まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
アメリカ東海岸列車の旅を終えて
  金婚式、傘寿、喜寿、8020(80歳で20本以上の歯が正常)をまとめて祝ってのアメリカ東海岸列車の旅は9月1日に成田を出発し、9月22日にボストンからシカゴへ向かった時点で終えた。その後、今日まで5週間ブログの投稿はできなかった。その理由は、アメリカで3週間遊んでいる間に仕事が山積され、その後処理のため、まとめる予定であった旅のブログ投稿が出来ないでいた。これから数回にわけ、訪れた4大都市の思い出をまとめ投稿する予定である。

 地図に示すように訪れた都市は、まずワシントンD.C.に入り4泊、列車AMTRAKに乗ってフィラデルフィアへ、ここで4泊。ニューヨークへAMTRAKで移動し、ここで3泊。ニューヨークからナイヤガラの滝1泊2日ツアーに参加し1泊、ニューヨークに戻り4泊。そしてボストンへAMTRAKで移動し4泊、機中1泊という全21泊の行程である。往きに成田で前泊しているので、トータルで22泊23日の行程となった。以下に訪れた各都市での観光と移動につていの概要を示す。
 
 ワシントンD.C.に向かう飛行機の中でANAクルー一同から我々の「Happy Golden Wedding」ということで心温まるお祝いのカードとケーキをプレゼントされた。高度1万メートルの上空で、金婚式のお祝いをして頂くなんて夢にも思っていなかったので、非常に嬉しい。
 
【ワシントンD.C.】「ワシントンD.C.では1日市内観光ツアー(日本語)」、「セグウェイを体験しながら名所めぐり!ワシントンD.C.2時間観光ツアー(英語)」で楽しんだ。ただし、Makikoがセグウェイに乗るのを怖がりリタイヤしたことが残念だ。
宿泊ホテル:Washington Court Hotel
 
【フィラデルフィア】フィラデルフィアでは、母校ベスレヘム市にあるリーハイ大学を日帰りで訪問、ホテルの近くにベンジャミン・フランクリン博物館があったので入館し、物理・力学の体験実験、月の石の実物見学ができた。また、ニューヨークからのアーミッシュ村訪問の帰路、市内観光で自由の鐘とその周辺の由緒ある建物を見学。
宿泊ホテル:Embassy Suites Philadelphia-Center City
 
【ニューヨーク1】ニューヨークでは観たいミュージカル「ライオンキング」「レミゼラブル」「マンマ・ミーヤ」「マチルダ」の4ミュージカルを鑑賞。「セントラル・パークでサイクリングツアー(英語)」に参加し、快晴ですがすがしい陽気の中で、都会の中の公園とは思えない美しい光景を見ながらのサイクリングを楽しんだ。上り下りがある公園内道路をMakikoはよく頑張ったと感心する。
宿泊ホテル:New York Inn
 
【ナイヤガラ】ニューヨークからナイヤガラまで10時間かけ、「ナイヤガラの滝1泊&ワトキンス・グレン州立公園&アウトレットショッピングツアー(日本語)」に参加した。ニューヨークを朝6時半に出発し、ナイヤガラで1泊、途中雨が降り出し、雨の夕方の滝を見学、翌朝も雨でナイヤガラの滝壺で雨に濡れながらボートに乗るが視界が悪く霧がかかり美しい滝の様子はうかがえなかった。移動途中で「ワトキンス・グレン州立公園」を訪れる。また、「ザ・クロッシングス・プレミアム・アウトレッツ」も訪れ半額の衣類の買い物を楽しむ。
 
【ニューヨーク2】ニューヨークに再びもどり4泊し、ここから「ニューヨーク発フィラデルフィア&アーミッシュ村ツアーとフィラデルフィア市内観光バス1日ツアー(日本語)」、そして「ゴスペル鑑賞付きハーレム観光ツアー(英語)」に参加した。
宿泊ホテル:New York Inn
 
