まず動く2

ブログ「まず動く」の写真容量が不足したため、ここに改めて「まず動く2」を立ち上げました。以前のブログ同様に、写真付き日記のつもりで投稿します。ご覧いただければ嬉しい限りです。
 
CATEGORY:2016 5回目のハワイロングスティ

ロングスティ総括(ハワイ大学がんセンタとえひめ丸慰霊碑)
 ハワイ大学医学部ガンセンターは、カカアコ・ウォターフロント・パークと隣り合わせにある。ここはALOHAタワーに近く、また、イオラニ宮殿、チャイナタウンにも近い。ガンセンターで研究者として働いている女性医学博士のJさんと数年前にある会合で知り合った。それ以来、毎年ハワイを訪れるときにお目にかかっている。いつか研究室を見学したいとお願いしてあったが、なかなか実現できず今回のロングスティで実現できた。見学日は土曜日とあって、研究している現場へ入れないが、パソコンを前に論文を作成する部屋に入ることができ、行っている研究の説明を受けた。部屋はオープンスペースで、明るくて仕事がやりやすい雰囲気だ。壁面には研究成果の一部が展示されてある。泥臭い工学の分野と異なり、理解し難い内容が多い。
 
 研究室見学の後、近くの公園カカアコ・ウォターフロント・パークに行く。公園の名前と場所は知らなかったが2001年2月に発生した「えひめ丸と米原子力潜水艦衝突事故」は知っている。この事故で尊い9人の命が失われた。その「えひめ丸」慰霊碑がこのカカアコ・ウォターフロント・パーク内の小高い丘の上に建立されていることはホノルル市の地図を見て知った。Jさんに案内をお願いして頂き慰霊碑を見に行った。大学から歩いて直ぐのところに公園はあって、その中の海に面した眺めのよいところに慰霊碑がある。この碑から21 kmのところで衝突事故現場があると慰霊碑にその距離と方向が記されてある。
 
 この碑に立ってALOHAタワー方面に目をやると横に大きな建物が見え気にる。それは建物ではなく、Pride of Americaという名の大型客船である。なぜ、気になるかというと、3年前のロングスティの時にその船に乗りハワイ4島のクルージングを行ったからだ。この船は土曜日にホノルルを出発し、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島を1週間かけて一回りし元のホノルルに土曜日に帰港するというクルーズ船だ。この船が「えひめ丸慰霊碑」から見える位置に停泊しているので、懐かしくなり注視した。あれから早3年が過ぎ、再び見ることが出来るとは思わなかった。
 
 このクルージングを行った時は、まず、1ヶ月のロングスティをイリカイ・ホテルで行い、荷物をイリカイの使われていない部屋に預けて船に乗り、クルーズ1週間後に帰り、それからイリカイに2泊したことを覚えている。この時は、ヨットハーバー側の部屋を予約した。ヨットハーバー側の部屋からは毎日サンセットが見える。反対のラグーン(潟)側だとサンセットは見えない代わりに、お隣のヒルトン・ハワイアン・ビレッジが毎週金曜日夜7時半に打ち上げる花火が真正面によく見える。ヨットハーバー側に泊まったのはクルーズしたこの時だけで、それ以外は花火が見えるラグーン側でロングスティを行っている。
 
 大学見学、えひめ丸慰霊碑、Pride of Americaを見た後、食通の人に有名なハーバーピア38にあるレストランに出向く。ディナーには少し早い時間であったが、新鮮な海鮮料理が食べられるというのでまだ客のほとんどいないHARBORレストランに入り、食事と団らんで楽しいひと時を過ごした。
 
平成29年1月26日(木) 自宅にて記す
 






ハワイ・ロングスティ写真で総括(ポリネシアン文化センター)
 昨年(2016年)11月末より一ヶ月間、ハワイホノルルでロングスティを行った。これで5回目のロングスティになる。これまでになく、よく動き回り、現地に住む日本人の方、ローカルの方と交流が持て、楽しい1月を過ごすことができた。すでにブログに投稿したことがほとんどだが、思い出にのこる印象的な訪問地の写真をまとめた総括を試みたので、その写真を投稿する。
 
