槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2008/05/04 12:17:47|物語
西方流雲(63)
                        西方流雲(63)

                   <<< 58. 技術の市民権獲得 >>>
             
                          (1)

 晃一は技術屋であって、更に詳しく言うと、エレクトロニック・セラミックエンジニアであり、更に詳しく言うと、圧電セラミクス材料技術者であり、少しはみ出して圧電デバイスや焦電デバイスの商品開発を、そして仕事のミッションと言う点でも、研究開発から商品開発へ、更に営業と得意先まわりをするセールス・エンジニア的な仕事へと、はみ出して行った。
 そしてオリンピック光学へ転職したきっかけは、技術に関しては、圧電デバイスの経験を買われて、圧電セラミクスを使った超音波振動子を開発することであった。
 そして、その用途は超音波内視鏡であった。研究開発環境としては、超音波医療機器のメーカーであるアリカから先に転職してきた優秀な回路技術者がいて、振動子が完成したらそれを接続して超音波画像を描出できる状態にあったことである。

 超音波画像を得るには超音波ビームを走査することが必要だが、最初はその走査を機械的に行う機械走査用を、次いで、走査を電子的に行う電子走査用を開発することになった。
 ともに超音波内視鏡であり、医療用であったが、前者は消化器用、後者は循環器用、更に具体的に言うと心臓用であった。前者はアロック社製のモデルがあり、それよりも良い特性のものを開発すれば良いという程度の技術開発であり、モチベーションはそれほど高揚しなかった。
 しかし、後者の技術開発は、海外の専門メーカーに依頼して技術的難度を理由に委託開発を断られていたという話を聞いていただけに、モチベーションは上がり、全研究開発者魂を注ぐことの出来た
晃一にとっては幸せな期間であった。
 しかし、完成した振動子を評価する環境があっても、実際に超音波振動子を製作する環境は殆ど何も揃っていず、何もかも一人でやらなくてはならなかった。また、企業に根ついた技術的な風土というのがあって、それを打ち崩さないとうまく行かないだろう、と思ったことが多々あった。
 最初に直面したのが、圧電セラミクスの研磨精度で、
「このセラミクスの板を±2μmの仕上がり精度で研磨して欲しい」
と加工部門に依頼したところ、
「そんな細かい精度で加工できない。」
との返事であり、これにはビックリしてしまった。
「前の会社ではパートのおばさんが、この程度の精度は普通に実現しているのに。」
と思わず口ずさんでしまった。
 また大きな装置を開発するには人手がかかり、小さなデバイスの開発には人手がかからない、と思う傾向があることもやりにくいことであった。
 しかも大きな装置の開発といっても、機能的な面、あるいはコンセプト的な面というより構造、構成と言った機械技術者の活躍する技術開発であるように思えた。
 エレクトロニクスメーカーで進取の気風盛んな京都のメーカーに在籍していたことのある晃一にとって異様にも見える風土であった。
 「「圧電」という言葉や技術内容、何が出来るかなどと言うことを知っている人間など、上にも、下にも居そうにない。自分が仕事をしやすい環境を作るには、この技術がこの会社で市民権を得るようにすることだ。」
と晃一は独りごち、先ずは協力者を発掘することだ、と決心した。 しかし、これは人を探し出すことであり、すぐには無理だろう、ということにして、チャンスを伺うことにした。