【ボストン】
 ボストンでは、「フリーダム・トレイルウォーキングツアー(日本語)」で20,000ステップ歩く、ハーバード大学とMITは、ノーベル賞受賞者数の順位が1位と5位であることを知り、どんなキャンパスなのか知りたく「ハーバード大学とMITのキャンパスツアー(日本語)」に参加した。さらに、「アメリカの故郷 プリマス日帰りツアー(日本語)」にも参加した。このツアーに参加した理由は、ボストンの南東約64kmの位置にプリマスがあるのを知ったからだ。このプリマスという地名は、イギリスのロンドン北西にもある。この地から1620年にピルグリム・ファーザーズの一団102名がメイフラワー号に乗って、新大陸アメリカに向かったことでよく知られている。メイフラワー号で出航する時に踏んだとされる岩(プリマスロック)がイギリス側のプリマスにあったのを2010年9月にイギリス旅行を行ったときに見ている。このプリマスロックには1620の文字が刻まれている。
 アメリカ側のプリマスにも同様なプリマスロックがあって、上陸するときに最初に踏んだとされ、やはり1620という文字が刻まれている。この岩とレプリカのメイフラワー号二世が展示されているので、ぜひ見たくてツアーに参加した。
 ツアー終了予定は午後3時、ツアーガイドにお願いし、ボストン博物館へも入れるよう配慮をお願いした。こうして、予定外のボストン博物館へも入場できるという密度の濃い、アメリカ東海岸列車の旅となった。
宿泊ホテル:Milner Hotel Boston Common
 
平成27年10月31日(土) 自宅にて記す







27 プリマス観光とボストン美術館
 
  今回の旅の最後のツアーはボストン郊外のプリマスを観光するツアーある。ツアーはホテルまで出迎えてくれ、ツアー終了後はホテルまで送ってくれる。ツアーコンダクターは、石黒さんというボストン案内ベテランの美人である。今日のツアーも我々2人のツアーとのことで申し訳ない気がする。石黒さん運転のベンツでプリマスへ向け出発。出発時の天候曇りがちだが、後晴天。
 
  まず、当時のプリマス入植地を再現した村(PLIMOTH Plantation)に入る。メイフラワーに乗ってプリマスに着いたピューリタン(清教徒)たちは開拓村のように家を建て、生活用品、食料などを整備し、そこで生活していた。その様子がとてもよくわかるように家々とその内部が展示されている。しかも当時の衣装を身につけた人たちは、ここを訪れた人たちの質問に当時喋っていた18世紀の雰囲気で応えてくれる。
 
 プリマス。ここには、1620年に英国のプリマスからやってきた清教徒がアメリカの地に足を踏み込んだ最初の石(1620と刻まれている)がある。アメリカは、この石この地から始まったともいわれている。イギリスのプリマスから航海して来た時に使用したという船(メイフラワー号)のレプリカ(メイフラワー二世号)が海に浮かんでいて博物館となっている。その船にも乗れた。180トンと大きい船ではないのに102人もが乗って大西洋を横断したという。狭い船内にはベッド、調理用具、水タンク、食料品などが展示されている。科学の発達していない300年以上も前に、よくもこのような小船で危険をおかしながら、大西洋を横断したものだと驚くばかりである。
 
  何年か前にスペイン、フランス、イギリス列車の旅を行ったことがある。その時、フランスのモンシャンミッシェル近くのロスコフという港からイギリスのプリマスへフェリーで渡ったたことがある。その時に、イギリス側からピューリタン(清教徒)がメイフラワーに乗ってアメリカへ向かったというのがここプリマスであることを知った。そのピューリタンたちがアメリカへ向け一歩踏み出したときに踏んだという石がアメリカ側の石と同じように大切に保存されていたことを思い出す。これでメイフラワー出発側のイギリスの石と到着側のアメリカの石をMakikoとこの目で見たことになり感無量である。
 
