22.麗江古城
雲南省は北京から西に飛行機で3時間以上かかる。にも拘わらず北京時間を使い、時差が無いので19時を過ぎてもまだ昼間の様に明るい。黒龍潭公園の見学を終え一度ホテルでチェックインを済ませ、一時間ほど休憩してから、世界遺産麗江古城を見学することにした。二夜宿泊予定のホテル「古雲杉大酒店」は香格裏拉通りと七星二街との交差点に面した高層のビルで、麗江古城までは
5kmもなく、歩いて行ける距離であった。
ホテルで一服して、麗江古城に着いたのは17時過ぎであった。三筋ある川が合流したところに大きな水車と、「世界遺産麗江古城 江沢民 一九九九年五月二日木府」と刻まれた石壁とが建った広場(写真1a)では記念写真を撮る観光客でごったがえしていた。そこで記念写真を撮ったあと、一筋の運河に沿って歩き始めた。運河と、それを跨ぐ橋、運河に沿った通路、柳の並木、通路と運河を仕切る花壇には金盞花やつつじやブーゲンビリアが植えられている(写真1b)。更に行くと、ナシ族の民家と運河と石橋道路から運河水面まで石段が下ろされ(写真1c)、ここが観光地になる前は、人々が取り立ての野菜を洗ったり、洗濯をしたのかも知れない。
そして坂を上ってゆく。坂は急なのぼり坂で、道の両側にはいろいろなものを売った店が間断なく続いている。京都清水の産寧坂と雰囲気が似ている。途中で粉菓子を買った。途中比較的大きな土産物屋があったので、覗いてみると、店番は女性がやり、男性達は奥でトランプをして遊んでいるのである(写真1d)。その様子に目を遣っている自分にガイドの鄭さんは、「ナシ族は一家を支えているのは女性で、男性は何もやらないのだ。やるとすれば観光ガイドの説明の勉強程度ですよ。」とのこと。完全に女性上位なのである。
そして登り坂が終わり高台の見晴らしの良い客席のある店に入り込んだ。正面には、瓦屋根が隙間無く並んだ瓦群が見える。屋根は四合院の屋根が縦方向と横方向で一セットとなり、しかも同じ色、同じ形の瓦を使っているので、如何にも整然とした感じがあり美しい(写真2a)。遠方にあるビルも臍を曲げず同じ色をしている(写真2b)。これだけ屋根が平らかに見えるのは階数が全て同じなのであろう(写真2c)。屋根瓦の先端に目を凝らすと、その後ろに玉龍雪山が控えていた(写真2d)。
運河は三本あり、それぞれ異なる表情を呈している。真っ直ぐ伸びた川面には柳の木が映る(写真3a)。くねった川の臨水路は家並みが直線で造られているので、どうしても道幅が狭くなるところがある(写真3b)。そのようなところは利用しにくいのか、臨水路を隔てて建っている店も比較的地味であった。
また、運河ぎりぎりに建てられた店の入り口が運河側にあり、そこと臨水路との間に沢山の橋を渡した店もあった(写真3c)。その様な店に限って赤い提灯を無数に掲げていた。酔客が橋から落ちてしまうこともあるのではないかと余計な心配をしてしまった。
ガイドの鄭さんが、「こういう店はお酒を飲むのが目的ではなく、自慢の声、演奏を披露する場で、深夜遅くまでやかましい。」とのことであった。たしかにこれまでの中国旅行で気がついたことであるが、中国人は面前で歌ったり、踊ったり、演奏することに恥ずかしさを全く持たない。そんなことよりも、同好の士が集い、一緒に歌ったり、踊ったり、演奏することに限りない楽しさを感じるのであろう。
店の前が比較的広幅の臨水路となっているところには多くの人がたむろしていて、中には民族衣装をまとった人達の姿も目に入った。恐らく店員達で、これから忙しくなる前にリラックスした一瞬なのかも知れない。
ところによっては赤提灯の代わりに不思議な飾りをぶら下げている店もあった(写真4a)。まるで人工衛星を縦にして上側に三度傘を引っ掛けたようなものだったが何を意味しているか皆目見当がつかなかった。ある通りで、振り返ってみて、少し仰角を上げてみると柳の向こうに玉龍雪山の悠然とした姿が見えることに、鄭さんの指摘で気がついた(写真4b)。
そして場違いなところに馬がいると思ったら。鄭さんが、「ここが有名な茶馬古道の要衝なのです」と教えてくれた。その雰囲気を観光客に味合わせようとして馬乗散策という観光商売なのだ(写真4c)。そういえば、雲南省北部を支配していた木氏一族が南宋末に本拠地を白沙から麗江に移してから、清末までの交易路がこの地域にあったことを思い出した。
そして、鄭さんお勧めのみやげ物店に入り、息子達への土産のTシャツと、トンバ文字と漢字で自分の苗字が刻まれる印鑑とを買った。トンバ文字の印鑑は二回目の購入だったが、一度目とトンバ文字が異なることに後で気がついた。該当するトンバ文字が無いということで初回のは、漢字の持つ意味から近い意味のトンバ文字を彫ったと言っていたが、今回も同じだろうと推量していたが、それにしてもあまりにも異なる。近い意味のトンバ文字を使った、ということなら、作成者の作為が入る。その作為の内容の
違いなのだろう、そう思うことにした。
もとの水車のある広場に戻りかけたところで、鄭さんが、「折角なので一人で自由に歩いてみませんか?」と提案してきたので、賛成した。「三本の運河は流れに沿って歩けば、どの運河でも必ず水車のある広場にたどり着く」という言葉に後押しされたため
であった。そして、水車のある広場で落ち合う時刻を決め、自分の勝手気ままにそぞろ歩き始めた。茶馬古道広場に戻り、さらに足を伸ばしたが、疲れても居たので途中で引き返し、ゆっくりとした歩を止めては、続けながら水車のある広場にたどりついた。
近くにあったベンチに腰掛け、行き交う観光客を見ていたが、予想以上に欧米人が多いのに驚いた。しかも殆どが中高年であった。頭が白いのは殆どが欧米人か日本人(自分)であり、中国人に白髪が少ないという現象はここでも違わないことだった。
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