まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2025/12/18 8:54:51|老々介護について
72.【妻眞喜子の近況】
 眞喜子は両目が失明状態で車椅子生活になり、認知症の症状もすすみ心配している。最近の彼女の様子(動作、姿勢)をみるにつけ、悲しくなる。この急な老いの現象は、緑内障を患ったことが原因です。視力を失ったことはどうすることもできいが、その原因を考えると趣味のパッチワークを一生懸命やりすぎたことが考えられる。夢中で作業していたお陰で、針穴に糸を通す技は見事である。夢中になりすぎ夜中の2時、3時ごろまでパッチワークを行うことが度々あった。室内灯の照明が暗いだろうと手元を照らす照明器具を準備しても、それを使わずパッチワークを続けていた。針穴に糸を容易に通せたことで趣味の作業に没頭出来たことも緑内障を悪化させた原因かと思っている。針穴に糸を簡単に通せたため、鑛一は、彼女の目は健在だと思い続け、あまり注意はしなかった。いずれにしてもあまりにも熱心に趣味のパッチワークをやり続け、目を酷使したことが緑内障の悪化原因かと思っている。
 普段の生活では十分に睡眠をとり、バランスの良い食事、適度な運動を意識し、規則正しい生活を送ることが健康維持する最良の方法ではないかと思っている。現在、一緒に生活していて細かいことだが、下記のようないくつかのおかしな行動や言行をすることに気づいた。
●朝起きると「ここはどこ」と鑛一に聞く(自分の居場所が分からない)
●食後、立ち上がるとトイレはどこと聞く(自身が行くべき方向がわからない)
●携帯電話は勿論のこと、電話機、テレビのリモコン、ラジオのダイヤルや音量調節、玄関・窓ガラスなど戸締り、家電や機器の操作もできなくなってきた。
●箸は使えるが、掴んだ食材を口に入れるまでにそれを落とす、落としても目が見えないので平気な顔をしている(我が家の子供達が小さい頃、毎回の食後に食卓の下を眞喜子が掃除していた。今では眞喜子がその子供になり鑛一が掃除を担当している)
●テレビを観ることが唯一の娯楽であったが目が見えなくなると、ラジオを聴くことが多くなった。そのラジオの操作ができない。そこで、NHK第一放送だけ聞けるように音量調整、放送局選択ダイヤル、AM-FM切り替えスイッチ、ボリュームなど全ての調整可能な箇所をガムテープで固定し、電源スイッチを入れるとNHK第一放送のみ聞けるようにした。
●ラジオの電源スイッチを枕元に設置し、手を伸ばすと寝ながらラジオの電源をオフできるようにした。しかし、それも眞喜子はできなくなり終日電源はオン状態になっていることが多い。
 認知症の症状が早く良くなることを願い、毎日前向きな話をするように心がけている。
2024年7月17日(水)
 







2025/12/15 17:36:00|老々介護について
71.【揖保乃糸(いぼのいと)素麺と鰻重】
 過日、知人から揖保乃糸(いぼのいと)とう銘柄の素麺を送っていただいた。その品は、いかにも高級品だとわかる立派な桐の箱に入っていた。7月2日(火)昼食時、この贈られた素麺を茹でて早速いただいた。食後の感想は鑛一、真喜子とも「美味しかった」の連発である。なかなか口に入らない高価な鰻重も立派なお重に入れて提供される。たまに食べるこの鰻重も食後の感想はいつも「うまい」「うまい」の連発である。鑛一も眞喜子も食事で一番美味しいのは「うなぎ」、次は「そうめん」だねと言い、食後の感想は一致する。このようにたまの食事である素麺、鰻重の食べ終わりに、二人が発する言葉はいつも「美味しかった」の連発である。食後の雑談で、それほど美味しかった素麺だから、次回の食事は、素麺を主食にして鰻の蒲焼をお菜(おかず)にしようと意見は一致。そうすれば、「美味しかった」という素麺の主食、鰻の蒲焼がお菜(おかず)だから、これまでの食生活で食べたことのない最高の「美味しい食事」が食べられるねと大笑いしたことがある。このように二人の会話ができる食事がいつまで続くかを考えると少し寂しい気がします。
 食べることと喋ることに問題ない眞喜子は、自宅内で迷子になる気配を最近示すようになり心配している。というのは、食後にトイレに行くと言って立ち上がり、トイレ方向に向かわず寝室方向に進む。移動を始めてから、どっちに行けばトイレかわからなくなったと言う。我が家のトイレと寝室は、食卓がある居間を中心に反対方向にある。これまで間違えることはまずなかったのだが、自分のいる位置が不確かになり、上記のような行動を起こすようになった。また、目が見えなくなってからは寝ることが非常に多くなり、そのため足腰は弱くなったようである。週2回のデイサービスは、以前のように嫌がらずに出席するようになった。ただし、帰ってくると疲れた、寝たいとよく言い食後直ちに横になる。デイサービスで疲れたお陰だろうか、デイサービスに参加した日の夜は熟睡する。
2024年7月10日(水)提出







