まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2013/04/30 20:57:00|研究・教育の思い出
オー!ミステーク

 毎年4月に入ると兵庫県姫路市の姫路医療センター附属看護学校、栃木県壬生町の獨協医科大学看護学部、埼玉県川口市の済生会川口看護専門学校、千葉県成田市の二葉看護学院、千葉県旭市の旭中央病院付属看護専門学校で「看護人間工学」という科目の講義を行っている。姫路医療センター附属看護学校へは集中講義の形で2回でかける。その他4校は毎週月曜日から木曜日までの4日間、順次移動して講義を行う。その移動であるが、自宅が埼玉県入間市にあるので、ここから栃木県壬生町、埼玉県川口市、千葉県成田市、千葉県旭市と毎日自宅と学校を往復するのは辛いので、ある学校での講義が終わると、次の学校近くのホテルに移動し、そこに泊まるようにしている。ただし、旭中央病院付属看護専門学校では隣接する病院内にゲストルームがあるので、そこに泊まらせていただいている。いまでは、インターネットを使い駅前の安いビジネスホテルを容易に見つけることができる。自宅に一旦帰って翌日また出かけるより、混雑する朝の時間帯を避けられること、疲れないこと、自宅と学校間との往復時間がなくなることなどで時間的余裕ができ、ホテルでひと仕事ができるので、まことに都合がよい。
 
 ホテルでの仕事というのは、もちろん翌日の講義準備と授業評価用紙(評価・感想・質問)の採点である。授業評価用紙とは、白紙A4用紙の1/2を使い、それを学生に配布し授業評価・感想を強制的に書いてもらう用紙である。質問があれば手を挙げて質問するようにいうが、手は挙がらない。紙に書くなら質問し易いのではと思い、質問内容もそこに書いてもらう。この評価・感想・質問文をホテルで読む。最高10点満点とした点数をつけ、こちら側から読んだ感想や質問の回答を赤で記入し、翌週それを学生に返却する。点けた点数は試験成績には無関係、運悪く最終試験点数が50点しか取れなかった場合、授業評価・感想・質問用紙の点数が役立ち、それを考慮し60点にすることもあり得ることを伝えてある。この評価用紙は、文章を書けないと看護師になってから日勤から夜勤への交代時の申し送りや手紙を書くのに苦労すると考えたからで、文を書く練習も含んでいる。
 
 私自身、国語きらいで、文章を思うように書けなかったこともあり理系に進んだ。文章が書けないと問題があるとことに気がつき、仙台に住んでいた亡くなった義母に毎週、返事をくれなくてもよいからと伝えた上で、手紙を一方的に書き続けた覚えがある。それと同時に読書不足も感じていた。目蒲線大岡山にある大学に入間の自宅から通勤していたころ、電車の座席を確保するため小手指駅前の駐車場を月極めで借り、この駅から始発電車に乗って大学までの往復3時間40分を毎日の読書時間と決めて本を読み続けた。この大学へは13年間通ったので、相当数の本を読むことができた。若い人に本を読み、文章が書けるようになってほしいことを願っている。このような理由で、前述の白紙A4用紙1/2を配布し、文章の練習を兼ね授業評価・感想・質問を毎週書いてもらっている。
 
 以上述べたように、毎年、4月から6月まで忙しい毎日が続く。心臓にステント3本入り、胆嚢除去、両目眼レンズ入りのため何回か入院し、医師と看護師にはその都度大変お世話になった。現役最後の何年間か、腰痛はなぜ起こるのかということの研究、看護動作研究、ギャッチベッドで床ずれが発生する可能性があるので患者背面の圧力測定、注射シミュレータの開発研究、坐剤抽入軟膏容器の形状研究など看護に関わる研究を行ってきた。それに伴い得た知見を恩返しのつもりで、今度は看護初学者に伝授することを現在行っている。
 
 姫路医療センター附属看護学校については、前回のブログに投稿した。今回は現在毎週講義に出かけている学校の写真を紹介する。黙っていればわからないかもしれない少々おかしな写真が一枚ある。恰好をつけ好かしたつもりであったが、それによって前が大きく開いてしまったのを知らずに写してもらった写真である。今思うと、この写真は講義前に通りがかった女子学生にシャッターを押してもらったのだが、気がついてくれないことを願っている。他に数枚撮ればよかったが、あいにくこの学校前では1枚しか撮らなかったので、その1枚の写真を掲載した。読者の皆さんが気付いてくれないことも願っている。撮影した後、前開き状態で講義したようで、講義終了後に廊下で学生から「前が開いています」と注意され気がついた。“オー!ミステーク”【2013.4.26】
 
