槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2008/04/04 15:36:15|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(11)

         中国 雲南の旅 昆明(11)

9)大石林と小石林
 中国雲南石林、昆明市南約86kmの石林イー族自治県にあるカルストの景勝地。二億年前は広々とした海の底だったが、ヒマラヤ造山運動によって海底の基盤が盛り上がり、長い年月の風化と浸食によって出来た奇観。350m2ほどにわたって聳えている高さが20ー30mクラスのそれぞれ形の石峰が連なり、自然に作り出した壮大な光景が。奇岩怪石も沢山ある。地質の特殊さから、世界地質博物館と命名された。

 入場門を通過する前の広場には、雲南の果物や穀物を販売する市が目に入った。(写真上1)そして、チケットを切ってもらって、中に入って行くと、道路の右手に色の濃い雲南桜が池の周囲に咲いている。花弁は八重桜に近いが、一本の木に咲く花の密度は小さい(写真上2)。イ族自治県ということでイ族の民族衣装を着たガイドが目に入る(写真上3)。被る帽子に三角の一対の角が立っている人は未婚の女性を示し、それが倒されていると既婚であることを示しているのだそうだ。男が、立っているその角に手を触れることは求婚を意味し、相手が受諾すると、後には戻れないのだそうである。だから、「手を触れないように。」と安さんから注意をされた。

 大石林に入ってすぐの「石林勝景」には、大きく『天下第一奇観』、『石林』の文字が彫られた石の壁がそびえ立っており(写真上4)、雄大な剣峰池、スリルに富んだ蓮花峰、いろいろ珍しい形をした石峰など。例えば、“孔雀梳翼”、“象踞石台”、“双鳥渡食”などはその形がそれぞれ鳥や象によく似ている(つづき記事写真1)。

 石林の中に入ってゆくと、天に向かって聳え立つ刃物の様な岩(つづき記事写真2)。両側から岩が迫り、僅かな隙間を縫って行く歩行路(つづき記事写真3)。そして岩がシルエットとして浮かび、様々な動物の姿に見える(つづき記事写真4)。

 奥には「望峰亭」という展望台(続つづき記事写真上1)も設けられており、ここからは大自然の奇観の石の森を一望でき大自然を満喫できるというので足をそちらの方へ向けたが、幾筋も合流しながら展望台に向かうので、もの凄い混雑、押しくら饅頭そのもの。地元の人が観光することはなく、中国全土から曜日に関係なくツアーとして来るので、いつもこうであるとのこと。たまたま近くに日本人がいて、曰く、「中国人は譲りあうことを知らない。」。したがって、日本人はどんどん流れに遅れてゆく。礼の精神を重視した孔子も”謙譲”という精神の重要さは説かなかったのかも知れない。日本人が多々持っている譲り合いの精神は欧米から移入したものなのだろうか。

 中国雲南石林の大石林隣の小石林は険しくないが、有名な“アシマ(阿詩瑪)”と呼ばれる巨石はここに聳えている。大石林がZ軸方向に展開されているとすると、小石林は面に展開されていて、造園されているという印象を受けた。(続つづき記事写真上1)

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2008/04/03 23:16:41|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(10)

           中国 雲南の旅 昆明(10)

8)ホテル界隈(南強歩行街、その他)

中国へ行き。必ず試るのがホテルの周囲をうろつくことである。今回もホテルを出てホテルに接している宝善大街(通り)(写真上1)から反時計まわりに一周した。朝の観光に出かける前の時間(北京時間9時少し前)を使ってゆっくり回ったが、最初に出くわした光景は、開店祝いの花飾りの花を一本二本と引き抜いてゆく女性の姿を見たことである。日本ではこの様な花輪は、造花であるが、さすが雲南、全て切花で開店祝いの花飾りが作られていたのである。日本では考えられないことだが、この地では一年中花が咲き誇っていて、それを切花として飾る方が安くつくのかも知れない。あるいはお祝いに誠意を示すため、割高だが生花にしたのだろうか。
 
    そんなことを考えて歩いているうちに最初の十字路が見えたので、そこで最初の左折をした。とにかく多いのがオートバイ。しかも皆ヘルメットを着用していないで通行している。不思議に思って、あとでガイドの安さんに聞いてみたら、外観は同じ様なオートバイであっても、電気モーターサイクルとガソリンモーターサイクルがあって、前者は免許不要、ヘルメット不要で排気ガスを出さないので、奨励されているとのこと。さすが花の雲南省。ガイドの安さんも自宅からホテル横のバイク駐車場まで電気モーターサイクルできて。帰りも駐車料金1元を払ってから乗って帰るとのことだった。

