まず動く2

ブログ「まず動く」の写真容量が不足したため、ここに改めて「まず動く2」を立ち上げました。以前のブログ同様に、写真付き日記のつもりで投稿します。ご覧いただければ嬉しい限りです。
 
〜花火観賞と緊急避難〜
 毎週金曜日は、お隣のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパが花火を打ち上げる。その花火が我々の部屋からすっかり見える。今日、香港の友人Shirleyを招待し、我が家でその花火を一緒に観ることにした。Shirleyが豆腐の中華料理を冷凍させたものを持参したので、我々は稲庭風うどんと、追い鰹を準備し、夕食を作ることにした。花火は7時45分、Shirleyが来たのは5時半、約2時間花火打ち上げまであるので、中華風うどん(うどんの上に麻婆豆腐をのせたようなものなった)を作り、3人でそれを夕食とした。Shirleyは稲庭風うどんが気に入ったといい、どこで求めたかを聞くので、ニジヤで買ったと教える。
 
 腹ごしらえが出来、しばらくお喋りをするとベランダの外で大きな花火開始の音がするので、全員ベランダへ移動。わずか5分で終る花火だが、ヒルトンホテル、イリカイ・ホテルの宿泊客、それにラグーン周辺に今日の花火のことを知っている地元の観客など大勢が集まり観ていた。打ち上げが終わると、ラグーン周囲に異常な素晴らしかったことを称える歓声が聞こえた。花火が終わるとShirleyは、間もなく帰るというので、イリカイ玄関まで見送り別れた。
 
 毎朝の気功体操に出席するので、夜遅くまで起きてはいられない。10時頃床につき深い眠りについた。ところが、夜中の12時半にけたたましい緊急サイレントともに、「エレベーターを使わずに至急建物中庭に避難せよ」と何回も繰り返し、大きなスピーカーから避難警告の音声が流れたので、寝間着のまま飛び出し12階から1階まで避難階段を急いで下った。下りたものの、客を誘導する係は誰もいない。緊急避難警告があったので外へ出たが、煙がでているわけでなく、客同士がぼやきあっている。火災が起こったとは思えない状況だったとので、順次客は部屋へもどりはじめる。戻って床にはいると、また、同じ緊急避難のサイレンと放送が流され、急いで逃げるようにして非難階段を下りる。前回同様に客を誘導する係はいないので、全員ぼやく。だれに文句を言っていいのかもわかない。そうこうしている間に、消防隊員が重武装して現れたが、13階の部屋でだけかスプリンクラーに衣紋掛けのような物をぶら下げたようだとのんびりと説明する。それが原因で避難警報が発せられたという。
 
 下りだけだが、12階から1階まで階段を2回も下った。しかも眠い目を擦りながら真夜中に下ろされた。Makikoは、消防隊が確認作業を行っている間、1階で座ったまま居眠りをしている。時計を観たら、午前2時半なので眠いはずだ。安全の最終確認がとれたので、部屋に戻り安心して、午前3時に深い眠りにつけた。気功体操があるので明日の朝6時に起きられるかどうかが心配だ。【2018年11月30日】
 
平成30年12月2日(日)  イリカイ・ホテルにて記す







〜ハワイ・ホノルルの木曜午餐会〜
 木曜午餐会のインターネット案内冒頭に、「一生青春、一生勉強」、木曜午餐会が創立されたのは1918年(大正7年)9月19日です。在ホノルル日本総領事館の第9代、諸井六郎総領事の発案によるものです。木曜午餐会は、日米大戦中も細々ではありながらも「一生青春、一生勉強」という思いの火を一時たりとも消すことなく今日まで続いてきました。先人の努力にはただただ感謝するばかりです。」と書かれているように、木曜午餐会は今年で丁度100年目を迎える長い歴史ある講演会である。
 
