槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2010/08/15 13:41:02|物語
西方流雲(86) ---66-3)日本人と中国人(8)---
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    3)日本人と中国人(8)= 医師 周榔 =

  紅蓮の口から出てきた話は、西畑とママさんにとっては、引き込まれる様な興味深いものであった。

  紅蓮は蘇州観光ツアーの団体と別れ、昔の記憶を辿りながら25年前まで両親と一緒に過ごした楓橋路を運河に沿って西に向って歩いた。運河に沿って歩けば、伐採されていない限り、槐の大木に出逢う筈であり、運河に沿った小路を隔てて家があるはずなのである。

  以前、東伝には知り合いの貿易商に託された父からのメモがあり、それによると、文化大革命の余波がなくなったので太湖の渡村からここ楓橋路の自宅に戻って生活している、ということになっていた。

  そのメモには、決して自分達に手紙を出すなとも書かれていた。それをかたくなに守っていたので、今回の旅についても手紙は出していないのであった。

  運河に沿った小路を歩いているうちに、ひときわ大きな樹が100mほど先にあるのが目に入った。視力の良い紅蓮でも樹の種類までは見分けられなかった。柳か槐か見分けられなかったが、先ほどから柳絮(りゅうじょ)が頬を掠めながら浮遊し、漂っているのに気がついていたので、柳であろうと思っていた。

  その手前で二人の若い男女がベンチに腰をかけているのが目に入った。恋人同士か、中国も随分変わったものだと独りごちた。
  更に歩を進め50mくらい手前のところに来て、その大樹が柳ではなく槐ということがはっきり分かった。
  それを見あげながら急に表情をほころばせた紅蓮をその男女が見て、表情を変え、互いに意味ありげに顔を見合わせたのが分かった。
  顔がよく似ているので、恋人同士ではなく兄妹かも知れない。きっと自分達が日本へ旅立った後に生まれた世代だろう。
  槐の大樹の手前10mくらいのところにいた彼らをやり過ごし、その槐の大樹のすぐそばまで来て、大樹と小路沿いにある一角に交互に目を向けた。そこは自宅があったところである。
  しかし、そこにあったのは病院らしき建物であった。両親はここにはいないという予感が強くなった。そしてついに槐の大樹に触れられるところまで来た。自宅はなくなっているが、その槐の大樹はあきらかにあの槐である。運河の流れも当時と同じだし、向こう側に見える太鼓橋も多少化粧直しはされたようだが同じ佇まいである。
  その橋の下から船に乗った東伝が現れたのが東伝との初めての出会いであった。
  そのときの光景も交わした言葉も25年経た今も鮮明に覚えていた。
 〜〜〜〜
  太陽が、ちょうどその橋のあたりまで落ち、まぶしいけど、その紅く染まった夕陽に見とれ、紅蓮は手をかざしてそちらを見ていたら、その橋の下をくぐって東伝おじさんと、野菜等を乗せた烏蓬舟(うほうせん)がやってきて、この同じ場所を通りがかったのである。
  紅蓮が今たたずんでいる足元にあり、路面から水面に突き出た、こぢんまりとした石段に舟を着け、東伝おじさんが舟から下りてきた。そして、
  「お嬢ちゃん、何か用かな?手招きしていたみたいじゃったが。」
と言いながらその石段を上がってきた。
  紅蓮は杖を立てて船首に立っている白髭の老人の姿が、父から聞いたことの有る封神演義(ほうしんえんぎ)に出てくる
崑崙山(こんろんさん)の仙人の様に見え、自分の方に近づいてきても、恐怖より好奇心に駈(か)られ、舟が近づいてくるのを待っていた。
  そして、石段を、杖をつきながら上がってきた東伝おじさんに向かって、
  「おじさん誰?崑崙から来たの?」
と、か細い声で聞いてみたのだった。
  「わしは千年かけてここまでやってきたんじゃよ。」
というのが答えであった。その時、紅蓮のそばに佇む槐(えんじゅ)の樹が、ざわっと、身震いするように揺れた感じがした。
〜〜〜〜〜

  その槐に、その時と同じように手のひらをそっとあててみた。何か暖かいものが紅蓮の体の中に染み込んでくるような気がした。
  紅蓮が生まれる前からここに佇み、全てを見てきた槐である。自分がここに居なかった歳月の出来事を、その暖かいものとして自分に注ぎ込んでくれたような感覚になった。この樹だけは自分を覚えてくれていたのかも知れない。

