まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
2015/09/10 21:26:03|その他
12 リーハイ大学
    1865年創立。1971年から共学。ペンシルヴェニア州ベスレヘム市(人口約71,000)に位置する中規模都市型の私立大学。フィラデルフィアまで約90キロ。全米で人気の高い優秀校の1つで、学生数は約5,000人。
 
   この大学で1963年から1965年にわたり2年間学んだ。この間、ケネディー大統領が暗殺され、また東京オリンピックが開催された。帰国してから1度だけ20年位前に訪れたことがある。今後いつ行かれるか分からないのでフィラデルフィアに滞在している今、Makikoと大学を訪れてみた。50年前はキャンパスの芝生が多くリスをよく見かけたが、今ではその姿は全く見られない。当時は男子校であったが上述したように1971年から共学になり女子学生の姿もたくさん見られ、地味だったキャンパスが華やいで見える。写真に見るように、キャンパスは美しい。留学生活は宿題が多く言葉の壁があり苦しかったが、今思うと、それが今を支えているようだ。
 
    ベツレヘムにはベツレヘム製鉄会社の本社があり、当時は活気を帯びていた。橋梁や高層ビルに使う鉄の構造物の研究が盛んで、リーハイ大学でも構造物の委託試験、研究を数多く行っていた。その研究の計測を半日行い、残る半日に講義を聴くということで、授業料と生活費を大学からいただき留学を果たした。つまり「Half Time Research Assistance Ship」という奨学生という身分で訪米した。この時、毎日のように実験に使用していた最大2000トンの力で圧縮、引っ張りテストが行える試験機が昔のまま、今でも使われている姿を見て感動。
 
  こうして、仕事は土木工学科、学問は電気工学科という二またをかけた生活を2年間行い、修士号を取得して1965年に帰国した。その年に結婚したので、丁度今年で結婚50年目、金婚式を迎えた。
 
  以上のようなリーハイ大学をフィラデルフィアからグレイハンドバスで往復した。バスは、1日3往復しかないので、片道90キロのところを1日がかりで行ってきた。思い出がよみがえり、もう二度と訪れることはないと思うので訪れるて本当によかった。【2015/09/08】
 
2015年9月10日  New York Inl  にて投稿

 







12 フィラデルフィアの休日
   フィラデルフィアのホテル「エンバシー・スイート・ホテル Embassy Suites Hotel」で2泊した。この2日間、大きなコンサートが近くで開催されたのでホテルは大混乱。そのために、部屋のクレームをつけても相手にしてくれない。意見だけ聞き、対応は明日にしてくれという。ドアの不具合、電子キーの不具合のために部屋を変えて欲しいと申し出たところ、コンサートが終わった3日目に11階から26階の眺めがよい部屋に交換してくれることになった。 
 
   今日はレイバー・ディでどこも休 みだと聞いた。リーハイ大学へ行き、昔、世話になった研究所に寄る予定であったが、休みで誰もいないと意味ない。そこで、昨日求めたバス乗車券を明日に変更してもらうためにバス停に行った。その切符は1週間有効だと言われたのでベスレヘム行きは明日に変更。タクシーを使い政治家、物理学者として有名なベンジャミンフランクリン博物館へ移動。フランクリン博物館の入場料は1人19.8ドルと比較的高いが、楽しめる内容、展示物が多い。その博物館は我々のホテル【エンバシー・スイート・ホテル】の直ぐ近くにある。この博物館は物理、科学、原子力、通信、宇宙探険などのテーマを自分で操作しながら子供でも大人でも楽しみながら理解できるようになっている博物館だ。数は少ないが大型の蒸気機関車、宇宙飛行に関する展示物、人体のことが分かる摸型、飛行機が飛ぶ原理など、それにここにも月の石が展示されていた。体験コーナーもあっていろいろ物をいじらしてくれ、楽しい1日を過ごした。
 
  ホテルにもどり部屋変更について、いろいろと世話になったマネージャーのマックさんにけん玉をプレゼント。彼の前でけん玉を披露すると目の色を変えて大喜び。こうして、賑やかだった2日間の滞在の後、眺めのよい26階という高階の部屋に落ち着いた。この階から昨夜まで行われたコンサート会場、それに今日訪れたフランクリン科学博物館が眼下によく見える。
 
