まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2013/03/11 23:00:00|思い出
10年続いたラジオ体操

 今日はデジカメを持って家をでたので、散歩途中の景気、和ヶ原公園で運動する姿を写すことができた。6時半丁度に和ヶ原公園に到着すると、やがてラジオ体操の音楽が聞こえてくる。集まった仲間とラジオ体操10分間、つぎはストレッチの説明の声に合わせてストレッチ10分間、最後の15間は太極拳入門編と24式を緩やかな音楽に合わせて舞う。こうして、約40分間公園で身体を動かし、終わると帰路につく。帰路寄り道をしないで帰ると約10分で自宅につく。自宅前に不老川という小さな川が流れている。この川にしばらく見なかったカモのつがいが舞い降りていた。
 
 和ヶ原公園ラジオ体操会は、早起きし体操をしたいという希望を持つ人ならだれでもが年齢に関係なく参加できる。夏休みに入ると子供たちも集まり、出席証拠のハンコを押してもらえるので夏場はにぎやかだ。体操会は無料であるが、ボランティアの仕事がひとつある。それは、毎週木曜日にラジオ体操とストレッチが終わるとみんなで20分ぐらいかけて公園内の掃除を行うことである。これは義務ではないので、用事のある人は体操を終えたら直ぐに帰ることができる。
 
 こうして毎朝公園に集まってラジオ体操、ストレッチ、太極拳を行う和ヶ原公園ラジオ体操会は、今年4月で10周年を迎える。私と眞喜子は入間市に住んでいるが、和ヶ原というところは所沢市である。10年前の5月に眞喜子と散歩がてら和ヶ原公園前を通ったときに見つけた張り紙に「和ヶ原公園ラジオ体操会」参加の呼びかけがあった。市民外でも参加可能かを尋ねると、問題ないというので参加した。聞くところによると、この会が発足したのが4月からという。1ヵ月遅れの5月から参加を始めたので、もう10年間もの長きにわたり体操会でお世話になったことになる。出張、病気、旅行などで参加できないこともあったが、参加できるときはなるべくでかけるように心がけている。
 
 狭心症で心臓にステント3本入り、胆嚢手術でそれを除去し、白内障で両目に眼レンズ入りと医者・看護師には大変お世話になった。上述のように運動をするように心がけていることと、時間の許す限り仲間と歩くノルディックウォーキング、それに個人でもノルディックウォーキングで歩くようにしているので、今のところ良好な健康を維持している。【2013.3.9】
 
写真1:朝6時半から始まるラジオ体操
写真2:ラジオ体操後に始まるストレッチ
写真3:ストレッチに続く太極拳
写真4:運動を終え我が家の前に流れる不老川にさしかかるとカモの姿が珍しくも見えた
 
2013.3.11







2013/03/10 23:59:59|思い出
急に暖かに!

 数日前の朝はマイナスの気温であったが、今日3月9日の朝6時10分の自宅玄関前の温度計は、写真1のように8℃といつもとは異なる高い温度を示している。20分かけて近所の和ヶ原公園へラジオ体操、ストレッチ、太極拳を行うために家を出る。ただ歩くのではなく、少しでも運動量を増やすためノルディックウォーキングをしながら歩く。この時間に家をでると、ラジオ体操が始まる6時半に公園に丁度着く。いつもなら眞喜子と一緒にノルディックウォーキングをするのだが、今日はまだ寝ているようなので一人で歩く。

 デジカメをポケットに入れて出てきたので、しばらくぶりに朝の散歩道の写真を撮りながら歩く。毎年、この時期になると春一番を知らせる梅の大樹が写真2のように白い花を咲かせ始める。数日この道を通らないと、おどろくほど見事に咲き誇る。この辺から後ろを振り返ると茶畑を通して我が家が見える。しばらく前にこの道を通ったときは、まだ、真っ暗闇だったが、いまは朝6時を過ぎたころから写真4のように太陽が昇り始めるようになった。

 藤沢南小学校わきを通り、所沢入間バイパス463号線にでる。463号を所沢方面へ向かい、ココス所沢林店、コジマ電気を通り、Avail和ヶ原店を過ぎたところで、左に曲がると和ヶ原公園に至る。自宅からここまで丁度20分で、時間は丁度朝6時半である。朝日が昇りはじめた公園で和ヶ原公園ラジオ体操会のメンバーと合流する。【2013.3.9】
 
写真1:3月9日朝6時10分過ぎの気温(8℃)を指す温度計
写真2:白い花が咲き始めの梅の大樹
写真3:茶畑を通して見える我が家(中央)
写真4:日の出の時間
 
2013.3.10







2013/03/10 17:39:29|思い出
卒業式

 3月は卒業の季節である。非常勤ではあるが、現在、看護に関係する大学と看護専門学6校で「看護人間工学」の講義を担当している。例年であると、各学校の卒業式に参列していたが、今年の3月は例年になく所用が重なりほとんどの卒業式に参列できなかった。
 一校だけ気になっている学校がある。それは、今年より学生募集を行わないという連絡が入ったH福祉学院である。今年、卒業生を送ると1クラス残るので来年3月で終わりとのこと。この学校は、成田駅から成田山新勝寺へ向かって徒歩10分ほどで、交通の便がよいところにある。にもかかわらず生徒数の減少で、1年先にはこの学校はなくなるという。こうした教育機関が減少するのには理由があると思うが、間もなく介護される側の身になっている我々の要望もかなえられず残念に思えてならない。
 
