先週のお知らせレポートで、字が読めなくなった妻真喜子に本を読んであげ、その内容を共有することを彼女に提案した。その本の題名は「
どうせ死ぬんだから、好きなことだけをやって、寿命を使い切る」である。彼女は右目が失明同様、左目は裸眼視力0.2と悪い状態になったため、家事全般に手抜きが目立つようになった。転倒の恐れを抱くようになってから歩行速度が極度に遅くなった。また、テーブルに置いてあるものを掴む場合、盲人の方が手探りで物を掴むような行動を取らないと、そのものを上手に掴めない振る舞いをするようにもなった。
子供が生まれる前までは、彼女は幼稚園の教諭で働きながら子育てをした(子供達は鑛一の母が眞喜子不在中は面倒をみた)。しかし、その子供(長男)が小学生になったら仕事を止めるという話し合いはしてあった。実際、長男が小学校入学と同時に教諭は止めた。その後、長男、次男、そして長女の3人の子供たちを育てあげ、長男は大学院修士号、次男は大学院博士号、そして長女は学士号を取得した。現在、長女は主婦業に専念、次男、長男は社会で活躍している。このように3人の子供たちを無事に育て上げ、安心して学校へ行かせ高学歴を身につけられたのは、妻眞喜子が病気をせず健康であり同時に子育てに専念できたお陰だと感謝している。3人の教育費はどうしたかというと、もっぱら鑛一が昼は大学教員、夜は専門学校非常勤、それに家庭教師を行なった。それでも不足したので勤務先から借入れし、子供達の教育はなんとか終えることができた。
妻眞喜子は右目が緑内障、左目が白内障を患い不自由な身になり、両目とも手術をした。しかし、痛みや後遺症はないが、視力は良くなっていない。一緒に生活していて、これが元気であったころの真喜子と同じ人なのかと思うと可哀想でならない。
この先短い人生をおくるにあたり、共通する話題である和田秀樹著「 好きなことだけやって寿命を使いきる、どうせ死ぬんだから」を私が音読すると彼女もその音声で本の内容が理解できる。そのため、私ども二人の生活に張りがでることと考え音読の実行を開始したところである。
現在247頁中の46頁まで約1/5ほど読み終えている。「どうせ死ぬんだから。好きなことをやり尽くそう」「今日生きていることがすごくラッキー」「死にたくないと思うほど“人生の幸福度”は下がる」「死ぬ瞬間は痛くも苦しくもない」「ピンピンコロリンがいいか、がんで死ぬのがいいか」……などがこれまでに読んだ内容である。今月(10月中)中には、本書の音読を終える予定にしている。
2023年10月4日(水)