 ポリネシアン文化センターへは、以前行ったことがあるが、もう一度改めて行ってみようと思いMakikoと出かけた。今回は、オアフ島北部にあるポリネシアン文化センターへ行くまでの途中観光があるツアーを選んだ。このツアーはホテルからポリネシアン文化センターまでの女性ガイド、ポリネシアン文化センター内では男性ガイド、ポリネシアン文化センターからホテルまでの女性ドライバーの3人にお世話になった。
 
 センターへ行くまでの午前中に「潮吹き岩」、「この木何の木・・・・・・」の木などのツアーをしながら、ポリネシアン文化センターへ向かった。途中、トイレ休憩という名のもとにお土産物屋に立ち寄り欲しくもないアクセサリーの強引な説明がありうんざり。ポリネシアン文化センターに着き、センター内で昼食を済ますと、センター内のガイドが丁寧にポリネシアン諸国の説明やトンガ、サモア、フィジーなどの人たちの家屋をまわり、その国の風俗習慣などを説明してくれた。一回りする間に、運河のような水上を移動するボートに乗った各国のダンサー達の踊りを見ることがでる。
 
 夕食はセンター内の大食堂でビュッフェスタイルだ。夜のショーが始まるまでの間、ショーの出演者が出番を待つ間に稽古をしている裏舞台を見せてくれた。ショーは写真撮影禁止だ。こうして、ショーが終わるのは夜の9時、それから1時間半ばかりバスにゆられてホテルに帰り着く。帰りのバスの女性運転手はなんの説明も話しもしない。ただ、黙々とくらい夜道を怖いくらい飛ばしてホノルル中心街へ向かって走る。
 
平成29年1月26日(木) 自宅にて記す
 






 ハワイのクリスマスと教会のクリスマス礼拝
 クリスマスというと雪の降る中をトナカイが引くソリに乗ったサンタクロースが子供達の待つ家々を訪れる姿が思い浮かぶ。他にもクリスマスパーティ、クリスマスツリー、クリスマスケーキ、クリスマスプレゼント、クリスマスソング・・・・・・といろいろなクリスマス関連行事、グッズ、催し物の様子が浮かぶ。若い頃、雪が積もるペンシルベニア州ベスレヘム市のリーハイ大学に2年間留学したことがある。そのとき、お世話になった教授が真っ赤な服を着たサンタクロース役になり、ソリに乗り近所の家々を回って子供達にプレゼントを配った思い出がある。その時のソリを引くのはトナカイではなく、我々学生達がトナカイ役を演じたことを想い出す。このような光景は雪が降る地方でのクリスマス風景で、半袖姿で過ごせるハワイでは雪降るクリスマスの光景は想像もつかない。
 
 ハワイ・ホノルルでは雪は全く降らない。そのため上述した雪の光景はまず考えられない。毎年12月に入ると、ホノルル市庁舎前には高さ15mもある大きなクリスマスツリーが飾られる。何年か前に見たのだが、マグロ、タコ、鯨など海の魚ばかりのオブジェクトが飾られた大きなツリーに驚いたことがある。市庁舎内にもホノルル市と関連ある公共団体が作った高さ2mぐらいのクリスマスツリーの力作が沢山展示されてある。関係者がそれらの出来映えを評価し、よく出来たツリーに順位をつけ賞を与えている。ホノルル市庁舎近くのイオラニ宮殿内の芝生で我々の大好きなロイヤル・ハワイアン・バンドが毎週金曜に演奏会を開く。このロイヤル・ハワイアン・バンド団員が作ったツリーも展示され、そのツリーが第3位の賞を獲得したアナウンスがあった。
 
