| 大同・北京の旅
(八)恒山懸空寺
そして、程なく懸空寺に到着した。北魏時代後期に建設され、現在までに1400年以上の歴史を持ち、今回訪問した寺院のなかでは最も古い。「恒山」のもっとも険しい場所にある金龍渓谷の絶壁に天峰嶺に向かい合って建つ。 絶壁の隙間にある空間で寺院が雲に乗って飛んでいるようである(写真1)。現存する懸空寺は楼閣47余り、絶壁にぴったりと張り付くように建造物が並んでいる。 楼閣は上下に階層のある造りで、楼閣同士つながってはいるものの建築条件により高さがずれている。 屋根瓦が黄色いのが特徴(写真2-1〜2-4)で日本の寺院の屋根瓦の色と大きな特徴である。黄土色(おうどいろ)というよりコウドイロというのだろう。この様な色彩の瓦は北京でもあちらこちらで見られる。黄色、青、緑、赤は多くの中国寺院で用いられているが、元時代以降黄色い屋根瓦が用いられたり、黄色く上塗りされたということもガイドさんに聞いたことがある。 もっとも高い建造物はふもとから50m、楼閣や仏殿はすべて曲がりくねって廊下でつながっている。 懸空寺は北魏の時代の僧侶「了然和尚」が創建、その後仏教、道教、儒教すべてが共存する寺院群となった。釈迦、老子、孔子が一緒に祀られている楼もあった。勿論釈迦像や菩薩像がけが祭られている楼屋もある(写真3-1、3-2)仏像等はいずれも彫像ではなく塑像という感じで白塗りしたあと金粉や青赤緑黄色が塗布された感じだったが実際のところは分からない。 とにかく冷たい風が肌を刺す。 楼閣を上にあがるほど寒さと高さにブルブルと震えてしまう。その寒さから身を護るため暖かそうなコートを着ている人が目立った。しかも少人数の団体に多かった。異様な感じがしたので、ガイドの田さんに、 「あの人達は皆同じコートを着てどんな人達なのですか?」 と聞いてみた。すると、 「貸しコートを着ているのですよ。」 とのことだった。 尚、冒頭でてきた「恒山」というところは、金庸の武侠小説ファンでれば、すぐピンとくる。例えば「笑傲江湖」には武林勢力として、少林派、峨嵋派、崑崙派、崆峒派などと共に五嶽剣派という山岳を根拠とした剣派があり、崇山派、華山派、衝山派、泰山派と並んで、恒山派というのがあり、それがここ懸空寺のある恒山に本拠をおいている設定になっている。 恒山派はこの物語の主人公である令狐冲が強い関係を持ち、一時的にこの恒山派の総師となる。恒山派は尼僧の集合した教団であり、剣派でもある。 令狐冲が、恒山派と関わって、恒山派の総師になるまでの過程が実に面白い。 そして、作者金庸はこの恒山派をことの他暖かく扱っている。 金庸の小説は漢民族と異民族と対比させ、中華の地に侵入してきた異民族とくにモンゴル族を怨恨し、漢民族を援護するする立場をとる物語が多いが、モンゴル族を祖とする異民族が建国した北魏に因んでいることが容易に推理できる恒山派を暖かく扱っているのが、金庸の小説の底流に流れる基本思想と趣を異にしている感じがした。 「笑傲江湖」は金庸の小説のなかでは全七巻という長編だったがあっという間に読み終えてしまった。 その恒山にいるとその舞台にいるようで楽しかった。今春の昆明の旅では石林で「崆峒」という文字に触れた。そして今回は意図せず「恒山」に出会うこととなった訳(写真4-1,4-2)である。次は少林寺にでも行ってみようか。 金庸の武侠小説には中国各地が登場するので、その土地に出会うのも楽しみになってきていて、徳間文庫本の金庸の小説を欠かさず読んでいる。 従って、司馬遼太郎の「街道をゆく」と、この金庸の武侠小説とが旅心を刺激し、旅がこの両書籍の読書熱を刺激するという循環が出来てきたように思い始めている。 寒風厳しい懸空寺を後にして、昼食をとったあと木塔寺に向かうことになった。
つづく
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