先日NHKで,『どうする?急増"金属窃盗"被害を防ぐために何が?』という番組をやっていた。
最近高値で売れる銅線の窃盗が増えているという内容だったが,決定的な対策は論じられなかった。
窃盗犯を罰するのは,日本においては刑法(明治四十年法律第四十五号)によるのだが,問題は罰が軽すぎる点にある。
刑法のこのことに関する典型的な例は,殺人に対する罰だ。殺人を犯したなら,その報いは原則死刑であるべきところ,実際にはそうなっていない。実に不思議な法律だ。
翻って窃盗犯。昔は身体刑が執行されていたし,現代でも国によってはそれが実行されている。
また,開拓時代のアメリカでは,馬泥棒はしばり首だったとのこと。足となる馬がなければ,それはつまり死を意味するから,しばり首だったのだろう。
刑法に規定する罰は,被害者あるいはその家族の気持ちに基づくことが,今改めて求められているのではないか。罪と罰の関係を私刑に替わって律するのが刑法のあり方だからだ。
犯人の更生を理由に罰の程度を判断するという見方がある。しかし更生や犯罪抑止は,罰とは別次元の課題だ。刑法には目的条項がなく,淡々と記述されていることからも,そう言えるのではないか。
『眼には眼』が刑法の根底にあるべきであることを認識すべきだ。
2024.8.20(火) |