  眺めはよい部屋だが、こんどは入り口の蛍光灯が切れそうで点滅、それに机上スタンドの電球の根本が折れている。誰かが倒して壊したままのようだ。それに加えてトイレの水の流れが悪い。折角眺めのよい 高階に移してもらったので、あと2晩すればニュウヨークに移動するので部屋より景色を優先させ我慢することにした。値段の割にはとてもよい部屋だと思ったが、細かいところで手抜きがあるホテルだ 。【2015/09/07】
 
2015年9月7日  Embassy Suites Hotel にて記す







11 自由の鐘とベスレヘム
   フィラデルフィア入りして2日目。今日は ツアーの予定を入れていないのでホテルから20分ほどで歩いて行けるアメリカの自由の鐘を見学。 この鐘はアメリカ独立を記念する鐘で、ペンシルヴェニア州植民地議事堂(インディペンデンス・ホール)において1776年7月8日独立を宣言し、 民衆に独立宣言 を 公表し た際、それを 祝して打ち鳴らされた鐘である。ホテルの近くにその鐘が展示されている建物があることを知り出かけ た。世界各国およびアメリカ全土から大勢 の人たちが 訪れ賑わっていた。
 
  この自由の鐘がある建物近くを一回りする馬車による観光がある。今回の旅は我々の金婚式を記念に訪れたということもあるので💲40を奮発し乗った。馬車は5台ほど待機していた。御者は男性が多いが女性もいる。たまたま通り過ぎようとしたとき、若い女性の御者と目が合い、お値段を聞いたところ20分で💲40というので乗った。Makikoはこの女性は可愛いので、この御者の馬車に乗ると言いだした。移動が遅い馬車だから周辺の説明をしてくれ、雑談をしながらのんびりと自由の鐘の周りを2 0 分間観光ができた。珍しい馬車の 観光 、可愛い女性と英会話、💲20と は安い。
 
  この自由の鐘の 近くにグレンハウンドという全米を走るバス会社がある 。そこで、明日訪問予定の母校リーハイ大学(ベスレヘム) までのバス発車時刻の確認をしにでかけた。ついでに乗車券を求められるかと聞くと、自動販売機で求められるというので中国系のアメリカ人の操作の助けを借り、フィラデルフィア発12時半(この時間前の便はない)、帰りは夕方5時55分の乗車券を求めた 。このとき、シニア割引きの手続きもしてくれ、往復1人💲25の切符を入手した。1日に3往復ぐらいしか走っていないようなので帰りのバスを見逃すと ベスレヘムに泊まらなくてならない。
 
  こうして自由の鐘、馬車観光、ベスレヘム往復切符を入手し帰路についた。午後5時なので、早い夕食と思いレストランを探すが、日曜日で開いている店を見つけるのが困難 。とある中華店が開いているので入った。どうもテークアウト専門店の ようだ。椅子があるので座りオーダーした。焼きそば一人前(2人でシェアで丁度よい )、セブンナップ、カットスイカ、ワンタン スープで💲21と安い夕食。 ホテル近くに来ると昨日同様若い人がゾクゾクと音楽会会場向へ 向かっている。周辺は警察車両、ゴミ収集車、パトカーで道路封鎖されている。今朝、自由の鐘見学前に近くにある会場を見に行ってきた。入り口には大きく《Made in America》と書かれた文字がある。これは音楽会のタイトルで、有名なアメリカ人の歌手が歌うようだ。そのためにどうも全米から集まってきたような雰囲気がする。なにしろ昨日今日とホテルからみていると夜に始まるというのに午前中から入場者が集まり出し、信じられないほどの若い人たち(特に女性が圧倒的に多い)が、群れをなして集まるといっても過言ではないほどだ 。しか も、髪の毛を逆立てたり、動物のようなお化粧?した若者たちもいる。我々はあるきまわったので、疲れ果ててしまい8時には床に入った。【2015/09/06】
 
2015年9月7日  フィラデルフィア Embaseder Suites Hotel にて投稿







10 ワシントンDCから列車でフィラデルフィア入り
  ワシントンDCに4泊した後、午後2時ごろAmtrakの列車でフィラデルフィア入りした。フィラデルフィアのこの路線で、今年の5月にカーブでスピードを出しすぎ脱線転覆し、多くの死傷者を出した。今は修復し正常に列車は動いている。フィラデルフィアの駅(30th Street Stationという)はワシントンDCのユニオンステーションとおもむきが異なり、何となく落ち着いた感じで感じの良い駅である。どの駅にも構内には食事ができるフードコートがある。一回りしたところ、中華風の食べ物もあり駅でゆっくりと食事ができそうだ。
 