  そんな気分に浸っている紅蓮の背後から、中国語で、
「もしかして、薄(ボウ)さんではありませんか?」
という女性の声を聴いた。振り向くと先ほどの若い男女が近づいてきて嬉しそうに話しかけてきたのであった。
  紅蓮もにこやかに、「そうです。薄紅蓮という名前ですが、どなたですか?」と返事をした。
  「僕達は周という名前です。ご存知ないと思いますが、父は周榔という名前で、そこの病院で医師をしています。」
紅蓮はその名を思い出せなかったが、そこの病院ということは、そこには以前自分の家があったところであり、いきさつを知っているのではないかと思い、興味深げに、
  「失礼ながら、お名前に記憶はありませんが、私は以前25年以上も前ですが、そこに住んでいたのです。」
  「そういう話なら父が探していた人に間違いありません。これでやっと僕達の任務が終わります。父は今外出中でもう少ししたら戻るはずです。父も大喜びしてくれる筈です。それまで、しばらく槐の樹と運河が見えるあちらのベンチで話をさせていただいてよろしいですか?」
  「勿論結構ですよ。お父さんとも話しをしてみたいですね。ところで、あなた方のお名前は?」
  「僕は長男の周鉦倫(しゅうしょうりん)、こちらは妹の周鴇蕾(しゅうほうらい)と言います。僕は19歳、妹は17歳です。僕は医大生、妹は看護学生です。」
  「妹の鴇蕾です。よろしくお願いいたします。それにしてもお若くお美しい方。父と同じ年とはとても思えないです。」
  「いえ、いえ、そんなことありません。あなた達に比べれば、おばあさんですよ。もう42歳なのですよ。でも不思議な因縁ですね。私の父は鉦渓、母の名前は蕾蓮というので、それぞれ一文字づつ同じネ。」
  それを聞いて大きく頷きながら、「その通りです。僕らの名前は、あなたのご両親から一文字づついただいたと父から聞いています。その理由はあとで父から聞いて下さい。」と鉦倫は言ってから先をつづけた。

  「僕達は毎日交代でこのベンチに座りつづけて、あなたの現れるのを待っていました。15歳になったその日に父から、ここに大事な人が現れるので、それまでこの槐の樹の下で毎日辛抱強く待つ様に言われたのです。妹が15歳になってからは交代になりました。最初は、女の人とだけ言われていたので、母に後ろめたい気持ちがありました。
  ですが、あるとき母からもその人を待ち続けて欲しいということを言われ、そうしてきたのです。最初はどうして待ち続けねばいけないのか何も聞かされていなかったのです。ですから、ここに居続けるのが苦痛になり、途中で逃げ出したり、居眠りをしたりでとても待ち続けるという状態ではありませんでした。ところがある日、やはりこのベンチに座っているうちに居眠りをしてしまったのですが、その時不思議な夢を見たのです。」と言いかけたところで、今度は妹の鴇蕾があとを継いだ。

  紅蓮が目を運河に向けると、一艘の烏蓬船が陽を受けてキラキラと行きすぎてゆく。まるで時の流れのようだ。あの時自分達は必死になってこの国からの脱出を試みた。烏蓬船に身を任せ、紅衛兵に見つからないように、それ以上は不可能なくらいに身を縮め、音を立てないように、櫂を漕がずに流れに身を任せたのであった。目の前の運河がその時の運河と同じものとは信じられない紅蓮であった。そして、その時、その腕にしがみついてた東伝おじさんは天界の人となり今はいない。両親も一時的にここへは戻ったようであるが、消息が分からない。

  妹の鴇蕾が話を続けた。
  「私がこのベンチであなたの出現を待つ様になったのは、兄より二年後で私が15歳になったときからです。すでに兄が同じことを毎日やってましたので、私は何の抵抗もなくここに座って待つことになったのです。後で分かったのですが、実は私も兄と全く同じ夢を見たのです。私はここに座って本を読みながらあなたの出現を待っているうちに居眠りを始めてしまったようなの。突然あたりが暗くなり、ゴーゴーという凄い音を立てながら風が吹き始め、いつの間にかあの槐の樹が無くなっているのです。」