写真1:獨協医科大学看護学部前にて
写真2:済生会川口看護専門学校前にて
写真3:二葉看護学院前にて
写真4:旭中央病院付属看護専門学校前にて
 
2013.4.30  コンフォートホテル成田にて記す







2013/04/27 17:00:00|小さな旅の思い出
姫路で講義と見学

 毎年、4月に入ると忙しくなる。ありがたいことに定年退職後も非常勤講師の依頼を受けいくつかの学校へ講義にでかけている。その一つに姫路医療センター附属看護学校がある。この学校は、姫路城公園の真ん前にある姫路医療センター病院のうしろにある。病院があるので姫路城を直接見ることができないが、屋上へ登ると姫路城が見えるという環境のよい学校である。
 
 今年も4月11日(水)、12日(木)の二日間、集中講義を行なってきた。生徒達は1年生、43名。男子生徒は数名いるが他は女子学生である。教える教科は「看護人間工学」。人と物との関係、その物の扱い上の安全や扱い易さの話しから始まる。看護師は腰痛を冒す危険が高いので、その主な発症原因や予防の話しもする。ほとんどの学生が物理を高校でとっていない。重い患者の介助(起立介助、ベッドから車いすへの移乗介助など)やベッドメーキングで力作業が多いので腰痛を起す可能性は高い。腰痛を起しにくい作業姿勢のあり方を示すためにちょっとだけ、力、ベクトル、重心、重心線、支持基底面、テコの原理、力のモーメント、摩擦、慣性、圧力などの話しをする。話しだけでは、思うように理解してもらえないので、関節モデル、圧力モデル、慣性の実験、患者移動のための低摩擦の布、重心モデルなどを持ちこんで理解を深めてもらう。
 こうした、諸道具類を持ちこみ講義するお陰でよくわかったといってくれる。このような言葉が聞けるのは、教員にとって大変嬉しい。
 
 2日間の集中講義を終えた翌日の4月13日(土)、明石高専OBの方々が太陽光ボイラーの試作研究を行っているとの連絡が入り、それを見学をさせていただく機会に恵まれた。午前10時、ホテルに出迎えを頂け、太陽光ボイラーが設置してあるところまで行った。話によると、この太陽光ボイラーはアフリカへの技術援助として考案されたものであるという。現地の井戸水が汚染されていて、それを直接飲む子供たちは病におかされ死亡率が高いという。その死亡率を下げるために井戸水を沸騰殺菌する装置として考案したという。
 
 昔、ネパールへ川の流れを活用した自然力ボートの開発、運行するという技術援助を行ったことがある。その関係で見学の声をかけて頂いたようだ。自然力ボートの現地での製作と、それを利用した渡河はうまく行った。これは、川の流水エネルギーの応用技術である。一方の太陽光ボイラーは太陽エネルギーの応用技術である。
 
 海外技術援助で心配になることは、日本人が一緒になって活動しているうちはよいのだが、日本人が去り現地人だけで保守、管理をする段階になるとどうもうまく機能しなくなることが多い。自然力ボートも設置後数年の間、運航しているという情報が入った。その後、船底に穴があきぼろでその穴を塞いで運航しているという知らせを受けた。最近では、ボートに関する情報は一切入らなくなった。
 
 太陽光ボイラーは、写真で見ると動くような部分がないので安定した構造物のようだが、井戸水の出入りがあるので漏れて腐食の心配がある。また、直接風雨にさらされるので、劣化の問題と反射板の汚れや交換などのメンテナンスが要求される。立派な技術援助をしても長続きしないのは、現地人の維持、管理能力にかかっていると思う。見学させていただいた太陽光ボイラーが技術援助先アフリカで、現地エンジニアたちによって維持・管理され、長期にわたり子供たちが病から救われることを期待する。【2013.4.13】
 
写真1:姫路医療センター附属看護学校正面玄関にて
写真2:学校職員、学生さん達に見送られ帰路につく
写真3:夕方の姫路城(姫路城はまだ改修工事中で覆いがかかっている)
写真4:見事な太陽光ボイラー
 
2013.4.27  自宅にて記す







2013/04/25 20:16:46|思い出
ブログの楽しみ
 2009年10月17日にブログを始めて2013年4月24日の本日まで3年と6カ月が過ぎた。物理が苦手な看護学校で「人間工学」という、一般にはあまり聞き慣れない科目を教えている。若いころ人間のように動くロボットの研究をしていていた。ロボットの動きを人間の動きに近づけることを目的とし、人と生物の動きサイバネティックモーションと名付けた人の動作研究である。この科目「看護人間工学」を教えるようになったきっかけは、姉が看護師であるという教え子から、看護業務で腰痛を冒す人が多いと聞いた。それを聞いてから、看護師の腰痛発症の現状調査、発症の原因、その予防などの調査と看護動作の研究を始めた。看護大学と共同研究で看護師の動作研究をはじめ、その成果を日本人間工学会という学会で発表してきた。学会で発表すると研究に関する意見交換や情報交換を行う機会が増える。こうして、看護大学の先生との交流が始まり、「看護人間工学」という教科の講義を行う機会が与えられた。
 
