英検3級とか2級といわれる英語検定試験がある。この英検の正式名称は実用英語検定(The EIKEN Test in Practical English Proficiency)といい、その主催者は日本英語検定協会である。この協会は1963年に設立され、第一回実用英語技能検定(1級・2級・3級)が同年8月に実施された。このときの受験者は、約38,000名が受験し、15,259名が合格しているそうだ。その後の2013年には創設50周年を迎え、受験者数も累計9,000万人を突破するという多くの人が受験している。その日本英語検定協会は、設立以来今年で55年が経過している。
協会が設立した1963年(昭和38年)の6月にKoichiはアメリカに渡り2年間大学の修士課程で学び帰国した。この間、1963年11月にケネディ大統領が暗殺され、1964年10月に東京オリンピックが開催され、連日テレビでその模様が放送されたのを見た記憶が鮮明に残っている。 1965年に帰国し、その翌年にMakikoと結婚した。このころ実用英語検定(英検)のことを知り、英語熱が冷めないうちにと英検2級を受験し合格した記憶がある。英検1級を目指そうとしたが、工学系の人間なので政治、経済、社会など一般常識の英語に乏しく、英検受験参考書を開き1級受験は無理だと判断しあきらめ今日に至っている。
昨年、佐賀県に住んでいる小学6年生の孫娘から英検3級試験に合格した旨の知らせがあった。その知らせを聞いて以来、英語学習の努力目標として英検の上級合格を目指す気持ちになった。英検3級は中学卒業レベルといわれている。その一方で中学校の英語レベルで日常会話は通じるともいわれる。あるとき英語字幕つきの「寅さんシリーズ」の映画を観たら、確かに中学校レベルの英語訳で字幕が書かれている。私はよく外国へ行くが、中学校レベルの英語で、なんとか外国の旅を楽しんでいた。ところが、英米の映画を観るとそこでしゃべる英語が全く分からない。そこで、外国映画の字幕が「邪魔だ」といえるようなレベルまで英語を勉強したいという気持ちになり、何種類かの英会話のCD聞き、何冊もの英語の参考書を求め、何年も前から英語学習に精をだしたつもりでいる。さらに、英会話教室へも通っている。それに加え、LSC(ロングステェイクラブ)の仲間と「英語でお喋りする会」を開催し、隔週にその会にも通っている。 よくお前は留学したので、英会話はペラペラではと人から聞かれる。その都度、留学の目的は語学ではなく、工学系の専門を極めるためで修士号取得のためだと伝え、工学系の専門書は読めるが政治、経済の新聞記事、文学書や小説は読めないと言い訳をする。 いまだに、1年の内の半年は仕事をしているので、暇があるようでないのが現状である。しかし、孫娘から英検3級をとったという知らせを受けたのをきっかけに実用英語技能検定を受験しモチベーションを高めることを2ヶ月前に決心した。孫娘に歩調を合わせるためにとも思い、3級受験の申し込みを新宿紀伊國屋書店で行った。その試験を昨日(2018年6月3日)、東所沢駅から徒歩20分のところにあるコロンビア・インターナショナル・スクールで受けてきた。
受験は25名定員の部屋で、大教室ではない。この25名の中に最少の年齢受験者が斜め前に座っている。父親付き添いで受験に来ている。試験が始まるとその父親は教室から出るが、試験開始直前にトイレに行くために廊下にでるとその父親と偶然出会ったので、その少女の年齢を聞いたらなんと5歳であるという。5歳といえば小学生ではなく、幼稚園児である。その子は、椅子に座ると床面から20cmほど足が浮いていて、その足をぶらぶらさせている姿が後ろから見えなんとも可愛いらしい。これから始まる2時間ほどの試験に耐えられるのかと余計な心配をする。それにしても、小学6年生の孫娘が英検3級をとったいうので驚いているのに、またここで幼稚園児が3級試験に挑む姿を見て、さらに驚く。
それにつけても、私は何歳だ。今年83歳であるから、上記の子との年齢差はなんと78歳もある。この年まで生き中高大と英語を勉強してきて、その上留学までしているのにいまだに英語が思うように喋れないとは何事か!と自分を恥じる。とはいえ、最小の最小だけ理解でき、勉強が苦でないので今日もほんの少しの時間だけ机に向かっている。英検3級受験を昨日行ったお陰で、自身の欠点がわかった。その1つは耳が遠くなったのか、「ヒアリングが聞き取りにくくなったこと」。2つ目は「長文を素早く読めるようにならなければいけないこと」。そのほかにも英単語の語彙を増やし、英作文がすらすらできるようにならなければいけない。このようなことが今後の英語学習の努力目標である。【2018年6月3日】
平成30年6月4日(月) 自宅にて記す |