まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2012/10/06 10:05:13|思い出
「昭和を感じるノスタルジックな街を歩こう」 2

 谷中霊園内の散歩を終え、言問通りにでる。その角にある旧吉田屋酒店(今は下町風俗資料館附設展示場)へ立ち寄り、昔の酒屋の様子を眺めることができた。実は、私は酒屋の長男であったので、この旧吉田酒店内を懐かしく見まわした。終戦前まで、父親は城東区亀戸町1丁目の亀戸天神横で酒屋を営んでいた。戦車を通すため道路拡張するとのことで道路沿いの近所一帯は強制退去させられ、家族は江東区大島町3丁目へやむなく引っ越しさせられた。小学校は亀戸香取小学校から第三大島小学校へ移った。戦火が激しくなったということで、小学校3年のとき(昭和19年)山形県小野川温泉へ最年少で集団疎開した。疎開中の昭和20年の3月9日の夜、大空襲で米軍機B29から投下された焼夷弾により大島の家は失った。その夜、両親は1人の弟を背負い、もう1人の弟の手をひき、水をかけた布団をかぶり、死体をよけながら大島から言問橋の袂まで逃げ延びたという話しを後日聞いた。昭和20年終戦の年に山形から帰ったが、亀戸、大島の下町は全焼し焼野原であったことを記億している。集団疎開から帰ると、両親と2人の弟は、隅田川に近い向島町1丁目に移り住んでいた。

 小学校へ入学したのは亀戸の香取小学校である。この学校から第三大島小学校へ、そして山形へ1年間集団疎開、疎開から帰ったら向島の第一寺島小学校へ通い、最後はこの学校を卒業した。こうして、小学生時代は3つの学校と1年間だが山形(小野川温泉)での集団疎開で教育を受けた。また、短い期間であるが、自宅は亀戸、大島、向島と引っ越しを繰り返した。戦前・戦後にまたがり、食べ盛りの男ばかり3人の子供を育てた両親は相当な苦労したはずである。その父親は67歳で、母親は83歳で他界した。酒屋であった父親は招待されよく国内を旅行したと自慢していた。今生きていれば、外国旅行に連れて行くのだが。「親孝行したいときには親はなし」で残念である。私は今年で父親の年齢より10歳余計に生きている。健康なうちは、もう少し動き回りたいと思っている。

 旧吉田屋酒店を訪れ、酒樽やお祝い用の朱色の酒樽を見たら、戦前酒屋であった亀戸の自宅を思い出し、つい上述した小学生時代のことも思い出した。旧吉田屋酒店を出てから指人形店「笑吉」へ移動。ここは指人形店であるが、20人ほどしか入れない小さな指人形芝居小屋でもある。滑稽な顔つきの指人形を一人の男性が操る「笑える指人形芝居」を見せてくれる。酔っ払い、釣り人などと題名をつけた10の演目について、可笑しく笑える演技を30分間にわたり披露してくれた。大変面白い指芝居である。その後は、雨が降る中アメリカ人が日本に住みつき掛け軸を業としている店を訪れた。そして、昔、藍染川であったという川の上を利用し作った曲がりくねった「へび道」を歩き地下鉄千駄木駅近くまで来た。この時点で、腰部に支障をきたしたので、皆さんと別れ帰路についた。

 私が生まれ育ったのは東京の下町。戦前・戦後の子供のころよく見かけた風景が今回の谷中界隈の散歩で見ることができ、懐かしい昔の思い出に浸ることができた。毎度のことだが、どなたかが計画・広報しない限りこの種の有益な散歩は不可能である。今回は、谷中の住人で地元に詳しい半谷会員が案内され、実施するまでの準備を川本、加藤、伊藤、才野の各会員がしていただいた。皆さんに感謝いたします。【2012.10.3】

写真1:旧吉田屋酒店の内部に飾ってある酒樽
写真2:お風呂屋を改造した博物館
写真3:猫に関連するものばかり売っているお店
写真4:笑える指人形芝居の人形

2012.10.6 自宅にて記す







2012/10/05 11:42:54|思い出
「昭和を感じるノスタルジックな街を歩こう」 1

 9月22日のLSC(ロングステイクラブ)からのメールで、10月の「東京歩こう会」は10月3日「昭和を感じるノスタルジックな街を歩こう」というテーマで歩くというお誘いがあった。メールには以下の文が綴られていたので、ぜひ参加したい気持ちになり参加した。

