まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2015/07/27 21:36:00|小さな旅の思い出
超高級うな重
   うな重が大好きなのでわざわざ小田原市風祭まで行ってうな重を食べきた。そのうなぎ屋の名は「うなぎ亭 友栄」という。この店は、LSC「お値打ちランチを食べる会」の幹事Tさんから教えて頂いた。聞くところによると、この店「友栄(ともえい)」は、2015年 ミシュランガイド横浜・川崎・湘南版にて4年連続1つ星を頂いているという格調の高いお店である。念のためインターネットでうなぎ亭 友栄を調べたら、以下のような記事を見つけた。
 
 「ミシュランを2年連続でとる前から、箱根に行った際は利用しているが・・・ミシュラン以降、さらに混みすぎ(汗) 鰻の入荷量次第では、楽しみにして行っても、売り切れになってしまうことがある。
このお店の鰻は、養殖であるが、青うなぎを使用。
白魚のような水分を含んだ、ほっこり、ふんわりな上品な身だ。
卓上に足しのタレが置いてあるが、理想は、足さない方が美味い。
タレ好きな人もいるだろうけど。
そして山椒は極まる・・・
風味、色ともに、華やかなのである。
間違いなく、他とは違ううな重なのだ。
価格も良心的なのだ。」
 
 上の記事で「ミシュラン2年連続」の文面から推測するとこの記事は古い。今年、2015年ホームページでは4年連続という記事を見た。また、「混みすぎ」部分の文面では我々が行ったときは空いていた。というのは行った日は雨であることと箱根山の噴火警戒レベルが2から3に上げられたからかと思う。最後の「価格も良心的」とあるところが気になる。こちらは最近800円値上げしたばかりで4,800円となっている。我々が普段食べるうな重の値段だ。
 この日は、Tさんに教えて頂いたうなぎ亭 友栄で美味しい「うな重」を食べ、湯本富士屋ホテルで温泉につかり疲れを癒やして帰ろうと思い出かけた。行った日は雨。冨士屋ホテルにチェックインし、夕方5時近くに雨が降るのでタクシーを使い小田急電鉄風祭駅近くにある友栄まで行った。雨と噴火警戒がでているせいであろう、うなぎ屋友栄は空いている。うな重はとても美味しかった。それと従業員の接客の良さが気持ち良い。
 うな重を食べ終わるころ、外で“虹がでた”という食事を終え玄関を出る客の声が聞こえた。虹をしばらく見た後、帰り際に店の看板が写るような写真を撮ろうとしていたら、店員さんが出てきて、シャッターを押しましょうと先方から親切にも声をかけてくれた。これも客足が少なかったせいで、店員から親切な問いかけの声をかけてもらえたので嬉しく思っている。
 友栄は3年前(2012年)に改築したようなので店はとてもきれいだし、上述したように店員さんの接客態度もとても良い感じである。お高いだけあって、何よりもうな重の味はこれまで食べた中で一番かと思ほど美味しい。ホテルで温泉には入ったが、翌日は雨と噴火警戒が出ていたため何処へも行かずに自宅に翌日戻った。わざわざ箱根冨士屋ホテルに泊まりがけで出かけ、ミシュランの店「うなぎ亭 友栄」まで行き、豪華な1人前4,800円のうな重を食べてきた。
 箱根へ行って少しは観光してきたなら別だが、今回は雨と噴火警戒のため、温泉につかることとうな重を食べることのためにわざわざ箱根まで行った。その理由は、4月から始まった看護学校の授業が連日つづき、その授業が6月で1校を残すのみとなり、8割方終わったからだ。休養し好物のうな重を食べたくなって行ってきた。
 観光はしなかったので、単純に交通費、ホテル代を含めたうな重の代金となると、以下のように1人当たり19,200円。本当にお高いうな重を小田原まで出かけ食べてきた。贅沢!【2015.7.1】
 
