槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2007/09/15 23:35:17|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-9-

【D2-5:トルファン・トルファンの夕べ】
D2の予定は、交河故城の見学で終り、ホテルに向かう。北京時間で既に21:00を過ぎているが、外はまだ明るい。しかし人々は三々五々とバーベキュー広場に集まってくる。(写真上1) 
 
まだ明るいので、そこを通りすぎ人民広場へ、小さな女の子二人がくるくると舞っている。広場の入り口には葡萄姑娘の像が立ち、すり鉢状の底には演奏会のステージがあったが、その日が演奏当日ではないらしく静かなままだった。(写真上2:明度修正
 
人民広場を跡にして、先程のバーベキュー広場で、駱さんと夕食を摂った(写真上3)テーブルにつき着席するや、やかんにお湯を入れて店の人が持ってきた。駱さんが席を離れ、料理を注文しに行っている間にどこからか頭に帽子を被り白い服を着たしわだらけのおじいさんが近づいてきて、なんの断りも無く、持ってきた大きな瓶にどくどくといれ何事もないかの様に去って行った。駱さんを通しビールを注文したら、予想外に冷えたビールが出てきて、シシカバブとラグメンを食べ遅い夕食を終えた。
 
そして、ホテルに着いたのは、北京時間で、日付が変わる直前であった(写真上4=明度修正)。ホテルの敷地内には、舞台が組まれていて、恐らくトルファンの歌舞音曲が演じられたのだろうが、我々がホテルに着いたときは完全に終わっていた。日付が変わる直前であれば当然かもしれないが、新疆時間では22:00前である。
 
 
 







2007/09/15 22:10:55|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-8-

【D2-4:トルファン・交河故城】
時計は北京時間であるが、すでに19:00をまわっている。ついに交河故城にやってきた。トルファンの交河故城と高昌故城はシルクロードの象徴であり、来る直前に読んだ、「天竺への道」陳瞬臣にも頻繁に出てきた。二筋の川が交わる土の崖にあり、崖の長さ1650m、幅600mに、城門、道。役所、寺院、民居、洞窟、井戸などがある。
 
片方の川に架かる橋を渡る前の光景で、観光事務所であろうか、その建物に向かう馬車とそれに乗る地元の人達(写真上1)の姿に、実に中国的な風情を感じた。写真の右上に見える土の崖の上が交河故城である。橋を渡る時、川にはアヒルの群と、川辺に佇み、彼らにえさを播いている老人の姿が見えた。
 
橋を渡ると、崖の上に至る上り坂がある。前を見ても、横を見ても崩れたレンガや土盛りが見られる。それを背景に駱さん(手前)と李さんの写真を撮らせてもらった。(写真上2)ここに安西都護治所が置かれた唐の時代にも、彼女等と同じ年代の女性たちが生活していたに違いない。そのころも同じ様な気候であったなら、サングラスや日傘の様なものを携帯していたのだろうか。
 
少し行って現れたのが、レンガつくりの建屋で、しっかりした形を台地の上に残している。一部を除き、建物や道路は台地を掘り下げて作られていて、南東部は居住区、中央は行政区、北部が寺院と墓所ということが出土品から分かっている。
 
少し北西部に歩き、太陽の光がまぶしく、土やレンガの突起構造物が濃い影を造るように
なったが感覚的には、いまだ真昼間である。すのこが敷き詰められている、少しむこうには、いまだ発掘作業をしている現場の様な地点が点々と見える(写真上4)。北西方向に向かって、180°のつなぎ写真を創るべく、少しづつ角度を変えて写真をとったが、角度によって明度の差が大きく、景色の方を調整すると、空の明るさが不連続となり、満足できるつなぎ写真は出来なかった。