2025/12/15 16:59:27|老々介護について
70.【掃除ロボットを身近で見学】
 鑛一は、大学教員現役の頃、ロボット工学の講義を担当していた。専門は「制御工学」だが、この制御工学の知識がないとロボットは動かない。リラクサイズ武蔵藤沢の床面積は大きいので掃除ロボットを導入することは必然の成り行きかだと思う。鑛一がロボット工学を講義していた1998年(26年前)頃は、ロボット研究は盛んであったが掃除ロボット(2001年発売)はまだ実用になっていなかったと思う。それが今では実用になり、毎日の床掃除に使われていることを知り、技術の発達の素晴らしさを実感している。掃除ロボットが動く様子や障害物に当たった時、ロボットはどのような挙動を示すか、その動きの状況を目前で見学できた26日(水)のデイサービスは、とても有益な日となった。
 鑛一は上記大学以前に国立大学の制御工学科で13年間助手をしていた。上司はロボット工学普及に力を注いだ森政弘先生で、NHKのロボコンを開催したロボコン博士である。東工大時代にロボットを人間に役立てるためには、ロボットの動きは人の動きと同じようにしないと、ロボットを扱う人間は違和感を感じ、ロボットは普及しないと森先生は主張していた。そのため鑛一は、水を入れたコップや物体を右左へ移動させた時の物体の動きの研究を行った。この動きに関する研究成果は、5編の原著論文とし学会誌に発表した。
人の動きに関する研究が一段落したころ、KJ法で有名な、元東工大教授の川喜田二郎先生よりネパールで使う自然力ボート(川の流れを使い川を渡るボート)の研究・開発依頼が森政弘教授にあった。開発した自然力ボートはネパールに設置するとのことであった。そこで、助手であった鑛一がネパール技術援助の実験隊長に指名され、東工大で自然力ボートの研究・開発し、ヤマハ発動機がボート製作を担当することで開発を進めた。ネパール政府への開発したボートの説明と実験のため4回にわたりネパールに出かけた。研究は7年間続き、ネパールの川の流れを利用し、川幅100m程度なら渡河できる自然力ボートを完成させた。その成果をネパール政府に報告し、自然力ボートは10年ほどネパールの川で実用に供された。研究成果は博士論文にまとめ、鑛一は、この自然力ボートの研究で東京工業大学から工学博士の学位が授与された。そのお陰で放送大学助教授、東京電機大学教授という地位を経て、70歳定年まで東京電機大学、それ以降、コロナ禍が始まった2020年6月85歳まで非常勤講師として放送大学、看護大学、看護専門学校で看護人間工学の講義を行った。コロナ禍と2回の脳梗塞を患い、残念だが介護される身になり今日に至っている。
2024年7月3日(水)