 二年で、機械走査用の振動子は、完成した。その前半は深さ方向の分解能の改善、後半は横方向の分解能の改善に費やした。この間、超音波振動子の設計ツールとしてメイソンの等価回路計算プログラムを作成し、その有効性をつぶさに感じることが出来た。
 晃一は偶然出来てしまった、ということを嫌ってきたが、実験結果を理屈で説明できるツールを身近に配備することが出来る様になり、自分の持つ血肉が増えた感じがした。
 この頃、丁度電算機部門に木村井さんという近い年齢の同朋が入社してきていて、その人の協力無しにはうまく行かなかっただろう。なにしろパソコンなどという便利なものがあった時代ではなく、かといって手計算するには膨大すぎる量の計算で、コンピュータの存在が不可欠だったが、社内にあったIBMのコンピュータを使いこなして良い結果を出してくれたのであった。
 話は余談になるが、後年、晃一が脳梗塞に倒れ、その後の精神的に悶々としていた頃、この木村井氏から癒しの対象となる犬を譲り受けることになるが、これもこの時の計算依頼を通して互いに知己となったことがなければ有りえないことだったかも知れない。この犬が晃一夫婦にどの位大きな潤いを与えてくれたか分らない。
 三年目から、電子走査用超音波振動子の開発を手がける様になった。これにはダイシングという加工技術が重きをなした。この装置を使って一枚の圧電セラミクス板をダイシングして48本や128本の短冊状エレメントに分割する作業だが、47本目まで無事で、最後の一本が飛んでいってしまったということが何回もあり、その度ごとに直後に猛烈な眠気に襲われるのだった。
 しかし工夫に工夫を重ねなんとか48本目まで無事にダイシング加工できる様になり、完成した超音波振動子を観測装置に接続して超音波像を出せる様になった。
 自分の胸を露出させ、超音波カプラーを塗り、肋骨の隙間に自作の振動子を当てて、自分の心臓の僧房弁の開閉する様が見えたときの感動は一生忘れない記憶になった。
 同時に、試作した超音波振動子よりも、この観測装置を設計開発した那賀崎という男は凄い、という気持ちも芽生え、自分の振動子技術とこの男の回路技術をもってすれば、どの様な超音波診断装置でも開発できるのではないかという気持ちになったことを、後々懐かしい想い出として振り返ることがあった。
 しかしながら、この循環器分野を想定した超音波内視鏡の開発は、この会社がもともと循環器分野を目指していないこと、消化器向けには機械走査式で充分なこと、循環器分野向けとして必是となっているドップラーモード観測のハード技術の開発が未完成であったことなどを理由に、研究開発テーマとしての継続を停止されたのであった。
 尚この電子スキャン用超音波振動子を開発するにあたり、また電算機グループの木村井氏に依頼して、今度は有限要素法というコンピュータを用いた数値計算をした。クロストークという現象を計算対象としたのだったが、実測結果を上手く説明できないデータが出てきて、メイソンの等価回路計算を用いても結果を出せない複雑な構造だったため、少しかじっていた有限要素法を使ってみようと思ったのである。
 その結果、まんまとその手法を使って。その実測結果を説明できることが分かり、将来有限要素法を使いこなすことが出来ることが、超音波振動子開発技術者にとって不可欠の能力になるだろう、という気になった。因みに晃一はそれから20年後くらいに、論文投稿をして、博士号を取得するのだが、その時の算定論文の一つにしたくらいであった。
 晃一が、超音波振動子を開発する技術者にとって、メイソンの等価回路計算という解析的な解法と、有限要素法という数値解法は圧電技術、超音波技術を将来に向けて運搬する車の両輪となるだろうという見通しをつけた。
 そして圧電技術の市民権を得るということに向かう車の両輪にもなるだろうということ感じ、若い人達にこの両輪を使いこなせるようになることが重要であることを訴えた。

                    <<< つづく >>>








2008/04/28 22:06:30|物語
西方流雲(62)
                   西方流雲(62)