  今度は兄の鉦倫が続けた。
  「その代わり、あの太鼓橋の橋脚あたりがボ〜っと急に明るくなり、そこから小船に乗った小柄な白髪の老人が湧き立つように現れたのです。そして、どんどんこちらの方へ近づいてきて、岸辺にあがり、『わしは千年かけてここまでやってきたんじゃよ。』というのです。そして、『あの者たちはいまだにやってこんが、一体何をもたもたしとるんじゃろ。君達は毎日ここにいるので知っているじゃろ、あの者達のことを。』と聞くのです。
  そのころには少しは父から、ここで待っている人のこととと、薄家のことを聞いていたので、『少しだけ知っています。』と答えたのです。するとその老人は、『最近のことを本当に少しは知っているのだな?』と言うものですから、『最近のことは全く知りません』と正直に答えたのです。すると老人は、『また出直しだ。次にわしがここに来るのと、その者がここに来るのとどちらが先になるか分からんが、もしその者が先に現れたら、これを渡してくれんかの、といって青金石(ラビスラズリ)で出来た飾り石を渡してくれました。ところがそれを受け取るときにそれを落としてしまったのです。その途端に再びゴ〜、ゴ〜という凄まじい音が聞こえ、同時に夢から覚めたのです。
  槐の樹はいつもの様にいつもの場所にあったし、運河の流れもいつもと何も変わっていなかったのです。そして何気なく、足元を見たら、なんとその青金石で出来た首飾りが落ちていたのです。夢だった筈なのにです。妹も全く同じ内容の夢だったそうです。』

  そして今度は妹があとを続けた。
  「兄は、父に、その青金石で出来た首飾りを見せました。すると父は、『親の物を勝手に持ち出して、なんと恥知らずの息子か』と烈火の如く怒り始めたのです。兄は何故怒られているのか分からずキョトンとしているだけでした。」
  「怒りが鎮まるまで待つしかないと思ったのです。」と兄鉦倫が続けた。「父はあの様な怒り方をするとき、必ず怒りながら何かを思い出すのか、すぐ鎮まるのが分かっていました。父は若いときに、ある人に烈火のごとき怒られかたをした経験があるようなのです。その時のことを急に思い出すのでしょうね。その後、夢のことをこまごまと父に話をしたのです。父はおもむろに立ち上がり、天井に接するようなところにある引き出しを開けてみたら、中に全く同じ材質、形、飾り、色の首飾りがあったのです。父は僕に詫びると同時にこの不思議な偶然に戸惑うばかりでした。」
  「私の時も全く同じ状況で、足元を見たら、青金石で出来た首飾りが落ちていたところまでも同じでした。私は前例があったので、全く怒られずにすみました。
  私は、『全く同じものが三つもあるなんて不思議ね。お父さんはどのようにしてこれを手にいれたの?』と父に言ったら、   『お前達と同じだ、運河の河岸に落ちていたのだよ。』と、そして何か思い出しながら、『三つではなく四つだ。』というのです。」

  その時江蓮が話しに割り込み、「これでしょ、残りの一つは。」と身につけていたペンダントを二人の前に見せた。紅蓮は兄妹の代わる代わるの話を聞いているうちに、彼らの父周榔のことをはっきりと思い出していたのである。
  「そうです。そうです。これと同じです。」と兄妹は驚愕の声を上げた。そして、「これだけ精巧な形を四つも作れるなんて、本当に崑崙の仙人の仕業に違いない。」と思わず口走るのだが、それは紅蓮の思いも同じであった。
                    つづく







2010/08/15 12:54:31|その他
西方流雲(85) ---66-3)日本人と中国人(7)---
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       3)日本人と中国人(7)