2007/09/15 17:29:41|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-7-

【D2-3:トルファン・蘇公塔】
トルファンの宿泊予定のホテルで2時間ほど休憩したあと蘇公塔に向かった。蘇公塔に着いた頃は気温が40℃は越えていただろう。経験したことの無い熱さを肌で感じた。しかしかえって気持ちが良い。汗が服に留まらずベタベタした感じがしないからだろう。空は青くまぶしい。早速、高さがある塔(37m)を写真に撮ろうとすると、真っ黒のシルエットになって写ってしまう。
 
清の乾隆帝時代(18世紀後半)トルファン郡の王ソライマンが父のために建立したイスラム寺院。その父の像?と蘇公塔全景を背景に写真を撮るも、像も自分も真っ黒、帰ってから、明るさとコントラストでやっと写真上1まで修正。像の足元には白い花の低木が見られるが、何の花か。
 
そして、蘇公塔に近づき、その手前の円形広場の中心に立ち写真を撮るも、やはり、黒いシルエット。明るさとコントラスト調整でなんとか見れる様になる(写真2右下)。この中心点に立ち手を拝むように叩くと、鳴き竜の様に音の残響が聞える。鳴き竜は床と天井との間に定在波が立ち、ちょうど定在波の腹の位置に耳が来るので、ビ~~ンという残響が聞えるのだが、ここは床はあるが、上にあるのは青天井のみで、定在波が立つはずが無い。それでは何故残響が?
 
塔の側からこの広場を見れば分かるかもしれない。階段を上り(写真上2左)、見晴らしの良いところへ向かう。明るさ調整をしないとこれほどの青い空となり、建造物の輪郭が浮き上がる。塔は全てレンガを積み重ねて建てられている(写真上2右上)。幾何学模様が美しい。建物の上階の見晴らしの良い場所に上り、そこから円形広場を見おろす(写真上3)と残響の理由が、円形広場の円周部に配置し、広場を囲む様に配置した低い壁ではないかと推測。円形の直径と音速の関係から周波数を計算すると、10Hzを切る。(超)音波が研究対象の自分としては考え込んでしまうネタである。以上の音のことはどんな旅行案内にも書いていない。この残響を故意に実現しようと思って建造物を設計しているのなら大したもので、たとえこの円形広場のみ最近造られたとしても、中国人の科学に基づいた遊び心が伺い知れる。
 
そんなことを考えながら、目を右手に移すと、緑野に所々土で出来た建物が崩れ落ちた姿をほうぼうに認めた(写真上4)。これらが、交河故城や高昌故城の様な遺跡でないと言える証拠は無いのでは無いか。目を凝らして見ると、それらの広大な地域は緑の塀で囲まれていて、入り口の門が施錠されているようにも見える。
 
発掘調査が予定されているのかも知れない。胸がワクワクする。時計を見ると、すでに北京時間であるが、18:30を過ぎている。
 







2007/09/15 12:47:04|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-6-

【D2-2:トルファン・カレーズ】
トルファンには多くの観光名所があるが、これらを観光する前に観光案内所に寄り、ここで観光料をまとめて支払うとともに、現地ガイドさん(李雪さん:20才女性)と合流し、国道312号をあとにして、先ずはカレーズへ。トルファンは砂漠の街とばかり思っていたが、緑豊かなのに意外さを感じた。入り口で撮った写真(写真上2)の背景を見れば、益々その様に感じる。
 
葡萄棚歩行路(写真上1)には多くの観光客の姿が見えるが、日本人らしきは見えなかった。葡萄はたわわに熟し、しかも熟しすぎ、変色したつぶは見られず、手入れの良さを感じた。その棚の下を歩いて行くと、カレーズ楽園(展示場)入り口(写真上2)に出る。
 
そして、すぐのところに、カレーズの模型が展示してある。天山山脈から流れ出た水を、総延長2000kmに亘り、地下水路に導き、所々に井戸を掘り、生活水として使ったり、地表に露出しているところでは、農業用水路として使っている。感心するのは、水は高きより低き所へながれ、再び高き所に遭遇すると、流れが淀んでしまい、水路として役立たなくなるのだが、そうならないで、いまだに人々に潤いを与えることが出来るようにするには、どの様な土木技術と灌漑技術をつかったのだろうということだ。
 