 この学校の学生から卒業式と謝恩会の案内を頂いたので列席した。卒業生数は11名と少ない。介護はきつい、たいへん、給料がやすいとのうわさが飛び、入学希望の学生が目立って減ってきたという。開学以来お手伝いしてきたが、昨年の講義を最後にこの学校と誠に残念であるが縁が切れた。教え子がまだ1学級在籍しているので、来年の卒業式は列席すると約束したところである。
 
 このH福祉学園への繋がりは、元日本看護学校協議会会長の山田里津(現名誉会長)先生の紹介で、人間工学を教えることになり8年が経過した。山田里津先生は、戦後の看護教育に力を尽くしてこられた大先生である。私が看護学校で教えている人間工学も、先生は25年前の1990年に「看護人間工学」という著書を著している看護分野での人間工学の大先輩である。
 
 卒業式は、看護学校にみられる派手さはない。その代わり就職が決まりこれから世の中に飛び出そうとする学生たちの意欲が感じられその眼は輝いていた。卒業式は、卒業証書授与、賞状授与、学院長式辞に続き、山田先生が元学院長であったこともあり来賓代表の祝辞をされた。閉式のあと、謝恩会会場にうつる
 
 謝恩会場は1階の教室。先生、事務の方々と卒業生が一緒に座れるよう教室内で机の配置を考えた手作り会場だ。学生から教職員にお礼の言葉、在籍中の活躍ぶりなどを紹介するDVDを見ながら、近所のパン屋さんから美味しいパンとコーヒーを取り寄せたという食事をとりながら歓談した。これは学生数が少ないからできることで、教職員と学生が家族同様な雰囲気で、同席した卒業生とゆっくりと話し合えた。これまで味わったことのない心温まる謝恩会であった。【2013.3.8】
 
写真1:成田駅から成田山新勝寺へ向かう参道の土産物屋
写真2:H福祉学園前にて
写真3:卒業の祝辞を述べる山田里津先生
写真4:教職員、卒業生、在校生ごちゃまぜ記念写真の一コマ
 
2013.3.10  自宅にて記す







2013/03/07 18:01:06|小さな旅の思い出
宇宙食

 先日つくばにある「JAXA つくば宇宙センター」を見学した。センター内には売店(お土産物屋)がある。そこでは、宇宙に関する書籍、Tシャツ、ちょっとした不思議なおもちゃなど興味ある品物が販売されている。その中で宇宙食コーナーがあったので覗く。そう値段は高くなかったので、どんなものかと思い写真1の3品の宇宙食を求めた。

 甘い物が好きであることから、まず、宇宙日本食「YOHKAN」と書かれたパックが目についた。羊かんにも種類があって、小倉羊かん、栗羊かんなど何種類かあった。小倉と栗の2種類を各1つずつ、それに「DAIGAKU IMO」という文字が気になったので、これも1つ求めた。これらの品はアルミフォイルの外装袋に入っていて中身は見えない。外装袋の表面には、普通の一口羊かんの背景に宇宙から見た地球が、また、大学いもの外装袋には地球を周遊する宇宙船の写真が印刷されてある。
 
 今日、3つ買った宇宙食の内、小倉羊かんと大学いもを開封し食べた。まず、羊かんであるが、開封するとよく見かける厚い銀紙で周辺を覆われた「一口羊かん」が出てきた。その銀紙切り口に沿って開くと写真2のように羊かんが顔をだした。味は、普通の羊かんの味。
次に、大学いもの外装袋にハサミを入れた。こちらは、写真3、4に示すように砂糖のような粉末と一緒に硬いいもかたまりがいきなり6個飛び出してきた。開け方が悪かったため、机上に砂糖状の粉末が飛び散り面倒なことになった。大学いもはサツマイモを完璧に乾燥させたもので、味のほうは、カリントウのような感じだ。大きさはほどほどに大きいので口に入れると噛みにくい。

 以上のようで、羊かんは普通の羊かんと同じ、大学いもはカリントウのようで、期待していたものと違っていた。本来の大学いもは、いも周辺に水飴のように砂糖を煮詰めたものがまぶしてあり、それに胡麻が降りかけてある。そのような大学いも期待したほうが悪いかと思うが、まずいとは思わなかった。
 
 外装袋には下記のことが書かれてある。
<外装袋は、実際に宇宙ステーションに搭載される袋を使用しております。この袋は宇宙ステーションで使用の際、簡単に破裂したり、開封できないように作られており、宇宙飛行士は開封する際、ハサミを使用します。>【2013.3.7】
 
