1927年公開、100年近く前のSF映画です。川越スカラ座で、活弁&生ピアノ伴奏付上映会に参加。スカラ座は本川越駅から遠い〜〜、バスに乗りゃよかったです。
弁士のハルキさんによる解説が事前にあったのだが、それによると、この映画(なんとドイツ映画だそうで)は元々前半3.5時間&後半3.5時間というとんでもない上映時間の大作で、そのまま上映はとても無理、という興行側の判断で監督を無視して勝手に編集された短縮バージョンがいくつもある、という、おかしな映画になってしまっているらしい。今回は、そのうちのアメリカNY版で、上映時間は2時間、それだって長いですよね。
ということで、観ていると、なんだか場面のつながりが変だ、という箇所があちこちに出てくる。その辺をつじつま合わせしつつ、観続ける感じ。話の内容はかなり有名じゃないかな。高層ビルが立ち並ぶ素晴らしい都市の地下には維持するために苛酷な労働を強いられてる労働者軍団がいて、という格差、そこをどうすんじゃ、というのにアンドロイド(という言葉は当時はまだなくて、ロボットと言われてましたけど)が絡んで話がややこしくなる、という。
あーもう観てて、この格差問題って、いつになったらそれなりに解決するんかいなあ〜〜?と思うわけ。映画のテーマとして、いまだに毎度毎度取り上げられてますよね。上の方には上層階級・下には労働者というのは、「タイタニック」にも出てきた(船の最下層では、ひたすら石炭を船のエンジンにくべてた人達がいて、沈没する時、真っ先にその人達がやられちゃう)し、「スノーピアサー」とか「ブレードランナー」のシリーズ、他にもきりがないくらい。で、どうも、これだ!という打開策がないんだわなあ。現実の世の中でもこの問題は全くもって進展なし、という感じだし。
この映画の中では、格差は経営側と労働側を仲介するようなうまい存在があればなあ、という結論になっている。そうねえ、どうだろうか?むしろ、これからは、「労働者側」がやってたような労働を、ほぼ機械が肩代わりするようになる、それが1種の解決になるのかなあと思ってみたり。それを突き詰めると、やっぱりアンドロイド

レプリカントってこと?あーまた「ブレードランンナー」かい。
この映画に出てくるアンドロイドのデザインは、今も通用するレベルです。あーこのデザインが「コブラ」に出てくるアンドロイドのレディーなんかに継承されてるのかなあ、と。SF映画だけに、デザインセンスや映像がものをいう、そこについてはとんでもないレベル。
結局この映画のデザインとかテーマとか、影響が甚大、というより、未だ同じような話をネタをとっかえひっかえしてやってるのね、ということでしょうか。いいんだか悪いんだか?
ピアノ伴奏は新垣隆氏でした、あれ、どっかで聞いたお名前???伴奏が全体的に暗めで、もうちょっと明るくてもよかったんじゃないかなあ・・・・。ただ、2時間ノンストップでの演奏&語り、はめっちゃ大変です。お疲れさまでした!!