                <<< 57. 医療機器開発 >>>

「音響整合層について説明せよ」、「ダンピング層について説明せよ」。
 これが転職の時の入社試験問題であった。今時、転職の時の入社試験を筆記でやるところも珍しいと思いながら、知っていたことをそのまま解答として記述したのだが、晃一のこれまでのこの会社に対するイメージとして、何故この様な問題が出たのかさっぱり分からなかった。知っていたのはあくまで、カメラ、顕微鏡を製造販売している光学機器メーカだったからだ。
 晃一は、前の会社で、営業と共にセールス・エンジニアとして得意先回りを何度となく経験してきて、カメラメーカは市場としては大きなターゲットで、殆どの光学メーカを回ったが、このメーカだけ一度も来たことが無かったのである。
 もし来ていたら、カメラ以外のその会社の製品について耳にしていただろうが、それを素通りしてしまったので、この会社の主力製品のひとつに医療機器があることを知らなかったのである。
 それに、晃一自身、健康に過大とも言える自信を持っていて、医療機器製品が縁遠い存在に思えて仕方がなかったということもあろう。
 この会社の主力の医療機器製品である内視鏡と聞いても、それまで年齢的にも世話になったことが無いし、親、兄弟、親類縁者、友人、どこを見ても内視鏡という言葉や文字は晃一の視覚や聴覚を刺激することが無かったのである。ましてや、この内視鏡がどのようなことに役にたつのか、などということすら知らなかったのであった。
 そんな状態だったので、晃一は、自分がこの会社に持参してきた圧電技術と内視鏡が必要とする技術の接点が見つからなかったのである。
「内視鏡と超音波診断がどうして結びつくの?」からはじまって。「膵臓の様に生体の奥まったところにある臓器の病状、特に膵臓癌は効果的な診断方法がなく、構造的に膵臓まで内視鏡を突っ込むことが出来ず、結局、胃から胃壁の向こうまで超音波を透過させて診断するのがもっとも精度が高い診断ができる」、というコンセプトの理解になかなか至らず、「超音波内視鏡」という製品の価値も理解できなかった。
 直感的に理解できたのは、「体外からの超音波診断では皮下脂肪や、肋骨の影響で、良好な診断像が得られないが、食道経由だとそれらに邪魔されず良好な診断像が得られる。」ということぐらいであった。
 また、「超音波診断像を得るには超音波ビームを走査させることが必要で、走査方法には機械的な走査と電子的な走査がある」という話もすんなり頭に入ってきた。
 更に、超音波像の良さを表すパラメータに、分解能、感度(輝度)、到達度、SNがある」という話も容易に理解できた。
 そして、「分解能を良くするには超音波パルスのパルス幅を短くし、超音波ビームの径を小さくする」という話もすぐ理解できた。
しかし、なかなか理解できない話が技術以外のところにいくつかあった。
 「患者だよ。患者がエンドユーザーだよ。」
と言う人がいるかと思うと、
 「使うのは医者で、患者が使うのではないので、患者はユーザーでもエンドユーザーでもないよ。」
と言う人もいる。かと思うと、
 「装置に見合う代金を支払う病院がユーザーであり、その病院に診療費を支払う患者がエンドユーザーである。但し、開業医の場合は病院イコール医者なのでユーザーは医者といえる。」、
 「医者と患者の関係は?」、
 「医者が診断・治療を患者に提供して、その代金を患者が支払う。したがって医療機器を患者に提供するのではなく、医療機器を提供する企業にとって、患者はエンドユーザーになりえない。」。

 患者が医者に、正確な診断と、効果のある治療で、それを短期間に安価に提供されることを求める。
 医者は、患者が求めるその様な要求に適った診断・治療をするために、先端の医療装置を導入し、使いこなそうとする。この場合、保険点数が変わらない限り、診療代は変化しない。そうすると先端の医療装置を導入した病院の負担が増える。
 その負担増を解消させるためには患者の数が増えるのを待つしかない。しかし、そうすると医者や看護師の数を増やすことになる。この様な悪循環は病院の経営にとって好ましくない。
 結局負担増に見合う保険点数の増加を期待し、それに見合う診療効果を患者に提示する。

 患者は一回の診療費が高くなっても通院回数を減らすことが可能になれば診療費が高くなっても納得は行くだろう。しかし納得するには目に見えて効果のある診療であることが必要で、そうなると、診断よりも治療を重視せざるを得ないであろう。
 そして治療についていえば、放射線治療を含む手術やリハビリと、投薬が二本柱と言える。
 晃一は、以前の会社に勤務しているときに尿路結石に見舞われた。激痛に襲われることしばしで、次第に激痛の間隔が短くなってゆく。病名が分らないときは、これで一巻の終り、と思ってしまうくらいの痛みであったが、この痛みが薬によってケロッと無くなってしまった時は、大きな手術でもしなくてはいけないかも知れないと思っていただけに、天の助けにも思えたのだった。どんな先進の医療装置にも優る薬であった。
 晃一は、造反的な見方かもしれないが、と自らことわった上で、また次のようなことも考えた。
 「内視鏡は胃癌の発見に有効な診断装置だが、見分けにくい癌もある。これを先端の光学技術を使って判別できる新しい内視鏡が開発できたとする。この場合、新しい技術がつまった新しい内視鏡を病院は導入する必要がある。一方、特殊な色素を組織内壁に噴霧するだけで、従来の内視鏡で、癌が判別できるようになったとする。同じ診断効果であれば、医者にとっても、患者にとっても経済的な恩恵は、後者の方が大きい。
 しかし、診断装置を開発したメーカーにとっては、なんとしても製品化して医者に使ってもらいたいところであろう。」
 しかし、結局患者にめったになったことのない晃一には、医療機器製造メーカ、病院または医者、患者の三者の間の関係は良くわからないことであり、また自分の担当する技術開発と患者との距離がどの程度の近さかも分らなかったったが、医者または患者の恩恵=医療機器メーカの損失、ということが企業として許されないことだけは即座に分った。
 そして保険点数の決め方によっては、多少の性能改善では、必ずしも患者にとって有り難味の感じるものにはなり得ない、ということも分った。