写真1:つくば宇宙センター内売店で求めた宇宙食3品
写真2:「YOHKAN」小倉の外装袋とその中身
写真3:「DAIGAKU IMO」の外装袋とその中身
写真4:大学いものアップ写真
 
2013.3.7  自宅にて記す







2013/03/04 19:08:04|小さな旅の思い出
つくば宇宙センター見学

 1960(昭和35年)〜1974年(昭和49年)の間、航空宇宙研究所(NAL)に勤務していた。この間、熱弾性研究室というところに所属し、直径165o、長さ3600oの個体燃料ロケットを新島で打ち上げた。このとき得られたロケットの先端、尾翼の温度測定値と計算で求めた結果を比較検討し「NAL−HM−16型ロケットの空力加熱による機体温度変化、日本航空学会誌、第15巻、第159号、1967」という題名の論文を共著で発表したことがある。長い間ロケット開発に従事したわけではないが、すこしだけお手伝いしたことがあった。そのロケットが発展し人工衛星を宇宙に運ぶほど大型化した。そのロケットを見学する機会を与えて頂いたので喜んで参加した。
 
 ところで、航空宇宙技術研究所(NAL)は1955年に設立され、正式には当時「総理府科学技術庁航空宇宙技術研究所」と大変長い名称であった。その8年後に宇宙部門を加え、航空機・ロケットなど航空宇宙輸送システムとその周辺技術に関する研究を進めてきた。2003年、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3つの組織が統合し、独立行政法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」が誕生した。このJAXAにNAL時代の友人が何人か出向していたが、その友人達はすでに定年で去りもういない。
 
 ロングステイクラブの3月の「東京歩こう会」は 1 日、 「JAXA つくば宇宙センター」見学と聞き、迷わず参加申し込みをし出かけた。宇宙センター内に入ると、屋外でまず目についたのが巨大なロケットH−Uである。見学するためには身分を証明するため写真のある免許書かパスポートの提出が義務づけられているほど厳しい。それを提示しセンター内への入場を許可された。
 
 厳しいチェックの後、センター内に入り専門ガイドの案内で約1時間 15 分の見学を行った。大きな建物内には、通信衛星、気象衛星、それに現在でも活躍中の宇宙ステーショーン「きぼう」の実験棟(模型)などを見学できた。テレビ、新聞などで情報は伝わってくるが、実物や模型を目の前にして実際に見ると、技術進歩の素晴らしさを実感する。なにしろ、テレビはなくラジオは真空管の時代に育ったので、技術の移り変わる様子を見ることができ感無量である。
 
 重力がない世界、無重力状態で活躍する宇宙飛行士たちの姿をテレビ映像で見た。ここ宇宙センターにきて宇宙ステーション(実験棟)内に入り、無重力状態でなおかつ狭い室内で活躍するためにいくつかの工夫があることを知った。印象に残ったのは、実験棟内での移動である。地上なら足で地面を蹴れば簡単に移動できる。ところが宙に浮いている状態での移動は、手・足の力を壁面に加えその反動で移動することになる。壁面には貴重な測定装置類がぎっしり詰まっているので、蹴る場所に限りがある。そこで、移動を容易にするための手すりが装置類の間にいくつも設置されている。この手すりにつかまり止まったり、移動したりするために力を入れるそうだ。
 
 もう一つ興味深かったのは、宇宙飛行士が天井と床面とを区別する方法である。ガイドの説明によると、天井には照明機器が設置され、床面には青色のペイントが施してあるとのこと。こうしておかないと、無重力環境下では、上下の区別がないため、方向感覚を狂わせ、宇宙酔いを誘発する可能性があるとのことだ。
 
見学最後に“つくば宇宙センター内「きぼう」の管制室”で実際に管制中の現場を窓越しに見た。管制室前面にある大映像には、雲がかかった地球が映し出されていて、宇宙飛行士たちは睡眠中なのか姿はみられなかった。ここでは、24時間、「きぼう」実験棟の運行状態を監視し、宇宙との交信はいつでもできる状況にあるとのこと。
 
 見学を終え、午後6時に上野へ。そして希望者十数人で、創業300年近い上野の老舗うなぎ屋「伊豆栄」へ向かう。鰻重を食べ、ここで本日の「東京を歩こう会」解散。

 見学会を企画されたLSC「東京を歩こう会」幹事の皆様、今回も楽しくつくば宇宙センターを見学できました。いつもながら、お礼申し上げます。
 
写真1:つくば宇宙センター内に展示されているH-Uロケット(このロケットを立てると後ろの建物とほぼ同じぐらいとのこと)
写真2:写真1のH-U型ロケットはこのペンシル・ロケットからとは!
写真3:ロケットの発展ぶり(1/20模型で分かりやすく展示されてある)
写真4:宇宙センター「きぼう」実験棟の模型
 
2013.3.5  自宅にて記す