2025/12/14 0:25:13|老々介護について
69.【美味しい「カレーライス」ができた!】
 先週のお便りレポートは【美味しい「肉じゃが」ができた!】というタイトルであった。今回は【美味しい「カレーライス」ができた!】を報告する。
 肉ジャガ同様に2人前カレーライスを何回か作ったが、2人前のジャガイモや人参の量が多かったり、味が辛かったり、塩気が強かったりして、真喜子から「美味しい」という合格点を貰えない。再挑戦しようと思うのだが、手元の食材が一部不足していたりしていたことで、最近は作っていない。
 今週、生協の食品通販でカレーライス用肉、細切れ牛肉、ジャガイモ、人参、カレールーが配達されたので、急に作りたくなり2人前作った。ところが、出来上がると2人で2回食べられる量を遥かに超えたカレーが出来上がり、分量のコントロールが上手くできていない。そこで、4回目の試作カレーライスを一昨日作った。ご飯の量をいつも(飯茶碗半人前)より倍以上の大盛りにし、カレーと共に大皿に入れ食べたところ「美味い」「美味い」を連発し、大盛り試作カレーライスをペロリと食べてしまった。この大盛り新カレーライスの出来具合は成功し、合格したようである。
 眞喜子は失明に近い状態で毎日の生活を過ごしている。目の手術後しばらく、デイサービスに参加することを拒否していた。幸いにも鑛一も要支援1の認定を受けていたので、リラクサイズ武蔵藤沢の半日デイサービスに夫婦揃って参加できることになり、眞喜子は渋々と2人で参加していたころがあった。
 それ以来、眞喜子はデイサービスが楽しいといい、参加利用者の皆さんと会話を交わすことができ、参加することの楽しさが実感出来るようになった。目が見えなくなり将来を失望していたのだが、デイサービスに参加できるようになり、参加拒否も徐々になくなった。目は見えないが喋る楽しみ、食べる楽しみに専念できるようになった。喋る楽しみは、デイサービス利用者、職員の皆さん、あるいは鑛一と出来る。食べる楽しみは、外食や宿泊旅行で、これまで何回も経験している。運転免許証返上後は、外食・旅行が不可能となり、食の楽しみは奪われた。そこで、外食で楽しんだ食べる喜びを自宅で可能にしようと鑛一が目下食事の工夫・研究?をしている最中である。
 食事の際は真喜子の食卓目の前に、周辺縁の高さ1cm、縦横長さ30cm x 40cmの矩形お盆を置く。そのお盆の中にご飯茶碗、お菜皿、味噌汁お椀、箸、スプーンなど真喜子専用の食器を置く。お盆の縁を指で触ると食器の位置関係がわかり、食事介護を受けずに自分の箸で食物を掴める。お盆上に配置した食器類を認識してもらい、その位置関係を覚えてもらうようにして食事をしている。食器の中にある食べ物の色、形、大きさなどは認識できないので、箸でランダムに掴んだ食物を口に入れている。口に食物を入れれば、それが人参であるか、大根であるかは食感と味で認識できる。その結果、「美味しい」という言葉を発しているようだ。箸を持つ手の触覚で食物の大小、形、硬さなどを認識している。しばしば、箸で掴んだ食物を落とすことがある。お盆や食器の中に落とすならば問題ないのだが、それをお盆外に落とすと、衣類や床の絨毯を汚してしまう。目が見えない眞喜子は、かつては家族5人の料理を作り、配膳、食後の後始末など一切が仕事領域であった。ところが今ではその仕事が一切できなくなり、鑛一が全面的にその仕事をカバーしている。
2024年6月19日(水)
 
 







2025/12/13 23:34:00|老々介護について
68.【美味しい「肉じゃが」ができた!】
 眞喜子から炊事一切を引き受け以来一年近く経った。眞喜子に教えてもらいながら、三度の食事を作っている。炊事は、食材の買い出しから始めるが、食事する人数、何時の食事、食事内容の好みなどで食材の選定、量、値段などの配慮が異なります。食材が揃うと大小の鍋や釜などの炊事用具とそれらのサイズが気になる。ガスかIHかでも使用する煮炊き用具は異なる。
 ガスに火をつけ湯を沸かし、お茶、コーヒーを準備するぐらいのことしか、この歳になるまでやったことがない。台所に立ち炊事することは、一大決心であった。眞喜子は若い頃、料理教室へ通い、料理を習った。その眞喜子の手ほどきを受け「カレーライス」、「大根・人参の煮物」、「肉じゃが」をなんとか作れるようになった。眞喜子の目が衰えてから、鑛一が一切の炊事をするようになり約一年近くになる。この間、上記した「カレーライス」、「大根・人参の煮物」「肉じゃが」作りにいく度か挑戦しました。「カレーライス」、「大根・人参の煮物」は、なんとか眞喜子が気に入る味に出来上がったが、「肉じゃが」については煮崩れなどがあり思うようにできなかった。ある日、眞喜子が芋類は弱火で時間をかけるとか、みりんを少々加えると良いと一言ったので、それに従ったら、上手に「肉じゃが」が出来上がり「美味しい」の一言が彼女の口から漏れ伝わってきた。
 まだ、二人分の料理に使う食材の量がどのくらい必要かはつかめていない。ですので、つい同じ煮物を1回の食事で食べきれないほど沢山作る傾向がある。これまで、何回か同じ料理を繰り返し作ってきたので、少しずつ料理の腕は上がり、作るコツを覚えてきたような気がする。
2024年6月19日(水)