 木曜午餐会の開催場所と会費などは以下の通りである。
●毎週木曜日、午後12時30分〜1時30分
●会場:マキキ聖城キリスト教会
●Makiki Christian Church
 829 Pensacola St., Honolulu Hawaii 96814
●年会費$20.00/非会員 毎回$2.00 
●会長:新名 瑛(しんみょう あきら)
●お問合せ:(808)341-3547
●ご意見等:Shimmyoa@gmail.com
●URL: http://mokuyogosankai.blogspot.com/?m=0
 
 2011年からハワイロングスティをはじめ7年になるが、毎年ハワイに来る度に、この木曜午餐会を楽しみに参加し、有益な話を聴かせていただいている。11月〜12月の滞在期間中の木曜日は、11月15日、11月22日、11月29日、12月6日、12月13日の5日ある。そのうち11月15日は当地に着いた翌日なので、前日の飛行機移動で寝不足をし、疲れ果て欠席。次の22日は感謝祭のため休講、そして29日(木)は今回の滞在で初めて参加した。毎年ハワイに滞在中は、毎週参加していたので、聴講する席もほぼ決まってきている。その席の周辺に座る現地ハワイの方々と挨拶を交わし、1年ぶりの再会を喜び合う。
 
  本日の木曜午餐会演題は「変わりつつあるお葬式」で、講演の概要は以下の通りである。講演に先立ち木曜午餐会の歌を参加者全員で歌い、その後講演に入る。今回の講演を聴講し、ハワイでの葬式の現状が理解できた。
・一般的な葬式費用は、$5000〜$7000
・家族葬は、$4000〜
・直葬は、$2000〜
 日本で死ぬと大変な費用がかかる。$350の葬儀プラン保険というのがあって、この費用を1回だけ支払うと、後は日本へ葬儀関係で出かける旅費、死体をハワイに運んでもらう費用もカバーしてくれる。散骨する傾向が増えてきたという。その費用は普通$200〜$300、この額は基本料金で、家族や参列者がボートを借り一緒に散骨場所までいくのには別料金$600以上が必要となる。香典は普通$20〜$50ぐらい。骨壺は税関を通れない。ハワイでの土葬は   $11,000・・・・・・などの話しを聞くことができた。
 
 死ぬ前に決めておきたいお葬式6ヶ条として、以下の事項を提案している。
誰しもに必ず訪れる<死>、遺族を困らせないために用意しておきたいこと。。。。。
  • 逝くとき、どの宗教と手を携えるかを考える。
  • 信頼できる葬儀社をリサーチしておく。
  • 葬儀にかかる総額を準備しておく。
  • 葬儀に必要なものを揃えておく。
  • お骨のゆくえを決めておく。
  • 日頃から身内に希望を話しておく。(身内のいない方は親しい友達か親戚でも。。。)
 ハワイに永住覚悟の方々も多い。長年ハワイに住み日本に親類・知人がいなくなったような方は、終活(end of life planning)の問題を深刻に受け止めているようである。
 
 木曜午餐会はこれからも続き、今後の予定は以下のようである。
【12月の木曜午餐会の講演スケジュール】
12月6日「みんな違っていい〜異文化交流を通してハワイと日本の架け橋を〜」若林享子女子(保育園園長)
12月13日「寝ている赤ちゃんを抱っこすると重いのはなぜか?」小川鑛一工学博士(元東京電機大学電気大学教授)
 以上のようで、Koichiも13日に講演を予定し、その後に帰国する。短期間でハワイを訪れることが多いと思うが、時間に余裕があるか、あるいは長めの滞在をするような場合、一度この木曜午餐会に参加することをお勧めする。とても良い話しを聴くことができる。
 
 ところで、いつもならマキキ聖城基督教会へ行くのにアラ・モアナ・センターから歩いて行く。TheBusの17番に乗ると教会の前に泊まることが分かったので遠回りだが、そのTheBusにのり教会へ向かった。まず、乗ったTheBusの全面に自転車を乗せられる装置がある。その装置を身近で見ることができた。また、車椅子の乗客が来てドアが開くと、入り口の床板が持ち上がり180°回転するようになっている。その床板が車椅子の傾斜路になる。こうして乗車した車椅子客は、運転手の助けを借り、優先席である椅子を持ち上げてスペースを確保し、そこに車椅子止める。その時車椅子が動いては危険なので車椅子の車輪にフックをかけ、バスがブレーキをかけても急発進しても車椅子は動かないようにしっかりと止めている。こうした一連の作業が終わり、安全確認ができるとバスは出発する。
 