  そして紅蓮も、まるで、今日のうちに、全てすっきりさせて胸のつかえを吐き出してしまおう、そんな雰囲気を西畑はひしひしと感じ、話を切り上げようという提案をひっこめざるを得なくなった。
  その代わり、「ママさん申し訳ないね。こんなにおいしいコーヒー申し訳ないね。ママさん特製のブレンドコーヒーの様ですね。」
  「分かりました?ブルーマウンテンをベースにした特製マサラコヒーです。まだありますので、遠慮なく、お代わりして下さい。紅蓮さんも、遠慮なくね。」
  「ありがとうございます。」との紅蓮の一言を合図に、話の続きが始まった。
  「運転手による後日談の話でしたよね。.....先ほど対向車をよけた時に沢に転落した、と先ほど言いましたが、後日談というのは、どうも対向車ではなかったのではないか、ということなのです。」
  「何だったのでしょう。私は何故タクシーなんかで行ったのか、それ自体不思議に思っていて、単なる事故ではない様な感じがしていたのですがね。」と事故ではなく事件だったのではないか、とそんな目つきでママさんを覗き込み続きを促した。
  「何故タクシーなんかで、という理由までは聞いていませんが、そのタクシーの運転手による後日談では、『歩いている人のようにも見えた。』というのです。青白い姿をした人が突然現れた、と言ったらしいのです。どういうことか分かります?運転手が何故最初にそう証言しなかったか、というのが第一の疑問、運転手は濃霧で前方が良く見えないので、絶えず警笛を鳴らし続けたのに、何故道路の真ん中に人が歩いていたか、というのが第二の疑問なのですよ。」
  「そんなことがあったのですか。確かに不可解な話ですが、その様な尾鰭の話は、二つや三つではないでしょうね。いずれにしても、紅蓮さんは、随分辛い目に遭ってきたのですね。ところで、5年ほど中国に戻られていた間はご両親に会われたのですね。」
  「その通りです。あの5年間のうち最初の半年は中国各地を歩き回りましたが、残りの四年半は母娘の絆を取り戻せた幸せな歳月でした。きっと母もそう感じたと思います。」
  「母娘の絆、ということでしたが、お父様はどうされていたのですか?」
と西畑とママさんが同時に聞いた。
  「父は残念ながら、私たちが日本に逃れた年から数えて7年後に鄭州で他界したと母から聞きました。鄭州に行ったのは、父は以前から黄河を見たいと言っていたことを覚えています。私は父が文化大革命で大変な目にあったことが最後の記憶になってしまいました。でも最後は黄河を見ることが出来、また発掘作業にも関わることができ、中国最初の王朝の“夏”の証拠を掘り当てるのだと言って、毎日が楽しそうだったそうです。私が小さい頃は、よく“封神演義”などの話をしてくれました。中国の古代歴史が好きだったようです。」
  「お気の毒なことをしましたね。」
とまた西畑とママさんの言葉が重なった。そして西畑が、
  「そうすると、紅蓮さんにとっては最初の半年が大変だったのですね。」
  「はい。斉藤さんから話を伺った翌月、日本人のツアー観光客に混じって成田から上海に到着後、かつて蘇州の楓橋路にあった自宅界隈に行き、更に両親が身を隠す様に生活していた太湖湖畔の渡村まで足を伸ばしたのです。」
「蘇州の楓橋路と言ったら寒山寺のある辺りではないの?」とママさんが口を挟んだ。西畑も、「除夜の鐘でよくTV放送されるお寺でしたね。」と頷きながら同調した。
  「ですが、自宅はもうありませんでした。槐の大きな樹と運河はそのままでした。白い臨水壁の家並みも観光用に残されているだけで、生活臭はほとんどしませんでした。すっかり変わってしまった様です。」と話す紅蓮の目に映ったのは何だったのか。
        つづく







2010/08/03 0:20:05|物語
西方流雲(84) ---66-3)日本人と中国人(6)---
                   --前のはなし--
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       3)日本人と中国人(6)

  「西畑さん。斉藤さんに接してみると、紅蓮チャンたちが最初に出会った日本人が斉藤さんで本当に良かった、と思わせる雰囲気をもっている方なの。そういう意味では紅蓮さんというのは天運に恵まれているのよね。」

  それを受けて、西畑は、
「そういう星のもとに生まれた人なんだね、紅蓮さんは。」と時計を見ながら言った。そして続けた。

  「ところで、先ほど二人で中国に行った、と言いましたよね。もう一人の方は紅蓮さんにとってどの様な方なのですか?もし、差し支えなければ教えてくれませんか?」

  「呉太沖さんという名前の方で、この方も呉東伝さんと親しい人で、この方もときどき芦屋の斉藤さんの所に顔を見せ、三人で一日中話込むことがあったようです。
  漢方薬の卸業者で、今は帰化して福井県の熊川というところに住んでいると言われてました。
  私もこの方たちには京都でお会いしたことがあります。中国人ですから現地へ行ってから斉藤さんも助かったと思います。」

