まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2012/06/05 21:40:35|思い出
眞喜子が腰痛に!
 講義の旅に出ている間に、眞喜子が腰痛になった。金曜日(6月1日)は成田市に来ていたが、携帯電話で立てなくなったという報告を受けた。まさかそれほどのことはないと思い自宅に戻ったところ、口はよく動くが体が動かない。座った状態から立つことが非常につらそうだ。いったん立ち上がると何とか歩けるが、座ると立てない。

 腰痛を発症する前は、片腕が持ち上がらなくなっていた。この症状は、パッチワークをやり過ぎだということがわかっている。整体院にでかけ、ケアしてもらい少しずつ腕のほうは回復に向かっていたところ、今度は腰痛が突然襲った。こちらは彼女の話によると、毎月回収にくる古新聞の束を持ち上げた時にやられたということだ。

 自宅に戻り、彼女の顔色をうかがったところ、顔つきは元気。しかし、腰が痛いようで座ったらなかなか立てない。痛みが取れるという絆創膏が山手線の広告のように腰周辺にべたべたと貼りつけみっともない状況。立ち上がり時に支援をするが、背中に手を回せば“いた〜、いた〜”、腕のわきに手を当て持ち上げると、今度はパッチワークで患った肩・腕が“痛い〜”という。このようなわけで、手の出しようがない。眞喜子を持ち上げるということは結婚以来まずない。今回、座位から立位途中までであるが、持ち上げを実行して、非常に重いということが分かった。2人きりの生活で、持ち上げ支援でこちらも腰痛を起こすと2次災害になり、食料品も買いに行けなくなり困り果てることになる。脱力状態の人間は思いのほか重い。介護者は腰痛を犯す可能性が高いというが、その理由がよくわかる。

 20年ほど前、看護師の腰痛問題に取り組み腰痛の現状を調べたり文献調査したりしたことがある。その結果、業務で腰痛を起こした人は70%〜80%いるということが分かった。ところが、17年ほど前になるがイギリス・スコットランドへ渡り、イギリスの看護師さんにアンケート調査をしたところスコットランドでは40〜50%の人が業務で腰痛を発症したという低い発症率であった。これには、理由があって一人で患者を持ち上げてはいけない、必ず複数人で持ち上げるとか、周囲に同僚(支援者)がいない場合は機械(リフター)を使いなさいという規制があることが分かった。さらには、病棟にはキーリフターという看護師がいて、そのキーリフターが患者持ち上げ時に相談に乗ってくれるとのこと。また、患者ハンドリング・スリングといって患者移動や立ち上げ支援に使う、長さ50センチ、幅20センチほどのゴム板状材料で作られた用具が病室の壁に掛けられてあった。この用具両端近くには穴があけられ、その穴に両手を入れ、それを座位にある患者臀部に当てがう。ハンドリング・スリングを使うと、患者を座位から立位へ支援する場合の看護師前傾角度は減少する。前傾角度が減るということは、腰部負担が減るということになる。

 眞喜子を持ち上げる際、昔研究していたこのようなことが役立つかなあと思いながら持ち上げた。しかし、普段使わない技であるから、思うようにその成果を現わすことはできない。ここ数日、身体が動かないくせに口がよく動く眞喜子を相手に、悪戦苦闘している。食料の買い出しや、台所にあまり立つことがないので、何を買い求めたらいいのか、食器類がどこにあるのか不明で戸惑っている。眞喜子には早く回復してもらいたいと願っている毎日である。治ったら温泉へつれていくと約束し、また、今日も講義の旅に出てきたところである。

2012.6.5  コンフォートホテル成田にて記す







2012/05/24 22:49:43|思い出
区切りのいい誕生日

 先週の金曜日(5月17日)に喜寿の誕生日を迎えた。3人の子供たちが小さかったころ子供たちの誕生日は祝った。しかし、全員が成長した今、特別な誕生祝いは行っていないし、我々親の誕生日も特に祝うことはない。講義の旅にでていた先週金曜日、喜寿を迎えたことのメールが眞喜子からもらった。誕生日のことはすっかり忘れ自宅を離れていたが、そのことを伝えてもらったとたん嬉しくなった。私の父親は67歳で他界した。この年齢を生きる努力目標としていたが、いつの間にかその年齢を通過し父親の年齢より10歳も長く生き延びた。その上、有難いことに春学期は5つの学校から講義依頼を受けたので講義の旅を続け、若い人から元気を授かっている。