 講演終了後、アラ・モアナ・センターへ歩いて向かう。その途中でウオールマート裏のグルメカフェ「KE ALOHA CAFE」が目につき、昼食をとるべく中に入る。広尾のカレーのオックステールカレー$12を食べた。とても美味しくリピーターになりそうだ。店内で出会った美人客が生まれて8ヶ月の可愛い子犬を抱いていたので、許可を得て写真を撮らせてもらった。アラ・モアナ・センターTheBus停で、イリカイを通る8番バスを待つが1時間ほど来ない。おかしいと重いながら、空を観ながら辛抱強くまち、やがてやってきたバスに乗り、イリカイに着いた。【2018年11月29日】
 
平成30年12月1日(土)  イリカイ・ホテルに記す
 







〜Makikoの傘寿祝い〜
 Makikoは今日めでたくも傘寿を迎えた。Koichiより3歳若い。2人合わせて163歳、平均して81.5歳だ。後期高齢者の1年生になったところだ。金婚式を3年前に終え、結婚して53年が過ぎた。明日はどうなるか不明だが今日現在、お陰さまで2人とも健康に恵まれ、寒い日本を離れこうしてハワイまで来ることができロングステェイを楽しんでいる。その生活状況をブログに滞在記事として投稿している。ハワイ滞在期間を終え帰国すると、そのブログ記事をまとめ世界に一冊しかない本を作る予定だ。こうした一連のことができるのも健康であって、夫婦で欠点を補う平均した人生をおくっているからだと思う。
 小学校3年生(第三大島小学校)のとき戦火を逃れるため、東京から山形の米沢市に集団疎開した。終戦になり山形から帰ると東京下町の我が家は、東京大空襲で焼かれてなくなっていた。両親は戦火を逃れ隅田川にかかる言問橋下まで逃げ一命をとりとめたという。その後は、隅田川に近い向島に住みつき、両親の元に帰ったのはこの向島の家である。疎開する前の小学校は失われ、同じ学校にもどれず、この向島では第一寺島小学校に転校し、そこを卒業した。その後は働きながら高校、大学、大学院を苦労して終え、研究職、教育職につくことができた。
 
 こうした今があるのは、子供のころから上述した苦労、頑張る、根性を絶え間なく経験し続けたからかと思う。そして、妻Makikoは言う、若いころ「苦労したご褒美」だと。最近、重力のバランスとか人生のバランス・平均を考えることがある。
 重力のバランスは、人が片足で立てる、釣合人形ともいうオモチャのヤジロベエ(弥次郎兵衛、balance toy)のような事、物は物理のバランスである。そのバランスが崩れると片足で立てない、腰痛が起こる、足腰が痛いというような症状が現れるのではないかと思うようになった。また、人生にもバランスがあって、夫婦のバランス、家族のバランス、社会のバランスがあるように思う。特に人生のバランスは、生から死まで人の一生の間に人は、苦労し、楽をする期間がどこかにあると思う。苦・楽のバランスである。生涯が苦の連続であった人、あるいは楽の連続であった人は、少ないのではないだろうか。若いときに苦労し、老後に楽をする。その逆に若いときに楽をし、老後に苦労する。このような人生も苦楽の平均値があるように思える。さらに苦・楽が断続して起こり生涯を終えた人もいるのではなかろうか。この場合も長い人生で、苦労した時期、楽をした時期が何回か交互に訪れ、その苦楽を平均すると、その人の生涯は、ある苦楽の平均値になるように思える。
 
