槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2007/09/17 16:16:16|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-14-

【D3-5:トルファン・火焔山】
これまでに観光した高昌故城、アスターナ古墓群(以上南麓)、ゼベクリク千仏洞(北麓)はいずれも火焔山の麓にあった。西遊記で火焔山ほど有名なところは無いだろう。三蔵法師と孫悟空らの一行が火炎に阻まれ、孫悟空が鉄扇公主(牛魔王)と戦い、芭蕉扇で炎を消したという話の舞台となったところである。
 
トルファン最後の訪問地ということだったが、前記の様に火焔山は遠近双方から眺めてきたので、それで良いだろうと思っていたが、運転手の庫さんとガイドの李さんは、西遊記に因む「火焔山」という観光標識のある、即ち、三蔵法師の一行が通っていったであろうあたりを案内してくれた。
 
ゼベクリク千仏洞に行く途中に、既に火焔山を通行する三蔵法師一行の像が(写真上1)見えていたが、帰途は下車し、赤黄色に焦げた砂礫の上に立ち、北京時間で丁度12:00頃の灼熱地獄を体感した。(写真上2
 
李さんのガイドとしては、ここがトルファン最後の観光地となる。三人で火焔山の観光標識
を背に写真を撮った(写真上3)。火焔山の上空は真っ青な空が覆っていた。太陽の直射熱の凄さをうかがわせる。
 
そして再度この青空と火焔山をバックに写真を撮った(写真上4)。
 
考えてみれば、我が家は三息子、だれが、孫悟空、猪八戒、沙悟浄に似ているか。そして自分は三蔵法師? いやいや「あなたは白馬、私が三蔵法師」と家内に言われそう、などと思いながら火焔山を後にした。
 
岩波文庫版「西遊記」は愛読書であるが、いつも飛ばしているのが、ところどころに出てくる詩の部分である。訳者の労で七五調とはなっているが、それでも理解するのは難しい。
火焔山が出て来る第60話、61話にも何回か出てくる。







2007/09/17 13:49:31|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-13-

【D3-4:トルファン・ゼベクリク千仏洞】
北京時間11:00少し過ぎ、ゼベクリク千仏洞の入り口の直前のところの光景から火焔山の麓に位置することが分かる(写真上1)。すぐ近くで見ると火焔山の縦縞や断層、そして火に焼けたような色が眼前に見える。
 
ゼベクリクというのはウィグル語で「装飾された家」の意味らしいが、確かに外観の造形美を感じる(写真上2)。6〜14世紀に造られた83箇所の石窟があり、40箇所に壁画があるとの話であった。そのうちの数箇所を拝観したが、イスラム教徒によって破壊された顔面の無い仏の姿は無残である。しかし、それ以上に各国探検隊によって剥ぎ取られた形跡も沢山あり、敦煌の莫高窟よりスケールが小さい。因みに、現地観光案内書「吐魯番旅遊」には、後者の破壊のことは記述されているが、前者の破壊については記載されていない。
 
また時代を遥かに遡ること7世紀末にはマニ教がこの地トルファンで栄え、この千仏洞にはマニ教石窟も造られたが、マニ教徒がトルファンでの最大勢力の仏教を次第に受け入れ、マニ教石窟は仏教石窟へと造りかえられたとのことである。マニ教は仏教との接点が多く、「叡智を重んずる」、「殺生をしない」、「他者を重んずる」、「自らを省みる」といった共通の教義をもっていたとのこと。
 
壁画は西ウィグル王国時代(9〜11世紀半ば)のものが多く、花を手にしたウィグル教養人を描いたものが多く、その内容は仏教の大乗経典の因縁物語、経変画、千仏が描かれているとのこと。アスターナ古墓群の壁画に、花鳥図が描かれていたのを思い出した。
 
ゼベクリク千仏洞は太陽光線を受けると、黄赤色に染まる(写真上3)。背景の山も赤く焦げ付く。約一時間観覧し帰途につく。(写真上4
 







2007/09/16 23:56:01|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-12-

【D3-3:トルファン・アスターナ古墓群】
古墳群ではなく古墓群という駱さんとの会話から見学が始まった。なんの変哲もない、砂礫だけからなる平地(写真上1)に斜坑の入り口が現れる。墓は500箇所ほどあったが、そこに眠る遺体は殆どミイラ化し、多くの文物や装飾品とともに発見されている。墓の三箇所が展示され、観光地となっているのだそうだ。(「トルファン旅游」丁暁○編著:○は山冠の下にヒ)その一つの入り口から降りてゆくと、その突き当たりに鮮やかな壁画が現れた。
 