 喜寿という区切りのいい誕生日の朝を旭中央病院のゲストルームで迎えた。そのまま黙って旭中央病院付属看護専門学校で講義をしていれば、誕生日のことはだれにも分からない。ところが講義初めに「今日はなんの日」と学生さんに問うたところ、感のいい学生が誕生日だといってくれたので全員にそのことが知れ渡った。こうして、誕生日であることを宣伝したかのような形で授業を開始、いつものように最後に授業感想を書いてもらった。「誕生日おめでとう、いつまでも元気でいてください!」という嬉しい祝いのメッセージを多くの学生さんからいただいた。こんなに沢山のメッセージを同時にもらったことは初めてである。嬉しい限りだ。これらのメッセージは、一言「今日はなんの日」を問いかけなかったなら、いただけなかったことであろう。こうして旭中央病院看護専門学校で迎えた記念すべき喜寿の誕生日ということで、学生さんと記念写真を撮った(写真1)。だれもがいずれ必ずお世話になる未来の看護師さんたちから祝福され、嬉しい限りである。

 誕生日当日はまだ自宅に戻れず、翌日もう1校での講義を終え自宅に戻った。それなりのお赤飯とケーキの準備をしていたが、食事制限があるため誕生日だからといって眞喜子は特別な料理の準備をして待ってはいなかった(写真2)。さらにその翌日の土曜日は川越へ行こうと眞喜子はいう。なにやら祝いの品をプレゼントしたいといい、それを口実に鰻も食べたいという。なにが欲しいかといわれても、これといって特別にほしい物はない。お腹周りが太くなり履けないズボンが多くなったのでズボンを要求。早速、川越丸広デパートへ出向き、体型に合わせて2本のズボンをプレゼントしてくれた(写真3)。担当の男性店員のネームプレートを見たら私と同性のOGAWAである。さらに、その後に食べに行った鰻屋は100年以上続く小川菊という老舗の店(写真4)で、ここのご主人の名字もやはり同性のOGAWAである。会う人、行くところの名字が同じで嬉しくなる。

 鰻屋「小川菊」へは、何回か行ったことがある。鰻重のお値段もかつてより高くなり、以前なら上の鰻重が食べられたところだが、今ではその値段が並の鰻重となった。それでも、ここの鰻重は美味しいとの評判で、昼時は行列ができる。たまには元気のでる鰻を食べ、末永く元気で健康でいたいと願っている。【2012.5.18】

写真1:学生さんに祝ってもらう誕生日(5月17日)
写真2:誕生日翌日の夕食
写真3:その翌日に眞喜子からの誕生祝いのズボン2本
写真4:鰻重も眞喜子からのプレゼント

2012.5.23 旭中央病院にて記す







2012/05/17 17:42:13|思い出
今日はなんの日、知っているかい!

 4月に入り学校が始まり、月曜日に自宅を出ると金曜日まで家に戻らずに講義の旅を続けている。移動経路は週初めの月曜日に栃木県下都賀郡壬生町にあるD大学、火曜日に川口市のK看護専門学校、水曜日に成田市のF看護学院、木曜日に旭市のA看護専門学校、金曜日に成田市のH福祉学院と毎日異なる大学と学校である。講義題名は「看護人間工学」という科目である。

 今日は5月17日木曜日、千葉県旭市にある旭中央病院内にある旭中央病院付属看護専門学校の講義日である。ここは遠いので2食付き病院内のゲストルームに泊めていただくために水曜日に旭市へ移動する。病院内に泊まっているので、眞喜子は医者、看護師がそばにいるので安心だという。翌日木曜日の朝9時から講義だが、早起きの習慣がついているので4時ごろ目が覚める。一応、眞喜子に外泊する日は宿泊場所からメールをだし、朝起きたことと夜宿泊地に着いたことの情報交換は必ず行っている。

 そのメールの返事が今朝5時に送られ「おめでとう」とある。なにがおめでたいのか、しばらくわからなかった。今日は17日ということに気づき私の誕生日であることが分かった。それも喜寿というめでたい誕生日だ。自宅にいれば、お赤飯を炊きケーキでもでるかなと思う。しかし、旭中央病院付属看護専門学校いることだし、今日の午後は成田市に移りここでもう一泊することになっているので祝ってもらえない。明日、H福祉学院の講義を終えてからでないと自宅に戻れない。期待の赤飯、ケーキは1日遅れの明日になるかなあ。と期待していても明日になると眞喜子も私も誕生日のことはすっかり忘れる可能性が十分ある。それほどまでの年齢にいつの間にかなった。いずれにしても喜寿という区切りのよい年の誕生日を旭中央病院付属看護専門学校で講義させてもらえるという光栄な日を迎えた。