 夕方6時というと丁度サンセットの時間だ。Makikoの誕生を祝いうため、イリカイからほど近いプリンスホテルで、我々夫婦ともう一人ハワイ大学で研究しているDr.のjijiwaさん三人で行った。MakikoはJijiwaさんから花束を、気功体操仲間のShirleyからレイを頂いた。相棒のKoichiはカメのペンダントをプレゼントした。ディナーは日本でいうバイキング(ビュッフェ)、海鮮ビュッフェである。寿司、カニ、エビ、貝、牡蠣、肉、野菜、スープ、果物、ケーキ、コーヒー・紅茶などで、我々の口に合った非常に美味しい食事であった。3人だけのパーティであったが、研究者のJijiwaさんが加わってくれたお陰で、分野は異なるが教育・研究上の話しができ、充実した時間を過ごすことができた。それに、彼女が今重点的に行っていることは、英会話、英作文という。その理由を聞くと、ハワイ大学に席を置き、研究者として働いている以上会議や研究発表での情報交換それに論文は当然英語、そのためネイティブに近づきたいと一生懸命、勉強中であるという。Koichiも目下、学生時代以上に英語学習に熱を入れているので、英語学習という面でも意見交換ができ、有益であった。
 
 隣のテーブルでおじいちゃんが子供、孫たちから誕生祝いを受けていた。ディナーを終え帰りがけたところ、お隣もパーティを丁度終え帰るところである。誕生日を迎えたおじいちゃんと目が合い、軽い挨拶、そしてあなたの誕生日は今日なのかと聞いてみる。相手も、我々に誰かの誕生日かと聞いてくる。妻Makikoの誕生日だと言うと、家族全員がハッピーバースデイと言ってくれる。おじいちゃんの首にかけられた2個のレイのうち1個をMakikoの首にかけてくれた。孫の1人がよちよち歩きでMakikoに近づき、プレゼントを手渡してくれた。帰りがけの一瞬の出来事であったが、一声かけたことが縁で、レイとプレゼントをおじいちゃんからお裾分けしてもらえた。Makikoの歳を知り、相手の家族全員がAmazing !という。日本人は一般に若く見えると言われるように、Makikoも若く見られたようだ。こうした縁で、双方の誕生日祝いが和やかなものになった。イリカイまで3人で歩いて帰り、Jijiwaさんはイリカイでトイレ、ついでに中庭で名残惜しいので、ちょっとだけ椅子に腰掛け、お喋りをして帰っていった。【2018年11月28日】
 
平成30年11月28日(水) イリカイ・ホテルにて記す
 
 
 







〜ノースショア・ドライブ〜
 気功体操の仲間、Shirleyからノースショアへドライブに行かないかと電話を受けた。27日(火)なら都合がいいということで、今日ノースショアへ行くことを約束した。その日が今日である。
 Shirleyは香港人で、メインランド(アメリカ本土)でシステムエンジニアとして活躍、リタイヤ後にハワイにやってきた人である。聞くところによると、大学では数学を専攻し、全米の健康管理のような大規模システムのプログラムなどを手がけたという。分野が理系と近い専門であることから話しが合い、仲良くなった。その彼女はホンダ車を持っているというので、ノースショアへのドライブの誘いをしてくれた。
 
 ハワイは虹の州(Rainbow State)と呼ばれ、車のナンバーに虹の絵が描かれている。その車でイリカイ玄関に午前10時半に迎えに来てくれた。車にはもう1人、Kiyokoが乗っていたので、4人でドライブだ。彼女も気功体操の仲間で、沖縄出身の日本人である。軍人であったご主人を亡くし、近くにお子さんが住んでいるが、一人で年金暮らしをしている。Makikoと同年であるということもあって、お互い話しが合い仲良くなった人である。以上、4人で出発。ノースショアへいく途中にあるドール・プランテーション近くには、膨大なパイナップル畑が広がっている。そこを通り過ぎると、ノースショアが見え初める。ハレイワの街に入ると、ハワイのローカル風景が広がっている。日本人観光客が沢山訪れている。車内の前部座席にShirleyとKoichiが、後部席にKiyokoとMakikoが座る。Shirleyは日本語が話せないのでKoichiと英語で、後部座席は日本後でお互いに話しを交わしている。Koichiは、目下英検受検生なので、英語で会話できることは有益だ。後部席は同年と言うこともあって、幼いころの想い出話やハワイや日本の情報交換をペチャクチャと喋っている。
 
