まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2013/07/10 16:26:03|小さな旅の思い出
第一寺島小学校

  第一寺島小学校は、下記のように130年もの長い歴史がある。
明治12年10月12日:村立寺島小学校として創立、その後、寺島尋常小学校と改称
昭和4年10月12日:創立50周年式典を挙げる
昭和16年 4月1日:国民学校令の施行により、第一寺島国民学校と改称
昭和19年 8月:茨城県境町、岩井町、宍戸町の3町内の9ヶ寮に集団疎開
昭和20年10月22日:集団疎開復帰
昭和22年 4月1日:学校教育法の施行により墨田区立第一寺島小学校と改称
平成21年10月31日:創立130周年記念式典を挙げる
  この学校は、向島百科園に近く、学校の前の通りは地蔵坂通り、この通りを挟んで反対側に東京都立墨田川高校がある。この学校を66年前の昭和22年3月に卒業した。丁度、墨田区立第一寺島小学校と改称された年だ。当時6年生のクラスは4組あって、戦後間もない時期だったので軍隊から帰ったばかりの元気のいい男の先生が1、2組担当であった。3、4組は女の先生と記憶している。4組の卒業生が、いつのまにか声を掛け合い、集まりだし親睦を深めるために同期旅行会をつくり、今回で25回目の旅行会になる。その名を「一寺同期会旅行」という。25回目の今回は、静岡県焼津市焼津温泉 ホテルアンビア松風閣へ1泊の旅だ。計画を立てたのは、幹事とは言わずお世話役という人が7人で行った。
  参加者は男子14名、女子7名の21名である。以前は男女ほぼ半数ずつであったが、今年は女子が1/3で少ない。参加者の所在地は、東京、茨城、埼玉、千葉、神奈川と広域にわたる。そこで、金町駅7:50発、向島8:30発、東京駅9:20発と三か所にバスは立ち寄り、各自都合のよい乗車地でバスに乗る。
  東京駅9:20発に乗るため、自宅を7:30分に出た。朝の通勤時であったため、池袋の地下鉄丸ノ内線ホームは超満員、来る列車毎にはみ出した乗客を駅員が押し入れている光景を見た。その昔、山手線で新宿、渋谷を通り目黒まで、ここで目蒲線に乗り換え、大岡山まで通っていた当時を思い出す。朝のラッシュ時がものすごい混雑で、試作した実験装置を車内で押され壊したという苦い思い出がある。地下鉄丸ノ内線で超満員の電車に揺られ東京駅まで行く。バス待ち合わせ地の八重洲口鉄鋼ビル前にたどりつくまで、猛暑で汗びっしょりだ。ここで、21人が揃うはずだ。シンゴ1人がまだ来ていない。携帯電話をかける。かけている最中に転倒したようで、通行人が倒れたシンゴを見守り受話器をとったようだ。連絡がつき、何人かが彼のもとへ走る。あと100mぐらいのところで倒れたようだ。日射病が原因か、つまずいて倒れたか不明だ。いずれにしても、仲間にかかえられバス乗り場までたどり着いた。肘に擦り傷をおっているので、タオルで腕を巻き、涼しいバス座席に横たわってもらう。彼は2年ぐらい前から体調を崩したようで、この一寺同期会旅行にはぜひ参加したいと這ってまで、やってくる人だ。バスは発車し、参加者21名を乗せ、一路焼津へ向かう。
  写真1は、シンゴ、オガワ、カメチャン、タケチャン、クリチャン、イサムチャン、ブンチャン、エーチャン、ナカザワサン、ソガベ、シミズ、ハシモトサン、ツネサン、シマダ、ケイコチャン、マスミチャン、オオノ、ハネダ、サカモト、ミエチャン、ショウチャンなどと、名前、ニックネーム、あだ名で呼び合う仲間21人の記念写真である。
往路は旧東名高速道路を走り、帰路は去年(2012年)4月に開通したばかりだという新東名高速道路を走った。例年なら30人乗りの中型サロンバスなのに、今年は中型バスが確保できないというので21人というのに60人ぐらい乗れる大型バスが来た。2席を一人で使えかなり楽なバスの旅となった。バスは静岡で下り、旧東海道を走り丸子へ向かった。
  丸子は、東海道五十三次の20番目の宿場であった「丸子(まりこ)宿」(静岡県静岡市)があったところだ。立ち寄った丸子には何件か名物のとろろ屋がある。広重の絵の題材になった店ということで名が知れている茅葺きで雰囲気がある老舗「丁子屋」に入った。ここで、有名な「丸子のとろろ汁」の昼食。ご飯は麦飯、シンプルで美味しかった。お変わり自由だが、食べきれない。
                                                                                                                  