 10月の「東京歩こう会」は昭和のよき時代の雰囲気が漂う谷中、根津、千駄木
(通称:谷根千(やねせん))の下町、路地裏を散策します。TVでもよく紹介される散歩道です。
最後の将軍徳川慶喜の墓所や長谷川一夫の墓などがある谷中霊園やお寺、谷中銀座、 夕やけ段々、蛇道、街角のギャラリー、和雑貨の店など散策時間は約3時間半。途中で指人形店「笑吉」に立寄って“笑える指人形芝居(500円)”を鑑賞します。
(今回のテーマ)「昭和を感じるノスタルジックな街を歩こう」
(集合日時)10月3日(水)13:00(少雨決行、迷ったときは幹事へTEL)
※ 13:15まで待ちます。遅れた場合は携帯で場所を確認して合流してください。
(集合場所) JR日暮里駅北口(大宮寄りの出口です)
(解散時間) 16:30〜17:00頃を予定

 気になっていた一冊の本を歩く前に求めたいため、台風の影響で曇りがちであったが自宅を午前9時半に出た。池袋西武デパートの本やで “高岡英夫著「軸」”を求めた。午後1時日暮里駅集合の歩こう会には間に合うと思い、続いてデパート7階で開催中の秋の北海道うまいもの会に立ちより出店の「函館朝市いくら亭」にてウニ・いくら・カニ丼の昼食をとった。これは9月初旬に北海道函館の朝市にて食べたものと“味食べ比べ”のつもりで注文した。本場の函館より東京のデパートで食べた丼の方がなぜか美味しかった。

 午後1時に日暮里駅北改札口に到着、24名のLSC会員と合流。北口から歩きだし直ぐ近くの経王寺へ、寺の山門にはいくつかの穴が開いている。説明によると慶応4年(1868年)に上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたので、新政府軍が攻撃したという。山門の穴はそのときの弾痕だそうだ。さらに進み左折すると観音寺がある。江戸時代に築造されたというその寺の土塀(築地塀)が一風変わっていて、土と泥を交互に積み重ねて作ってある。土塀に屋根瓦をふいた珍しいものである。この土塀に台東区は「まちかど賞」を平成4年に与えている。

 散歩中に雨が降り出した。築地塀から谷中霊園は間近で、北にすこし歩くと谷中五重塔跡桜並木という道路に至り、谷中五重塔跡とその背後に谷中霊園がある。谷中五重塔は、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルになったもので、東京名所のひとつであったが、1957年に消失し礎石だけが残っている。谷中霊園には著名人72人が眠っているという。その中で徳川慶喜墓、鳩山一郎、長谷川一夫の墓参りをした。【2012.10.3】

写真1:経王寺の山門にいくつかの穴が開いている。その穴に指を入れる(映画「ローマの休日」を思い出す)
写真2:土塀に屋根瓦をふいた珍しい塀
写真3:谷中霊園から東京スカイツリーが見えた
写真4:鳩山一郎の墓

2102.10.4 自宅にて記す







2012/10/01 8:00:00|思い出
狭い我が家にテレビコマーシャル撮影カメラ班が入った!

 留学したにもかかわらず英会話力は乏しかったことは、前回のブログで紹介した。しかし、英会話教材「スピードラーニング」を使い、熱心に聴き続けたお陰で、少しずつだが英会話力が上がったことに気がつく。それが確認できるのは、ここ数年毎年1回〜2回海外旅行に出かけているので分かる。例えば、泊まったホテルの部屋が寒いと感じ、エアコンの調子が悪いと苦情を訴え部屋を変えてもらうとか、ラスベガスのホテル(どのホテルにもスロットルマシン他が置いてある)でチェックアウト時に“entertainment fee”という$40を請求されたが、その説明をしてくれるよう迫ったところその金額を引込めた。ホテル内のショー(公演していたかどうかは不明)は観ず、スロットルマシンで遊んだ覚えもない。ただ宿泊しただけなのでおかしいので、その料金の説明を求めた。こうした、苦情を訴えるような言葉のやりとりは、かつては出来なかった。また、旅を能率よく行うために、コンシエルジュ(ホテルの客の様々な要望に応える係り)とのやりとりが上手になった。それは、宿泊するホテルに着くなり当日の夜の音楽会あるいはミュージカルなどが開演しているところを尋ね、あればその入場券を即座に手配できるようになったのでわかる。