 そうこうしている間に、North Shore Hale’iwa Beachhouseと書かれたレストランの看板が目に付き、ここに入る。メニューを見るが、名前と食事内容が皆目分からない。唯一分かったのは、以前食べたことがある「ロコモコ」である。一人で1皿ずつ注文すると食べきれないので、3皿選び4人でシェアすることにして、注文内容はShirleyに任せる。でてきた料理のうちロコモコは、ご飯の上にハンバーガーと卵焼きがのっているので分かる。その他は、パンをベ-スにし、チキンとツナ・・・・・・が皿にのっているハワイアン料理だ。こちらの料理になれない我々には、食べられなくはないが口に合わない。この席で、Shirleyがサプライズだといって、我々が写っている写真に見るようなレイ(Lei)を首にかけてくれた。Shirleyは、レイをはじめ、各種身につける飾りを作ることが趣味だといい、我々のために作ってくれた。レイ(Lei)は花輪の意味、花で出来たものという意味があることはよく知られている。それ以外に「愛する子供」「妻」「夫」「恋人」「若い兄、弟または姉、妹」「子供」「親友」との絆という意味があるそうで、そのレイを手作りして頂いたことに対して、大変感謝している。「贈る相手を思う気持ち」であるということ。ハワイの人々にとって、思いを込めて贈ることこそが、レイを贈る美徳とされているそうなので、贈られてとても嬉しい。
 
 レイを首に掛けてもらったことは、ハワイに入国した時、ポリネシアカルチャーセンター見学時、ハワイ・クルーズに乗った時、木曜午餐会で講演した時など何回かある。このような場合は歓迎されているという気持ちがレイをかけてもらい伝わってくる。レイにエチケットがあるのではないかと思い調べてみたら、以下のようなことが分かった。ハワイで歓迎を受けて贈られるレイだが、相手に失礼のないエチケットがある。それは、まず、相手の前で外すこと、誰かにあげてしまうことは失礼でやってはいけないそうだ。現地の人は、貰ったレイを翌日お墓参りして墓前に供えたり、海に流したり、または記念に取っておくというそうだ。また、レイを贈る側で気を付けておきたいことは、妊婦に贈る場合である。クローズレイと言って輪の状態のレイは胎児のへそのおが絡まると信じられている。妊婦に贈る場合は、輪ではなく もとの状態のオープンレイを贈るか、手に掛けてあげるのが伝統的だということが調べて分かった。
 
 ハレイワ・ラニアケアビーチで海カメが見られるというので、そこをめざす。今日は海が荒れ、高波がでているのでカメが陸で甲羅干しをする姿が見られるかどうかは心配だと言いながら現場につく。どうも駐車している車の台数が少ないので、見られない可能性が高い。一応、路上の脇に駐車し、Koichiが海岸まで覗きに行く。案の定、カメはいない、残念だがカメを見に訪れた観光客がたたずむ後ろ姿を見て車に戻る。波は大波で、サーファーはいないだろうと思ったが、大波にもまれて波に乗っているサーファーが何人かいることが確認出来た。今来ているノースショアは、サーフィンのメッカだそうで、高い波は20mにもなり、その波に乗っての競技が行われるそうだ。帰路、パイナップル中身をえぐりだし、新鮮なパイナップルおよびパイナップル・ジュースを、それにココナッツ・ウォーターを販売している出店に出会った。この出店の脇に駐車スペースがあったので、ここに車を止め、店員がパイナップルの中身を取り出している様子を見学した。
 この店の裏は大波が荒れ狂う海で、観光スポットでもある。Shirleyがパイナップルを食べるかと聞くが、お腹いっぱいで、飲めない・食べないで帰路につきたいと伝え、帰路につく。帰りも行き同様に順調に走れ、午後2時半ごろにイリカイに戻ることができた。
 
