まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2012/08/20 21:07:51|思い出
行かなきゃよかった!オリンピック凱旋パレード

 昨日(8月19日)、オリンピック パレードが20日(月)に行われる旨をニュ―スで知った。それによると、選手はオープンカー2台、屋根のない2階建てバス5台に乗り込んで、1キロを20分間(3 km/h)かけて進むパレードをするという。1号車 競泳の北島選手、2号車 ” なでしこジャパン ”、3号車 体操の内村選手などが乗る予定という。
日時・場所(ルー)は以下の通り。
●日時:2012年8月20日(月)、11:00〜11:20
●場所:東京・銀座中央通り、銀座通り口(銀座一丁目) → 銀座八丁目(約1km)

 というわけで、今日は午前8時半に自宅を出て、池袋経由で有楽町へ、そして徒歩で銀座通り口(銀座1丁目)へ行った。ここは映画館「銀座テアトルシネマ」があるところで、映画館の入り口に午前10時20分に着いた。パレードが開始する11時まで40分ほど立ったまま待つことにする。ここに着いたときは写真1に示すように警察官が一生懸命人の流れに向かって拡声器で注意を呼び掛けていた(左の緑の車)。あまりにも多い人並なので、もう少しいい場所へ移動しようとしたがそれは不可能であった。この場所へたどり着いたのも、人の流れに乗っていつの間にか来たのであって、自分の意志で動いたのは映画館「銀座テアトルシネマ」の入口で直射日光が当たらないところに落ち着けたことだ。

 待つこと40分、周囲がどよめいたので背伸びして覗くと、どうやらここ銀座1丁目がパレード出発点のようで、赤い車、赤い背広を着た選手たちが乗った車が通っていくのが群衆の肩越しに見えた。観客は選手がよく見えないにも関わらず、声援するために手を振るのと、また、カメラ持つ手を上に伸ばす。そのため、写真2のように手の林の間から見えるパレード車を見送った。肉眼ではだれがどの車両に乗っているのか不明である。自宅に戻り写真をよく見たら、望遠で撮った一枚の写真に砲丸投げの諸橋選手の姿をとらえることができた。以上のように、銀座まで来たのだが群衆があまりにも多いのでパレードは良く見えず、しかもそのパレードは短時間で終わった。

 レスリング女子の吉田 沙保里選手、伊調 馨(いちょう かおり)選手、体操男子の内村 航平選手ら7人、バレーボール女子選手ら28人” 、なでしこジャパン ”選手ら41人、合わせてメダルを獲得した76人全員が参加したようだが、あまりにも遠くで顔は見えなかった。結局、写真2のように遠くに見えたパレード車が10分ぐらいで我々の前を通り終え、次の瞬間、写真3のように帰りを急ぐ人の群れができ、またまた、動きが取れなくなった。

 iPad操作で分からないことを聞くために銀座松屋の前にあるアップルストア銀座へ立ち寄りたかったが、思うようにそこまで進めない。銀座の大通り路上で様子をうかがっていたら、警察官がそこに立ち止まらないようにと注意を受ける。こうして、人の群れがなくなるまで30分ほど静観し、やっとのことでアップルストアへたどり着く。持参したiPadを開き、不明点を説明してもらい、店を出た。時計を見ると11時半になっていたので、銀座伊東屋本店前道路を隔てたビルの地下にある「N9Y Butchers Grill New York 銀座店」に入り、3時間ほど立ち続け消耗した体にエネルギー補給ということで、昼食としては豪華な、しかも20食限定というロースビーフ定食を食べた(写真4)。疲れ果てた眞喜子はご機嫌だ。

 自宅に戻り、夕方のテレビニュ―スを観たら、「ロンドン五輪日本代表のメダリストらによる凱旋(がいせん)パレードが20日、東京・銀座で行われた。沿道には徹夜組も含め、約50万人(主催者発表)が詰めかけた(毎日新聞)」という報道が流れていた。我々二人は50万分の2の群衆の中の2点であった。

 銀座テアトルシネマ前で長時間立っていたとき周囲を見渡すと、映画の題名「あの日あの時愛の記憶」絶賛上映中!という看板が見えた。10年先に、この題名のような記憶がよみがえってくるなら嬉しいことだと映画題名を読みながら思った。【2012.8.19】

写真1:銀座1丁目に着くがすでにこの混みようだ
写真2:パレードが始まるが、声援の拍手とカメラを持つ手で選手は見えない
写真3:10分後には、また群衆の動きで身動きできない状態
写真4:最近、遠のいる肉を食べ元気回復(銀座N9Yにて)