  午後3時ホテル松風閣に着く。このホテルは平成13年に天皇皇后両陛下がお泊りになったということで、記念の石碑が玄関にある(写真2)。正面玄関わきは、写真3のように駿河湾に面し、海岸沿いの上方を見上げると天気なら世界遺産の富士山が見えるという。今日は残念だがかすみがかかり、富士山は見えない。
  天気なら風呂から富士山が見えるという露天風呂につかり、仲間とたわいのない雑談を楽しむ。夕方まで、4名ずつに割り振られた部屋でおしゃべり、夜6時からカラオケ付きの宴会場へ移動。1年ぶりに再会した昔の悪ガキ、その当時の元気をまだ失っていない同期生たちは飲んでしゃべりまくる、その一方でカラオケ好きは声高らかに歌う。席を移り歩き、性が無くなった?男女がわきあい合いに皆との話で盛り上がる。この同期会はこれが楽しい。孫が15人になったと喜ぶ者、それを聞いて驚く者、体調を崩しやっとやって来たという者、3ヵ月前に夫に先立たれたという者、軍隊上がりの担任に殴られたという思い出、通っていた当時の第一寺島小学校の様子や現状などの情報交換、などなどで話は尽きない。2時間ほどの宴会が終ると◎◎号室へ集合、いつもの二次会だ。ここでも、昔の思い出、現状、家族こと、旅行のこと、病気のこと、物故者の思い出などの話しで男女が入り乱れ夜遅くまでにぎやかにおしゃべりする。これまでの二次会と異なり、全体的に元気がなくなったように思う。年齢もそうだが、病気し手術したとか、毎日薬を12種飲むなどの状況におかれた人が多くなったからかと思う。
  翌日9日の帰路は、焼津市内の「焼津さかなセンター」にお土産買いに立ち寄る。ここ焼津さかなセンターには、焼津漁港で水揚げされた海の幸が、その日のうちに運ばれてくる。ここでは、新鮮な海の幸から加工品、お茶、土産物まで何でもそろう。食事、お買い物をしながら市場の雰囲気が楽しめるところだ。金目鯛と鯵のひらきを眞喜子へのお土産として求める。
  こして、昼少し前にさかなセンターを出発し、新東名高速道路に入り、清水サービスエリアで昼食休憩。その後、一気に東京駅八重洲口へ直行。午後3時ごろには東京駅に着く。昔は、東京駅着が午後5時とか6時となり、夕方のラッシュアワーに出合った。今日みたいに早々と駅に着くのはありがたい。ここで、半数の友人と別れ来年の再会を誓う。昨日転んだシンゴ君を心配し、彼と高田馬場へそして西武新宿線の柳沢駅まで付き添う。駅からタクシーに乗るように進め、彼と別れる。
  階段や坂を上ることが苦手になってきたので、立ち寄る観光地の数も制限されはじめた。いずれにしても、旅行を計画し、ホテルと移動バスの手配、それに皆に連絡をする大変な役割を世話役のハネダ、タケチャン、クリチャン、イサムチャン、ナカザワサン、ソガベ、シミズ7人が行った。彼らに感謝する。
東京駅で転んだシンゴ君、自宅に戻り検査の結果、骨折していたとの連絡が入った。早く回復し、来年も会おう!【2013.7.8〜9】
 
写真1:第一寺島小学校、1組、2組、3組、4組の皆さん
写真2:天皇皇后両陛下行幸記念碑の前で
写真3:ホテル松風閣からの眺め。天気なら富士山が見える
写真4:地に這っても参加するシンゴ君
 
2013.7.10  自宅にて記す







2013/07/07 8:59:52|思い出
パーシ―フェイス・オーケストラ

 今日は七夕。朝から良いお天気なので、いつものように和ヶ原公園へラジオ、ストレッチ、太極拳をしに出かけて汗を流してきた。いろいろと行事が重なりブログ投稿を怠った。1ヶ月前の6月2日には懐かしい曲を聴きに池袋芸術劇場へ行った。その様子を投稿しようと思っているうちに今になった。                                         
 その演奏会というのは、若いころよく聴いた曲目を演奏するという「パーシ―フェイス楽団」である。名前は聞いたことがあり、演奏もラジオで聴いたことがあるが、まだ、生演奏を聴いたことがない。演奏が良いとか悪いとかの批評はできないので、もっぱら曲目を見て聴きにいこうかどうかを決めた。眞喜子の意向もあるので、彼女と話し合い数か月前にチケットを入手しておいた。6月はまだ、講義の旅の最中であったが、丁度演奏会は日曜日に開催されることが分かっていたので行くことにした。
 