5,200円(往復鉄道料金/1人)+1,200円(2人で1台タクシー/1人)+ホテル代(8,000円/1人)+うな重(4,800円/人)=19,200円/人
 
平成27年7月27日(月) 自宅にて記す







2015/07/26 1:33:06|思い出
ノルディック・ウォーキングとけん玉のコラボレーション
 もう1ヶ月も前のことになる。よく晴れたさわやかな6月の第4日曜日の午前、月例の城北ノルディック・ウォーキング(N.W.)が城北中央公園で開催された。いつもなら、ウォーキングして、昼食を食べバイバイするところだ。今日は違う。ここ城北中央公園で、けん玉を第2のクールダウンとばかりにやり出した。きっかけは前回のN.W.のときに会員の1人がけん玉を取り出し、N.W.の指導者である佐々木巌医師もけん玉に挑戦した。そのときはけん玉の数が少なかったので、一部の会員しか挑戦できなかった。今回、日本けん玉協会の会員で3段の腕前?である私が協会ルートで入手し、そのけん玉を持参したので皆さんの手にわたった。
 
 早速、N.W.のクールダウンを終えた直後、けん玉をやり出したが、ノルディック・ウォーキングのように滑らかにはけん玉の大皿、小皿に乗らない。何回かやるうちにやっと乗ると、皆で手をたたきおめでとうとなる。本格的な練習会ではないが、けん玉を初めてやった人、子供のときにやった経験がある人でその差が現れ、少しでもやった経験のある人は直ぐに皿に乗せることができる。
 
 今では、私は日本けん玉協会の会員で年会費を収めているが、あまり熱心な活動は行っていない。かつては、5月5日の子供の日にデパート屋上で子供達に指導をしたこともある。けん玉協会は1975年に創立したが、創立間もない頃に協会員になり、今日にいたっている。当時、8,000回ほどの「もしかめ」ができ、大会3位を頂戴したことがある。しかし、今では手動計数器で数えることができないほどの回数をできる人が現れ、回数ではなく時間を測って争っている。最長は8時間と聞く。1分間でもしかめ回数は約100回くらいであろうから、1時間で6,000回、8時間だと約48,000回ということになる。私の8,000回を時間に換算すると80分、これは1時間20分ほどだ。今では信じられないほど長時間「もしかめ」を落とさずにやれたことになる。今は、こんなに長時間けん玉をやり続けることはできない。
 
 日本けん玉協会の組織は年々充実し、級位や段位の認定会、地方や全国のけん玉大会も毎年開催している。いまやけん玉は世界的に広まっている。そのけん玉の発祥の地はフランスだということを知っている人は少ないと思う。このことを知り、フランスへ行ったとき、おもちゃ屋で見つけたので求めたことがある。それに、昔、けん玉をやったことがあるという年配の警察官がけん玉の剣に玉を入れた瞬間を見た。その警察官「子供のころけん玉でよく遊んだよ」という。こうした事実を知ると、フランスがけん玉の発祥の地だということが理解できる。【2015.6.28】
 
写真:都立城北中央公園でN.W.のクールダウンとけん玉遊び
 
平成27年7月26日(日) 自宅にて記す







2015/07/22 21:28:19|小さな旅の思い出
一寺小学校旅行会5 朝の散歩を終え帰路につく
   「鵜の岬」と名がつく国民宿舎であるから庭園内にウミウ捕獲場があって、施設内にはつがいの鵜の像もある。また、鵜の人形と一緒に写真が撮れる場所も用意されている。まだ、早朝でだれも外に出てきていないので、ゆっくりと鵜たちと記念撮影が撮れた。
 