2012.8.19







2012/08/14 10:20:39|思い出
猛暑の墓参り

 月遅れの盆入の昨日13日(月)、青山霊園に眠る両親の墓参りに行ってきた。お盆は、新暦の盆と月遅れの盆があり、新暦の盆は東京を中心として南関東では7月13日 〜7月16日、月遅れの盆は8月13日〜8月16日という慣習で墓参りが行われているようだ。東京都にある墓地であるからか、新暦で墓参りする人が多いのか、月遅れの盆入り13日に墓参りしたが墓参に来る人はほとんどいない。
 
 ここ数日やや涼しくなったかと思い気楽な気持ちで9時に自宅を出た。池袋から東京メトロ丸ノ内線で大手町、ここから地下鉄半蔵門線で表参道駅下車、徒歩15分で立山墓地に着く。表参道駅を出てのんびり歩くのだが、ものすごく暑い。この青山界隈はコンクリートの建物・道路であるから暑くなったフライパンの上を歩くようだ。途中にファッション・デザイナーISSEY MIYAKE(三宅一生)の店がある(写真1)。さらに進むと交差点の角に根津美術館が見えてくる(写真2)。この美術館のコレクションは日本・東洋の古美術品で、ジャンルは絵画、書蹟、彫刻、金工、陶磁、漆工、木竹工、染織、武具、考古と多岐にわたっているといわれている。根津美術館を見て左に曲がるとやがて立山墓地に到着する。

 こうして歩くこと15分、墓石周辺の雑草を取りさり、墓石を清め、お参りを済ませる(写真3)。墓参りで困るのは、お線香に火をつけるのに苦労することだ。数年前に墓参した時は、立山霊園に管理人がいて、そこでお花とお線香を求め、火をつけてくれた。今はその管理棟が撤去されたため、お花とお線香を持参し墓前で火をつける。購入したお線香にマッチと細い棒状のロウソクが入っているが、火がつくまで時間がかかる。今回は、友人のHさんから強力な工作用の超小型ガスバーナーを頂戴したお陰でわけなく火が点いた。

 以前、墓敷地内に大きくなった一本の木があった。秋になるとお隣の墓地にその木の葉が散るということで霊園管理者を通じて苦情がきた。そのため、その木を根元から切り倒したお陰で、お盆の墓参り時に日影がなくなった。太陽が照り輝く猛暑の中での墓掃除であったので汗だくだ。下着のシャツはびっしょり濡れ、さらにその上に着た半袖シャツまで汗が移り、夕立にあい濡れたシャツのようにしま模様だ(写真4)。この状態で池袋まで戻り、デパート内のレストランで食事を済ませるためレストラン街をうろついているうちに汗は乾き、外見元通りになった。

 青山霊園は、東京都港区南青山にある都立の霊園である。会津藩出身の桐生氏が開いた現在の附属立山墓地が興りとされ、隣接してのちの青山霊園への造成へとつながっていった。その立山墓地に祖先と私の両親が眠っている。墓石は立派なものではないが、父親が生前に立て自身がその墓に入った。父方の墓は台東区橋場のお寺にあったが、母方の墓地がある青山霊園にまとめた。青山霊園には、以下のようによく知られる著名人のほか、多くの著名人が埋葬されているというが、まだ、訪れたことはない。
・秋山真之(海軍中将、日本海海戦時の連合艦隊作戦参謀)
・秋山好古(陸軍大将、日本陸軍騎兵の創設者、教育者(中学校長として))
・忠犬ハチ公(昭和初期、主人に忠誠を尽くしたと評された忠犬)
・大久保利通(政治家維新の三傑と評される)
・北里柴三郎(医学博士、慶應義塾大学医学部初代学部長、日本医師会会長)
・高峰譲吉(化学者、胃腸薬タカジアスターゼの開発者)
・乃木希典(陸軍大将、教育者)
・斎藤茂吉(教育者、精神科医、作家)
・斎藤茂太(精神科医、作家)
・広瀬武夫(海軍軍人、階級は中佐)
 この霊園は春の桜が美しいところであるというが、この時期にも行っていない。

 以上のようにして、まさかこのような猛暑になるとは知らず出かけ、外出時、生まれて初めて汗びっしょりの経験をした。帰ってから見た夕方のテレビ・ニュ―スによると関東地方は軒並みに35℃を超えていたというから、汗をかくのは当然かと思った。年をとると、寒いとトイレに行きたくなり、暑いと汗をたっぷりかくという傾向にある。それゆえ、飲み水は欠かさないように心がけている。【2012.8.13】

写真1:ISSEY MIYAKE店舗前の眞喜子
写真2:根津美術館を背景にした眞喜子
写真3:久しぶりに会えた両親の霊
写真4:帰路、地下鉄表参道駅に着いた時のシャツのしみ