 演奏は、第一部と第二部に分かれ、プログラムによると主な曲名は以下のように聴いたことのある懐かしい曲ばかりだ。胸を躍らせて聴きに行った。
 
第一部
「夏の日の恋」「南京豆売り」「サンライズ・サンセット」「恋の魔術師」「魅惑の宵」・・・・・・
 
第2部
「ムーン・ルージュの歌」「燃えるサンゴ礁」「ムーン・リバー」「マラゲーニャ」「メキシカン・ハット・ダンス」・・・・・・
 
 いずれも、若かかり日ころ、よく聴いたことのある曲ばかり20数曲が演奏された。これらは、よくFM放送で聴いた記憶がある。当時よく耳にした楽団には、パーシーフェース楽団の他、ミッチミラー楽団、グレンミラー楽団、ベニーグッドマン楽団などが盛んに演奏されていた。1960年、1970年代のことである。グレンミラー楽団物語とベニーグッドマン楽団物語は映画にもなり、何回か観たし、DVDも買ってもっている。
 
 会場の池袋芸術劇場は、我が家から交通の便がよいので、たまに出かける。演奏中の写真撮影は禁止されているので、演奏前にフラッシュをたかずに内緒で会場風景を撮った。椅子の数から推定して25人前後の団員がいる楽団である。それが写真2である。入場者の多くは我々のように昔の若者が多い。劇場は満席で熱気に包まれていた。沢山の客が来ていたことは劇場を後にするところの写真4でわかる。【2013.7.7】 
 
写真1:パーシーフェースオーケストラの広告と入場券
写真2:開演前のステージ風景
写真3:第一部の曲目の一部
写真4:演奏会終了後、帰路に急ぐ観客
2013.7.7  自宅にて記す







2013/06/22 5:00:00|思い出
お値打ちランチを食べる会

 人間、食べることは生きて行くうえで欠かせない。その欠かせない食の集まりが、6月16日(日)のお昼にあった。会の名前は「お値打ちランチを食べる会」。この会は、LSC(ロングステイクラブ)内に設けられた集まりで、今回が第2回である。もともとLSCの目的は、「自由な時間を使い、旅をテーマに生き生きと豊かな人生を過ごすために集まった仲間たち。例会・懇談会などで会員の手作り旅行や長期滞在旅行の情報を相互に交換をする場を提供し、同じ想いの人々の夢の実現を支援する。また、お誘い旅行・各種同好会などでの出会いを通じて気心の合う仲間づくりや人と人との絆を大切にし、社会貢献などを通してふれあいとぬくもりのあるクラブライフを目指す」という主旨で運営されている(http://www.longstayclub.org/)。
 
 第2回の「お値打ちランチを食べる会」は、隅田川に架かる佃大橋(勝鬨橋のお隣の橋)にほど近い「月島スペインクラブ」において開催された。小雨の中、男女合わせて24名の元美男・美女が一堂に集まり、正午から2時間ほど美味しいスペイン料理の昼食とりながら団らんを楽しんだ。初めて行く場所とあって、我々夫婦は早めに自宅をでたので1時間ほど早く会場に着いた。この近所には喫茶店がないので時間調整ができない。雨の中、外で待つのも辛いので開店前で準備中の店員にお願いし、スペインクラブ内のカウンターでコーヒーを注文し待たせてもらった。コーヒーは普通なら300円、これから食事をするお客さんは150円でいいというので、コーヒーを飲みながら皆さんの到着を待った。

   ロングステイクラブという名で分かるように、自宅を離れ国内外で1週間〜数ヶ月の手づくり旅行や長期滞在の旅を楽しんでいる人たちが仲間である。旅行ばかりか、東京を歩こう会、卓球、ゴルフ、ダーツ、フラダンス、料理などと幅広い同好会もあって、会員の交流強化にも役立っている。多くの会員は勤めをリタイヤした元気な高齢者が多い。アンデルセンの名言「旅は私にとって精神の若返りの泉である」のように、旅好きの人たちの集まりであるから、皆さん非常に元気で若い! 集まった会員の中にから明日スペインへ、香港へ行くのだという声が聞こえる。お互い、初めて会ったという人もいるが、旅という共通土俵があるお陰で話は直ぐに燃え上がる。
 