  明日は、帰国する。もう一ヶ所、ボストン美術館へ行きたいと石黒さんに申し出る。彼女は、今日は日曜日でいつもより早く閉館するかもいいインターネットで調べてくれる。4時半に閉館とわかり、短い時間で見学出来るよう美術館の見どころをメモし、美術館に着くと速やかにチケット手配と館内マップを入手し、見所を展示品案内マップにマークしてくれる。こうして、ボストン美術館まで送っていただき、おまけに入館、見どころまでとても親切に世話して頂き、旅の最後に充実した良い思い出ができた。館内でモネ、ルノアール、ピカソの名画、日本の工芸品や浮世絵、日本庭園などを短期間であるが見ることができた。ボストン美術館はあまりにも広いので石黒さんのサジェスチョンなしでは、見どころの要点だけを見ることができなかったと思う。親切な石黒さんに心より感謝する。彼女のツアーに参加しなければ、1日でプリマスとボストン美術館を見学するという、このような充実した観光はできなかった。人との出会いの大切さを知る。時間がなくて、昼食を取れなかったので、帰り際にボストン美術館内のレストランでハンバーガーとコヒーの軽い食事を済ませ美術館を後にした。【2015/09/20】
 
2015年9月21日  ボストンからシカゴへ飛ぶ飛行機の中で記す







26 ハーバード大学とMITキャンパスツアー
   ボストンは、学校の多い街だ。その中でもハーバード大学とMIT(マサセッチュー 工科大学)はノーベル賞を受賞した研究者が多いことで有名だ。
 
 この両キャンパス ツアーがあることを知り、今日参加した。このツアーは朝9時から正午までの3時間で、見学時間配分はハーバード大学70%、MIT30%とのこと。広いキャンパスなので、車で案内してくれる人がいないとよく分からない。そのツアーがあると知り、予約しておいた。9時にホテルに迎えに来てくれるというので助かる。車での出迎えと案内はボストン案内のベテラン堀江さん。他に親子3人家族も案内をするというので、滞在ホテルまで出向く。こうして客5人を乗せハーバード大学へ向かう。ニューヨークから来た我々2人だが、市内をドライブして人の少なさ、街の綺麗さ、清潔さを感じる。
 
  チャールズ川に沿って西にハーバード大学、東にMITがある。まずはハーバード大学のキャンパスに入る。レンガ作りの建屋が多く、落ち着ける雰囲気だ。土曜日とあって学生が少ないように見受ける。キャンパスには入れるが建屋内に入れないところが多い。キャンパス内に消防署があるくらい大きなキャンパスである。キャンパスの芝生と樹木の緑が綺麗だ。その芝生にリスや鳥たちが走り回っている姿をあちこちに見る。心が和む。Coop生協がありハーバードとネーム入りのお土産があるというので入る。特にチョコレートは、お土産に手ごろなので、入り口近くに並べてある。案内によると、別名ボッタクリチョコと呼ばれているといい、そのチョコでも収益をあげているそうだ。でも、ノーベル賞にあやかって、何個か求める。
 
 MITはハーバード大学から車で5分ぐらいのところにある。キャンパスに入ると、建物はハーバード大学と少し雰囲気が異なり、建屋は普通のビルが多く、何棟かは工場を思わせる雰囲気の建屋がいくつかある。日本の東京工業大学はTITといい、ロボコンが盛んであったころ、国際ロボット コンテストで学生たちがMITと交流していたことを思い出す。MITもハーバード大学同様にキャンパスは広く、緑が多い。キャンパス内でメディア ラボという建屋があった。この中で毎週水曜日に観ているMITメディアラボ所長の伊藤穰一主催のスーパープレゼンテーションが公開されているのだろうかと気になる。
 
  キャンパス見学が終わると丁度昼の時間、キャンパス内のフードコートで自前の昼食。何を注文しても量が多いので、すし弁当を求め2人でシェア、一緒に参加した3人家族と団らんしながらたべる。このご家族はニューヨークに帰るとのこと。我々はホテルまで送ってもらい、2大学見学ツアーは終わる。
 
  ホテルで一休みし、夕食のため昨日行ったリーガルシーフードに行く。今日は、昨日と違うシーフードをリコメンドしてもらうが、あまり口に合わず残して帰る。こうして待望のハーバード大学とMITの2大学を見学出来、有益な1日を過ごすことができた。感謝。【2015/09/19】
 
2015年9月19日 ボストン Milner Hotel にて投稿
 







25 フリーダム トレイル ウオーキング
   ボストンは日本でいうなら京都のような歴史ある街だ。そのボストンの旧市街地を歩いて観光するツアーが「フリーダム トレイル ウォーキング」である。このウオーキングは、ボストンコモンという公園を起点に旧市街地まで建国時代の旧議員会館、教会、墓石、銅像などを訪れノースエンドで終わる2時間ウオーキング ツアーである。ツアー案内は牛濱さんという女性。何人か一緒のツアーかと思ったら、なんと我々2人だけという贅沢なツアーだ。数人のツアーになることもあるそうだが、今日は2人だそうだ。
 