  「そうでしたか。そうすると、あとは事故の状況ですね。事故の状況はママさんが斉藤氏から詳しく聞いたのでしたよね?」

  「詳しくと言っても断片的だし、斉藤さんが現地の警察から聞いた話の内容も事実かどうか分かりませんけど、一応聞いています。紅蓮さんの聞いている話と違っているところがあったら指摘してね。」

  「はい、分かりました。」と紅蓮がうなずくのを確認してから、ママさんは先を続けた。
  「事故に遭ったところは白玉川とか言う川に沿った崑崙山の山奥の山道とのことでした。当局の報告では、たまたま紅蓮さんとの結婚についての打ち合わせで訪問していた東伝さんと一緒だったのです。
  紅蓮さんのご主人の葛(グツ)さんは東伝さんを案内して、雪蓮華という薬草採りに、ホータンから崑崙山脈の山奥の○○○村へタクシ−を使って行く時だったそうです。
  この薬草はどの様な病気でも治してしまう万能薬で、非常に貴重なもので、これを、紅蓮さんと葛さんとの結婚式に出席してくれた人へ、お礼に差し上げようとしたらしいのです。
  ところがそこへ行く途中で、もの凄い濃霧に襲われ、前から来た車とすれ違う時に路肩を踏み外してしまい、車もろとも沢に転落してしまったらしいのです。運転手だけ命が助かり、東伝さんと葛さんは命を落としてしまったとのことです。」

  「そうでしたか、運転手だけ助かった。ついてなかったですね。」

  西畑はそこまで聞けば十分だったが、ママさんは、更につづけるのであった。

  「その運転手からの話しには後日談があり、その話の内容も教えてもらったけれど、どうも納得行かない話しもあるのよね。」

  「これ以上は紅蓮さんの気持ちをさびしくさせるだけだから止めましょうママさん。」と西畑が言いかけたが、紅蓮は、
  「いえ、全てを知っておきたいのです。私は構いませんので続けてくれませんか。ママさん。」といって続きを促すのだった。同意を求めるまなざしを西畑に向けながら、

  「そういうものよね。大事な人を一度に二人も失ってしまったのだから。わかったわ。西畑さんも肯いてくれているので、続きを話しましょう。でも少し一服しませんか?いまコーヒーのお変わりを持ってきます。」
といってカウンターの方へ向った。

  西畑も、この中断で紅連の気持ちの落ち込みは少しは低減できるのではないかと思い、丁度良いと思った。西畑は身じろぎ一つせず、椅子に同じ姿勢で座っていたので、さすがに定年まじかの身にはいくらかしんどく背中が凝ってきた。
  そこで、椅子を立ち上がり、両手を持ち上げて背伸びをして凝りをほぐそうとした。

  そのときついでに四面聖獣銀甕を目にしたが、目が瞬きをしたようにみえた。用を足しにトイレに向う途中、すぐそばから、四面聖獣銀甕を凝視してみたが、何も変わった様子は見えなかった。紅蓮の方をみると、何か盛んに思いつめた表情になっている様に見えた。

  「いろいろ聞きすぎてしまったかも知れない。これで、もう切り上げよう。」と独りごちながらと椅子に戻った時には、ママさんが既に座っていて、「では続きを話ましょう。コーヒーを飲みながら聞いてね。」と切り出した。

            つづき







2010/08/03 0:05:53|物語
西方流雲(83) ---66-3)日本人と中国人(5)---
                 前のはなし
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       3)日本人と中国人(5)

  西畑はさきほどの沈痛な面持ちが多少和らいだように、感じた。一方で、分かりかけたその理由がまた振り出しに戻った様に思い、そのうち分かるだろう、と独りごちた。

  そして、次に言葉に出たのは、
「話が、脱線してしまいました。話を戻してよろしいですか? 四面聖獣銀甕については、またゆっくり話を聞かせて下さい。ママさん、ママさんが、その斉藤氏とやらから聞いた情報というのはどの様なものだったのですか?」

  「そうですね。でもその前に、その斉藤氏と東伝さんや、紅蓮さんとの関係について分かっておいた方がいいと思うの。紅蓮さん、話せます?
  私もそのことについてはよく知らないの。実は、紅蓮さんが山の手病院で働くことになったときも、中国から日本に来ることになったきっかけと、その時、関与してくれた人たちって、どんな人がいたか話題になったことがあって、私、兄の息子から聞かれて答えられなかったの。
  またいつ聞かれることになるか分からないので、以前からその話を聞きたいと思っていたのよ。気が進まなければいいのよ。どうかしら?」