 旅の話しばかりではない。同席した幹事のSさんはパソコンに強く、Skypeの話しで熱が入っていた。このSkypeというのは、パソコン付属のカメラ(液晶画面の上部にある)とマイクがあると、テレビ電話のように動画と音声で遠くの人と話しができるというすぐれものだという。この話しがちらっと耳に入ったお陰で、これなら佐賀にいる孫達と動画を見ながら話せると思い、その話題に仲間入りさせてもらった。こうして、Skypeは無料であって、動画と音声を同時に送受信できるというすぐれものであることを教えてもらった。
 
 知らない人と知り合え、わからないことを知ることができ、さらに世界のどこかへ旅した会員がこの中に何人もいるので、その国の実情も知ることができる。この集まり「お値打ちランチを食べる会」は、美味しい食事をとりながら、おしゃべりし2時間を楽しめるという、とても素晴らし企画である。今月は6月、誕生月の人3名にはスペシャルメニューがハッピーバースディの音楽とともにサービスされ、会はよりいっそう盛り上がった。
 
  前述したSkypeの話しを聞いたので、帰ったら直ぐやりたくなった。この会が終わった後、池袋ビックカメラに立ち寄り、マイクを買った。自宅に帰り、Skypeの無料ソフトウエアをダウンロード、買ったばかりのマイクをUSBに接続し、自身の声が正しく伝わるかどうかのテストまでやった。その後、佐賀の息子に連絡をとり、電話受話器を片手に持ちながら、お互い同時にパソコンを立ち上げ、音声送受信の確認を行った。いろいろ試みたが相手の動画(自身の動画は出てきた)が現れずで、夜遅くなりあきらめた。音声だけでも無料で話しができることが分かった。その後の操作方法は、前述したLSCのSさんが勉強会を7月2日に開いてくれるということなので、それまで動画で孫たちに会えるのはお預けとなった。
 
  今回の「お値打ちランチを食べる会」はスペイン料理、次回は中華料理とのうわさがある。こちらも楽しみだ。この種の会を催すには、幹事さんがいて開催日と日程を決め、それに連絡などを調整していただいている。その幹事さんたちに厚く感謝いたしております。【2013.6.16】
 
写真1:スペインクラブの立派な店構え
写真2:落ち着いた雰囲気の客席
写真3:LSC代表K氏と会員の団らん
写真4:6月お誕生月の客への花火付き特別サービス
(写真4枚は才野勝裕氏提供)
 
2013.6.22  自宅にて記す








2013/06/17 6:11:07|思い出
落としたSuica戻る!

  6月6日(木)、千葉県旭市からの帰り、Suicaカード、コンビニ・ポイントカード、名刺などを入れた革製のカード入れをJR電車内で落としたことを投稿した。
 
 東京駅駅長名で葉書が届き、カード入れを保管している旨の知らせが10日に届いた。6月12日まで東京駅の遺失物係り(正式名:JR東海 お忘れ物承り所)まで取りに来ないと、その後は警察庁で保管するとの知らせである。
 
 葉書をよくみると電車内で8日に拾われ東京駅に届けられたとある。しかし、落としたのは6日(木)午後、千葉県旭駅からの帰りの電車内でのことである。そのため2日間の空白がある。Suicaカードには1万円以上(1万円を2日前に入金)が残っていると記憶しているので、落とした翌日7日(土)に電話にて使用停止の手続きをとった。午前7時10分に使用停止。
 
 今日11日(火)、東京駅「JR東海 お忘れ物承り所」まで出かけ、届けられていたSuicaの入った革製カード入れを無事受け取ることができた。拾得者にお礼をいいたく、届けた方の名前と連絡先を聞いたが、車内で拾ったので本人からの申し出はなかったとのことでお礼のいいようがない。受け取り時に身分を証明する自動車免許証を見せ、本人であることを確認してもらい、その場でSuica入りのカード入れを5日ぶりに有難く受け取ることができた。ただし、Suicaは使用停止をかけているので、受け取ったSuicaを今は使用できない。一週間先に新しいカードが送られるまで不便をする。カードが出てきたので感謝の気持ちでいっぱいである。改めて、善意の人が多いと感じる。
 
 JR東海 お忘れ物承り所は、改札口の外にある。そのため、せっかく東京駅に来たので、新しくなった東京駅の外観を見学しようと丸の内側にでて写真を撮った。その足で、近くの本屋「丸善」に入り、2時間ほど店内をぶらつきハワイ関連の本を二冊求める。店内の茶店でコーヒーを飲み一休みし、自宅に戻る。【2013.6.11】
 
2013.6.17  自宅にて記す







2013/06/10 23:10:00|思い出
バラ その2
 将来のために、今日もまた小さなバラの木を眞喜子は一本増やした。来年もまた美しく咲きほこるバラの楽しみが増えたようだ。