  ここフィラデルフィアで4泊するホテル名は(Embassy Suites Philadelphia ーSenter City)という長い名前のホテルだ。なぜ、スイートという名前があるのか不明であったが、きてみてわかった。それはホテルの建物は円柱形で28階の高いビルだ。そしてどうもすべての部屋がスイートルームのようなのだ。だが、その値段が一泊💲137と比較的安い。部屋は、写真で見るようにベッドルームと居間の2部屋あって広くて清潔で落ちつける。
 
  ホテルに着いてチェックインしようとしたら、若い女性がいっぱいいる。なにごとが始まるのかと聞くと「女性歌手のビアンセByance?」 のコンサートがあるという。部屋は11階、階下を見たらゾクゾクと近くにある広場ばへ向かう女性の集団が見える。このホテルにも多くの若い女性が泊まっているようなので、ロビーが混み合っていたのは、コンサートへ行く女性たちであったのだ。明日の日曜日もコンサートがあるようなので、ホテル周辺は賑やかになるようだ。【2015/09/05】
 
平成27年9月6日  Embassy Suites Philadelphia ーSenter City  にて投稿







9 セグウエイに乗って市内観光
  セグウエイ(Segway)とは、電動の立ち乗り二輪車。テレビで警察官がセグウエイに乗ってパトロールしている姿を見たことがある。機会があったらいつか乗ってみたいと思っていたところ、その機会がやってきた。
 
  今回のアメリカ旅行中の観光は、主にネット予約専門のVELTRAという観光旅行会社を利用して予約をとっている。インターネットでワシントンDC、ニューヨーク、ボストンなど訪れる都市の観光案内を調べていたら、セグウエイツアーがワシントンDCにあることがわかった。ホアイトハウス、リンカンメモリアルなど、市の中心部をセグウエイに乗って2時間ほど観光するというもので、ツアー代金は💲65である。このツアーの申し込みは、Makikoに内緒で行った。というのは、もしもあらかじめセグウエイに乗ることを伝えると反対することがわかっていたからだ。案の定、現地まで来て10分ほどの練習をしただけで、セグウエイに乗ってツアーに参加するのは怖いので、ツアー会社内で我々がツアーしている2時間待つと言いだした。
 
  以上のようで、ツアー客は若いアメリカ人カップル2人と私の3人、それに案内役の若い男性4人で、10分ほどの練習の後、路上を走り出した。運転操作は極めて簡単。正しく起立した状態を基準にして、爪先あるいは踵方向に重心をわずかに移動させるだけで前進もしくはバックができる。T字型のハンドルステッキを左右にわずかに押すと左あるいは右に回転する。重心を前に移しながらステッキを左に押すと前進しながら左方向に進む。正しく起立した状態でステッキを左に押すと、その位置で左回りに回転する。以上のように、前進は重心を前に、回転はステッキを左右どちらかに押すだけで走行と回転のコントロールはできる。
 
  ツアー会社はポトマック川に近い市の西側にあってジョージワシントン大学に近い。ここから、東に走りホアイトハウス、北に行ってワシントンモニュメント、、西に移動してリンカンメモリアルへ走行する。ここリンカンメモリアル広場で、セグウエイを降り案内人が機械の見守りをするからリンカンメモリアル内を見学するようにという。一昨日、市内観光の折に見学しているので見学はパスするというと、リンカンメモリアル前の広場でセグウエイに乗っていてもよいという。見学にでかけたカップルが戻ってくるまでセグウエイを乗りまわし、遊ばせてもらえた。
 
 このリンカンメモリアル広場を最後に、北に向かって走りMakikoが待つツアー会社へ向かう。2時間待ったMakikoは、その間会社の待合室で本を読んでいたという。セグウエイに乗りたくないので本を持ってきたのではないかと疑う?もう少し練習すれば乗れたと思うが、本人がノウと言うのでし方がない。
 
  客用セグウエイの最大速度は、時速21qに調整してあるという。案内人用の最大速度は、客用の倍くらいだというから相当のスピードがでる。リンカンメモリアル広場で高速を出したところ、普通に走る自転車並みに風を切って走り快適であった。機会があれば、何度でも乗りたい。【2015/09/04】
 
平成27年9月4日  Washigton Court Hotel にて投稿