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3)日本人と中国人(9)= 医師 周榔 =
しかし、紅蓮は17歳の周鴇蕾を見ていてつくづく思った。自分がこの運河を必至の思いで下ったのは同じ17歳だった。まるで、世の中に押しつぶされそうな思いをした。
しかし、この周鴇蕾はどうだ。屈託が全くなく、明るくのびのびしている。それだけ中国も変わったということか。しかし、だからと言って、この国に戻りたいと思わない自分を持て余してしまった。
陽がかなり傾き、路地に投影された槐の樹の陰も大分長くなってきた。これからいくら時間が経過しても暗黒の世界には決して突っ込みはしないことが、人々表情から読み取れる。
あの時は本当に暗黒だった。どこを探しても、どんな小さな灯火も見えはしなかった。そんな暗黒の中を、両親と東伝との4人でこの住地を逃れ、先ずは以前東伝が居候していた太湖河畔にある船宿に向かい、両親をそこに残し、また同じ運河を逆行し、上海に向ったのだ。烏蓬船に乗ったのは同じメンバーの両親、東伝おじさん、そして自分の4人全員かと思ったが、両親はそこに残ると言った。あのときの驚きと心細さとは、かつて経験したことがない厳しいものであった。しかし、両親の決めたことであり、両親の必至の形相をみると、いやとは言ってはいけない一途さを持っていた様に思う。
もしかしたら、あの時の自分は今の自分より強かったのではないかとも思えるのだった。しかし、それゆえに物事に動じない自分が形成されたのだとも思うのであった。
あの逃避行で生き残っているのは、自分だけである。そして、生き物では無いが、四面聖獣銀甕である。ここにあった自分達の家を捨てる時、父鉦渓は金目になるものの殆どを持ち出し、残りを、庭に埋めていた。
そして、両親と離別するとき、その中でも、とりわけ高価なものを紅蓮と東伝に渡し、路銀の代わりにするようにと言って見送ってくれた。渡村(とそん)のあの船問屋はどうしただろうか。
親切な夫婦であった。きっと両親を安全に匿ってくれたのだろう。明日は、渡村の船宿を訪れてみよう。そして両親を匿ってくれたお礼と、東伝さんが亡くなったことを報告しないといけない。
そういえば、あの時船着場を後にするとき、両親は、暗闇にまぎれて姿が見えなくなるまで、何度も何度も自分達に向って、頭を上げ下げしていた。
しばらくはその姿を思い出すと、東伝さんに自分のことをよろしくたのむという意思表示だと思っていた。しかし、今思い出して見ると、あれは自分に対して、「離れ離れにして申し訳ない。」という気持ちと、「どうか自分達の分も含めて幸せに生きて欲しいという。」切なる親としての願望を精一杯表していたのだろう。」ということになる。
そう思うと目頭が熱くなると同時に、一刻も早く母に会いたい気持ちになるのである。
これから、周瑯と会えば、母の所在が分かるかも知れない。もし分からなかったら、渡村へ、そこでも分からない場合は河南の、父と一緒にすごした黄河河岸の住地までも行く覚悟はしてきている。
そんなことが走馬灯の様に胸中を巡るのであった。先ずは周瑯の話次第だ、と思っていると、次第に近づいてくる靴の音に気がついた。
振り返ってみると、40歳半ばと思われる折り目正しそうな紳士が近づいてきた。
鉦倫と妹の鴇蕾がその紳士に向って、ともに手を大きく挙げ、それに答える様に、大きく手を振っているので、その紳士こそ周瑯に違いないと思えた。
その兄妹と一緒にベンチに座っているのが薄紅蓮であるとはまだ分からないであろう、と思っていたが、20mくらいの近さになって、紳士は小走りになり、「もしかして、薄紅蓮さんでは?」と大きな声で叫んだ。
鉦倫と鴇蕾との仕草から確信したのだろう。そして、突然地べたに膝をつけ、頭を上げ下げし始めたのだ。
その様子から、周瑯にとって、この25年が如何に重いものであったかということが想像できた。鉦倫と鴇蕾も目頭を熱くしているのが読み取れた。
自分にとって長い25年間だったが、周瑯にとっても長い25年であったのだろう。誰にでも、自分と同じか、それ以上の人間には自分と同じ25年の歴史を刻んできているのだ。
そんな思いを胸にしまい、両手を差し伸べて、周瑯の腕をとり立ち上がらせた。そして、そのままの手組で、今度は紅蓮を家の中に誘った。
玄関のライトがつくと、周瑯の面持ちが見受けられた。その顔は紅蓮の父や東伝が持っていたのと同じ温厚さを漂わせていて、思慮深く、慈愛に満ちたまなざしが感じられた。周瑯がまだ紅衛兵に身を投じているときは、目は鋭く、血走らせていた記憶があり、これが自分と同じ年の成人かと驚きを感じたことを覚えている。これも25年という歳月がなせる業かと、思わざるを得なかった。
診察室の奥の方から白衣姿で紅蓮と同じ位の女性が笑みを浮かべながら現れた。奥さんであろう。鉦倫と鴇蕾にとっての母親である。
その女性に向って、「探し続けていた人がついに現れてくれた。今日は本当に良い日だ。応接に案内するので、飲み物を持ってきてくれないか。
お前達も話に加わると良い。今夜はここに一泊していただこう。病室になってしまうが、清潔なので我慢してもらうことにしよう。いくらか消毒の匂いがしますが構いませんか?」と紅蓮に顔を向けて同意を求めた。
紅蓮は、「私も日本では医療に携わっている身ですので、消毒の匂いには慣れています。それより突然お邪魔することになって、かえって迷惑じゃないかと申し訳けなく思っているところです。あまりお構いなくして下さい。」
「いやいや、とんでもない、あなたの家だったところです。何もできませんが、どうか存分に寛いで下さい。」
「ありがとうございます。私の両親についてのなんらかの情報がつかめると有難いと思っているのです。話に少々付き合っていただけると有難いのですが、よろしくお願いします。」
「あなた方ご一家が仕打ちから逃れてこの住地をさられてからの25年間のことを知っている限り全てお話するつもりですよ。」
そんな会話を交わすうちに応接室についた。
応接室といっても細長いテーブルの周りに、座布団を乗せた木製の椅子が六脚配置されているだけの質素なもので、日本ならとても応接室とは呼べない部屋であった。
部屋の片隅に大きな青磁の鉢があり、そこに植えられた牡丹のピンク色の花が、その部屋を引き立てていた。五月といえば丁度牡丹の花咲く時期である。全員着席してから周瑯が口をひらいた。
「紅蓮さん、紅蓮さんは私の息子と娘の名前を聞かれました?長男は鉦倫(しょうりん)、こちらは妹の鴇蕾(ほうらい)といいます。
長男にはあなたのお父さんの鉦を、妹にはあなたの母上の蕾をつけています。それほどあなたのご両親には、一生かかっても償い切れないほどの感謝の念と尊敬の気持ちを持っています。」
「先ほど息子さんと、娘さんのお名前を教えていただき、両親の名と同じ文字が一字づつ入っていることに気がつきました。ですが、償い切れないほどの感謝の念と尊敬の気持ちというのはどういうことなのでしょうか?一体何があったのでしょうか?」と問う紅蓮であった。
つづく