| (五)飛鳥路 山田寺跡(曼殊沙華) 初日は、南円堂から三条通りに戻り、その足でホテルを通り過ぎ、JR奈良駅前の大通りを右折し、国道369号線との交差点を右折し、少し行くと、ホテルアジール奈良の二階にある篝屋(かがりや)という料理店で夕食を摂る予定にしていた。ホテル併設の料理店というと、佇まいはほぼ決まっていると予想し、あまり期待していなかった。疲れて、食欲も減退している可能性を考え、コース料理ではなく単品料理をメニューを見ながらその場で注文することで予約していた。 しかし店内は奥行きがあり、とてもホテル併設の料理店という感じはせず、案内された個室は落ち着いたゆったりした感じの畳の部屋で、料理は品数が多いとは言えなかったが、味は良く、奈良の味と言えるもので、二人で7500円程度というのは納得が行くものであり、次回奈良へ来たらまた利用したい店であった。
翌日は朝8:00に出発することにした。JR奈良駅の西側すぐ近くのオリックスレンタカーで車を借りる手続きや、カーナビをセットする時間を考えると、出発時刻は9:00前後になると読んでいた。 借用した車は日産マーチ、早速カーナビを行き先石舞台にセットし、8:40には出発できた。国道169号線を南下、天理、桜井を通過して台風13号の余波の雨中を走り、一時間ほど走って左折して県道15号へ逸れる。間もなく左手に「山田寺跡」という表示があったので左折すると細い路に入り込み、正面に寺が見えた。 右折する方が支道の様に見えたが、そちらへ入ると車を行き交うことが出来ないとの表示があり、やむを得ず左折する路に侵入した。それが幸いした。 右手に山田寺跡の石標(写真1)が、左手に駐車場が見え、路は行き止まりになっていた。雨がすでに弱からず降っていたので家内は車の中で待っているという。それならば、と傘をさし一人で雨降る山田寺跡へと向かった。 視線を高く上げると、遠くに雲がたなびく飛鳥の山並みが見え、それだけで古代への郷愁が募ってしまい、雨が降っているのもまた一興と思えた。 「山田寺」、簡単明瞭な漢字の名前であるが、あまり聞いたことのある寺ではない。普通は、地名や方角、例えば岡寺、飛鳥寺、東大寺、西大寺。あるいは仏教的な響きのする言葉、例えば円通寺、華厳寺、南禅寺、法隆寺、地蔵院などが耳に慣れているが、「山田寺」というのは何か響きが違う。「ヤマダクンちの寺」というのがぴったりと思っていたのだが、その通りで、この寺は大化の改新の功臣、蘇我倉山田石川麻呂の発願によって643年に建立された,法隆寺よりも半世紀もさかのぼる寺院跡で、現在は、中門跡、回廊、五重塔跡、金堂跡が、盛り土、あるいは礎石という形で残っているだけである。 南門、回廊の一部を兼ねる中門、五重塔、金堂、そして回廊の外に講堂と言うように南北に一直線に並ぶ伽藍配置となっている。 どこまで足を踏み込んでよいのか分からなかったが、雨水をたっぷり吸ったスポンジのように敷き詰められた芝地を傘をさしながら靴をビショビショにしながら歩を南へと進めた。 不思議なことに車に戻ろうなどとさらさら思わなかった。まるで飛鳥に眠る亡霊達が足を捕まえて離してくれない様な、足が根をはってしまったような不思議な感覚だった。
最初に目に入ったのが回廊東側の礎石で4個づつ二列に南北に向いて並んでいた(写真2)。勿論復元したもので、礎石には蓮弁が施されている。後で調べてみたら、北側にも回廊礎石が残されていて、そちらは本物らしかったが、一面芝が生え茂り、目に入らなかったのふだろう。更に歩を進めると、「史跡山田寺跡」と彫られた石標が雨霧の中に見つかり、更に歩を進めると、金堂、礼拝石と表示された石標が置かれ、その石標には、金堂、礼拝石、更には、金堂の前に石灯篭、周りには犬走りがめぐらされていたことが、配置図と共に示されていた(写真3)。
このあたりの野にはあちらこちらに曼殊沙華が見られたが、北西に少し戻ってゆくと、群れとなって咲いている曼殊沙華(写真4)が目に入った。これを写真に撮ることにした。 配置的には北側の回廊の外に配置していたはずの講堂あたりのところである。 山田寺跡には曼殊沙華がよく似合う。そして黄色い小さな花をつけた名前知らずの花も目立った(写真4)。これらの花はいつの時代からこの野に咲き始めたのだろうか。 つづく |