 上記した日程で毎日動き回り、人は大変でしょうというが私自身は楽しんで講義をしているし、その上、若い学生さんから元気をもらっているのでこちらから講義依頼をいただいていることに対してお礼をいいたい。さらに、胆嚢除去手術、狭心症手術(ステント3本入り)、両眼白内障手術で医師、看護師に大変お世話になっているので恩返しもしたい。また、腰痛に関する研究、看護動作の研究をしてきたこともあって、そこから得られた知見を学生さんたちに伝えたいという思いもある。

 喜寿の誕生日を迎えたので、講義最初に「今日はなんの日、知っているかい!」と学生さんに問うた。しかし、当然のことだがだれも知らない。ある学生さんが感を働かし、誕生日ではといってくれた。ここまで生き延びたことをうれしく思い、催促したわけではないが、講義中に誕生日のお知らせをしてしまった。そうしたら、講義毎に提出してもらう講義感想に、多くの学生さんから「おめでとう」を書いてもらえた。その中で、英語で「Happy Birthday!! We were happy to take your lesson on your birthday. Hope you have a great year and a day!!」と書かれ、日本語で「体位変換に関する授業が始まったので、日々人間工学が看護に深く関係しているということを実感しています。計算式はやはり難しかったです。具体的な数字を当てはめてみるともしかするとわかりやすいかもしれません。」と感想が書かれてあった。相変わらず英会話を勉強中なので、英文でのお祝いの言葉は、思いもよらず嬉しい。学籍番号A-17のMihoさんありがとう。【2012.5.17】

写真1:喜寿の誕生日を祝ってくれた看護学生さんたちと
写真2:支持基底面の講義中
写真3:クラス全員が祝ってくれたかな?
写真4:学校の先生方にもお祝い強制?

2012.5.17








2012/05/04 7:21:03|国内旅行
姫路城の桜は満開であった!

 今年も4月の新学期に入り毎日どこかの学校で講義をしている。月曜日に自宅をでると金曜日まで戻らないという講義の旅が始まった。一番はじめの講義は姫路医療センター附属看護学校である。この学校は、世界文化遺産に指定されている姫路城の真ん前にある姫路医療センター内にある。屋上からお城が見え、道路を渡ると姫路城公園という素晴らしい環境の中にある学校だ。

 4月12日、13日の両日集中講義を行うために出かけた。初日は晴天に恵まれたので、午後2時半に講義を終えた後、姫路城に入場し公園内を散歩した。幸いにも、桜の満開時期にでくわし、公園内と城内を一回りした。城内へは有料(400円)で入場でき、さらにプラス200円で大天守保存修理見学施設内に入れた。定員20名のエレベーターに乗り8階まで一気に登ると50種8万枚もあるという屋根瓦ふき替え工事現場をガラス窓越しだが眼前で見ることができる。写真1は覆いがかぶされた天守閣だが、上部に小さく窓が見えるがそれが7階と8階の窓であって、そこまでエレベーターで登れる。内部を見ると瓦のふき替え工事が、外部を見ると写真2のような満開の桜を上空から見ることができた。修復が終わり姫路城全貌を見ることができるのは、3年先だそうだ。

 修理見学施設から出て、園内を散歩したところ、写真3のように外国からの観光客が多く訪れていた。彼女らとは見学施設内で出会い話しを交わした。オーストラリアから来た学校の先生のグループとのこと。公園内に綺麗に咲いた一本の桜があった。日本人かと思い通りがかりの人に日本語でシャッターを押してもらうお願いをしたが、言葉が通じない。すばやく英語に切り替えたところ意味を分かってもらえ撮ってもらった写真が写真4である。彼女らは台湾から来た観光客であることが分かった。今回の講義の旅では姫路城の全容は見られず残念であったが、満開の桜に出あえ大変満足している。

 もう、5月の連休に入った。過ぎ去った姫路医療センター附属看護学校での講義のお陰で、満開で美しい桜に出会えた。また、姫路城の屋根瓦修復中の貴重な現場が見られ、よい思い出ができた。【2012.4.12】

写真1:覆いでおおわれた姫路城と満開の桜
写真2:修理見学施設から見た姫路城公園の桜
写真3:外国人観光客も桜と姫路城に満足
写真4:満開の桜に出会えて大満足

2012.5.4 記







2012/04/20 8:45:10|ハワイの旅 2011
「この木なんの木気になる木・・・・・」が沢山あった!

