まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2013/03/29 13:40:00|思い出
さくら

 我が家の前に狭い道路がある。その道路を隔てたところに小さな川が流れている。その川の土手に大と小の2本の桜の木がある。昭和42年に近所の人たちで力を合わせ8本植えた桜だが、いつの間にか6本が枯れ今では2本になってしまった。3人の子供たちが小学校へ上がる以前、この桜の木に彼らはよく登って遊んでいたことを思い出す。当時でも子供たちが昇って遊べるくらいの太い幹であったが、今ではさらに太くなり、30°〜40°傾く老木となった。それでも、毎年美しい花を咲かせ近所の人を和ませてくれ続けている。

 桜を植えたころ、写真に見える桜の後ろの家はなく、そこは一面カブトムシやクワガタが生息していた林であった。また、自宅前の川は2mほどの小さい川だが、その川には沢山のエビガニが住み、子供たちはそれを捕まえるのを日課としていた。

 この大樹となった桜を毎日ベランダから眺めることが出来るので、花が咲き始めてから毎日のように写真を撮っている。太陽光線の加減で、夕方の太陽に照らされた桜がきれいだ。しかし、思うような好天に恵まれないままに満開の時期を迎えた。今日は3月29日、そろそろ花びらが落ちるのが目立ち始め、路上は花びらで白く染まりだした。満開の時期を終えようとしている。ほんの1週間ほどの桜の開花劇であったが、その美しさが我々の心を癒してくれた。【2013.3.29】

 
写真1:3月24日、花びらが顔をだした桜
写真2:3月26日、2日しか経たないのにこのように見事
写真3:3月28日、ほぼ満開
写真4:3月29日、満開で美しい桜
 
2013.3.29  自宅にて記す







2013/03/23 15:01:00|小さな旅の思い出
大阪と富士山
 今回訪れたところは、灘波、心斎橋、大阪大学であって、大阪のことはよく知らない。灘波では、大勢の若い女性が集団をなしている場面に出くわした(写真1)。何ごとか起こるのかと集団の中に入ると、ある劇場の前に集中している。なにやらジャニーズJr.のコンサートが開催中のようで、そのコンサート終了を待ち、出てくるスターを一目見ようということらしい。写真1の中央に見えるカニ道楽を左に曲がると道頓堀川に至る。写真2は道頓堀橋?から見た道頓堀川を下る観光船である。まだ、寒いこともあって、乗客は少ない。
 
 日本万国博覧会(万博)が「人類の進歩と調和」というテーマで “1970年3月15日(日)〜9月13日(日)183日間”開催された。43年前のことで、ほとんどのことは忘れたが、休暇をとって万博へ行ったことを覚えている。写真3は当時のままで今でも変わらず建っている岡本太郎デザインの万博シンボル塔「太陽の塔」である。この写真は千里中央からモノレールに乗って阪大病院前まで行く途中で写したものである。この太陽の塔が見え始めると間もなく阪大病院前駅に着く。徒歩10分ほどで阿曽洋子先生の最終講義会場(大阪大学大学院医学系研究科)に着く。有益な講義内容は前回のブログで紹介した。
 
 写真4は、帰路の新幹線から見えた美しい富士山の眺めである。こんなによく富士山が見えることは珍しいのであろうか、車掌が“進行方向左手に富士山が見えます”とアナウンスしてくれた。夢中で十数枚の写真を撮ったがいずれもよく写っている。これは、天気が良く空気が澄みきっていたからであろう。
 
 以上のようにして、大阪漫才と最終講義を聞く機会があり、2泊3日の楽しい大阪の旅を終えた。【2013.3.14〜15】
 
写真1:心斎橋のカニ道楽付近の賑わい
写真2:道頓堀橋を通過する観光船
写真3:岡本太郎の「太陽の塔」
写真4:新幹線から富士山が良く見えた
 
2013.3.23  自宅にて記す                







2013/03/20 23:59:00|小さな旅の思い出
阿曽洋子先生 最終講義

 理系の人間が看護系の先生の最終講義を聴講するのは初めてである。理系であると、定年退職する教授の専門が分かると、何となく長い教員生活の様子が予想できる。看護はその予想がつかめないので興味深い。

 阿曽洋子先生の最終講義は「看護、その道を歩んで」という演題でお話しされた。看護は実習が非常に大変で、若いころから名人芸のようにベッドメーキングや体位変換の実習、演習に力を注いだという。病院実習時に援助の必要理由を聞くと「以前から、そうしている」、医師に病態を聞くと「看護婦ごときがそこまで知る必要はない」の返事だというような当時のお話しをされ興味を誘った。
 
 褥瘡に興味を持たれた経緯から、「空気が動くと痛みが増す」、「病院は、治療を受ける患者の生活の場」、「他分野の研究者と共同研究の面白さ、臨床との共同研究を進める」、「出発は経験論であっても、必ずその根拠を突き止めて理論にする」、「看護のエビデンスを探求する」など普段聞くことの出来ない興味あるお話しが聴けた。
 