 園内には鐘付き小さな記念碑がある。近づき裏側を除くと、「15年間日本一の利用率に輝いた(平成18年12月)」とある。それを記念して日立市から贈られた碑のようだ。帰宅しから国民宿舎の利用率を調べたところ、全国113施設ある国民宿舎のなかで「鵜の岬」は何と25年間連続で利用率が1位だそうだ。先の碑は15年間連続1位であったときの記念碑で、その後、さらに10年もの長い間、利用者の人気をさらっていたことになる。人気の秘密のひとつに太平洋から登る太陽が8階の「大浴場(女湯)」からよく見えるということがあげられる。ところが、男湯からは残念ながら方向的に朝日をみることができない。しかし、女湯と男湯の境の間にある眺望ロビーからは見える。太平洋を一望できる大パノラマの展望風呂、水平線から登る太陽がその風呂から見える。まさに絶景だ。温泉は神経痛、筋肉痛、冷え性などの効果があるという。宿舎の外観、部屋もきれいだし、温泉も気持ちがいい。湯につかりながら太平洋が一望でき、朝には太陽が登る姿も見える。これが人気の「ひ・み・つ」であって、利用率が高く人気ナンバーワンを長い間続けている理由のようだ。予約がなかなかとれない理由がこれでわかった。幹事さんご苦労様でした。
 
 7月12日(日)午前10時、東京駅八重洲口からサロンバスで「鵜の岬」へ向かい1泊し、翌朝8時半にタクシーで「鵜の岬」を出発し十王駅へ向かう。13日(月)は、午後1時から看護学校の講義があるのでわずか1日とその日の夜の宴会、翌日の早朝散歩でしか仲間と一緒にいることができなかった。それでも毎年の旅行会をとても楽しみにしていたので、今年も参加でき大変嬉しい。しかし、去年参加した何人かは病に倒れ不参加。何年か前には元気でバスの隣席に座った鈴木のけいちゃんが世を去り次の年には彼はいない。けいちゃんは内科医であった。医者は人の病を治すので死なないはずだと誰かがいった。やっぱり医者も死ぬのかと冗談をいい交わしたことが忘れられない。今年は、毎年参加し元気で大声でみんなを笑わせる石井のたけちゃんと嶋田が欠席だ。彼ら2人は酒好き。たけちゃんの方は、飲んでは落語調の話しぶり、話した内容の一言で皆を笑いの渦に巻き込むという特殊才能の持ち主。この旅行会には欠かせない人物であった。そのたけちゃんが病で倒れ不参加、まことに残念である。例年になくバス内の盛り上がりがないのは、そのたけちゃん欠席のせいだ。
 
 大人気の「鵜の岬」に宿泊できたことは、幹事さんたちの並々ならぬ努力があったからこそだと感謝する。27年間つづいた旅行会は今年で終わりと聞き寂しい。今年、全員が80歳を同時に迎えた。歳のせいで年々参加者が減り、サロンバスという高級車?を借りるのに無理がでてきたという。複数いる幹事も病を患い回復したものの元気がない。これ以上続けるのは無理と判断したのはむりからない。指定した温泉宿へ直接集合、卒業した一寺小学校(第一寺島小学校)近くのレストラン、向島・浅草・上野あたりのレストラントラで開催し、現地集合にするというような案が出され、来年も実行されることを期待している。【2015.7.12〜13】
 
写真: 朝の散歩を終え、特急列車で帰路につく
 
平成27年7月22日(水) 自宅にて記す







2015/07/19 17:22:51|小さな旅の思い出
一寺小学校旅行会4 「鵜の岬」園内の林と花
   鵜の岬というここ国民宿舎の庭園は広い。写真にみるように朝日に輝く宿泊施設も大きくて立派だ。その眼前には太平洋の荒波、そして昇ったばかりの朝日に輝く大波が美しい。朝5時過ぎの園内はゆかた姿で靴を履き、散歩するじいさん達の姿以外だれもいない。木々の緑がきれいだ。それに、ところどころに咲く花たちも美しい。

  国民宿舎「鵜の岬」庭園内にウミウ捕獲場がある。ウミウ捕獲公開中とあるが、捕獲時期は4〜6月と10月〜12月の年2回に限定されているようで今の時期その様子はみられない。毎年40羽ほどウミウを捕獲し、全国の鵜飼地へ供給している日本一の場所だそうだ。

 岸壁には鳥屋(丸太とコモで作られた小屋)が設置されている。群れを離れて岸壁で休もうとするウミウや波間で遊ぶウミウが、おとりのウミウに誘われ岸壁の鳥小屋前に舞い降りたところをその小屋の中で待機している捕獲者が「かぎ棒」という小道具で足首にかけ、鳥屋内にひきずりこみ捕獲するという。この捕獲する様子がわかる模型が宿舎内に展示されてある。