最初の十字路を左折した直後の通り(写真上2)は屋台の店が沢山あり、特に南強歩行街に近づくほど店が多くなる。道路の右手には屋台は無かった。

この歩行したコースは後で、安さんを伴って、解説してもらいながら、もう一度歩いたのだが、その時、写真上2の通りのT字路に近い店で、売られている肉つきのあばら骨を指して、これは犬の肉と教えてくれた。中国人にはなんとも無い光景でも、それを見た日本人観光客は一様に驚きの表情を見せるのだろう。きっと日本語ガイドの貴重な案内風景なのに違いない。次はT字路だったが、そこを左折した。右手も左手も屋台の店ばかり、これから朝食に人々が集まり、たむろするのだろう。どこの店(屋台)でも一家総がかりで食材の準備をしている(写真上3)。麺を作る人、餃子の皮を作る人、野菜のしおれたところを除去している人、夫が屋台をやりくりし、妻が会社に出勤する前に食材を作る手伝いしている光景など様々であったが、その日の始まりの意気込みを感じることができた。T字路を左折した通りが”南強歩行街”であることがその通りを出てわかった(写真上4)。

そして更に左折し、ホテル正面前の通りを歩いてゆき、ホテルに戻った。

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2008/04/01 22:48:23|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(9)
7) 宝善大酒店(ホテル)
宝善大酒店は昆明市の中心地にあり、宝善大街(通りの名前)に接している三ツ星ホテルである。(写真上左)部屋からは、比較的高層のビルが目に入る(写真上中)。目を転ずると漆喰に瓦屋根の家の群(写真上右)が映った。バイキング方式の朝食(写真下)もまあまあだった。







2008/04/01 21:54:04|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(8)
           
中国 雲南の旅 昆明(8)

6)チベット騒乱

チベット争乱がニュースの大きなネタに成長しつつあり、乗り継ぎ地の四川省にも飛び火し始めた、というニュースが頻繁に耳に入るようになった。心配になり、前泊の日、会社からの帰宅途中、ガイドの安さんに挨拶がてら、その状況を確認するため、携帯国際電話を入れた。しかし、「何もそんなことは聞いていない、全然心配いらない」とのことだった。旅行申し込み先の桂林中国国際旅行社の話では、昆明ガイドはガイドの資格テスト中であり、ガイドの決定に手間取っているとのことであったが、もしかしてチベット争乱対応心得の様な講習会だったのでは、というかんぐりをしてしまいたくなる。

もともと異民族が国境を越えて移民し、定住化した場合、この異民族の立場は非常に不安定で、その異民族はその国の統治者にとって少数民族となり、異民族の固有の文化は、その主幹民族の文化と相容れない面を多々持つ、文化のうちの最も重要なものは言語と文字と宗教である。これらの文化のミスマッチは、互いの理解のさまたげとなり、無理解は知らず知らず、相手を中傷したり、卑下することになる。そしていつしか心の中に傷を負わせることから、故意に外傷を与える形や最悪殺傷という形に発展して紛争に発展する。

この様な経過を辿らない様にするには、1)その定住地を自治区化し、文字、言語、宗教を認める。2)少数民族を多数民族に同化させたり、自治区における多数民族の定住比率を増加させ、多数民族文化に馴染ませる。3)惜しみない経済援助か産業基盤をつくる手伝いをする。4)人種的融合(混血主義)を促す、のいずれかであろう。これらの施策は、共存共栄のためには悪いことではなく、紛争回避の常套手段といえる。問題はこの施策が強制的、もしくは押し付け的に施行されてはいけないと言うことであろう。

昨年、新疆ウィグル地区を旅した時、道路の表示にはウィグル語の併記を義務化、イスラム教の集会の邪魔をしない、漢族定住比率の拡大、少数民族子女の中国主要都市への留学援助、巨大風力発電基地の設立、砂漠の緑化など中国政府の並々ならぬ努力を感じた。しかし最近はその新疆ウィグル地区でも紛争の火種が再燃しているようだ。何故か。