ガイドの李さんのあとに従ってゆくと地下水路への階段があり、そこを降りていった。トルファンにある1500本ものカレーズのうちの一本をつかって観光客に見せているのであろう。幅1mもない流れを硬く締まった砂礫が囲み、天井からは白い紐の様にカビの様なものが何条にも垂れ下がっている(写真上3)。これが水路に落下したら、どの様な水質になってしまうのだろうと、思わず心配してしまった。
 
水面に手を触れられる近さまで来たので、手に水を掬い、それを飲むようなまねをしているうち(写真上4)、胸ポケットに入れていたボイス・トレック(VT)が水路に下りてしまった。水流に流されないで水底に留まっているので、手を伸ばし拾おうとしたが、なかなか
届かない。モタモタしていたら管理人の様な人が近づいてきて拾い上げてくれた。一分ほど水没していたので、駄目だと思ったが、電池ケースを開き、本体ともども、直射日光に曝していたら10分もしたら、乾いてしまい、元の構造に戻し、音を出したり、録音してみたら、何事もなかったかの様に、正常に動作した。携帯機器の防水機能に初めてありがたさを感じた一瞬であった。この一連の操作をガイドの李さんが、手早くやるのを見て感心したが、同じ様なミスをする観光客が後を絶たないのだろうという気にもなった。
 







2007/09/14 13:33:30|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-5-

【D2-1:トルファン>
 @ウルムチからトルファンへ】
朝8:00頃起床し、バイキング方式の朝食を済ませ、10:00に出発となった。張さんは16年ぶりの同窓会の後も、友人たちとの付き合いに忙しく、今日は、駱さんと、運転手と現地ガイド(トルファンから)との4人の行動となる。運転手は庫建栄さんという人で、車は2000ccくらいの中国製の車で車内はゆったりとしていた。ウルムチの市街地を通りすぎ高速道路を一路南へ、少しづつ民家は減ってきて、車窓から見える景色は、いよいよ想像していたものとなってきて、澄んだ空を背景にし、冠雪した標高5000mを越える天山山脈が見えてきた。そして、その手前に一直線に伸びたポプラ並木の緑が目に入り、近くに砂漠が迫っていることを忘れさせる。
 
更に、進むとアジア第二位と言われる規模の風力発電プラントを左右に見るようにして通過する。全ての風車が回転しているわけではないが、このあたりは普段は強い風が吹き、その風で、この道路と並行して走る汽車が転覆したことがあるとのことであった。トルファンからの帰路車をとめて写真を撮った。既にこの辺りの地面には草木が見られず、既に砂漠地帯に入っているのかと尋ねてみると、違うとのこと。
 
そして、さらにドライブを続けると、近くに山が迫ってくる光景が多くなった。山にはやはり草木が一切なく、なんとなく薄い黄緑色に見えることがあるが、その様な土の色なのだろう(写真上2)。きっと土に鉄が含まれていて3価の時は赤錆色、2価の鉄の場合は青となるのだろう。
 
そんなことを独りごちているうちに、車は更に進み、今度は平地の無草木地帯を走る。山が迫ってきていないので、道路は直線である。地平線と空との境界線を目指して、どこまでも続く直線道路である。不思議なことに、これほど気温が高いのに逃げ水に全く遭遇しない。陽炎を引き起こす条件になっていないのに違いない。(写真上3)
 
そして、相変わらず迫り来る山は見えず、地表は細かい砂というより砂礫の平原が続くのであるが、時々道路と交差する方向に、砂礫の地表を無造作に引き裂く様に横たわる筋があちこちに見られるようになった。明らかに水の流れが砂礫を浸蝕しながら流れたあとである。天山山脈の雪溶け水が創りだしたに違いない(写真上4)。彷徨える湖ロプ・ノールを思い出した。このような光景を古代の住人が目にしていたら、地表に水路を敷く愚かさにすぐ気が付き、地下水路の必要性を誰もが着想するだろう。