 スピードラーニングを発売している株式会社エスプリラインという会社は川越にある。この会社では、英会話学習のために教材を販売しているが、聴くだけではなく「電話による英会話、Telephone Conversation」、「英語喫茶、English Cafe」、「英語ブートキャンプ、English Boot Camp」「クリスマスパーティ、Christmas Party」など、英会話をサポートする多彩なプログラムを提供している。私は、特に川越まで出かけてEnglish Café(土日にオープンのお茶しながら英語で雑談する場)によく参加し、また、年1度だが伊豆高原で開催されるEnglish Boot Camp(2泊3日で日本語禁止の英語合宿)に参加している。また、12月になるとクリスマスパーティも開催されるので、都合がつけばそれにも参加している。海外にでれば、当たり前のように使う英会話だが、日本にいる場合はしゃべる機会がないので、このようなチャンスを有効に使い、口ならしをしてから海外へ出向くようにしている。今年もあと2か月後の12月2日から1月7日までハワイへロングステイする計画を立てているので、目下、英会話を熱心に練習している。

 このように外国旅行に出発する前、英会話の訓練を比較的熱心に行っているためか、これまで海外でトラブルに巻き込まれたことはほとんどない。あっても現場で解決できている。前述したようにエスプリラインの英会話イベントに熱心に参加ているためか、それとも高齢夫婦2人が英会話を始めたためか理由は定かでないが、何年か前に石川遼の後にちょっとだけ出てくるコマーシャルのお手伝いをしたことがある。このコマーシャル撮影時のテレビはアナログ技術、今はデジタルになりテレビ画面も横長になっている。こうしたこともあって、デジタル技術を使ってコマーシャルをつくるということで、28日(金)に朝から終日、コマーシャルの映像撮影が我が家で行われた。

 顔のシワやシミを隠すのかメークさんも含め、総勢4名の撮影班が狭い我が家に入った。夕方からは、アメリカ人(ニックネームMJ)と英語で会話をするというシーン撮影でコーヒー館へ出かけ、コーヒーを飲みながらの会話場面の撮影があった。スピードラーニングを10年近く熱心に聴いていて、その効果が出始めているので、その様子を率直に映像の中で述べた。いつから放送になるのか不明だが、緊張しうろたえている恥ずかしい姿がそのうちにテレビに出てくる予定である。【2012.9.28】

写真1:メークさんの手にかかり少しはいい男に!
写真2:カメラの前で緊張し、夢中でしゃべる鑛一
写真3:パッチワーク愛好家の眞喜子は堂々と語る
写真4:最後のシーンはコーヒー館に移動しアメリカ人MJと英語で会話

2012.9.30 自宅にて記す







2012/09/30 0:23:11|思い出
私の英会話力

 英会話教材のスピードラーニングを使い、10年近く英会話の勉強をしている。私をよく知る人は、アメリカに留学したことがあるのになぜいまさら英会話をやっているのという。テレビのコマーシャルに出ているのはおかしいともいう。1ドルが370円の時代、アメリカまで飛ぶ航空機がプロペラ機からジェット機に変わったばかりの50年近い前(1963年〜1965年)確かに2年間米国で勉強した。この間にケネディ大統領が暗殺され、東京オリンピックが開催され、日本へ送った衛星テレビ最初の大ニュ―スがケネディ大統領暗殺の知らせであったと結婚前の眞喜子から聞いている。また、東京オリンピックは衛星で送られてくる映像で見たことも記憶している。留学したことを知っている友人達は、2年間もいれば英会話は当然ペラペラにしゃべれるはずだという。だから英会話のコマーシャルに出ているのはおかしいという。英会話のための米国滞在なら2年間では少し不足で、3年いると少しはしゃべれるようになるのではと個人的には思っている。

 その昔、航空宇宙研究所というところに勤めていたころ、推薦留学の話しが出たのでその推薦を有難く受けいれた。日本の大学を4月に卒業し9月入学のアメリカの大学院に行ったので、英会話の準備は思うようにできていない。留学した2年間は大学院修士の学生で、推薦を受けて渡米した関係上、修士を修了しないと帰国出来ないという使命感がある。英会話より大学院の授業の復習をし、単位も取得し、研究で頭を悩まし、修士論文をまとめることを優先した。そのため、アメリカの友人とのコミュニケーションもあまりなく英会話は上達しなかった。こうして、最小限の会話力で授業単位を取得し論文を完成させたという経緯がある。