異民族である少数民族の気持ちを知らないことを知らない政策施行者がいすぎるためではないか。ある程度の言論統制はどの世界に必要なこともあるが、少数民族の言論を統制する以前に、政策施行当事者側の言論を統制する方が重要な場合が多い。特に、少数民族の気持ちを知らないことを知らない政策施行者は相手を傷つけ、火に油を注ぐようなことを意図せずにやってしまうものだ。まずそういうことにならない人事、異民族である少数民族の気持ちを知らないことを知らないことに気づき、理解することの出来る人材を登用するという人事が重要なのであろう。

中国政府が忌み嫌うのは、少数民族の気持ちを知らないことを知らない第三者が無理解な言動をし、紛争を煽り立てることなのだろう。少なくとも日本人はこの様な第三者になるべきではない。

話は変わるが、中国の漢民族はDNA的な同一民族ではではなく、司馬遼太郎によると、極端に言えば、と断っているが、もともと漢民族というのは存在せず、この大陸の普遍的な文化にくるまれている全ての人々を指す民族呼称にもなる、とある。ならば、大陸の普遍的な文化というのがどの時代のどこの地域にあったものをいうのか。時代についていうなら、元(モンゴル族)や清(満州ツングース族)以外の時代であろう。また地域について言うなら、中原、即ち中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のことだったが、後に広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる平原地域をいうようにもなった。したがって、その地域に住んでいた人達が漢族といことになったのだろうが、この時代、この地域に住んでいれば、DNA的に漢民族でなくても漢民族になり得たのだろう。

雲南省はこの意味では中原から外れ、したがって大陸の普遍的な文化にくるまれない地域だった。それを中国の版図に入れたのはモンゴル族の元の時代からで、それまでは、タイ語系やチベット語系民族の天下であったらしい。現在、雲南省における少数民族の最大勢力はイ族と言われているが、この民族もチベット語系の少数民族で、背が高く、がっちりした骨格をもっているのだそうだ。

そういう意味で、チベット自治区の紛争は雲南省に飛び火しても不思議でなかったと言える。
  3月20日(Day3)雲南民族村を訪れたが、見学の最後を飾ったのが、チベット族(蔵族)村で、ラサのボタラ宮を模した建物(写真)をみて、「これを写真にとり、チベットまで行ってきた、驚かせてみようか」と言ったら、ガイドさんはその意味を充分に理解していた様で、チベット自治区の紛争を全く知らないというのでは無いように感じた。

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2008/03/31 20:24:24|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(7)
                中国 雲南の旅 昆明(7)

5)メンバー

 日本語現地ガイドは、安 剣華(アン ジョアンホア)という吉林省出身の32歳の独身女性で、朝鮮族とのこと。大連の大学で4年間日本語の勉強をしてガイドを目指したが、地元ではガイドの職にありつけず、昆明でガイドの職が見つかったとのこと。
 ガイド暦10年で昆明市を案内する日本語ガイドで最古参とのこと。「旅行会社からは、剣華ではなく建華(ジョアンホア)と聞いていたが」というと、建華は男の名前に多いので、同じ音の剣華を使っているとのこと、いずれにしても男の名前では無いのか、と思わず独りこちてしまった。血圧が高く200を越えたこともあり、今は血圧降下剤を常用しているとのこと。
 母親が子供の頃から重度の糖尿病でインシュリン治療の費用が高く、大学を卒業後、ガイドの仕事についてから10年間、欠かさず毎月3000元の仕送りをしているとのこと。写真写りが良くないという理由で、写真をなかなか撮らせてくれず、運転手さんと3人で摂ったのが唯一の写真(写真左)であった。

 仕事の無いときは何をやっているのか聞いたところ、トレーニング・ジムに通っているとのことであった。パソコンは持っていず、したがって電子メールアドレスも持っていない。その癖、42インチの液晶TVを持っているとのこと。

 一方運転手さんは実直そうなガッチリした体格の周 松(ZHOU SONG)さんという名前の人で、年齢は50歳を越えていて、24歳の息子さんがいるとのこと。安さんもそうだが、所属する旅行会社は、雲南省国際旅行社で、通常は運転手ではなく、事務をしているのだそうだ。メールアドレスを持っているか聞いたところ。教えてくれた。@の前は、Yangguangzhouとなっているので、ベトナム系の人なのであろう。顔つきもそんな感じだ。雲南省は中国最南端の省で、ミャンマー、ラオス、ベトナムと接している。5年前に桂林から昆明に来たとのことであったが、安さんも周さんのことを深く知っているようではないようだった。帰国後、教えてもらったアドレスに、他の一枚の写真(写真右)とともに添付送信した。

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