 クリスマスシーズンになると、各ホテルあるいはショッピングセンターにはクリスマスツリーを始めとし、中庭にはトナカイ、サンタクロースなどが飾られる。夜になると電飾が輝きとても奇麗な光景が見られる。昨年のクリスマスイブはハワイ最古の教会と言われるカワイアハオ・チャーチ (Kawaiahao Church)のクリスマス礼拝に参加した。クリスマス礼拝そのものは見応えがあったが、牧師の説教は英語なので言葉がわからなく往生した。
 今年のクリスマスイブ24日には、日本人牧師のいるホノルル・キリスト教会で午後6時半より「クリスマスキャンドルライトサービス」があるのでどうかというお誘いを教会員のOさんから受けた。この教会は静かなマノア(マノアの滝近く)のハワイ大学近くにある。教会の歴史は古く90年前の1926年には伝道を始めている。日本人牧師が日本語で礼拝、説教を行うというので初めて参加した。普段の日曜礼拝は、日語部と英語部による日本語と英語の礼拝が行われているそうである。往きは教会員のOさんの車で送ってもらった。初めての参加であったので、受付でレイを掛けてもらい教会内に入った。開始時間になるとクリスマスソングを教会の合唱団と参加者が歌う。その後は、クリスマス特別礼拝の中でイエス誕生の寸劇が行われた。写真に見るようにハワイの土地柄ともいえる緩やかなフラダンスを交えたイエスの誕生物語であった。
 
 イエスが最後の晩餐でパンと葡萄(ぶどう)酒をとり「これはわたしの身体わたしの血である」と言い,新しい契約として弟子たちに分け与えたことに基づく儀式である聖餐式(せいさんしき)も行われた。最後に関牧師による説教が話され、クリスマス礼拝(キャンドルサービス)は終了した。終了後に教会員が丹精込めて作った軽食をいただき、教会をあとにした。【2016年12月24日】
 
平成29年1月17日(火) 自宅にて記す
 






「あなたと認知症」滞在最後に聴いた木曜午餐会
 木曜午餐会には毎週参加し、講演を聴いた。12月22日(木)の木曜午餐会は、今回の滞在中に聴講できる最後のチャンスである。講師は西村ちえ先生(聖ルカクリニック)、先生はネバダ州立大学卒業、ハワイで修士終了し、カルフォル二アUCLAでナース・プラクティショナーの資格を取得した上級看護師で、専門は老年看護である。ナースプラクティショナー(Nurse Practitioner, NP)とはあまり聞き慣れない職種であるが、主にアメリカ合衆国における上級看護職である。一定レベルの診断や治療などを行うことが許されており、臨床医と看護師の中間職と位置づけられる。その西村先生は研究者、調査だいすきな元気な女性で、その先生から「あなたと認知症 第二弾」という演題のお話しを聴くことができた。講演内容は我々夫婦に密接に関係するようになったので、ボイスレコーダーを胸の中に隠し入れ、熱心に聴講した。木曜午餐会では、まず講師の首にレイを木曜午餐会会長から掛けてもらう。講師紹介の後、パワーポイントを使った講演に入る。
 
 講演内容はとても興味深かったので、少し長くなるが概要を以下に述べる。
 歳をとると人は誰でも体力が衰える。同時に誰でも物忘れが多くなる。認知症になると、捜し物で一日が終わることもある。認知症になるとどのようになるかというと、ひどい物忘れが始まる。野菜の買い物に行って、玉ねぎを買い忘れた。このことは単なる物忘れである。しかし、買い物に出かけたことを忘れてしまうとなると認知症に一歩近づいたことになる。昨日の食事内容を忘れたのは物忘れ、たった今食事したことを忘れてしまうようになるとそれは認知症である。
 勉強をしたとか料理をしたなどの体験情報は、それを記憶して理解し判断をすることができる。自動車を運転し信号機のある交差点に差しかかった時、運転手は信号が赤色か青色か黄色か、対向車あるいは横断歩道で待つ人の挙動などを見極めている。運転の対処方法は自然に覚えていて、瞬時に状況を判断し危険を避けて運転する。これが普通である。
 
 計算がうまく出来なくなるとか、野菜の買い物に行って玉ねぎは幾らで、つり銭はいくらかの計算が出来なくなる。あるいは、タクシーに乗ったときのチップの計算などが遅くなるようなら少々問題が起こりつつある。これは、簡単な計算が出来なくなったからである。時間や場所あるいは他人や自分自身などに対する状況を認識する能力は見当識という。今日は何年何月何日とか、季節、年齢などの認識は時間の見当識、今いる場所は家か病院かといったことの認識は場所の見当識、自分や周囲の人が誰であるかの認識は人の見当識という。最近、高齢者が自動車免許更新するとき、車や動物の絵を見せられ、その後、話題を変えた話しをする。そして、改めて先に観た絵は何であったかを言いなさいという検査を必ず行う。このような検査は認知症の検査の一部である。
 