2012.8.14







2012/08/09 2:10:22|思い出
ウェストサイド物語、映画「屋根裏部屋のマリア」、新自販機

 ロングステイクラブ(LSC)には「観劇同好会」がある。その幹事さんが入手困難な入場券をまとめて確保し、一緒に観劇と食事を楽しませていただくことがある。入手困難な入場券のひとつに本場ニューヨークからやってくるブロードウエイミュージカル「ウェストサイド物語」がある。この券の予約情報が昨年(2011年)の12月にあった。公演は半年以上も先の2012年7月19日である。迷わす申し込みをし、今年1月に振り込みを済ませておいた。その公演が19日行われ、昔観た映画の感動を今度は目の前の舞台で直接味わってきた。
 ミュージカル公演場所は、18日にオープンしたばかりの渋谷「ヒカリエ」11階の東急シアターオーブである。オープンした当日の公演では、映画でベルナルド役を演じたジョージ・チャキリスが会場にきて挨拶をしたという。彼の年齢は77歳。我々の鑑賞した日はその翌日19日であるから、ひょっとすると今日も挨拶に舞台に現れるのではと期待したが、来なかった。ミュージカルは1957年初演ということだが、この映画は今から50年ぐらい前の1961年に配給・公開されたという。彼の年齢は私と同じであるから観たのは、彼が映画出演していたころの年齢20歳代のいつかであった。映画はもちろんだが、DVDも買って何回か観て感動した。

 DVD(最近はBDに移行)といえば、テレビ映画のコレクションを行っている。コレクションした映画は一生かかっても観られないほどの数が溜まっている。どうゆうわけかそのコピーを観ないで映画館へ出かけることが多い。普段は近くにあるユナイッテドシネマ入間へ行くが、新聞・雑誌広告で面白そうな映画広告を見つけると、池袋、新宿、渋谷まで出かけて観てくる。

 真喜子が新聞広告で「屋根裏部屋のマリア」(写真1)をみつけ、面白そうだというので22日(日)に渋谷文化村ル・シネマまで行った。1960年代のパリ、ブルジョワ夫婦と屋根裏部屋に暮らすスペインの陽気な6人のメイドたちの物語。メイドの中にマリヤという女性がいる。その彼女とブルジョワの旦那との恋のお話し。屋根裏に陽気な歌声が響き、楽しい映画であった。

 池袋にはよく出るが渋谷へはあまり行かない。久しぶりで行った渋谷駅前の交差点はものすごい人、横断歩道の信号が青になると、急に大きな人の流れができる(写真2)。渋谷で誰かと待ち合わせをするときは、忠犬ハチ公前が定番であった。懐かしさのあまりそのハチ公前に行ってみたが周辺を多くの人が取り囲みハチ公は見えない。撤去されたかと思ったくらいの人だかりであった(写真3)。

 駅ホームの自販機で水を買いたいと思い周囲を見渡した。ところが、よく使う自販機が見つからない。ペットボトルや缶ジュース類の写真が額縁に入れたように貼ってある機械を見つけた。近づくと、よく利用したこれまでのものとは全く異なる外形の自販機であった(写真4)。映像で物品を並べるとこれまでの立体模型と異なり奥行に余裕ができるので収納する商品数を増やせからとか、自販機そのものの製造コストを下げるための工夫なのであろうかと直ぐ考えてしまう。【2012.7.22】

写真1:映画「屋根裏部屋のマリア」の広告
写真2:渋谷駅前交差点の人混み
写真3:やっと見つけた忠犬ハチ公と記念写真
写真4:最新型自動販売機であろうか

2012.8.9







2012/08/05 9:06:36|小さな旅の思い出
夜の東京スカイツリーは美しかった!

 待ちに待った午後7時、東京スカイツリーに照明が点いた。しかし、31階レストランからあまりにも間近なので「粋」に照明されたタワーの胴体部分しか見えない。タワー全貌を外から見ようとレストランを出て4階へ降りる(4階がタワーへの入口になっている)(写真1)。美しく輝くタワーの写真を撮り、帰ろうとしたが入場者数が少ないように思えたので、天望デッキまで待たずに登れるかもしれないと思い入場券売り場へ移動。入場券が直ぐ買えることが分かり、そのまま入場券を求め350mの天望デッキまでエレベーターで一気に上昇。エレベーターの最高速度は毎分600m(1分間で600m上る)ということだから、350mの天望デッキまでは1分かからずに到着するというものすごい速さだ。

 夕方7時を過ぎているので入場券売り場は空いていたが天望デッキに到着すると、こちらの天望デッキはまだ帰路につかない観光客であふれている。展望ガラス張りに沿って手すりがあるが、その手すりに近づけないほどの込みようだ。

