(十三)薬師寺(萩)<玄奘三蔵院伽藍> 白鳳伽藍を後にして薬師寺のもうひとつの目玉、「玄奘三蔵院伽藍」に向かった。その手前に白萩の花の咲く名前知らずの山門(写真1、2)をくぐると、両側に芝が一面絨毯のように敷き詰められた通路が現れ(写真3)、まるで西洋の庭園のような雰囲気の空間に出会う。
こちらは、「白鳳伽藍」とは異なり、対比する“古き”ものが見当たらず、「白鳳伽藍」の姿を想起することによって始めて時代感覚が、呼び起こされる。
「玄奘三蔵院伽藍」は平成3年(1991)に建立された平成の伽藍である。そして、平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯によって玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」が玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿に入魂されている。
「大唐西域壁画」を見ることが今回の奈良の旅の楽しみのひとつであった。殿内に入ると、三面の壁に高さ2,2メートル、長さ49メートルの巨大な壁画が飾られている。
天井は、75センチ角の天井板が248枚ならぶ天井になっているが、この天井もすべて平山画伯の手による画と彩色が施された。この彩色が濃紺に金粉を散りばめられた模様で、濃紺は空を、金粉は星を表しているのではないか。
そして、その彩色は、ラビスラズリという鉱石を溶かした顔料で満点の星空が描かれているとのこと。
床は砂漠の砂の色。玄奘三蔵院では、この絵が本尊で、右の天には太陽、左の天には月。仏様はないが、日光菩薩、月光菩薩をあらわすそうである。その満天の星空を見ているうちに、家内がおもむろに財布からネックレスを取り出し、天井とそれを相互に見つめ比べている。
そのネックレスは昨年シルクロードの旅をしたとき、ウルムチで家内へのみやげとして買い求めたものである。
中国では金粉が混入したラビスラズリを青金石と言っている。ラビスラズリを小玉に加工し、細い穴を空け、そこに糸を通した首飾りがインダス、メソポタミヤ、エジプトの遺跡から見つかっている。この鉱石の持っている不思議な魅力にとりつかれる人はどの時代にもいたのだろう。自分もその一人なのである。
家内のその様子を見ていた、説明員らしき人が近づいてきたので、思わず、
「この壁画は素晴らしいですね。平山画伯って凄いひとですね。」
と語りかけてしまった。すると、その人は、
「自分はシルクロードへ行ったことがないので、どんなところかは知らないのですが、毎日この絵を見ていると雰囲気はなんとなく伝わってくるのですよ。」、
「一度行ってみたらどうですか?」
「ここを訪れる人の多くがシルクロードへ行ったことがあり、逆に解説してもらうのですよ。」
「そうでしょうね。私も去年行ってきたのですよ。あの壁画に描かれた高昌古城にも行きましたよ。」
説明員は聞き上手だ。
「家内が持っているのは、あの天井の彩色に使われているラビスラズリなのですよ。去年シルクロードへ行った時に買ったのです。」
「あの天井の色と同じですね。奥さんは素晴らしいものをお持ちですね」。
まだ早朝だった為か、他に殆ど拝観者の姿は見えなかったが、9:30までに拝観を終えねばならないので、先にすすみ、拝観順路の最後にみやげ物屋があったので、壁画の絵はがきを購入し、大唐西域壁画殿を後にした。
「白鳳伽藍」と「玄奘三蔵院伽藍」の共通項は当然ながら「仏教」であり、しかも法相宗[ほっそうしゅう]である。
玄奘は、のちに法相宗が、継承することになる「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]という教えを極めることに腐心した。その流れが薬師寺にはあるとのこと。
現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たるとしているのだそうだ。薬師寺の管主をはじめとした僧侶の名は殆どが最後に”胤”か”奘”という文字が入っている。拝観を終え、再び両側に芝が一面絨毯のように敷き詰められた通路が現れ、遠方に「白鳳伽藍」の東塔と西塔の相輪が見えた(写真4)。そして再び手前に白萩の花の咲く名前知らずの山門をくぐり、振り返ると、何故か、この門が歪んで見えたのである(写真5)。"新しき”から古き"の門をくぐる時、人は"歪み"を感ずるものかも知れない。その逆も真なり、か。
つづく