 実行機能とは、段取りをつけて行動することで、これが出来なくなるとそれは実行機能障害があるという。例えば、料理をしている間に電話が入り、話しをして戻ると今何を料理していたかが分からなくなる。あるいは、洗濯中に宅配便が届いたのでそれに対応している間に洗濯はすっかり忘れてしまい、洗濯以外のことを行うなどがその例である。
 
 運動や動作をうまく行えない障害は、運動機能障害という。これは例えばお葬式に参列し、おならをしてしまい笑い出すというように情動がコントロール出来なくなる障害である。情動が切れやすくなったり、怒りやすくなったりすることもある。物事に興味が薄れる、面倒くさくなる、以前のようにスムースに何ごとも出来なくなる。他人に依存しがちになる。すれ違いの人が挨拶していないのに、挨拶したという幻覚があるとか、「へそくり」が無くなっている、あの人だと特定する、お嫁さんがご飯を食べさせてくれないなどの妄想もある。昼夜が逆転したり、徘徊したりするという睡眠障害もある。今のことは覚えていなくて、昔のことは覚えている。怒りやすくなる。手足を大きく動かすことは出来るが、指先などの細かい動きはうまく出来なくなる。病状が進むと、場所が分からなくなる。日常動作に支障が出てくる。排泄、食事が出来なくなる。転びやすくなる。人の認識が出来無くなる。娘を他人と思う。運動機能の歩くことが出来なくなる。このようなことに気がついて、初めて認知症になったと気がつく。
 
 まず始めに医療者は、どうしたか、物忘れがひどくなったか、どのようなことが周辺で起きているかなどの問診をする。次に検査に入る。その結果、認知機能が落ちたと分かると治療に入る。しかし認知症の治療に効く薬は今のところ無い。進行を抑える薬を出し、運動を推奨する。物忘れにも種類がある。認知症の物忘れは、問診によりたずねる。ボケ、認知症、アルツハイマーだと断定してはいけない。なぜ、どうしてかをよく聞いてやる。忘れ物の原因は加齢なのか認知症なのかを確認する必要がある。認知症の薬だといって飲んでいる薬の確認をする。薬は効くまで時間がかかるので注意が必要である。
 
 きれいな着物を着て来診する患者の普段の生活レベルは分からないので、自宅訪問をする。するとゴミ屋敷のようで足の踏み処もないようなところに住んでいることが分かる。このことから、その患者は日常生活機能、洗濯、掃除、料理が出来ていないことが分かる。クリニックスを訪れるだけでは、患者の生活機能は分からないので、家族からの意見はとても重要である。同じことを何度も言う。物忘れがある。あれ、それ、これで思いだせばよい方だ。夕方なのに朝だという。いつの間に朝になったのかねえ、などというので家族が相談にくることもある。
 
 薬が溜まっている、薬はないというが薬は沢山残っているというような薬の管理が出来なくなる。物事に興味がなくなり、薬はどこにおいてあるのか分からず鬱症状になる。朝起きて食べる、排泄、着替える、風呂、顔を洗う、歯を磨くなどの生活機能を強化する必要がある。脳卒中は、頭の中に血が溜まるので起こる病気である。トイレが近くなるので水を飲まないで脱水を起こす人が多い。脳障害系の予防には、水をよく飲むとよい。お茶とコーヒーを飲んでいるからといって水は飲まないというのは間違いである。体に水分がなくなったら血液は流れなくなる。血液は酸素を運ぶので血液循環はとても大切であることを知るべし。水分補強は大切で、一日に1.8リットル~2リットルの水を飲むとよい。お茶・コーヒーはカフェインがはいっているので利尿作用があるので要注意である。
 
 栄養失調を起こさないために動物性タンパク質は必要である。ビタミン類、鉄分、ビタミンBが不足すると認知症状になりやすい。薬は病気を治してくれるが副作用があるのだという薬の作用を知るべきである。認知症の薬は、アレルギーの副作用を起こすことがあるので要注意だ。
 
