中学校に通っていた。もともとこの学校は両国駅近くにあるのだが、当時、この学校の校舎は米軍に接収されていて、授業は業平橋からほど近い横川小学校を借りて勉強した記憶がある。当時、毎日通学で利用した業平橋は懐かしい。その後、米軍の接収が解除され、横川の仮校舎から両国の安田学園本校舎に移り、そこで卒業した。
孫たちは夕方の佐賀行き便で帰るというのでその時間まで羽田空港でしばらくお茶しながら時間をつぶした。雨の東京ディズニーランドと晴天時の東京スカイツリーを見学し、彼らは元気で自宅のある佐賀へ飛び立った(写真4)。次に会うとき、大きい方の孫は小学校へ入っている。次回会うときの成長ぶりが楽しみである。【2012.2.27】
写真1:よく晴れた日の東京スカイツリー見学 写真2:寿司屋で見た高見盛の色紙 写真3:東京スカイツリーの巨大貯金箱、500円玉いっぱいで55万円とか 写真4:みんな満足そうな顔して帰っていった(羽田空港にて)
2012.3.27 記
|