   朝夕は冷え始めた今日この頃だが、日中はまだ真夏並みに暑い。その暑いさなか、フリーダム トレイルのマーク線(地面に植え込まれたレンガの線)に沿って歩き出す。出発点はボストン コモン、そこを13時半に出発し北西へ向け、蛇行して引かれたトレイルライン上を歩く。このラインに沿って歩くと、ボストン マラソンの起点、ボストン マラソンで優勝した瀬古選手の名が刻まれた記念碑、レンガ造りの 古い教会、議員会館、建国時代に活躍した人たちの銅像や墓、全米最初の小学校の跡地、ベンジャミン フランクリンの両親の墓などの説明を聞きながら進む。元大統領ジョン・F・ケネディが通った教会もある。
 
  今日のツアー集合場所が分からなくて歩き回ったお陰で、今日の歩数はなんと20,880歩でやけにたくさん歩いた。ホテルに帰りついた時にはくたくたでMakikoと会話する元気もない。その元気を取り戻すため、近くにあるリーガル シーフードのロブスターを食べに行こうと出かけた。特大のロブスターは55ドルと高いようだが、2人でシェアすることにし1匹、それにクラムチャウダーを2人分注文。ロブスターにはベークドポテトと野菜、それにパンがつく。そのため、美味しいベークドポテトを残すほど十分にお腹は満たされた。最後にコーヒーを飲み、20,000歩も歩いた疲れを癒した。【2015/09/18】
 
2015年9月19日 ボストン Milner Hotelにて投稿







24 最後の訪問地ボストン入り
   いつもなら8時、9時に寝る。昨日は夜遊びをして12時ごろ寝た。今日は、ニューヨークからボストンへAMTRAKで移動する日なので、新たな緊張感を覚える。ホテルNew York Innは、水回り、部屋の狭さ、質の悪いベッド、開け閉ての悪いドアなどで最低のホテルだ。次の宿泊地のボストンのホテルを期待し、9時にNew York Innをチェックアウトしタクシーを拾う。ニューヨークのタクシー ドライバーは、愛想がなく不機嫌で不愉快だ。それに昔、日本で神風タクシーと言われていたことがあるが、そのような極めて乱暴な運転ぶりで乗っていて怖い。チップ込み10ドルでペンステーションに着く。
 
 ボストンまでのビジネスクラスの切符は、すでにフィラデルフィアで買ってある。この列車が今回の旅の最後のAMTRAKということでビシネスクラスにした。駅には赤いシャツを身につけた赤帽(red cap)がいて、5ドルで重い荷物を車内の席まで運んでくれる。そのサービスをこれまで二回利用し助かっているので今回も利用した。ビジネスクラスといっても席が決まっているわけではない。広い席で好きな所に座ってよい。検札が来て、チケットを確認すると、席の上部にカードをおき、これで初めて座席が確保できたことになる。
 
  ボストンに着き、タクシーを待つが来ない。30分ほど待ってやっと乗れた。ニューヨークでは頻繁に来て待たずに乗れたのだがボストンではそうはいかない。ボストンのMilner Hotelに着いたのは午後4時。落ち着いたところで、夕食を食べに外にでる。近くにフードコートがあったので入り、エビ入り焼きそばとコカコーラで夕食をすませる。2人分で13ドルと安い。
 
 Milner Hotelはヨーロッパ風のプチホテル、道路に面した小綺麗で広い部屋。ニューヨークで泊まったNew York Innより格段に良い。だが、道路を走る車の騒音、隣にロースクールがあり、そこの学生が騒ぐあるいは大声をあげる、ドラムや楽器などで大きな音をたて騒がしい。こうした理由で道路と反対の裏側で騒音の少ない部屋に変更を申し出た。明日、ツアーに出る前に荷物を整理しておけという。荷物を整理し寝る。【2015/09/17】
 
2015年9月18日  ボストン Milner Hotelにて投稿