 朝の気功体操を終えてからのノースショア行きであったことと、ノースショアで公園や海岸を歩いたので、結構疲れた。そのままベッドに横たえ、午睡し目がさめると サンセットの時間だ。直ぐに、裏の海岸にでて太陽が沈む方向を見ると、今日も水平線上に雲があり、まん丸の太陽が見えなかった。残念!【2018年11月27日】
 
平成30年11月28日(水)  イリカイ・ホテルにて記す
 







〜アロハスタジアム スワップミー〜
 スワップミートといえば、アロハスタジアム スワップミート&マーケットプレイス(Aloha Stadium Swap Meet & Marketplace)が有名だ。アラモアナ・ショッピング・センターのバス停で20番、40番、42番TheBusに乗ると一時間少々でアロハスタジアム前に着く。降りて5分ほど歩くと、臨時入場門があり、そこで$1を払うと入場できる。アロハスタジアムの周辺の駐車場を利用し、水曜日、土曜日、日曜日にスワップミートが開かれている。昨日はコストコに連れて行ってもらい感謝祭バーゲンで土産物を安く買った。今日は日曜日(11月25日)でアロハスタジアムのスワップミートが開かれているというので、TheBusを利用し、イリカイ前のバス停から40番に乗り8時半に出かけた。9時半過ぎにアロハスタジアムに着き、$1払って入場した。上天気で日が差し暑い。日射病に気をつけ、水分を補給しながら、ぶらぶらとスタジアム周辺の店を見ながら、散歩のつもりで歩いてきた。
 
 露天商の集まりなので、昔の縁日のようでハワイの物産、果物、彫刻品、ムームー、アロファシャツのような商品を売る店が多い。それに、ノミの市(蚤の市、flea market、フリーマーケット)のように、地面にブルーシートを敷き、そのシート上にオモチャ、工具、各種食器、宝石、古着などを並べて販売しているところもある。ほしいものが見つかると、値段をまず聞き、値下げ交渉をする。負けないところもあるが、負けてくれるところも結構ある。その交渉も英語勉強と思い、積極的に交渉を続ける。値段は負けないが個数を1個お負けするというところもある。欲しいものを見つけるのは難しいが、それに近いものは見つかることがある。暑いので、スタジアムを一周するにはよほどの元気がないと続かない。休憩するところがほとんどないので、駐車場の木陰の縁石に座ることが多い。男性にとって期待するものは少ないので、疲れるばかりである。「女の天国、男の地獄」のようなところだ。
 
 帰りはTheBus20番に乗り帰った。チャイナタウンに入ってから、TheBusの左側から1台の車(後ろに荷台のある乗用車)が接近し、サイドにぶつかってきた。TheBusのサイドの擦り傷程度で人身事故には至らなかった。しかし、満員バスの乗客は降ろされ、後続のTheBusを待たされた。TheBusの営業所から派遣された事故対応車がまずやってきた。続いて3台ものパトカーもやってきた。事故を起こした運転手から警官が事情を聞いたのち、写真を撮って運転手は去って行った。我々が乗っていた運転手側の責任はなく、相手の運転手の判断ミスかと思われる。
 
 昼食も食べずに歩き回ったので、少々疲れ、暑さのため目眩もした。スタジアム内でかき氷を食べ暑さをしのいだくらいで、水と氷だけで夕方まで動き回った。帰路、アラ・モアナ・センター内の白木屋で、遅い昼食と早い夕食を兼ね、カレーライス、餃子、シュウマイの食事をすませ、TheBus8番に乗ってイリカイに戻った。戻って暫くすると、太陽が沈みはじめサンセットが始まる時刻になった。そこで、イリカイ裏の中庭でサンセットを見た.今日も雲が地平線の彼方に広がり、美しい太陽の沈み方を見られなかった。雲が広がっていたお陰で、沈んだ太陽の光が雲を照らし、空が真っ赤に染まるという、いつもと異なるサンセット後の光景を見ることができた。12月が間もなくやってくるので、イリカイ中庭にクリスマス電飾が、また、ロビーにもクリスマスツリーが飾られはじめた。【2018年11月26日】

平成30年11月26日(月) イリカイ・ホテルにて記す