                 <<< つづく >>>







2008/04/19 23:02:07|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(23 完)

        中国 雲南の旅 昆明(23 完)

21)復路(最終回)
 この旅物語「中国 雲南昆明の旅」は今回で終了である。帰りは往きと異なり、昆明から北京まで国内便、北京から成田までが、本来乗るはずだったCA421便(国際便)に乗り継いで帰ることになった。
 このうち、昆明から北京まで国内便の中で、中国人女性の凄まじさに触れ、この旅の最後に、花(?)を添える時間の過ごし方が出来た。
 左右の座席に座った女性は、片や四十歳前後、片や二十歳前後に見える中国人女性で、北京観光をするらしい。餃子の臭いがプンプンする手荷物を頭上の手荷物棚に容れ着席したが、スチュワーデスに注意され、他の場所に置き直したようだ。

 中国人にしては服装のセンスが良いナ(失礼)、と独りごちて、その女性客が着席し、落ち着いたのを感じ取ってから、昆明でさんざんメモしたノートをウェストバッグから取り出し、振り返りをしようとした。
 すると、その客が中国語で話しかけてきた。全く分からない。そこで、そのノートを使った筆談を始めることにした。先ずは自己紹介だと思い名刺を差し出した。
 「超音波って何?」と聞いてきた。中国語が分からない日本人が、日本語の分からない中国人に”超音波”について説明するなど到底無理な話。仕方なく図で説明。なんとか分かってくれたようだ。。「超声波嗎?」と彼女はメモに書いた。後で中日辞典を見たらそうだった。

 そして今度は彼女の方から自己紹介をメモに記し始めた
    我的手机(携帯電話):132○○○○◇◇◇◇
    姓名:師●●
    年齢:31歳
    血型:A型
    生辰:1976年10月25日
    出生時刻:10:58
    住址:昆明大・・・・・・・

 次に、子供の話しになり、「你的大儿子会中文嗎?」、「子供は中国に来たことがあるか?」、
 「息子の写真を見せて欲しい」、「○○帮我介紹一仐日本老公、嫁○去我就可以好好学日語了。」「我好好学日語」
多分、日本語を勉強したい、という意味に解釈して、簡単な挨拶から始めた。

 すごいと思ったのは、日本語の言葉を聞きながら、一音に対し漢字一文字を宛て速記の如く漢字を書いてゆき、しかもピンインも付して発音を覚えようとしていることだ。
 そして最後に、そのメモを欲しいと言って、一枚破いて持って行った.凄まじい意欲であった。

 更に驚いたのは、途中で取り出した、電子辞書を、見よう見真似で覚えてしまい、自分で操作して行く。そしてデジカメも何時の間にか操作方法を覚え、自身の顔を色々な表情を造りながらシャッターを撮り捲る。
 そういうことに対する羞恥という感覚が全くないようだ。そんなものより好奇心、知識欲の方がはるかに大きいものを持っている人と思った。
 まだ知識の量は少ないかも知れないが、記憶容量はまだまだ沢山残され、自分の意志で、自分に必要な知識を貪欲にしまいこんで行く意気込みを感じた。

 この人がこの世代の中国人女性の平均像なのか、それ以上なのか分からないが、その原動力とは何なのか気になった。その原動力は人々が裕福になるにつれて弱体になる特性をもっているようであり、その点で日本は嬉しくない先輩であり、中国は後輩となり、日本の後を追っているのかも知れない。

  本来、裕福なことも、裕福さを求めることも悪いことでは無いが、それが持っている負の属性に気がつかないか、気がついても制御出来なくなると、個人の成長も、国の発展も望めなくなってゆくのではないだろうか。

 裕福に至る初期状態、例えば終戦直後の状態に於いては誰でも目指す方向は同じで、国の目標も復興ただ一つ、しかし裕福に近づくにつれて、価値観が多様化し、目指す方向も多様化する。
 その方向が同じであれば良いが、逆方向であれば、一方の勢力が目指す方向が、他の勢力にとって、危害を及ぼす方向となり、そこに衝突が起こるきっかけが出来てしまい、それが、障害に達すると、エスカレートにエスカレートを重ね、最悪戦争となる。