  「そんなことがあったのですか、知りませんでした。ママさんの思いやりで、聞かれなかったのですね。いいです。これから話します。」

  そして、それを長々と話し、話し終わる頃に西畑が時計を見るとすでに3:00を回っていた。ということは2時間以上自分の身の上を話し続けたのだ。

  その話には西畑もママさんもまるで映画でも見ているように引き込まれたのだった。西畑の経験では、これだけ上手に話すことが出来るのは、自分の人生を何度も何度も振り返り、反省し、時には自問自答しながら、生きてきた人達の場合であった。

  しかも目の前の女性は中国人である。日本人であれば味わえない苦労もしてきたであろう。また、この女性は日本人が忘れかけている、あるいは失いかけているものを持っていて、そして、それを日本人に気がつかせる何かを持っている。

  そんな感じがしてきたのであった。ここのママさんが、この女性に住居の便宜をはかり、医療の勉学に打ち込める環境を無償で提供しようと思った理由が分かった様な気がしてきた。
  また、かつて西畑が中国四川空港で見かけた異様な光景の理由の一部が分かった気がしてきた。

 ここで二時間に亘って紅蓮が西畑とママさんに語った話と言うのは、読者には、そっと教えるが、一度、この物語の中で紹介したことのある“運河の漣”と同じ内容だったのである。

  そして、斉藤氏との出会いについては、この物語に客観的に取り上げている内容と同じであったので、ここでは先を急がせるために割愛する。

  さて、彼らの話の場面に戻そう。

  「紅蓮ちゃん、よく分かったわ。波乱万丈の人生だったのね。東伝さんは、本当に人生の指南役だったのね。そんなに大事な人に先立たれてしまうなんて大変だったわね。斉藤さんという人は、先ほどの話に出てきた斉藤英爾と言う人ね。」

  「そうです。私たちが初めて日本の地を踏んだときに始めて知り合った日本人の方で、東伝さんは、神戸というより,芦屋だったのですが、そこの斉藤さんの家に厄介になっていて、斉藤さんの仕事のお手伝いをしていたのです。
  東伝さんの話では、日本に来たばかりの時は、中国を捨てた中国人と日本人の関係だったのが、年齢が近かったということもあって、親友同士になって、神戸を去る直前までは兄弟の様に感じる存在だと言っていました。
  日本のことについて多くのことを教えてもらった代わりに多くの中国のことについて話してあげた、と言っていました。
  きっと斉藤さんも東伝さんのことを同じように感じていたと思います。東伝さんは自分に何か起こったときは中国人にではなく、この斉藤さんに連絡してもらえる様に、いつも斉藤さんの名刺を身につけていたらしいのです。
  それで、今回の事故でも最初に斉藤さんに連絡があったのだと思います。」

  「そうだったの。でも斉藤さんに連絡があってから紅蓮ちゃんの耳に入るまでどうして一ヶ月もかかったのかしら、紅蓮さん、そのことは何か聞いているの?」

  「それは、別の機会に斉藤さんから直接聞いた話なのですけど、東伝さんは本当に私の行く末を心配してくれていて、自分に何か有ったときは、すぐには伝えないでくれ、と言われていたらしいの。
  気を動顛させないで済む方法を思いついてからにして欲しい、と頼まれていたらしいんです。電話では無理だ、ということで直接会いに来られたらしいのです。」

  「そうだったの。」とママさんは言いつつ、今度は西畑に視線を向け直して、つづけた。
  
             つづく







2010/08/02 23:50:02|物語
西方流雲(82) ---66-3)日本人と中国人(4)---
                   前のはなし
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       3)日本人と中国人(4)

  「東伝さんがお亡くなりになっていたとは知りませんでした。その時は、どれほど落胆されたでしょうね。しかも結婚されたご主人まで同時に失うとは、心痛の大きさは計り知れなかったでしょうね。」

  「そうですね。結婚した主人は新疆では名の通った若手の医師だったのです。と言っても日本のお医者さんほどハイレベルの医療技術を身に着けていたわけではなかったでしょうが。ただ薬についての知識や処方は誰にも真似が出来ないほど、天下一品で、すこしでも時間のある時は、険しい山の中に入っていって薬草を取ってきたらしいのです。ですが、薬草のありかを誰にも教えていなかったので、亡くなった主人の住んでいた地域からは急に病人が増加して大変なことになったということを後で聞きました。」