 患者を持ち上げたり移動させたりする動作には力学が関わるので、人間工学を受講する物理を履修していない看護学生に嫌われることが予想された。そのため、海外旅行で写し貯めた美しい外国の風景をパワーポイントにまとめ合間を見て紹介する準備をしておいた。学生が退屈するような頃合いを見てその写真を見せた。そうしたら、まだ見ぬイタリヤ、スペイン、フランス、スイスなどの写真に目を輝かせ、講義を聴くより興味を示し、もっと見せてほしいという。旅行の話しばかりをしていると首になるからとちょっとだけ紹介し打ち切った。そうしたらある学生が今はブログ時代、海外旅行の記事をそこへ投稿してくれればいつでもだれでもが見られると教えてくれた。しかし、そのブログやらの開設方法は全くわからないというと、FC2ブログ、ジュゲム、ライブドアブログなどいくつも無料ブログサイトがあると教えてくれた。その学生は私もやっているといい、簡単だともいう。それまでこの種のことに興味はなく、その存在も知らなかったので、本屋へでかけたら何冊ものブログ関係書があった。3冊ほどブログ開設に役立つ本を求め、1年ぐらい検討した。そうこうしている間に、有線テレビとインターネット利用で契約している入間ケーブルテレビでもブログ開設サービスをしていることがわかり早速ブログ開設に挑戦した。それが、2009年10月17日に恐る恐る投稿したわずか3行しか書いていない「初めてのブログ」と題した最初のブログである。徐々に慣れ、3年半たった今では毎回の投稿に写真4枚、字数1000字を目標に、ときには2000字にもなる記事を日記のつもりで投稿している。まだ、少々仕事を持っている都合上、思うような投稿はできないが、出来る限り自分の生活記録として書くようにしている。
 
その後、「あなたのブログを本にしませんか」というブログ広告が目に入った。世界に一冊しかない本の制作に初めて挑戦し「眞喜子の古希を祝うヨーロッパ鉄道の旅」と題した第1冊目の本を刊行した。その後、2冊目に「スペイン・フランス・イギリス鉄道の旅」、3冊目に「アメリカ西海岸の旅」という題名で、世界に1冊しかない本が3冊出来上がった。最初の2冊は40日間、ヨーロッパを鉄道で回ったときの記録である。3冊目は21日間のアメリカ西海岸の旅の記録である。
 
 昨年暮れから今年の初めにかけ40間、初めてハワイ・ホノルルでコンドミニアムを借り、同じ場所にとどまるというロングステイ生活を送った。そのときの様子をハワイから投稿しておいたので、その記録をまとめ第4冊目の本「初めてのハワイロングステイ、334頁」という題名の本ができあがった。いずれの本も、1冊しか印刷していないので、世界に1冊しかない本を4冊創ったことになる。本にすると写真アルバムと異なり、手軽に持ち歩きができいつでも気軽に読むことができる。写真の数(毎回4枚)こそ少ないが訪れた国々の詳細が良くわかり、旅の思い出が目に浮かぶようにわかる。【2013.1.8】
 
写真1:第4冊目の本「初めてのハワイロングステイ」表紙
写真2:ハワイ生活の一端で毎日のように見えたサンセットの頁
 
2013.4.25 自宅にて記す







2013/04/22 1:00:00|国内旅行
たのしまんと四国 3日間
 3月31日〜4月2日 2泊3日の「高知 四万十川 桂浜 大歩危峡 鳴門 金刀比羅宮 たのしまんと四国 3日間」のツアーを終えた。移動した経路と観光で訪れた個所は地図の通りである。
 
 香川県の高松空港Aに着陸し、四国に入りした。一度、徳島県の鳴門Bへ行き、再び香川県の琴平に戻り、金刀比羅宮Cを訪れた。ここで、785段を登り、帰りに美しい満開の桜を見ることができた。
 
 徳島県では鳴門公園Bに行き鳴門の渦を見学し、ツアー最終日には再び徳島県の日本三大秘境と言われる祖谷渓Hに立ち寄り渓谷の美しい景観と日本三大奇矯と言われる「かずら橋」そして橋近くの琵琶の滝を見学できた。
 