 この様な状態から脱却するには、地球的規模の共通の目指す方向(目標)を持つことであり、それを達成する為に一致団結することであろう。例えば、地球温暖化、新型インフルエンザ、エネルギーの枯渇、地球規模の食料難、大隕石の衝突、地球外悪性生物(エイリアン)の侵入。

 これらはいずれも人類の滅亡につながる。それを防ぐことが人類の共通で避けられない目標になった時、初めて武器を置きそれらの地球規模的危難を乗り越えるのではなかろうか。
 その為には瞬時に情報が個人レベルで交換できることが必要となる。インターネットはその為の手段で、既に人類には地球規模的危難が迫っていて、最初のステップに入っているのかも知れない。

  左側に座ったもう少し若い女性も右隣の人との話に興味津々というようで、飛行機が着陸する直前に身分証明書を見せてくれた。自己紹介代わりであったのだろう。

  最後にこの旅の締めくくりとして、出会った花達の写真を添えて、お開きとする。最後の写真は緑豆の発芽したばかりの写真です。

 安 建華さん、周 松さん 御世話になりました。
  次にどこを旅行したいかと聞かれれば、やはり、また中国と答えそうだ。

                <<< 完 >>>







2008/04/14 21:49:14|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(22)
            中国 雲南の旅 昆明(22)

20倚天屠龍記
 前日の円通寺で雲南昆明の観光は終了した。ホテルの自分の部屋に戻り、TVのSWを入れると、
  なんと、金庸の「倚天屠龍記(いてんとりゅうき)」を放送していた(写真上1)。何故、「なんと」かと言うと、丁度今読んでいる最中の本が原作で、それは、かなりの長編で、文庫本の第二巻が発売されたが、第三巻の発売を首を長くして待っている最中の小説が原作だったからだ。
 金庸の著書で文庫本として発売された小説は、「書剣恩仇録」から始まって、「碧血剣」、「侠客行」、「射G英雄伝」、「神G剣侠」、「連城訣」、「秘曲 笑傲江湖」、「倚天屠龍記」=途中、というようにことごとく読みこなし、読めば読むほどはまり込んで行く。「倚天屠龍記」の第三巻では第二十四章までだが、TV(雲南電視)では第三十二章のあたりであり、これから読み進んでゆく箇所であった。
金庸の武侠小説に共通するのは、
・ 時代は元末明初
・ モンゴルの支配から脱して、漢民族の天下を取り戻そうとする志を主人公が持っている
・ ハイレベルの美人女剣士が次々と登場し、主人公を翻弄する
・ 武侠各派間の争いが繰り広げられる。
・ 秘薬、漢方薬がふんだんに出てきて、これを入手しようと争いとなる
・ ペルシャ渡来の「魔教」が登場し、その教主の娘が魅力的で、主人公が恋の虜になる
・ 仏教的な悟り、教えがところどころに出てくる。
・ 歴史上の実在した人物が必ず脇役として登場する。
 というところだろう。

 面白いのは、「連城訣」の主人公、郭靖の息子、楊過が、「秘曲 笑傲江湖」で主人公となり、その息子、張無忌が更に「倚天屠龍記」で主人公となる、という連鎖関係だ。そして、張無忌の妻となる周芷若(TV画面下の字幕"周姑娘")は峨眉派の掌門となるが、その峨眉派の開祖は、郭靖の妻、黄蓉の武術の流れを汲む。
 
  基本的に江湖(江南)が主舞台になる場合が多いが、「倚天屠龍記」では、崑崙山、峨眉山、武当山、崇山、大都(北京)といった中国各地の地名が出てくる。今回訪れた昆明石林に「天南崆峒」とかかれた石碑があった(写真上2)が、「崆峒派」という武当一派の名前として少林寺などと一緒に登場する。「秘曲 笑傲江湖」では去年7月に訪問したシルクロード、トルファンの葡萄を使った良質のぶどう酒が、断片的な部分で、物語の話題の中心になったこともある。

 中国を旅行すると、金庸の小説を身近に感じるようになり、金庸の小説を読むと、中国や中国人が益々気になり、また中国を旅してみたくなる。

  その様にはまり込んでしまい、続巻が出るのが待ちどうしくて仕方ない本であるが、中国人は、この武侠小説をどの様に観ているか気になり、杭州とシルクロードのガイドをしてくれた駱さんと、今回ガイドをしてくれた安さんに聞いてみたが、両人とも「好きではない。」と、否定的な答えであった。
  その理由を聞くと、主人公(男)と、それを取り囲む女性陣との関係がベタベタしすぎている。
  残虐非道な場面が多すぎ読むに耐えない。
 とのことである。ともに女性の意見であり、今度中国人男性に聞いてみよう。