 タワーが照明されるまで頑張っていた31階レストランからの眺めと天望デッキからの眺めは全く違う。眼下には夜の隅田川、そして新宿、渋谷、池袋のビル街が眺められる。遠くはディズニーランドや横浜で打ち上げている花火も見える(写真2)。360°の天望デッキ回廊を一回りする途中に記念写真を撮ってくれる場所がある。プロのカメラマンが撮影すると同時に撮影を希望するなら客のカメラでも撮影してくれる。その数メートル離れたところへ移動するとたった今プロが撮影したばかりのツーショット写真がもうできあがり、望むなら1枚1200円で販売してくれる。カメラに電線がついていないところを見ると無線で写真データを現像機まで送り現像・処理するのであろう。地上350mの回廊で撮影したツウショット写真を記念に1枚求める。天望デッキから美しい夜景の写真(写真3)をもう一枚撮り、下りエレベーターに向かう。ここでは345mまでエスカレータでいったん降りてから地上階まで下りるエレベーターに乗るようになっている。

 スカイツリーを後に押上駅に向かう。以前、孫を連れて東京タワーに行ったとき、“東京タワーがいつまでも追っかけてくるよ〜〜”と孫が言ったことを思い出す。押上駅まで近いが、今度は“東京スカイツリーがいつまでも背後から追っかけてくるよ〜〜“であった(写真4)。

 予約しておいた「ぽけかる倶楽部の「東京ソラマチ」に行こう」というバスツアーに夫婦で参加した。今流のモダンな商店街「渋谷ヒカリエ」「ダイバーシティ東京プラザ」「東京ソラマチ」に行った。都電が走っていたころに生活していた東京が懐かしく、このツアーを選んだが、全く変わった東京の街並みを見ることができ、その変化に驚いている。

 入場予定をしていなかった東京スカイツリーであったが、ウイークデェイの夜、しかも空いていたので予定を変更して350mの天望デッキまで上った。突然の予定変更だったが、素晴らしい上空からの夜景が見られよい思い出ができた。朝、8時に自宅を出発し、バスツアーで夕方まで都内を動き回り、夜は東京スカイツリーに上り、自宅に戻ったのは夜10時となった。14時間ほど遊びこけたようだ。万歩計も1万を越し16000万歩となっていた。近頃になく歩いたためロンドンオリンピックのニュ―スも見ずに熟睡。【2012.8.1】

写真1:照明が入ったばかりの東京スカイツリーと眞喜子
写真2:天望デッキから横浜の花火が見えた
写真3: 350mの天望デッキからの夜景(隅田川が良く見える)
写真4:押上駅近くで帰路に撮影した「粋」の照明に輝く東京スカイツリー

2012.8.5







2012/08/03 18:34:03|小さな旅の思い出
東京スカイツリーの目の前でディナー!

 午後4時半に「東京5大新名所たっぷり観光!」バス乗客は東京スカイツリーソラマチ商店街で下され、ここで解散自由行動となる。ソラマチ商店街1、2階を散策後、31階にあるフランスレストラン「ブラッスリー オザミ(Brasserie AUX AMIS)」に入りタワーが目の前に見える席に落ち着く。まだ午後5時前だ。タワーの照明を見たくて、ここでサンセットディナーコースを注文するが、ライトが点くまでまだ1時間半もある(写真1)。レストランのサービス・スタッフから、ライトが点くまでゆっくりくつろいでいてくださいといわれ、遠慮なくライトが点燈するまでゆっくり食事しながら待つことにする。

 31階の窓際に席をとったが、ここからのタワーの眺めはあまりにも目前なので全容は見えず胴体部分しか見えない。窓から晴れ渡った下町に東京スカイツリーの大きな影絵が写っていた(写真2)。その一方、夕日で逆光だが、富士山の陰影がくっきりと見えた。サービス・スタッフいわく、富士山がこんなに良く見えるのは珍しいという。普通、遠くの富士山は肉眼で見えるが写真におさめるとよく見えないことが多い。今日撮影した写真は富士山がはっきりと写っている(写真3)。

 午後7時、やっと日が暮れ、東京スカイツリーに照明が入る直前(写真4)。東京スカイツリーの照明は粋(いき)と雅(みやび)がある。タワーに照明が入ると今日は粋で青色だ。ところが、昨日はロンドンオリンピック女子柔道で松本選手が金メダルを取ったというので、それを祝って「粋」と「雅」の照明を交互に点燈したとレストランのサービスス・タッフが話してくれた。今日は「粋」と「雅」が交互に点灯するのか不明だ。【2012.8.1】

写真1:タワー目前のレストランに落ち着く
写真2:夕日で東京スカイツリーの長い影が街中を走る
写真3:見えた夕暮れの富士山
写真4:レストランからの東京スカイツリーの眺め

2012.8.3