一つは花鳥を描いた4連屏風の壁画、もう一つは、六重屏風壁画の戒め図である。
どの様な戒めを説いているのか、自分たち自身に対する戒めか、後世の人達への戒めか、よくわからないが、多分、死後の死者の魂が、生きていた時にしでかした愚考を再び繰り返さないようにという配慮で造られたものと解釈するのが自然の様に思われてきたが
良くわからない。
 
古墳内の壁画が一般に、死者を守る、死者の魂が彷徨わないように生活必需品を合葬する風習などから考えて、上記の解釈で良いのではないかと思われる。
 
ここから出土された多くのミイラは新疆ウィグル民族博物館とトルファン博物館に展示されているとのこと。
 
古墓群の周囲は現代的な中国風塀が現代人と古墓に眠る1000年以上も昔の人達を隔絶するようだ(写真上2
 
その塀の向こう側(現代側)に出てみると十二支像が立ち並んでいた。自分の干支の犬の前で写真に納まった(写真上3)。
 
そして、猪(ブタ)の前に立つ駱さんの写真を撮らせてもらった。現代側には古墓群を見おろす観楼があり、最後に観楼から古墓群を眺め下ろした。(写真上4)







2007/09/16 22:23:58|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-11-

【D3-2:トルファン・高昌故城】
北京時間8:50に到着。早速中に入るとロバ車が待機しているのが見えた。ロバ車の御者はウィグル人であろう。カタコトの日本語で話しかけてくる。トルファン土着民の西方インドヨーロッパ系の文化、漢民族文化、イラン系文化を積極的に摂取し、外国語を習得する能力のDNAは今のウィグル人にも伝達されているのかも知れない。
 
写真上1のロバが振り返っている方向に見えるのが高昌故城の遺跡である。そこに至るまでの走路の両側の砂地には、タマりスクが所々に茂っている。目的の場所に到着、下車すると、リズム感溢れるウィグル音楽の演奏が聞こえてくる。
 
音は大きな城門の中から聞えている。高昌故城にはそれぞれ異なる時代に築かれる三重の城壁がある。周囲5kmの外城の中央部にあり、外城東南角に、1万平方kmの寺院遺跡があるとのこと。山門、庭、講経台、蔵経楼、本堂などがあるとのこと。どれが何かは分からないが、山門の前に立つと玄奘が講経台から高昌国王麴文泰らに「仁王経」を講釈している姿が目に浮かぶ。(写真上2)「天竺への道」の、麴文泰が玄奘に傾倒する様を読むと、玄奘の凄さが伝わってくるが、これだけ仏教が人の心を捉えた歴史はそれほどあるものではない。
 
トルファンは歌舞の町であり、早速、歌舞音曲を演じている観光客目当ての写真撮影に納まる(写真上3)。胸に右手を置くポーズをとると願いが叶うという。
 
「シルクロード紀行No.3トルファン」朝日新聞刊には、高昌故城のCG俯瞰図が紹介されている。この図の何処に立っているのか分からないが(写真上4)、風食された建造物に
時代の逆送りをして、ブラストされて飛び散った砂礫を元の位置に戻す処理をした時の佇まいを想像しても何も出てこない。もう一度来ると、もう少し輪郭のはっきりした佇まいが現れるかも知れない。
 
 
 
 







2007/09/16 13:38:54|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-10-

【D3-1:トルファン・高昌故城へ】
北京時間8:00に、トルファン市街地から南東に約50km離れた、高昌故城に向い、そこから北上してアスターナ古墳群、火焔山、ゼベクリク千仏洞の順に移動するというのが本日の観光コースで、トルファン二日目の旅となる。朝ホテルから窓外を眺めると街並みのかなた東の方に、うっすらとそれほど高くない山並みが見える。(写真上1
 
今日の行き先はいずれも火焔山の麓にあるので、迫りくる山の斜面はたて縞状に風食され、且つ断層が現れている。車での移動中、窓の外には壮観な山肌が次から次へと現れる。赤く染まっていない山はだを見て火焔とは言いにくいが、そこに陽炎が立てば、肌に感じている温度から、火焔が立つ前か火焔が鎮火した跡と思いたくなる。(写真上2
 
そんな勝手な推測をしているうちに、写真上3の様な異様な建造物と巨大な温度計が車の窓外に現れた。これまでトルファンで記録された最高温度は気温49.6℃、地表温度83.3℃とのこと。その気温が表示されているのかも知れない。
 
山肌に縦縞のある火焔山を少し遠くから眺めてみると、段差のある地面が広がっているのが分かる。段差の手前の地面は砂というより土の黒さであり、人工的に地表を研削したように見える。(写真上4
 
そうこうしているうちに、高昌故城の入り口に到着した。