 愛媛県では坊ちゃんの宿で名高い後温泉本館Dでの入浴と内子Eの古い街並みと和蝋の製造風景見学、この街並で「うだつがあがらない」の“うだつ”を見ることが出来た。
 
 高知県では四万十川Fで遊覧船に乗り、増水時に川に沈んでしまうという欄干がない珍しい橋「沈下橋」を渡る。橋の上から清流で有名な四万十川を眺めることができた。調べたところ60あまりの沈下橋が四万十川にはかかっているというから驚く。高知市Gに入り高知城を外から見る。桂浜を見学し坂本龍馬銅像前で記念写真。
 
 地図に示したような経路を観光バスで回るという2泊3日(松山と高知で各1泊)の忙しい旅であった。路線経路から走行距離を調べたところ733kmほどあり、かなりの距離を観光バスでドライブしたことになる。乗用車より遅い大型バスで、しかも狭い山道も走ったので時間はかかったようだ。バス移動の時間が長かった印象が強いが、個人でドライブしたら上述のような名所旧跡をこのような短時間で周ることは難しいのではと思う。
 
 出発日の羽田空港集合が朝早いので空港近くに前泊、最終日に自宅に帰ったのは夜11時過ぎと遅い帰りであった。かなりきついツアーであったが上述したような個所を短時間で回れ、四国ツアーを楽しむことが出来た。よい旅の思い出がまた一つ増えた。【2013.4.2】
 
写真:観光バスツアーで移動した経路(おおよそ730km走行)
 
2013.4.21  自宅にて記す







2013/04/21 1:00:00|国内旅行
かずら橋

 フリー百科事典「ウィキペディア」によると、「祖谷渓(イヤケイ)は徳島県三好市に位置する深いV字谷の続く渓谷。高知県と徳島県を流れる吉野川支流の祖谷川にあり、全長は10kmにも及ぶ。高さ数十〜100mの高低差もさることながら、降水量も多いために樹木が生い茂り、隔絶された深山幽谷の景観を擁する。河谷の急峻さもあって、川をまたぐのは至難の業。そのために集落を跨ぐ橋を設けた。それが西祖谷山にある重要有形民俗文化財「かずら橋」である」とある。
 
 X字谷の渓谷に架かる「かずら橋」は、日本三大奇矯と言われているそうなので、どんな橋か見学が楽しみだ。写真1のような「かずら橋」案内標識に従って、手前の橋を渡ると念願の「かずら橋」が見えてくる。遠巻きだが渡っている人たちの姿勢がぎこちなくみえる。よく見ると橋は約20p間隔で板が敷き詰められていて、板と板の間から写真2のように谷底の激流が覗き見える。「かずら橋」のひとつ手前の橋を渡りきり右に曲り、再び「かずら橋」を渡って戻ってくるという周遊コースになっている。したがって、「かずら橋」は一方通行である。500円の渡橋代金を払って恐々「かずら橋」を渡る人が後をたたない。
 
 写真3は眞喜子も渡り切ったかと思えるツウショットだが、彼女は怖さのため渡らずに写真を撮るときにのみ並んだだけだ。この「かずら橋」から100mほどのところに琵琶の滝(写真4)がある。大きな滝ではないが、水が大きな音をたてて落下するする様子を間近で見ることができ壮観であった。
 
 「日本三大秘境」というのは、一般的には「岐阜の白川郷」、「宮崎の椎葉(シイバ)」、そして「徳島の祖谷(イヤ)」と言われているそうだ。また、「かずら橋」も日本三大奇矯のひとつと言われている。今回のツアーで日本三大秘境のひとつ「祖谷渓」を見学し、日本三大奇矯のひとつ「かずら橋」を渡橋できたことは、思わぬ収穫であった。
 
 「かつら橋」の渡橋を最後に2泊3日のツアーは終え、一路高松空港へ向かった。5時ごろ高松空港に着く。空港で現地高知交通観光のガイドさんと別れ、今度は東京から一緒であった添乗員が帰りの帰路の搭乗券の手配をしてくれる。高松空港から羽田行き便の出発時刻は、午後6時40分。24人ほどが一緒のツアーで行動したが、ここで流れ解散となった。羽田には午後9時ごろ着くので夕食を空港で済ませることにした。もちろん、“さぬきうどん”である。自宅に11時少し過ぎたころ着く。ツァーは楽しかった。【2013.4.2】
 
写真1:「かずら橋」への道案内と橋の遠景
写真2:橋床板の間隔が広く谷底がよく見えるので足がすくみ恐々渡る観光客
写真3:「かずら橋」を渡り切ったところでツーショット
写真4:「かずら橋」から100mほどのところにある琵琶の滝
 
2013.4.20  自宅にて記す