西方流雲(73)
<<< 61. 絶望と葛藤 >>>
(一)
母の死去は、晃一の気持ちをどれほど暗くしたか知れない。 自分のことを全て理解してくれていた宇宙的存在であった。 勿論、姉にとっても、二人の弟にとっても、かけがえのない存在であったに違いなかったが、晃一は特別母親としての恩愛を受けていたのではないか。
親元を離れて、関西の地にいた頃、仕事や自分自身に嫌気がさした時は、その様な状況を知るはずもないのに電話がよくかかってきたものだ。 さだまさしの歌に“かかし”というのがあるが、遠くにいる子を思う親の気持ちをうたった、あの詩そのものの母だった。 会社の上司や同僚、友人達に母の死を告げるときに自然に目頭が熱くなってしまう自分を抑えるのにしばらく苦労した。 そして、亡くなるまでは、母親としか見ることができなかったが、少し気持ちがおちついて来ると、一人の女性として、一人の人間として悔いのない生涯であったろうか、父を、親戚を、子供達を、世の中を、どの様な目で見てきたのだろうか、ということが気になってきた。 晃一は他人をそれまで、その人と出会ったときの印象だけから観ていたが、この時以来、その人にはそれまで生きて来た歴史、生きてきた環境、立場があり、それを含めてその人物の人格なので、なるべくそこまで観たうえで、その人を論じるようになるのであった。 晃一は自分で分かる程、他人を観る目線が変わってきたと感じるのであった。 晃一が脳梗塞に罹ってしまったことと、母の死は、晃一の人格を大きく変えることになったのである。 他人のそれまで生きて来た歴史、生きてきた環境、立場を推量するということは、自分自身についても、自分がこれまで生きて来た歴史、生きてきた環境を振り返ってみるということに繋がる。 しかしながら自分自身が生きて来た歴史を振り返って見ても花となる様なものはどこにも見えない。 脳梗塞を患ったのが良くて人生の折り返し点で、悪ければ、60%から70%を過ぎたところかも知れない。 更に悪ければ、朝に紅顔、夕べに白骨ということも全く無いことでもないかもしれない。この残された時間に一体自分は何をしないといけないのか、その答がなかなか出ないのであった。 その様に思い悶えることの多くなった晃一の心の風景であった。 その心の風景の中心にあったのは、テニスと仕事であったが、テニスは殆どやらなくなった。これによって、テニスを通じての近所の人との付き合いが途絶えてしまった。
そして仕事も、停滞し、力が入らなくなり、自分より下にいた若い人達に追い抜かれて行くという気がして、仕事に身が入らなくなってきた。その様に、自分の心の風景の中心にあったテニスと仕事が影を潜めると、代わりに見えてくるのは家族の姿、とりわけ妻の姿である。 朝起きるのは遅く、夜寝るのも遅い、その間、家事をきちんとこなしているかと言うと、食事の時刻が不規則であったり、洗濯にしても、洗濯機にかけてすぐ干さない。干しても屋外ではなく、窓際にカーテンの様に吊るして干すのである。 したがって、天気の良い日でも、室内に太陽光が差し込まない。梅雨の時は大変である。 洗濯機にかけてすぐ干さないので、ドブの臭いがすることもある。乾いた洗濯物を畳まずにソファーの上に置きっぱなしにしたり、畳んだとしても、テーブルの上に置きっぱなしにするのである。 その様なアラが次から次へと見えてきて、晃一の心の風景の中心にドカッと腰を据えてくるのであった。これが自分が妻として選んだ人間の実像かと思うと情けなくなって涙が出てくるほどであった。 晃一は、これは「もっと不真面目に生きよ。」という天の啓示かも知れないと考えた。それと同時にこれまで野放しにしてきた妻の態度をここに来て問題視し始めた自分の変心が情けなくなるのである。 どこかに新たな心の風景を創りださねばと思いつめはじめるのである。 賭け事でも、浮気でもなんでも良いのだ。
手はじめに、池袋や新宿の歓楽街を歩き回ることにした。先ずパチンコ屋めぐりをした。まだ独身で滋賀県八日市にいた頃よくパチンコ屋通いをやったが、あのころのうきうきしたり、次から次へと玉が溜まり楽しくて仕方なかったワクワク気分には全くなれず、単なる、時間潰しという感じしかしなかった。 そしてパチンコ屋通いは一ヶ月も続かなかった。 次に、風俗店めぐりであった。キャバクラ巡りを始めた。気にいった女の子をみつけ、たわいの無い話をするだけなのだが、相手は人の心をとろけさせる術を身につけたサービス精神旺盛なプロである。 気持ちの悪い筈が無い。おまけに、店によってはお色気満点で、体を晃一の体に押し付けてきて、胸の谷間をわざと覗かせたりする。また晃一の手を自分の乳房に導き、いつしか、もっこりした晃一の股間を触ってくるキャバクラ嬢に出会うこともあった。 しかし彼女等は守るべき一線はどんなにアルコールがはいっていても踏み外すことはなく、その分晃一の満たされない欲求が鬱積してゆくのである。 次第に、店から出た直後、彼女らのサービスと支払い代金とを天秤にかけ、今日のサービスは支払い代金とバランスがとれていず、支払い代金側が沈み込んでいたな、とか、今日のサービスは天秤のサービスの方が沈みこんでいたなとソロバン勘定をする様になって行った。 そしていつしか一線を越えたサービスを天秤の片側に載せたときに、それにつりあう代金はどの程度になるのだろうという好奇心が芽生え始め、日刊紙の風俗店舗案内の欄に目を通すようになってきた。 この当時、テレクラと呼ばれる店があちこちで繁盛し、一度体験してみようなどと思うこともあった。また援助交際などという言葉も大衆紙や週刊誌で頻繁に目にすることがあり、これらにも好奇心を抱くようになってくるのであった。 一方で、これらの水商売に従事している女性がどうしてこの様な仕事をすることになったのだろう、この女性にはこれまで、どの様な環境が取り囲んでいたのだろう、どの様な人間に接してきたのだろうという、その女性のこれまでの生き様に想いを馳せてしまうということも無意識のうちにやってしまうこともあった。 その様な想いを馳せているうちに昂ぶっていた気持ちは落ち着き、自分が今やっていることは一体なんだ。と反省の念に駆られることもあった。 そしていつかはその一線を越えてみようという想いは、潜在的な意識となってなって晃一の心の片隅を占める様になるのである。 その想いが潜在から顕在へと変貌するのは、アルコールが入り、出張先などで開放感を単独で味わっているとき、妻としっくりいっていない時などで、その様な状態が重なり、居合わせた場所が風俗街であり、多少、懐に余裕がある状態であれば、間違いなくその一線を越える行動に出るだろうことは自信を持って言える様になってきた晃一の精神状態であった。
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