 鬱病は気の持ちよう、心の持ちようでは治らない。血を採って分かることは、脱水、電解質、塩水などのバランス状態である。認知症機能症状に関係するのは、尿検査、薬物検査である。脳卒中は頭の中の血管が切れるために起こる認知症である。アルコールによって起こることもある。認知症の検査は、「ここは何階ですか」、「計算を行う」、「物の絵を見せ、あとでその絵は何かを聞く」、「時計を描く」などの検査である。認知症と診断されると、薬を使うが、進行をおくらせるだけで認知症を直すことは出来ない。筋トレ、脳のリハビリで認知症はおくらせることはできる。自分の家で生活するための認知症のサポートがある。
 時間が少々オーバーしたので、今日はこれで終了し、この続きは先生との交渉にもよるが、半年先にでもお願いしたいと木曜午餐会会長から講演のお礼とお願いがあった。次回は12月29日(木)の今年最終の木曜午餐会は、講師 上原進助牧師「木曜午餐会100年の歩み」であるとの連絡があった。これから分かるように木曜午餐会は、「一生青春、一生勉強」を信念とし、来年9月に100周年を迎える(1918年創立)。【2016年12月22日】
 
平成29年1月12日(木) 自宅にて記す
 






オアフ島最西端「最果ての地・カエナ・ポイント」でアホウドリに会う
 ビーチに長々と横たわっている姿がとっても可愛らしいハワイアン・モンクシールとアホウ鳥が見られることを期待してカエナ・ポイントにやってきた(写真中上)。ハワイアン・モンクシールは、現在1,300頭から1,400頭しか生息していないと言われ、絶滅が危惧されている。このアザラシに会える可能性の高いところがオアフ島の最西端のカエナ・ポイントである。
 野犬などの野生動物が入り込めないようにカエナ・ポイント周辺一帯に柵が張られてある。人が柵内に入るのには2重ドアのゲートを通過しなければならない(写真左下)。最初のドアを開けゲート内に入り、ドアを閉める。次のドアを開けて柵内に入るという2重ドアをくぐらないと入れないようになっている。このようにするのは、扉が1つだと開けたとたんに野犬などが瞬時に柵内に入り込むことを防止するためだという。

 柵内に入ると広い砂浜だ。カエナ・ポイントへ向かう砂地の道両側にロープが張られてある。よく見るとロープの向こうにアホウ鳥が卵を抱いている姿があちらこちらに見られる。一羽のアホウ鳥がロープ際に座りこみ卵を抱いている。人間が近づいても驚かずにじっとしている(写真右中央)。アホウ鳥が飛ぶ姿を見たが、羽根を広げた姿は2mぐらいあるかと思われるほど大きい。
 一方のアザラシは、見当たらない。誰かがあそこにいると指さすが岩とよく似ていて、アザラシだと特定するのは難しい。望遠鏡で覗くと、岩と異なり丸みをおびているのでアザラシであることが確認出来る。今日は一匹しか確認出来なかったが、多いときは何頭ものアザラシが砂浜に寝そべっているという。
 カエナ・ポイントの近くに海岸に向けて設置されている用途不明の大きなコンクリートブロックが放置されている。同行した自然保護団体の人の説明によると、第二次世界大戦中、日本軍が接近することを早期に発見するための監視塔であったという(落書きされている写真左中央2枚)。

 写真左上の景色を見ながら昼食をとり、歩いてきた道を逆に歩き、舗装道路沿いにある駐車場に午後2時ごろ戻った。自然保護団体の人が持参した冷えた缶ジュースが配られ、ジュースで乾杯し、各自が乗ってきた車で 帰路についた。長時間歩いた後であったので、ジュースがこれほど美味しく感じたことはこれまで経験したことがない。ともかく美味しかった。舗装道路を歩く10km・レース・デー・ウォークは、今年も無事に歩けた。山道あるいは今回のような不整道路を歩いたことがまずないMakikoは、10 kmの悪路を歩けたことに対し自分でも驚いている。その影には同行のハワイ大学研究員のJさんの支援と激励が大きい。Jさんに感謝する。【2017年12月18日】
 
平成29年1月3日(火) 自宅にて記す
 






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