久しぶりに見ごたえあり!のアメリカ映画。アカデミー作品賞もうなずけます。
主演がかつて「バットマン」を演じていたマイケル・キートン。映画自体は「バードマン」なるヒーロー映画の主演を演じていた元スター俳優、という設定なんですが、マイケル・キートンご自身が多少投影されている、かなあ?ご本人は、バットマンにとらわれることもなく結構色々やっていらしたようですが。
この元スターだけど今は落ちぶれ気味の俳優さんが、起死回生を狙って(?)、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」をブロードウエイ演劇にして、その座長を務めてます。しかーし、どうもうまくいかない。劇場は素敵なんだけど、楽屋はきったないし、俳優陣もゴタゴタしてるし。プレ公演はトラブルばかり、こんなんで初日大丈夫なの?というお話。部類としてはコメディーじゃないかと思うんだけど。
リハーサル中にケガして(このケガってのが、ドリフのコントみたいなんですけど)降板した俳優さんの代役としてやってきた奴を演じているのが、エドワード・ノートン。ぶっ飛んでます。そういやこの人、去年のアカデミー賞をこの作品と分け合った「グランド・ブタペスト・ホテル」にも出演してましたね。二つのアカデミー作品を二股かけて出演かあ〜〜。
観てて思うのは。アメリカ人って目立ちたがりで寂しがりなのね・・・・・・。
要するにそういう人達のお話なんですよ。
まあ、そうでしょう。アメリカ人って、基本は故郷にいられなくなったハンパもんが落ち延びて成り上がって、という人達の集合体だものね。だから、すぐ名声だの賞賛だの、に憧れる。けど、それを手に入れちゃうと今度は寂しくてしょうがなくなる。こういう人に0で近づこうとする人っていないし、近づこうとしても、阻止されちゃうしね。じゃあどうすんのよ?となると、なぜか簡単にヤクが手に入っちゃったりするべ。アメリカの芸能人の転落パターンって、こんなのばかりですよねえ。やれやれ。
で、この映画は「演劇の裏話」みたいな体裁を取ってます。映画の裏話を描く映画は割と多いような気もするんだけど、演劇というのはちょっと珍しい。出演者の皆さんがレイモンド・カーヴァーの小説を劇中劇で演じる、そのシーンは2シーン位だけど、やっぱり大変だったんじゃないかな。しかーし、そこは名優揃い。演技力合戦みたいで、コメディーなんだけど、ピリピリした緊張感もある。
その中で、唯一10代のエマ・ストーンが鮮烈です。彼女、凄いわ〜〜。
そんなわけで、映画として堪能できる作品だと思いました。「愛について・・・・・」という小説は読んだことないですけど、もしかすると、この映画の内容とかなりリンクするんじゃないかな。村上春樹が翻訳してるくらいだし。
自分としては、ラストが好きです。この映画を観つつ以前アカデミーを獲った「アーティスト」を思い出してまして。「アーティスト」、いい映画だけどラストだけがどうも納得できなくて。これはすんなり入ってきました。成程ね・・・・・・・。
あと、音楽がまことにいいです。殆どドラムソロ。これが映画の不穏さをかき立ててタマラン。で、それにチャイコフスキー・ラヴェル・マーラーなんかの曲がさらっさらっと混ざってきます。劇中劇のBGMとして重なってきたり。使い方が実にうまい。アカデミー音楽賞、こっちが獲っても良かったのではないでしょうか。
公式サイト「愛について語るときに我々の語ること」