              <<< つづく >>>







2008/04/14 0:31:36|旅日記
中国 雲南の旅 昆明(21)

          中国 雲南の旅 昆明(21)

19)円通寺
 昆明市内の円通街に位置する円通寺は、昆明で最も古い仏教寺院の一つである。唐代の南昭国がここに“補陀羅寺”を創建してから1200年ほどの歴史がある。昆明市内で最も大きな寺院として、参拝に訪れる人が絶たない。特に毎月1日〜15日(すべて陰暦)は寺内が参拝客でいっぱいになる。また、中国西南地区・東南アジア一帯にも名高い、雲南省昆明市の仏教協会の所在地である。造園の方法で建てられた円通寺には緑の山、青い池、彩の魚、白い橋、赤いあずまや、朱色の大殿、彩の回廊が入り乱れ、その風景はまるで絵のようである。全国の重点仏教寺院の一つである円通寺には大乗仏教(北伝仏教も呼ばれ)、上座部仏教(小乗仏教も呼ばれ)、蔵伝仏教(ラマ教も呼ばれ)の三大宗派の殿堂が建っているが、大乗仏教が主体である。
以上が、AraChina.comのウェブ情報である。

 京都にも円通寺という秋には筆舌しがたい紅葉の映える寺があり、何度足を運んだか知れない。30年ほど前は写真を撮ってもなんとも言われなかったが今はそうは行かない。
円通寺はその他全国各地あちこちにある。10は下らないだろう。浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、  臨済宗というように幅広い宗派の寺の名になっている。恐らく中国でも昆明にある一箇所だけではないだろう。では”円通”とは仏教用語でどの様な意味なのだろう。

 大辞泉によると、『知恵によって悟られた絶対の真理は、あまねく行き渡り、その作用は自在であること。また、真理を悟る知恵の実践。』とある。”円”というのは、真理を悟ること、又、”通”というのは実践、作用、という意味であろうか。”円通”とは真理を知恵によって悟り、それを実践、作用させること。そして”円通寺“というのは、真理を知恵によって悟り、それを実践、作用させる場ということになり、その様な大義であれば宗派を問わず、日本中にこの名の寺があってもおかしくない。また、中国に同名の寺があってもおかしくない。

 華亭寺がかつて”大円覚寺”と呼ばれたことがあるということは記載したが、”円覚”というのも同じ様な意味なのであろう。京都の玄啄に源光庵という寺がある。ここに四角の窓と円い窓を並べて、前者を”迷いの窓”、後者を”悟りの窓”と呼び比べている。

 中国寺院の日本の寺院に無い建築学的三大特徴は、
・ 大きく反り返った屋根
・ 窓やくぐり門が円いか、一部が円い
・ 建物の彩色が原色の組み合わせ
 であるが、華亭寺、大観楼、そしてこの円通寺いずれもそうである。但し、金殿、西山石窟寺院の様な道教寺院でも上記特徴を備えているので、仏教寺院の特徴というより、中国寺院の特徴と言える。
  
  濃いピンクの桜と、お参りする人々と、市街地の中の生きた寺という印象を強く受けた。寺の名前の書き方が、右から始まる古いものと、左から始まる最近のものとが混在している(写真上1、上2)のはこの寺に始まったことではないと思うが、現代人と寺が混居しているすさまじさを感じた。

 一方で、人が少ない時の落ち着いた佇まいも想像させる(写真上6〜8)、日本の寺の様に線香を焚いているなどという生易しいものではなく、線香を燃やしているという感じで、お参りしている人の天に対する強い思いを感じた。線香の煙ではなくて、線香の炎を天に届かせようとしている(写真上10〜13)。また屋根についている造形も、なにやら意味有りげだ(写真上14〜上17)。

  呉三桂という将軍が雲南にいた。悪逆非道の人物で、金殿にも歴史絵に描かれていたが、円通寺でも登場している(写真上9)。但し、額に納まった五人のうちの真ん中の呉三桂には首が無い。悪逆非道を罰する意味で、そうなっているとのことである。いずれにしても中国人のやることは面白い。

          <<< つづく >>>