 研究された分野は、看護技術のエビデンス、看護援助による補完的療法、高齢者に対する看護ケア、転倒予防ケア、地域居住高齢者に対する看護、腰痛予防のための姿勢と動作、褥瘡ケア、褥瘡予防ケアの検証、看護管理などと多方面にわたる。看護で大切な技術を「基礎看護技術」という本にもまとめられ、看護初学者に広く愛読されている。
 
〜最後にもうひとつ〜ということで、以下のことを強調された。
看護−その道を歩んで
→実践が成り立つ理論の構築を!
→プロの自信と誇りを大切に!
→精神的自立、職業的自立、経済的自立を!
 
 講義終了後に花束贈呈があり、教え子、病院、友人・知人、ご家族と多方面の方から花束が贈られ、阿曽洋子先生の人徳が伺える一場面を見させていただいた。【2013.3.15】
 
写真1:阿曽洋子先生の最終講義演題
写真2:講義中の阿曽洋子先生
写真3:ユーモアあふれるご自身の似顔絵と終了のご挨拶の図
写真4:ご家族からの心温まる花束贈呈
 
2013.3.20  自宅にて記す







2013/03/20 10:07:05|小さな旅の思い出
大阪なんば・心斎橋散歩

 知らない土地へ行くと、どうしても繁華街を覗きたくなる。今回は大阪大学の看護学の阿曽洋子先生の最終講義を聴講したく大阪を訪れた。そのついでに漫才大好きな夫婦であるから、まずは大阪なんば花月で笑って身を引き締め大阪大学大学院医学系研究科へ出向くことにした。14日午後に大阪入りして、直ぐになんば花月へ向かう。当日のプログラムを見たら、大好きな漫才芸人「宮川大助、花子」が出演するではないか。しかし、大助・花子の漫才は午前中、我々が大阪に着いたのは午後で、大助・花子の漫才はもう終わっている。仕方なく、阿曽先生の最終講義(講義は午後3時半から)の日の午前の部(9:45開演)に入場することにし、翌日午前の部のチケットを求めた。
 
 その後、気になるたこ焼きが目の前で食べられることを知り、なんば花月劇場前のたこ焼き屋に入り10個入りを注文し食べた。灘波から心斎橋へは近いというので、その方面へ歩き出す。心斎橋筋はまるで浅草仲見世通りを歩くような人出でごった返していた。なぜ、木曜日なのにこんなに混むのかと不振に思った。考えてみると春休みに入り学校が休みに入ったので若い人達が繁華街へ繰り出たようだ。歩き疲れたので喫茶店でお茶しようと探したが、どこも満席。心斎橋大丸百貨店まで来たとき、デパート内の喫茶室なら空いているかのではと思い、11階にある丸福珈琲店にたどり着いた。案の定、何人か客はいたが、空き席が十分あった。コーヒーとケーキのセットを注文し、疲れを癒す。1人1000でお釣りがくるような品だが、コーヒーとケーキは美味しい。眞喜子はここのコーヒーは美味しく気に入ったといい挽いたコーヒー1袋求めた。
 
 明日金曜日に、万博会場に近い吹田の大阪大学まで行くというのに、少々歩きすぎ疲れたような気がする。心斎橋から新大阪駅まで乗り換えなしで行けるので、それに乗り駅近くの東横イン大阪新幹線東口へなんとかたどり着く。万歩計を忘れたが、1万歩を超えていたような感覚だ。【2013.3.14】
 
写真1:大阪なんば花月のプログラム(大助・花子出演というのでチケットを買う)
写真2:なんば花月の前にたこ焼き屋が何件かある
写真3:そのうちの一軒に入り、まずはたこ焼きで腹ごしらえ
写真4:眞喜子、芸人さんに囲まれ満足顔
 
2013.3.19  自宅にて記す







2013/03/19 20:14:17|思い出
近所散歩

 久しぶりに穏やかな天気となったので、近所を散歩する。例年みごとな花を咲かせる桜は、まだ知らん顔。500mほど歩くと、毎年春の訪れを知らせてくれるみごとな梅の樹が見えてくる。ここを通り過ぎると、右側に畑、左側に茶畑だ。この茶畑を通して我が家が小さく見える。寒かった冬から暖かい春へ移り変わり、気持ちが明るくなった今日この頃だ。今年の冬は5週間ハワイに出張していたので、冬が特に短く感じている。【2013.3.11】
 
写真1:間もなく花が咲く予定の自宅前の桜の大樹
写真2:自宅の裏方面へ500mほど歩くと春を知らせる梅の華が満開
写真3:梅の樹を通り過ぎると道路の右側が畑、左側が茶畑
写真4:その茶畑越しに我が家が小さく見える
 
2013.3.19  自宅にて記す