 帰国後は、研究所で得た研究成果を発表するため、あるいは技術援助で何回か海外へ行ったことはあった。学会での論文発表は、その内容を書いた原稿を読むような形でお粗末であったことを反省している。こうした理由で、常に英会話に対するコンプレックスは持ち続けていた。定年退職が近づいた60歳後半、退職後には海外旅行、海外でのロングステイをしたいという目標をたてたので英会話学習に熱が入った。ある時、出張先の大阪からの帰路の新幹線で、座席背面に置かれてあった雑誌を見ていたら「辞書いらずで、聞くだけで学べる英会話」と書かれたスピードラーニングの広告が目に入った。これまで、英語学習用CDを沢山購入し、勉強した経験はあるが思うような成果は上がっていない。帰宅後、迷わず雑誌に挟まっていた葉書でスピードラーニング購入の申込みをした。今では1巻から48巻まで順次求めるようだが、当時は初級、中級、上級に分かれていた。前述のように英会話の経験が若干あるので上級を申し込んだ。届いたCDを聞いたところ、これはいけそうだと判断し妻の眞喜子にもすすめ、彼女は初級から始めた。

 こうして、眞喜子と私が初級と上級の英会話をそれぞれ開始したのが、10年ほど前のことである。スピードラーニングを始めたころは、まだ現役だったので、自宅から勤務先の大学まで自家用車で通勤する車内で往復90分間、毎日真面目にCDから流れる英会話を聴いた。それが徐々に効果を表し、普通の英会話なら聴きとれるようになった。ただし、しゃべる方はまた別で、その機会は全くというほどないので相変わらず怪しい。単語を並べたようなお粗末な会話となるが恥じることなく外国人に出会うチャンスを狙い、積極的に話すチャンスを求めた。そのチャンスとは、駅で地図をながめ迷っている外国人や観光地できょろきょろしている外国人の姿を見ると近づき「May I help you?」と話しかけ話しのきっかけを作る。こうして、先方が乗りたい電車や目的地への方向を教えてあげるように心がけている。ついでに「どこから来たの?」「どのような目的か?」「日本の印象はいかがか?」なども聞く。

 外国旅行は、英会話力を確かめる良いチャンスなので、積極的に年2回ぐらい出かけてきた。出かける度に、英語が良く通じるようになっているのに気が付き、旅行するのが年々と楽しくなっている。

写真1:English Caféのスタッフと昼食会を終えた後の写真
写真2:マルタの友人夫婦が日本を訪れたので秋葉原電気街を案内
写真3:サンジャゴの動物園で出会った子供たちと記念写真
写真4:イタリヤのピサで出会ったベルギー人の家族とお茶する

2012.9.29







2012/09/29 9:43:53|思い出
ゆりかごめからの眺め

 船の科学館駅までは前回のブログで紹介した。新橋へ向かう駅で、その続きの駅は以下の通りである。
●台場駅:フジテレビ、ダイバーシティ東京プラザ、アクアシティお台場がある。ダイバーシティ「東京 プラザ」の広場には頭部だけ動くという高さ18mの大きなガンダム立像がある。その上半身がゆりかごめから少し見える。水上バス
●お台場海浜公園:お台場海浜公園を出ると間もなくレインボーブリッジが見えてくる
●芝浦ふ頭:芝浦ふ頭。水上バス
●日の出:日の出桟橋。水上バス
●竹芝:竹芝ふ頭、この駅をでるとミュージカル「ライオンキング」を公演しているJR東日本アートセンター四季劇場[春]・[秋]が眼前に見えてくる。水上バス
●汐留:都立庭園である浜離宮恩賜庭園が見える
●新橋:鉄道発祥の地、新橋駅(しんばしえき)は、東京都港区にある東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)・ゆりかもめの駅である。
1936年生まれの蒸気機関車D51形の大きな動輪が飾ってある。少し前までは駅前に本物が飾ってあったと記憶するが、今では動輪だけだ。【2012.9.26】

写真1:ダイバシティのガンダムの上半身(8月2日投稿)が見える
写真2:フジテレビの変わったビルディング
写真3:浜離宮恩賜庭園が見える
写真4:新橋駅前のD51形蒸気機関車動輪と眞喜子

2012.9.29 自宅にて記す