  「ご主人はお医者さんだったのですか。東伝さんは同じ医療に携る紅蓮さんのお相手に丁度良いと思って、一緒にさせてあげようと思ったのでしょうね。」

  「そうだと思います。ですが一緒になったとして、ともに働く医療の現場をどこにするかが問題になりました。日本だと主人にとって、言葉や資格の障壁が大きすぎて、実力を発揮できないだろうから、『中国の主人の在地にしよう。』と言ったのですが、主人は、最終的にはそうなるでしょうが、私が日本に居る間に自分も日本に来て、進んだ日本の医療を学びたい、と言って譲らなかったのです。」

  「そのとき、東伝さんはなんと言ったのですか?」

  「『それも良いだろう。自分より進んだものを自分に取り入れて大業をなそうとするのは、優れた人間が共通に持つ性だ。自分も出来るだけの協力をする。』と言ってくれ、一緒になることが決まったのです。」

  「そうでしたか。そこまでは良かったのですね。それから何があったのか、よければ話を聞かせてもらえませんか?無理にということではないので、気が進まなければ結構です。」

  「いえ、いいんです。つづけさせて頂きます。 ・・・、そこまでは、良かったと思ったのですが、主人のいない時、東伝さんは気になることを言ったのです。」

  「重大なことだったのですね。」

  「いえ、その時は重大なことか、どうか全く分からなかったのです。でも後で主人の日記がみつかり、『やはり日本での医療研修はやめれば良かった。』、と記されていたので、そのことと関係しているかも知れません。」

  「そうでしたか。その交通事故とはどの様な状況だったのですか?」

  「・・・・・・・・・・・・」
紅蓮が口篭っているところを見て、「そこまでは、聞いていないんでしょ?」
と、ママさんが助け舟を出した。

  「私はその時は、結婚の準備のために日本に居たのですが、一月ほども、その事故のことを知らなかったのです。実は二人の日本人のかたが現地にかけつけてくれて、かなり詳しくそのときの状況を聞いてきて下さったのです。」

  「ああ、私覚えているわ。一人は神戸から来ていただいた、確か斉藤さんとか言いましたよね。その方が帰ってから急に紅蓮さんが泣き出したので、一体何があったのかと思いびっくりしましたよ。いじめられたのかと思って、私はすぐ、もらった名刺の電話番号にダイヤルして事情を話してもらったのですよ。 そうしたら二人とも交通事故で亡くなられた、ということを聞き、どう慰めて良いか分からず、山の手病院で医長をしている兄の息子に相談したのですよ。」
と、ママさんが長々と話しをし始めた。

  そして、西畑記者と紅蓮を交互にみつめながら、ちょっと待って、という仕草をして、急に席を立ち、店のドアを閉じ、本日閉店が見えるように立て札をひっくり返してきた。そしてカウンターに行き、二皿に盛られたサンドウィッチを持ってきた。そして続きを話しはじめた。

  「今日はお客さんももう来ないでしょうから、店を閉めてきました。ということは西畑さんは、お客さんではなく、私達の仲間、なんでも言い合える友達、身内みたいなものです。いいでしょ?西畑さん。 ...このサンドウィッチ、今朝、モーニングサービス用につくった余りだけど、これをお昼代わりにして、話を続けましょ。それで紅蓮さんの肩に荷が少しでも軽くなればね。西畑さん、お仕事の方、大丈夫ですか?」

  「私は大丈夫です。何か急用があれば、ここへ連絡してもらうことになっていますから。大丈夫ですよ。私はあと数年で定年で、最近はもう忙しい役回りはないんですよ。」と紅蓮と四面聖獣銀甕の方に視線を向けながら言った。

  そして続けた。「いやア、先ほどからあの四面聖獣銀甕が気になっていましてね。目がキョロキョロ動く様な気がしていたのですよ。ところがママさんが店のドアを閉めた途端にそれがなくなった。それで、目がキョロキョロ動く理由が分かったのですよ。」

  「そうだったのですか。ここへ入ってこられた時から、西畑さんは四面聖獣銀甕の方ばかり見ておられたので、どうしてだろう、と思っていたところです。そうだったのですか。私も、あの四面聖獣銀甕の目が暗闇の中でボーっと明るくなることがあり、不思議でならなかったのです。」と紅蓮がほっとした様子で
西畑に向って語りかけた。

             つづく