 ホノルルにおけるツアーに「ポルネシア・カルチャー・センター訪問」と「ホノルル一周観光とB級グルメ観光」を選んだお蔭で、短時間のホノルル滞在を有効に過ごすことができた。今回、思い出に残るシーンがいくつかある。

 特に印象に残ったのは、毎週見ている日立「世界ふしぎ発見」のコマーシャルソングで有名な「この木なんの木気になる木・・・・・」(日立の樹)を見ることができ、その木の下に入り木と握手できたことである。この木はホノルル国際空港に程近いモアルナル公園内にあり、その種類は「モンキーポッド」というそうである。樹齢約120年、高さ25m、幅40mとのこと。一本だけが独立にたっているのかと思ったが、写真のように親分格の大樹の左右に何本か同じような木がたっている。ツアーガイドの説明によると、日立の樹を管理する地元企業に毎年約4000万円を支払い営業目的での独占的撮影権を得ているという。

 もう一つ「気になる器(き)」がホテルにあった。写真で紹介すればすぐ分かるが、紙面の都合できないので説明する。実は泊まったホテルのトイレでフラッシュボタンを押すと、普通なら“ザーーー”と水が渦巻くように流れ出て汚物はバイバイする。ところが、ここでは、ボタンを押すと高い音が“シュー”として、水は一気に吸い込まれ汚物は見えなくなる。飛行機や新幹線のトイレと同じ音と勢いである。便座の後ろにある水タンクの外形は大きめだが普通の形状だ。大きくて重かったがその蓋を持ち上げたら、なんと水ではなく円筒状の空気圧タンクが収まっていた。この機械が水と汚物を一気に吸い込む仕掛けのようだ。日立の「気になる木」を見学に行く直前のことなので、これも「気になる器」と名付けた。

ワイキキの浜で可愛いハワイの子供がお兄ちゃんと妹が乗ったカートを一生懸命に曳いていた姿。その姿が何とも言えないほほえましい光景であった。カイルアの海で凧にぶら下がり海上を離着陸して楽しむスポーツがめずらしい。「ホノルル一周観光とB級グルメ観光」ツアーの帰路、見たことのないような大きな虹を見た。ハワイでは上を見て歩くと虹が見えるという。ワイキキに戻り、通りを走る車のナンバー・プレートを見たら、そのプレートにはなんと虹の絵が描かれている。それほど当地では虹が有名のようだ。

 わずか4泊の短いハワイの旅を終えた。ツアーの力を借り観光を楽しんだ。唯一、自力で移動したのは、カイルアにお住いの美千代さん宅訪問である。この訪問がなければ、遠距離バスに乗らないし、ハワイレストランへも行けなかった。美しいカイルアの海にも出会えないし、ホームステイと英語研修の様子もわからなかったに違いない。Michiyoさんを紹介してくれた英会話の仲間Reikoさんに感謝するとともに、お会いしいろいろロングステイの様子を話していただき、昼食のハワイ料理をご一緒し、カイルアの海まで案内いただいたMichiyoさんに感謝する。

 ハワイ6日の旅のツアーに申し込み、4月3日(火)強風に見舞われ3時間遅れで成田を出発し、4月8日(日)無事帰国した。ツアー代金が非常に安かったのは、出発は夜でホノルルに着いてもホテルのチェックインができない時間だからか。チェックインまで待っている間、現地ツアー会社がツアーやお土産の宣伝をする。帰りのホテル出発は早朝で、日本へは翌日の昼ごろ着く。6日間のツアーというが、実際に観光に使える日は、実質3日である。到着した日も使えるがその日は時差ボケがあるのと、初めて訪れる場合は勝手がわからなので有効に使えない。朝食3回つきで、トロリーバス乗り放題券をくれるが、その他のツアー申し込みは自身でする。滞在中はフリーということと格安なので申し込みをして出かけてきたが、よく考えると、上述のようだからだ。空港・ホテル間の送迎はきちんとやってくれたので、その点はよかった。
 出発前日に講義、帰国翌日に講義。どこかで時間が狂うと、学生に大迷惑をかけたことになる。少々冒険な旅であったと反省している。【2012.3〜8】

写真1:「この木なんの木・・・・・」の左側の風景
写真2:「この木なんの木気になる木・・・・・」全景
写真3:「この木なんの木・・・・・」の右側の風景
写真4:「この木なんの木・・・・・」の根元はこんなに太い

2012.4.20 APAホテル成田 にて記す