  捕獲したウミウは長良川をはじめ各鵜飼地へ供給しているそうだ。その鵜(ウミウ)を捕獲する場所がここ茨城県日立市にあって1300年の歴史を誇っている。
【2015.7.12〜13】

写真1:ゆかた姿で靴を履き庭園内の林を散歩するじいさんたち
写真2:園内ところどころに咲く花が美しい
 
平成27年7月19日(日) 自宅にて記す







2015/07/19 17:22:02|小さな旅の思い出
一寺小学校旅行会3
  これまで2回ほど旅行会の出発風景について、Wifi Maxとう無線中継機を使い、高速道路の友部インターターチェンジと特急ときわ70号内から投稿した。自宅にもどり、コラージュ写真を作成し、ここに旅行会の続きの様子を投稿する。
 
 墨田区にある第一寺島小学校を70年近く前に卒業した同級・同窓生20人〜30人ほどが集まり、毎年サロンバスを利用して各地へ旅にでる。この旅行会は27年も続いた。小学校時代の学友が、こんなに長い間一緒になって旅する会はあまりないのではなかろうか。サロンバスで出かけるこの旅行会は今年で最後にするとアナウンスがあった。方針を変え、新たな集まりを考えると幹事から伝えられた。前回のブログでも紹介したように、年輪を重ねるにしたがい、集まる人数も減ってきたことと、サロンバスを借りるためには参加者数が不足のようだ。いずれにしても、残念だがしょうがない。長い間幹事をつとめてくれた文チャン、羽根田、C水、渡辺、曽我部、中澤、その他幹事の方々に感謝する。別形式で会が再開できたなら喜んで参加したい。
 
 東京駅八重洲口を午前10時に出発したサロンバスは常磐自動車道を北に向かい、つくば、水戸、日立、日立北で高速を下り鵜の岬近くに11時ごろ着く。早めの昼食を友部インターターチェンジで済ませてある。チェックインは午後3時なので、時間があるということで岡倉天心記念五浦(いづら)美術館を訪れる。岡倉天心は、6歳で英語を習い、17歳で東京大学を卒業(1880年)、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に功績を残したと記述がある。100年以上も前の交通不便で物のない時代に、このような立派な学問、業績を挙げたことに感動を覚える。
 
 午後3時、茨城県国民宿舎「鵜の岬」に入る。部屋は畳み部屋4室、男子10名、女子6名なので、女子が1室、男子が3室とり、それぞれの部屋に分かれる。各部屋から太平洋が見える。夕食は椅子に座る宴会形式だ。最後の旅行会ということで、全員近況報告。27年間の旅を振り返り、場所選び、移動手段の手配、参加者募集の案内など長い間幹事をしてくれた文チャンにみんなで感謝の大拍手。何人かは他界したが、その連中は大酒飲み。孫16人、曽孫1人いるという話しに全員びっくり。その曽孫が孫の1人と同じ年、16人いる孫の中で同姓同名がいるという話しにも驚く。連れそった相手が他界した、目下介護中、物忘れが激しくなり終日もの探しなどと先が暗い話しが多い。こうした暗い話しでも、人に語れる同級・同窓生の集まりだから楽しいのだ。
 
 風呂は温泉で8階にある。ここから海が見えるので、温泉につかりながら波打つ太平洋の大海原が見える。そのためか、ここ「鵜の岬」はいつも満員だそうで予約をとるのに苦労したという。年寄りは朝が早い。同室の羽根田、片岡、私の3人、5時に起き太陽が昇った直後の海岸を散歩しようということで外に出る。外出用のスリッパがあることを知らず、寝間着姿で靴を履いて散歩。早起きし、こうした海岸を歩くのはとても気分がよい。【2015.7.12〜13】
 
写真1:往きの車中風景と岡倉天心記念五浦(いづら)美術館
写真2:朝の鵜の岬(寝間着姿で散歩)
 
平成27年7月15日(水) 自宅にて記す